決闘大会本選 - 3
個人にはそれぞれ魔法の適性がある。それ自体は周知の事実だ。
だが、その適性が――まるで魂の痕跡のように――その人間の記憶や経験、時に人生そのものに根差しているということは、ほとんど知られていない。
エミリアがこれほどまでに雷魔法を使いこなせるのは、彼女にとって雷という存在が、ただの自然現象以上の意味を持っているからに違いない。
それはきっと、彼女の在り方、人生そのものにすら繋がっているのだろう。
彼女は優雅に杖を振る。その仕草はまるで指揮者が交響曲を導くかのように。
次の瞬間、無数の雷の子らが空を裂き、唸りながらこちらへ襲いかかってくる。雷鳴が轟き、空気が震えた。
私は一瞬の迷いもなく、細い隙間を縫ってその弾幕を掻い潜った。
耳元で雷が炸裂し、肌を撫でる熱風に後れ毛が焼け焦げる。
いつの間にか、エミリアの放つ魔法は基礎魔法の雷弾から、応用魔法の天雷弾へと変わっていた。
天に昇った魔力が一瞬、静寂を生む。
その直後、炸裂。雷光が空を貫き、巨大なエネルギーの奔流がこちらへなだれ込んでくる。
轟音とともに地が震え、空間そのものが歪んだように感じた。
「お前、中々しぶといね。そろそろ反撃でもしたらどう?」
「反撃をさせないように牽制してるのはそっちじゃないの……」
「それもそうね。」
エミリアはくすりと笑い、再び杖に魔力を込める。
無駄なく、最小限の魔力で最大の効果を生む練度――これは彼女にしかできない芸当だ。
私は必死に回避を続けるが、さすがにそろそろ限界が見えてくる。逃げ道が、ない。
「このままだと、いずれ集中が切れて当たる……あら、危ない。」
試しに放った氷針は、彼女に軽く躱されただけだった。まるで踊るように。
だが、単発で無理なら、数で押すまで――。
私はふわりと空へと舞い上がる。
そして、その高みから、無数の氷の針を槍のように撃ち下ろした。
白銀の雨がエミリアを襲う。その量と角度は、彼女の動きを着実に制限していく。
氷魔法は雷に比べれば遅いが、質量を持ち、打ち消すことができない。
避けるか、他の手段を取るしかない。どちらにせよ、隙が生まれる――はずだった。
だが、彼女は違った。
エミリアは微笑みながら、杖を横一閃に振る。
その瞬間、青い閃光が走り、雷鳴が轟く。
氷の針は一瞬にして粉砕され、陽光を受けて煌めきながら、彼女の周囲に舞い落ちた。
「……いや、流石と言うかなんというか……」
私は思わず苦笑した。力任せに捻じ伏せるその姿は、まるで嵐そのもの。
「その程度?」
「そんな訳ないでしょ!」
私は次の魔法を繰り出す。
魔力を練り、液状に変化させる。水の応用魔法――海流山。
渦巻くように水が私の周囲を取り囲み、うねりをあげながらエミリアへと放たれる。
エミリアは鼻を鳴らし、軽やかに宙を舞うように回避した。
だが、波は止まらない。彼女の逃げた空中へと、今度は操った水流が追いかける。
「しつこいわね……」
エミリアは空中を滑るように移動し続ける。
だが、流石に水魔法は魔力の消費が激しい。このまま逃げる彼女を追うだけでは、消費魔力に見合った利益は見込めない。
海流山の制御を解除すると、残った水は一瞬にして蒸発して霧と化す。
湯気の中、彼女は濡れた靴音を響かせながら、静かに地へと降り立った。
制服は濡れて肌に張り付いているのに、その姿には気品すら感じられる。
「さて、反撃よ。」
彼女が杖を構えた、まさにその瞬間――。
「……っ!」
足元がぐらりと歪んだ。
反射的に跳ぼうとしたエミリアの足が動かない。足元には、氷の光が煌めいていた。
――水は凍るもの。
私はさっきの水の一部をわざと蒸発させず、服や地面に張り付いた水分を残しておいた。
それを一気に凍らせ、エミリアの動きを奪う。
「……そういや貴方、こういう芸当得意だったものね。」
「氷と水の変換は得意なのよ。」
私は即座に、氷の応用魔法《氷柱撃》を放つ。
狙いは、彼女の胸元――魔力を制御する魔道具。
数本、否、十数本の氷の柱が高速で撃ち出される。
鋭く、太く、重い一撃。それはどんな防御魔法でも受けきれないはずだった。
「まさかこれで終わるとでも?」
エミリアの魔力が、瞬間的に炸裂した。
私は直感的に危険を感じ、思い切り空中へ跳躍する。
その瞬間、轟音と閃光が空気を切り裂く。またも彼女は雷魔法で全てを粉砕してしまった。
地上の氷も、私の氷柱撃も。
同時に、地上に閃光が走った。
目のくらむような光が放たれ、これを見てはまずいと慌てて目を閉じる。
戦闘中において目を閉じるのはご法度。どうぞ攻撃してくださいと相手に隙を与えるようなもの。
目を閉じた瞬間、微かに風が顔に当たった。生ぬるい風。掠れた呼吸音。
ゆっくりと目を開けると、そこにあったのは――。
至近距離で私を見下ろす、エミリアの笑み。
睫毛も、髪も、雷の名残で煌めいている。
彼女は、雷で地上の氷を焼き払い、その反動で私の至近に飛び込んできたのだ。
空中、わずかな距離で向かい合う二人。彼女の心拍も聞こえてきそうな程。
エミリアの杖は、私の胸元に向けられていた。
魔力が膨れ上がる。
逃げようとした身体が、ピリピリと痺れて動かない。麻痺――雷の余波だ。
エミリアは微笑んだ。確信に満ちた、勝者の笑みだ。
杖の先から、稲妻が迸った。
ゼロ距離で放たれたそれを、誰が避けられよう。
――私でなければ、負けていただろう。
脳に意識を集中させ、魔力を一点に練り上げる。
幸いにも、私は魔法の発現速度だけは誰にも負けない。特に、杖を使わなければ――なおさら速い。
エミリアは気づかなかった。私の瞳にかかった、かすかな靄に。
精神魔法。
使い手が極端に少ないと言われる、私の適性属性。学園祭で派手に使った割には、私が精神魔法の使い手だという事はサラとメグ以外には知られていない。
何故なら、精神魔法の感知は精神魔法の使い手でなければ難しいからだ。学園祭での出来事は、サラ以外には『演技力』という言葉で納得されている。人は例え幻覚を見ても、幻覚と感じず本当の世界の姿だと信じ込んでしまう。特別現実離れしたものでなければ、特に。
だからこそ、私は考えた。この得意技をどう戦場で活かすか。
ガルス殿下は精神魔法が使えるにも関わらず、決闘大会では使わなかった。理由は今なら分かる。単純に盛り下がるからだ。
元から評判が悪いだけでなく、見栄えも良くない。魔法を使っているかどうかも分かり辛いのに、勝手に相手が倒れるのは観客にとって興ざめだ。
逆に言えば、バレないように使えばいい。観客にも、対戦相手にすら悟られなければ警戒されることなく好き放題できる。それが、私とメグの作戦会議で出た結論の1つ。
精神魔法を自分にかけ、脳から流れる神経の電気信号を活発化させる。元から自分にかけている自己強化魔法と合わせれば、より素早い瞬発力と強靭な力が手に入る。要するに、肉体のリミッターを外して無理矢理酷使し、短時間の間バフ効果を受けるやり方だ。
更に応用すれば、感電して麻痺していた筋肉を無理矢理動かし、身体の自由を取り戻せる。どこまでも便利な魔法である。
閃光が放たれる刹那、私は頭部をわずかに逸らし、致命の一撃を紙一重でかわす。念のため張っていた薄い防御魔法が、雷の余波をしっかりと受け流してくれた。
そして――即座に魔力を杖へと流し込む。何故動けるのか、と驚愕に目を見開いたエミリアの胸元へ、渾身のカウンターを叩き込んだ。
海流山。
ゼロ距離で放たれた水流は、いくら速度が遅かろうと逃げられない。圧倒的な魔力を帯びた水が、ぐぽっ、という音と共に彼女の身体を包み込み、呑み込んでいく。
雷は水を伝う。だから、一度この中に捕らえれば――雷魔法は、使えない。
無理に使えば、自分に電撃が跳ね返ってくる。
「……とどめよ。」
私はさらに水流を制御し、水圧を加えていく。あの魔道具が割れれば、この勝負は決まる。
だが。
「――っ!」
次の瞬間、海流の中の水が、まるで内側から爆ぜたかのように四散した。
反射的にバックステップで距離を取る。直感が、喉の奥を冷たく締め上げていた。
「……何が起きた?」
「まさか、海流山を破った……?」
観客席からざわめきが漏れる。
雷魔法で、あれは破れない。なら、答えは1つ。
彼女は――雷以外の魔法を使ったのだ。
「本当は決勝まで隠しておきたかったんだけどね。」
砂煙の中、静かに姿を現すエミリア。その背後には、浮かぶ巨大な岩の数々。
見れば分かる。土魔法の圧倒的な質量で、水魔法を撃ち消したのだ。
「……まさか、雷魔法ばかり使っている貴方が、土魔法まで使えるとはね。」
「フフ、努力の成果ってやつよ!」
言葉と同時に、エミリアは浮かぶ岩をこちらへと投げつけてくる。1つ1つが私の体格ほどもある巨岩。重い。速い。よけにくい。
1つをギリギリで避けた瞬間、視界の端に見慣れた閃光が走った。
しまった、と思った時にはもう遅い。私は咄嗟に防御魔法を展開し、辛うじて雷撃を弾く。
「雷と土の複合魔法、どう?さっきまでのような避け方は通用しないわよ?」
上から降り注ぐ岩。岩の陰から撃ち込まれる雷撃。雷の速度と、土の質量。見事な連携。視認も、予測も難しい。
複合属性を扱うだけでも難しいのに、こんな複雑な技を編み出してくるなんて思わなかった。
このままでは避け切れない。
だが、それでも私は、負けるわけにはいかない。
「……よく考えたわね、雷と土の組み合わせ。でも、慣れないことはするもんじゃないわ。」
回避できないのなら、攻撃が届く前に決着をつけるだけ。
私は一気に空中へ跳び上がった。エミリアのいる高度を超え、彼女の魔法の射線から逃れるように、さらに上へ。
「エミリア、魔力探知を疎かにしたらダメじゃない。」
確かに彼女の土魔法は目を見張るものがあった。部活でも一度も見たことのないそれは、かなり洗練されたものだ。きっと私の知らない所でこっそり練習したのだろう。
魔術師は同時に色々な事に気を配らねばならない。
魔法の起動、コントロール、魔力探知、自己強化、相手の挙動。どれか1つでも意識が欠ければ敗北に繋がる。
エミリアは複合属性を操り、こちらの予想を上回ることに夢中になるあまり、魔力探知への注意が欠けている。
勿論、普通の相手なら何の問題も無い。相手に反撃できる隙を与える前に力でねじ伏せてしまえばいいから。
それでも、私は別だ。私はエミリアの動きや魔力の癖を熟知している。誰よりも早く鋭い魔法を放てる。状況に合わせて臨機応変に戦術を変える柔軟さを持ち合わせている。
自分で自分のことをこんな風に言うのも何だが、私は自分の努力を誇りに思っている。
だから、負けない。
エミリアが顔を上げ、私の存在に気づいた。その表情に、一瞬の焦り。
彼女が杖をこちらに向ける、その一瞬前に。
私の魔法が、完成した。
紫に煌めく魔力が杖の先に集中する。紫電――それは、地下で見たあの日の雷。ガルス殿下との思い出。それを、私自身の手で再現した。
創作魔法。
天雷霆撃に似て非なる、私だけの魔法。その軌道も、威力も、誰も知らない。誰も、防げない。
視界を焼く光と共に、炸裂音が会場に響き渡る。
高く、鋭く、魔道具が砕ける音がした。
光が消え――その向こうに見えたのは、意識を失い、ゆっくりと地へ落ちていくエミリアの姿。
私は風魔法で加速し、彼女の身体をそっと抱きとめる。崩れ落ちそうな身体を支えながら、地上へと降り立った。
エミリアの瞼は閉じていたが、その表情には、どこか満足そうな微笑みが浮かんでいた。
「――勝者、メーティア!」
喝采が会場を揺らす。
私は、それをただ静かに受け止めた。




