決闘大会本選 - 2
「さすが先輩……おっそろしいですね」
そう呟きつつも、彼は素直に拍手を送ってくれた。私は微笑みながら、その頭をぽんと撫でる。背丈こそ私よりもずっと高いが、その仕草や表情のせいだろうか、彼はいつだって子犬のように見える。
「相手が油断していたのよ。まさか最初から魔術師が本気で来るなんて、誰も想定していなかったでしょうから」
「確かに。魔術師って、普通は距離を取りつつ、じわじわ相手のリソースを削っていく戦い方が定番ですし。いきなり突進してぶっぱなすなんて、殿下のような剣士ならまだしも、魔術師がそれをやってくるなんて……流石に理解の範疇を超えてます。」
やはり、戦いというものは、不意を突くのが最も効果的だ。
殿下との稽古を通じて、私はそれを痛感するようになった。たとえ相手が格上であっても、一瞬の油断を突けば勝機は生まれる。運を味方につければ、それだけで勝利を攫い取れるほどに。
「さて、私は少し休ませてもらうわ。時間になったら起こしてちょうだい」
「了解でーす。ごゆっくり~」
彼女は軽やかに手を振って見送ってくれた。
連戦は、思っている以上に魔力の消耗が激しい。
ゆえに、戦いの合間に身体と魔力を休める時間は、何よりも大切だ。私は魔力の回復を促進する特製の栄養剤を一息で飲み干し、用意されていた柔らかなソファへと身を沈めた。
他の試合を観戦したい気持ちもあったが、今はただ、一秒でも多く魔力を蓄えておくべきだ。
何せ、魔術師にとって魔力こそが命なのだから。
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どれほどの時が過ぎたのだろう。柔らかな声と共に、肩が優しく揺すられた。
「先輩、そろそろお時間です。次の対戦相手も発表されましたよ」
飛びかけていた意識が、一気に地上へと引き戻される。私はすぐさま身体を起こし、まばたきを1つだけして目を覚ました。幸い、寝起きは悪くない方だ。それに、後輩に迷惑をかけるわけにはいかない。
「次の相手は?」
「予想通りです」
彼女の指先が示した先には、魔法紙で作られたトーナメント表が淡く光を放っていた。私の名から伸びる線が、別の山を登ってきた線と交差している。そこに記されていたのは――
エミリア・ロッセリーニ。
「うわあ……エミリア先輩とメーティア先輩のガチ対決が、まさかこんな序盤で見られるなんて、最高じゃないですか!」
彼は飲み物の入ったカップを差し出しながら、目を輝かせて言った。
「……嫌な相手ね。お互いに手の内を知り尽くしている分、やりづらいのよ。」
「でもでも、いつもみたいにおふざけモードじゃなくて、本気でぶつかるとこ見たことないですから。大抵有り余る魔力を使い切れずにエミリアさんが大道芸みたいな魔法でふざけ出すか、メーティアさんが意味不明な創作魔法で自爆するか、どっちかじゃないですか。」
後輩は頬をぷくっと膨らませた。その姿が、いっそう子犬っぽくて、私は吹き出しそうになった。
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会場へと足を踏み出した瞬間、耳を劈くような歓声が押し寄せた。
先ほどよりも明らかに熱を帯びた声援の渦――その中には、エミリアの名を叫ぶ声も、私の名を呼ぶ声もあった。その数には大きな差はない。
正面に立つエミリアは、例によって穏やかな微笑みを浮かべていた。
が、その笑みの奥にある瞳の輝きは、いつもより幾分、鋭く、楽しげだ。
彼女は優雅にスカートの裾を摘まみ、完璧なカーテシーを一礼として捧げる。
「じゃあ、よろしくね」
「こちらこそ」
そして――
「始め!」
審判の声と同時に、空気が震えた。
エミリアの指先が軽やかに動くと、空間がざわめいた。次の瞬間、雷弾が十数、唸りを上げて一斉に放たれた。まるで空が裂けるような轟音と閃光が、真っ直ぐこちらを貫こうと迫る。
速い。重い。しかも数が多い。
普通の魔術師であれば、その場で膝をつくだろう。だが、私は慣れている。これが彼女の「挨拶」だ。
身体を僅かに傾け、足を交差させ、風のように滑り抜ける。雷弾が空を裂いて背後へ抜けていく音を聞きながら、私は無言で応じた。
風刃。十数本。数と速さは同等に。
私の放った刃は、まるで無数の見えぬ手が空間を切り裂くように舞い、彼女の元へと襲いかかった。
会場がどよめいた。
基礎魔法を、これほどの量、同時に、精密に発動することの難しさを、魔術を学ぶ者なら誰もが知っている。
だが――これはまだ「前座」に過ぎない。
「さて、どうしようかしらね。あなた相手だと大技を使っても、きっと軽やかに躱されてしまいそうだもの。」
「そりゃあ、痛いものは避けるに決まってる。前に一度、うっかり喰らったときなんて、腕が千切れたかと思ったわ。」
呑気な会話の裏で、空間が唸りを上げている。魔力の奔流が互いの周囲に渦を巻き、雷と風がぶつかり合う中、私たちは言葉を交わしながら、何十もの魔法を同時に起動していた。
エミリアは、私と同じく、いや、それ以上に魔力の制御に長けている。
とりわけ雷魔法の扱いにおいて、彼女の右に出る者はほとんどいない。現部長でさえ、苦笑いして「あのレベルは真似できない」と認めるほどに。
雷魔法は威力も速さも申し分ないが、その分当たり判定が小さく、局所的にしか攻撃できない。それに加え、エネルギー体系の魔法の中でも相手の攻撃を相殺しにくい部類に入る。
使うのは簡単だが、使いこなすのは難しい。そういう魔法だ。
それを彼女は、完璧に使いこなしている。
狙いは正確で、無駄な動きもない。
放たれる前のわずかな魔力の偏りを読まなければ、回避など到底間に合わない――そういう類の速度だ。
だが、私はその動きに慣れていた。何度も、何度も、戦ってきたから。
ここは広い。逃げ場はある。ならば、避けて、次を打つだけだ。
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「やっぱり、メーティアって凄いわね……」
メグはレモネードを手に、瞳を輝かせながらつぶやいた。
「エミリアも十分凄いけど、あれだけの量を正確に捌くなんて、尋常じゃないわよ。あの速度、あの精度……目で追うだけでも精一杯。」
「戦術部はいつもああやって駆け回ってるから、慣れてるんでしょうね。特に、メーティアとエミリア、それにダニエル。三人はガルス殿下に次いで“戦術部史上最強”って呼ばれてるんですって。」
「私たち全員、メーティアに賭けちゃったのよね。これは是非とも頑張って貰わないとねぇ。」
そんな談笑が続く中。
ビリッ。
唐突に、肌を刺すような鋭い感覚が走った。イザベルは思わず肩をすくめて、身を引いた。
「な、何……?」
観客席のあちこちで、同じように驚いた人々が腕を摩り、ざわつき始める。
「……始まったわね。これからが本番。」
舞台の上――エミリアの周囲で、空気が震えていた。
見覚えのある光景。授業で何度も映像を見せられた、あの構え。応用魔法の発動前段階。
圧縮された膨大な魔力が、雷へと変換される寸前の放電が空間を焦がし、その余剰が観客席にまで及んでいる。まるで空間そのものが帯電し、雷の咆哮を今にも放とうとしているようだった。
――これが、彼女の“本気”だ。




