婚約ラッシュ
最近、私は新聞を読むことにしている。
何てことは無い、ロビーで新聞が無料で配布されていることを知ったからだ。
新聞はいい、この国の事がリアルタイムで良く知れる。
政治、外交、経済。前世が資本主義社会だったせいか、この国の社会情勢はいずれも新鮮に見える。前世でももっと勉強しておけばよかった。
「メーティア、おはよう。」
ロビーで新聞取ると、マデリンが話しかけてきた。
彼女も比較的早起きで、私と一緒に新聞を読んでいる。この穏やかな朝のルーティンがたまらなく好きだ。
しかし今日は、マデリンの様子がなんだかおかしい。
彼女は普段静かでおっとりした性格だが、今日は何だかそわそわしている。視線も動きも落ち着かないし、淹れたコーヒーも直ぐに空になってしまった。
「マデリンさん、どうしたんです?何かありました?」
マデリンの目が見開いた。
「え、えっと、何かおかしい?」
「落ち着かない様子なので。いえ、言いたくない事でしたら言わなくて結構ですよ。」
マデリンは慌てて首を振った。
「いえ、そんなことはないわ。ただちょっと気持ちがふわふわしてて……あのね、実はね、――婚約をしたの。」
「婚約?婚約って、あの結婚するための?」
「それ以外ないわよ。」
思わず口が空いてしまったが、直ぐにハッと我に返って口を閉じた。デリケがここに居たらはしたないと怒られていた、危ない危ない。
「しかし婚約、ですか。もう婚約なんてあるんですね。」
「普通よ。寧ろ私達の親世代からしたら随分遅くなった方だって聞くわ。」
マデリン曰く、相手は同じ子爵家の長男で、日頃から家ごと仲のいい相手らしい。
2歳ほど年上でこの学園にも通っているが、会う事もほとんどないそうだ。
「どんな方なんです?」
「いい人よ。紳士的で、穏やかで。小さい頃からの知り合いだから、良く知ってるの。」
マデリンは彼を思い出したのか、幸せそうにうふふと笑った。
「でもよかった、良い人のところに嫁げそうなんですね。」
「そうね、恵まれていると思うわ。友達の中には、望まない結婚をさせられる子もいるから。」
「……それは、何だかかわいそうですね。」
「可哀想だけれども、どうしようもないの。貴族令嬢の役目だから。」
マデリンは悲し気に目を伏せた。
何だか居たたまれなくなり、その話題から逃げるように新聞を開いた。
が、真っ先に目に入ってきた表紙の記事タイトルは何ともタイムリーな話題だった。
「シュルト殿下とカロリーネ・フィオレンティーノ公爵令嬢との婚約...?」
シュルト殿下と言えば、あの図書館でよく話しかけてくる?カロリーネ・フィオレンティーノと言えば、同じクラスの?
あの二人が、婚約?
私が動揺していると、マデリンも新聞を覗いた。
「ああ、この二人が遂に婚約したのね。」
「知っていたんですか?」
「いえ、詳しくは。でも、元々シュルト殿下が婚約するならフィオレンティーノ公爵令嬢であるとは噂されていたわ。彼は恐らく王位を継ぐでしょうから、王妃殿下は力の強い家の令嬢と結婚させたいはずですもの。」
所謂政略結婚というものか。
「……シュルト殿下は王妃殿下の実子ですからね。フィオレンティーノ公爵がこの首都で一番力を持っているとは何となく知っていましたが、この方々もまだ学園に在学しているのに婚約するものなんですね。」
まだシュルト殿下もカロリーネも15や16の子供だ。少なくとも、私の感性で言えば。
「貴族と言うのはそういうものだから。でも、平民の間でも結婚は案外親が決めたりするものじゃないの?休み中にメグが親に婚約を勧められて喧嘩になったって聞いたけど。」
「え、そうなんですか?聞いたことなかった……」
「そうよ、まあ、聞かれなければ自分から言う事でもないもの。親と怒鳴り合いをしながらもまだ私は学業に専念したいからって親に抵抗して、何とか学園卒業まで一切婚約の話を無くしてもらうことにしたんですって。……何でも一度お見合いをした相手の性格が死ぬ程気に入らなかったとか。」
メグもお見合いをしたのか。しかし、反抗出来たのならまだ良かった。
そう言えば私もこの間の休みに実家へ帰った時、母に「誰かいい人はいるの?」と聞かれた記憶がある。そういう意味だったのだろうか。
正直に「いないよ」と答えたら残念そうな顔していたが。
「まあ、メーティアは家業を継がなきゃいけない訳じゃ無いのね。職人は基本弟子を取るから、実子は比較的自由にできるって聞いたわ。特に優秀な魔術師であるメーティアは結婚なんてしなくても生きていけそうね。」
マデリンはどこか羨ましそうだった。
貴族は恵まれている。
豊かな生活に、約束された地位。しかし、それを享受するということは同時に自由意志を奪われることでもあるのだ。
私の様に将来の夢を語ることも、共に生きていく相手を選ぶこともできない。
マデリンもそれを理解しているからこそ、婚約を素直に受け入れている。
「……人生って難しいのですね。」
「どうしたの、急に。」
マデリンは私の言葉に吹き出した。私としては素直な感想を言ったつもりだが、何がおかしかったのだろうと首を傾げた。
「いえ、ごめんなさい笑っちゃって。私、メーティアのそういう所が好きよ。どうかそのままでいてね。」
マデリンは微笑んだ。
そういう事だか全く分からないが、まあ気に入られたのなら良かった。
突然、ロビーに小さな騒めきが広がった。大きな声が広がる訳ではなく、ひそひそとした声があちこちで聞こえてくるような、そんな騒めき。
「……あ、カロリーネ様よ。」
いち早くその中心地を見つけたマデリンもまた、声を潜めて私に囁いた。
促された方向に目を向けると、そこには見覚えのある女性が立っている。
豊かで艶のある黒髪に、燃える様な真っ赤な目。堂々としていながら、その顔は険しい。
彼女は騒ぎを気にも留めず、ロビーの一番広い席を取り巻きと共に陣取った。
「随分険しい顔ですが、カロリーネ様ってどんな方なんですか?クラスメイトなのに全く関わりないもので……」
「まあ、上流貴族らしい性格よ。私の様な下流貴族とは全く別の存在だと考えた方がいいわね。」
マデリンが苦笑いしている。
「上流貴族らしい」とは即ち、よく言えば「威厳のある」、悪く言えば「傲慢な」という事だろう。事実彼女は常に取り巻きを連れ歩き、彼らは彼女を否定することはしない。
不機嫌な時はその不機嫌さを隠さず、自分が正しいと思ったことは率直に言う。
ただ理不尽なことは言わない。そういう真っ直ぐな性格である――というのがマデリン含め下流貴族の感想だ。
「しかし、あんな険しい顔を為さるなんてどうしたものかしら。」
「もしかして、婚約が原因でしょうか。」
シュルト殿下とカロリーネの関係が悪いのならば、あの顔も納得いく。
しかし、マデリンは首を振った。
「いいえ、寧ろカロリーネ様は以前よりシュルト殿下をお慕いしていたと聞いてるわ。この婚約はカロリーネ様にとっても待ち遠しいものであったはず……」
それなら何故?
その疑問の答えを少しでも得るべく、私は一瞬だけ遠くの席に座るカロリーネの方を向いた。それはほんの一瞬、ランダムな瞬間であったはず。
しかし、その瞬間に私とカロリーネの目線がぴたりと合ってしまった。
反射的に私は目線を逸らした。
険しい顔をした彼女の視線が思ったよりも鋭かったせいだ。
「どうしたの?大丈夫?」
顔をぶんと振り回した私に対し、マデリンが心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですよ。」
無理に笑顔を作って首を振った。
実際、目線がたまたま合っただけで、何もそれ以上の事があった訳じゃ無い。
だから、気のせいだ。
カロリーネがこちらを睨んだように見えたのは。




