高等部の始まり
大きな門を潜ると、その先は豪華絢爛な建物が出迎えてくれた。
この景色ももう4度目だ。
煉瓦の地面を踏みしめ、一瞬いつも通り中等部の棟へと足を踏み出そうとして――ぴたりと止まった。
そうだ、今日から高等部だ。
高等部棟は中等部よりも全体的に大きい。生徒数は大して変わらないはずだが、中等部よりも設備が整っているせいだろう。
理科の実験器具の多様さも、魔法実技で使う校庭の広さも中等部とは比べ物にならない。
こういう設備を見ると非常にワクワクしてくる。早く授業をしたい。
「メーティア、お久しぶり!」
声を掛けられ振り向くと、そこにはいつも通り笑顔のメグがいた。
初めて会った時よりも身長は伸び、顔つきも大人びている。思春期の少年少女は数年で随分変わるのだから、不思議なものだ。
「どうしたの、メーティア。ぼーっとしてるの?」
「ううん、メグも綺麗になったなあって。入学試験で初めて出会った時とは変わったよね。」
「いや、何よ突然。3年もあったら変わるに決まってるでしょ。それ言うならメーティアも変わったよね。」
そう言い、メグは私の髪を一掬いした。
「雰囲気が柔らかくなったよね。前は何というか――少し尖っていたけど、今はなんか生き生きしているもの。見た目は相変わらず小さいし、顔も童顔だからあんまり変わらないけど。」
「そう?あんまり自覚ないけど。」
「本当よ、変なところは変わらず変だけど。今だから言えることだけど……何というか、最初に出会った頃は殺気立ってた気がするの。」
メグはおかしそうに苦笑した。
そうか、自覚が無かっただけで私は変わったのか。
私はこの学校に入るまで、ずっと前世の記憶に引き摺られて生きてきた。
勿論、今だって忘れたわけじゃない。私の目的は変わらない。
ただ、この場所が心地よくてあの時の絶望が和らぐのだ。それが私にとって良い事なのか悪い事なのかは分からないけど。
「柔らかくなったのならよかったわ。じゃ、これからもよろしくね。」
「ええ、こちらこそ。」
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高等部に入ってからは勉強も難しくなり、そろそろ前世で身に着けた知識も忘れていたりそもそも知らなかったことが増えてきた。
それでも、今まで真面目に勉強を続けてきたおかげでついていけなくなることは無かったし、寧ろ知らない事を学べるのは楽しい。
ロシュフォール教授は相変わらず歴史を教えており、私も変わらず魔族について調べている。
あれ以降彼からコンタクトを取ってくることもないので、まだ時期ではないのだろう。ただ、そろそろ調べられる文献も底をついてきた。これ以上進展を望むならば、何かやり方を考えねば。
彼にもう一度教えを乞うか、新たな情報源を探すか……まあ、後に考えよう。
魔法実技の授業もレベルが高くなり、遂に応用魔法を習った。
寧ろ3年も基礎魔法を続けていたのか?と思うかもしれないが、基礎魔法というのは実に多彩である。本来は同一魔法の同時起動すら普通の人間には厳しい代物なのだ。
戦術部のレベルが高いと言われるのも納得だ。
「さて、高等部1年諸君、君たちは今日から高等部だ。」
新部長が腕組みをしながら私達の顔つきを見ている。
高等部新1年は全員で5人。ガルス殿下の言った通り、2人程辞めたが残りの5人はきちんとついてきている。
ダニエル、エミリア、私、そして残りの2人。学年内で魔法実技の点数はトップ5と呼ばれている。
「君たちは高等部生として、今後は中等部の教育に携わってもらう。そして何より、今年から決闘大会に出場する権利が与えられる。同年代だけでなく、我々先輩すらもライバルとして、今後は君たちの前に立ちはだかろう。それでは、よろしく頼む。」
「メーティアさん、今年もどうぞよろしくね。」
新部長の挨拶後、エミリアはにこりと笑い、私に握手を差し出してきた。
彼女の柔らかい手を握り返すと、ビリビリと電気が流れ込んできた。恐らく私を感電させるトラップのつもりだったんだろう。
しかし、生憎想定済みだ。手に薄く張った防御魔法が絶縁体のような役割を果たし、私の体まで電気が通ることはない。
エミリアも軽いジャブ程度のつもりで最初から効くと思っていなかったらしく、表情1つ変えなかった。
「ところでメーティアさん、最近ダニエルの様子がおかしいと思いません?」
「ダニエルが?」
エミリアにこっそりと耳打ちされ、ちらりとダニエルの様子を確認する。一見彼はいつも通りしかめっ面で考え事をしているだけだが、確かに少し痩せた気もする。
しかし、あの年頃の男の子は身長も伸びるし、痩せて見えるからと言って何かあるという訳でもなさそうだけど……
「うふふ、メーティアさんって意外と人間に対して疎いのね。あれは悩んでいる顔よ。」
「どうしてそう分かるんです?」
「私は神官の娘よ。日々の不安を取り除く為に人々に向き合う職業に生まれつき、日々訓練を受けてきたんだから。あの顔はよく見てきたのよ。」
エミリアは目を細めた。
そう言えば、エミリアの出身についてはよく知らない。彼女の家であるロッセリーニ神殿はかなり大きく有名な場所であるが、一体あの中でどのように育ってきたのだろうか。
「ねえ、エミリアの出身地であるロッセリーニ神殿ってどんな場所なんですか?私、イマイチ神殿というか神官の生活に詳しくないもので。」
特に何も特別な意図のない、純粋な疑問であった。
しかし、その質問を聞いた瞬間、エミリアの顔から一瞬表情が消え失せた。
いつもの笑顔でもない、悔しそうな顔でもない、全ての感情を無に帰した氷のような表情だった。
「……面白くない生活。平民のような自由もない、貴族のような煌びやかさもない、ただ毎日訓練と祈りを繰り返すだけのつまらない生活。」
直ぐに笑顔を取り繕っているが、いつもよりも少し不自然に顔が強張っている。
察した。エミリアにはこの話題を振らない方がいい。
「そうですか、教えてくれてありがとうございます。それより、ダニエルのことが気になりますね。何かに悩んでいるのでしょうか。」
話をすぐにダニエルに戻し、無理矢理視線を逸らした。彼女の表情を見ていると、何だかこっちまで気が滅入りそうだから。
ダニエルの方をもう一度見て見ると、やはり何か考え事をしている。
しかし、よくよく観察すれば、確かにいつもよりも目が血走っているというか、いつになく真剣な表情をしている。
言われなければ気づかない程に小さな変化だ。これに気づいたエミリアは、流石と言ったところだ。
「ダニエルの出身についてご存じ?この国でも有数の銀行です。」
「ええ、知ってますよ。相当大きくて、その辺の貴族よりも稼いでいるとか何とか……そんなことを友人が言っていたと思います。」
「では、彼の家庭環境については?彼が養子であることは?」
淡々とした質問だった。それでも、彼女の口調はどこか冷たいものを纏っているように感じられた。
エミリアの顔は見えない。というか、見る勇気が無かった。彼女は今、何を考えているのだろう。何を思って、私にこの質問をしているのだろう。
「……いいえ、知りません。」
「彼が養子であることはそれなりに有名です。クロフトン夫人が子を産めない身体だったそうですから。しかし、彼がどういった経緯で養子になったのか、彼の父が彼に対しどのような感情を抱いているのかを知る人は多くないでしょう。」
「エミリアさんはそれをご存じなのですか?」
「いいえ、はっきりとは。でも、何となく分かりますよ。」
エミリアは一呼吸置き、そうして天を見上げた。
「……以前、私はロッセリーニ神殿内に祈りを捧げに来たクロフトン一家の顔を見たことがあります。ダニエルも私もまだ幼かった頃の話です。あの時、ダニエルとダニエルの養父――クロフトン家当主の顔を見て、私はその裏にある感情に気づきました。」
「具体的には、どのような感情を?」
「さて、どうでしょうね。でも、彼が今焦っているのは、恐らくその感情が原因なのでしょう。」
エミリアは再びくすくすと笑った。
彼女の言うことははっきり言って微塵も分からない。何なら本当の事を言っていない可能性だってあるのだから、そもそも聞かなかったことにしてもいいくらいだ。
しかし確かに彼女の言う通り、ダニエルのあの真剣な表情も血走った眼も、焦っているのだとすれば合点がいく。
――いや待てよ。エミリアは確かダニエルの事を嫌っていたはずだ。その理由は恐らく、平民は貴族に比べて信仰心が薄いせいだと私は勝手に思っていた。
しかし、彼女の話が本当なら、クロフトン家は忙しい中神殿に祈りを捧げる程には宗教に対する熱意はあったはず。それなら、なぜ彼女はダニエルのことを嫌っている?
もしかしたら、エミリアとダニエルには何か因縁があるのかもしれない。それは、彼らの生まれ育った環境に基づいているのか。
或いは、エミリアが私を嫌う理由も同様に、私の出自が関係あるのだろうか。
彼女は――いや、いい。
どうせこんなことを今考えたって仕方ない。
私が今やるべきなのは、今から数か月後にある決闘大会の予選で勝ち抜くための準備だ。




