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我が子をたずねて三千世界  作者: カルムナ
学園高等部編
66/80

どうせ神なんて - 1

 その日は、酷い酷い雷雨であった。

 ゴロゴロと天が怒り狂ったような呻き声を上げ、地が怯えたように震えている。

 授業中も教師の声をかき消す程の音が鳴り響き、皆不安げに度々窓の外を眺めた。


 午後の授業後、いつも通りなら部活の時間だ。すぐに荷物を背負い、校舎から離れた校庭へと向かう。

 うちの部活は外でやるものの、基本雨天決行だ。雨が降っても気にせず泥を纏いながら戦うことになる。

 しかし、雷雨とまで酷くなれば話は別だ。いくら人体保護魔法があったとて、天然の雷に撃たれればちゃんと痛い。


 王都は特に穏やかな気候で雷が鳴ることは滅多になく、雷に慣れていない人が多い。

 そのせいか、外部活の生徒以外も皆脅え、直ぐに寮に帰ってしまった。


 一方で、私は雷に対してそこまで恐怖を抱いたことは無い。

 それは建物への安心感から来ている虚勢かもしれないが、少なくとも平和な室内で耳を塞いで震えることもない。

 寧ろ普段から雷魔法なんて物騒なものがあちこちでぶっ放されているのを見ているから、逆に安心感すら覚える……というのは流石に言い過ぎか。


 だが、そんなものより怖いものがある。

 暇になることだ。


 だから、特に特別な動機なんてなかった。

 強いて言えば、広い校舎を1人で冒険したかっただけ。この学校は広いから、適当に歩いて観光しているだけでも楽しめる。何年この学校に在学していても、煌びやかな建物や意匠を凝らした美術品は飽きない。

 今日ばかりは何も考えたくないとばかりに、ほんの僅かな好奇心を動力にふらふらと歩き回っていた。


「あら、珍しい事もあるのですね」

 たまたま礼拝堂の前を通った時にエミリアに会ってしまったのも、理由なんて無かった。


 エミリアはニコニコと微笑んでいる。美しい神官服を着た少女が微笑んでいる姿は、普通の人が見れば聖女のようだと持て囃すだろう。しかし私からすれば、あれは獲物を見つけた肉食獣の目だ。

 ゆったりとした上品な所作に欄欄と輝く目線を隠し、私を確実に逃がさまいと追いつめてくる。


「今日は何故こちらに?もしかして、お祈りを?」

「いえ、たまたま前を通っただけです。すぐにこのまま寮に帰るところで――」

「あら、そんなことを言わずに祈っていけばいいものを。」

 穏やかな口調を保っているが、言葉の端端にあるトゲは隠しきれていない。


 礼拝室は文字通り神に祈り、拝む場所である。

 宗教熱心な家庭の子はよく休み時間中に祈るらしいが、私は一度も来たことが無かった。

 理由は2つある。単純に私に信仰心が無いから。そして、私は神官を避けているから。


 しかし、エミリアは祈らせる気満々のようで、礼拝堂の扉を開き私の入室を待っている。

 逃げられない。それに、神に信仰心の無い私が入ったところで、他の人の迷惑になるだけではないか?


「そんなに警戒なさらないで、大丈夫ですよ、神官は今私一人しかいませんし、他に祈りを捧げる人もいませんから。」

 エミリアは私の心を見抜いたように声を掛けると、私の背中を軽く押した。

 ここまで勧められて断るのは非常に不自然だ。気が乗らないまま、私は促されるように礼拝堂へと歩みを進めた。




 白いドーム状の大きな部屋で、柱は細かい金細工で飾り付けられている。部屋の前方――祭壇には不思議な形のオブジェクトが鎮座しており、これが所謂御神体、或いは信仰のシンボルだろう。

 長椅子はがらんどうで誰も座っておらず、彼女の言った通り他の神官すらいなかった。


「今日は酷い雷ですから。怖がって誰も祈りに来ていないのです。」

 エミリアは私の心を見透かしたようにそう言った。

 彼女はそのまま祭壇に一番近い長椅子に座り、目を閉じて胸の前でそっと手を組んだ。


 私は彼女と少し離れた位置に腰かけ、同じように祈りのポーズをしてみた。

 相変わらず外ではけたたましく雷が鳴っているが、他の部屋と比べてここは比較的音が遮断されている。こういう静かな空間に意識を置くと、頭の中で色々と考えてしまう。

 この雑念を払って目の前の祭壇へと集中することが『祈り』なのだろう。


 しかし、不思議なものだ。

 よくよく考えれば、私は神の遣い、天使と対峙したはずだ。

 あの時の記憶ははっきりと残っている。決して夢ではない、確実に現実に存在した記憶として私の中に深く残っている。かの天啓だって一語一句覚えている。

 だが、それ程強烈な経験をしたにも関わらず、私は神に対して何の感情も抱いていない。神を讃える気持ちも無く、かといって憎む気持ちも無い。

 転生させてくれたことだけは少しだけ感謝している。無関心以上の何物でもない。


 何故か。それはきっと、心の奥でずっと疑念が燻っていたからだ。

 神は私にとって救いの手を差し伸べようとしたのではなく、寧ろ……


 ぽん、と肩に何かが触れた。

 振り返ると、いつのまにか隣に移動して来たエミリアがにこやかに首を振った。

「雑念が強かったようですから。」

「……見ていて分かるものですか?」

「そりゃあ、私は普段から色々な人を見ていますから。」

 エミリアは再び視線を祭壇の方へと向けた。その視線はどこまでも優しく、いつも私に向けている視線からは想像もできない程穏やかだ。


「貴方は神を信じますか?」

 そういえば、と思い出したように呟かれた、何とも形式めいた言葉は最早皮肉にも聞こえる。

 いや、実際エミリアは皮肉のつもりで言ったのかもしれない。私に信仰心が無い事なんて、さっきの反応で十分分かるだろう。

「聞く必要あります?」

「神官だもの、一応聞いとかないとね。」

「……神の存在はそれなりに信じますが、讃えようという気にはなれませんね。」


 そういうと、エミリアは納得したように、しかしどこか不満げな顔をした。

「まあ、そうでしょうね。貴方は『天啓』を受けた人間でしょうから。しかし、天啓を受けたにも関わらず信仰心が芽生えないなんて相当ですよ。」

「天啓なんて恐れ多いものは……」

「受けたことがないと?……別に、隠さなくてもいいわ。或いは、天啓でなくても何か神に触れる様な特別な経験をしたのでしょう。それだけ濃い神の匂いを纏わせておいて、しらばっくれるのは無理があるもの。」

 エミリアの張り付けていたような笑みはすっかり消え、代わりに自嘲するような皮肉めいた笑みを浮かべている。周囲に私以外人がいないので、本性を見せても問題ないということか。


「ま、天啓の存在は隠さないと騒ぎになるだろうし仕方ないか。……それにしても解せないわね、これだけ信仰心と修行を積んできた私が天啓を授からず、貴方みたいな信仰心皆無のぽっと出の平民が天啓を授かるなんて。」

 独り言の様な言い方を続けるエミリアは、相変わらず私の存在が不満らしい。ふと思い立ち、ずっと抱いていた疑問をぶつけることにした。

「……貴方が入学当初からずっと私に当たりが強いのは、それが理由?」

「そうよ、それ以外に何かあるの?」

 余りにあっさりとした答えに、思わず敬語も外れてしまう。


「正直、訳が分からないわ。私はずっと、神の匂いがする、なんて理由であんな殺意を抱いて攻撃されていたのね?」

「ちゃんと正当な理由よ。寧ろ優しい方だと言って欲しいわね。貴方、学校外の有名な神殿にも行ってみなさい。すぐに高位神官に目を付けられていちゃもん付けて捕まるわ。場合によっては拷問されるかも?」

「拷問?私に何の罪があるのよ。」

「そりゃ神官としてのメンツがあるからよ。天啓は訓練を受けた神官の中でも最も高貴な存在に与えられるもの。それを一介の平民が受けたとなれば神殿の沽券に関わる。きっと天啓を受けたと詐称したとか、()()を他の神官に付けて貰ったとか色々言われるでしょうねぇ。」

 エミリアは手を口に当てて笑った。


 まあ神殿にとって自分は都合が悪いだろうな、という気持ちと、拷問までするか?という気持ちでが入り混じり、私はどんな表情をしていいか分からない。

 以前調べた通り、『神の匂い』を辿れるのはかなり訓練を積んだ高位神官だけ。だからこそ私は礼拝堂には入らず、できる限り神官との接触を避けていたのだけれど、エミリアとは否が応でも顔を合わせてしまう。


「安心しなさい、貴方の事を他の神官に口外することは無いわ。」

 彼女は私の心中の疑問に先回りして答えてくる。話が早くて助かるが、若干の薄気味悪さも感じる。

「そう?有難いけれど、貴方は私の事を憎んでいるんじゃないの?口外すれば私の存在を消せそうなものだけど。」

「貴方の事は殺してやりたいほどに憎いし、消せるものなら消してしまいたいわ。でも、貴方が本当に天啓を受けた人間なら、悔しいけど神と触れる貴重な存在だということ。人如きの策謀で消してしまうのは惜しい――いえ、人類の損失と言っても過言でない。」

 エミリアは私を睨みつけた。彼女の透き通った真っ直ぐな瞳は、憎しみの中でも純粋に輝いて見える。


「私は神を心から愛しているの。そんな神が愛する人間をね、神を利用する人間の手で消してはならないのよ。……どうしてもっていう時は、せめて私がこの手で殺したいから。」

 余りにも明確で純粋な殺意。鈍ることのない鋭利な刃物のようで、私は逆に感心してしまった。

 よくここまでの感情を何年も持ち続けられるものだ。


「本気で殺したいけれど信念があって殺せないから、ああやって本気の殺意を人体保護魔法越しにぶつけているのね。」

「そうよ、分かって頂けたかしら。」

「……貴方にとって、神の存在はとても大切なのね。」

「私の人生の全てですから。」


 理解はできない。見えないものに対して、どうしてそこまで熱心になれるのか。

 更にそんな存在のせいで謎に敵意を剝き出しにされるのも納得できない。不満がない訳ではない。

 彼女の行動を一言でいうなら、非常に自分勝手である。


 だが、彼女の激しい感情は自分勝手の一言で済まされないような、そんな気迫迫ったものを感じる。

 彼女もまた、()()を求めて生きている。



 カラン。

 反射的に私とエミリアは振り向いた。

 ギギ、と重い音を立てて礼拝堂の扉が開いた。誰かが入ってくる。


 エミリアは一瞬でいつもの笑みを張り付けると、すっと立ち上がった。

「ようこそいらっしゃいました。」


 しかし、その扉から現れたのはあまりにも見知った顔であった。

「……メーティア、エミリア?」

「あ、ダニエルじゃない。どうしたの、そんなドブネズミの様な姿で。」

 エミリアの張り付けた()()()微笑みは一瞬で崩れ、本気でおかしそうにころころと笑い出した。

 酷い言い草だが、仕方ない。正直私も似たようなことを思った。


 だって、ぺたぺたと音を立てながら入ってきたダニエルは。何故か頭から足先まで雨でずぶ濡れになっていたから。


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