お見送り
あの初めての対人戦からおよそ半年。
もう2年生も最後だ。
初めてのお手合わせから、私と殿下は何度も何度も戦った。
ほぼ毎週と言ってもいい。週末の休みには殿下と約束し、校庭を借りて模擬戦を行った。
勿論勝てたことは一度もない。ひたすら負けに負け続けた。それでも負けず嫌いの私は一度でも勝つことを夢見て、諦め悪く戦い続けた。
遂に卒業まで勝つことはできなかったが、それでも戦いの技術は大幅に向上したように思える。応用魔法程度ならコントロールも万全になり、上級魔法も粗方使いこなせるようになった。
授業は少しずつ難しくなり、学ぶことは複雑になっていく。とはいえ、まだ中学2年生相当だ。
前世の記憶をもってすれば理系科目は何てことない。
歴史や地学等こちら特有の知識は一から勉強しなければならないものの、これはこれで楽しい。物語を読む気分だ。
今年の試験勉強は今年の反省を活かして早めに始めたので、比較的余裕をもって点数を取れた。
とはいえ、去年と同じ学年2位だ。1位は去年と同じくダニエル・クロフトン。
何がダメだったのかと点数を見れば、ほぼほぼ僅差。どうやら敗因は魔法実技のようだ。
魔法実技の試験と言えば、授業で習った魔法を幾つか組み合わせて試験官に見せるだけ。そこでダニエルはその魔力量に物を言わせてより高火力な魔法を見せたらしい。
点数は絶対的にではなく相対的に与えられるものらしく、魔法実技で精神力を温存してその後の試験に回していたことが響いたのか、私の点はダニエルよりも低くなったようだ。
悔しい。次は魔法実技にも力を入れよう。
ところで、2年生が最後ということは高等部3年生は卒業ということ。
つまり、殿下がこの学校に居られるのも最後という訳だ。
「ガルス殿下!どうぞお元気で~!」
「これからも応援しています!」
厳かな卒業式会場から出てきた高等部3年の先輩達の元に、わっと後輩たちが集っていく。
真っ先に駆け寄っていく人の大半は高等部生だ。涙ぐみながら先輩との体験を語り、応援の言葉を掛けていく。
私達中等部生は数が少ない。当然と言えば当然か、一緒に過ごしてきた年数が違う。
「ねえメーティア、貴方は挨拶しに行かないの?」
イザベルが肩を叩き、私に話しかけてきた。彼女は既に先輩への挨拶を終えたらしい。
「部の先輩には既に挨拶してるから大丈夫ですよ。」
「そうじゃなくてさ、ほら。」
イザベルがこっそり目線を私の後ろにやった。
後ろを振り向いた先には人だかりでいっぱいになっており、その中央ではガルス殿下が多くの女子生徒に声を掛けられていた。
「殿下と仲良かったんでしょう?ご挨拶はいいの?」
「……まあ、挨拶は一応しておきたいんですがね。なんせあの中へ行くのはちょっと……」
「確かに、そんな気は無くすわね……」
人酔いしそうな中でも、殿下は堂々と振る舞い次々と挨拶を済ませている。
いつもの気さくで少し粗暴な様子の殿下とは違い、あれでは出自に関わらず人気が出るのも頷ける。
しかし、余りに様子が違い過ぎる。あのカリスマのある姿は、もしかしたら精神魔法でそう見せかけているのではないかとさえ思えてきた。
「……イザベルさん、殿下っていつもあんな感じですっけ?」
「ええ、いつもかっこいいわよね。あの美しい容姿もですけれど、はっきりとした性格も完璧な立ち振る舞いも、この国の乙女皆の憧れよ。」
「そう、なんですよね。」
やっぱり分身か?
「でもやっぱり、貴方は殿下に挨拶すべきだと思うの。だって、この学校を出れば貴方と殿下は他人同士、再び会うことはきっとないもの。」
イザベルは少し寂しそうな顔をしている。彼女にももう会えない先輩がいるのかもしれない。
実際、彼女の言う通りだ。
いくら学校内で優秀だと言っても、所詮私はただの平民。一王子である彼とは身分が違い過ぎる。
高位貴族なら兎も角、平民の私は本来友人として傍にいる事すら許さない。
一応彼には卒業後近衛隊に入らないかと誘われているが、それも口約束に過ぎず、本当に入隊できるのかも定かではない。
どちらにせよ、卒業後暫くは冒険者として世界を回る予定だし、殿下と話せる最後の機会になってしまう事も十分あり得る。
「そうですね、やっぱり私もお話したいです。一言でもいいんです、これから学校の外でも頑張ってくださいって。少し時間を置いたら人混みもマシになりますかね?」
「うーん、どうでしょう。でも、待つ価値はあると思うわ。幸い3年生が行くまでにはまだ時間があるから。」
そう言って暫く待ってみたが、相変わらず殿下は沢山の年下達に囲まれている。中心となっていた高等部2年生が離れた分、今度は高等部1年生が殿下の周囲に集っているようだ。
「あれじゃあ無理ね。」
いつの間にか横にはメグが壁を背にもたれかかっている。
彼女も裁縫部の先輩と話をしてきたらしい。イザベルは友人に話しかけられたようで、どこかへ行ってしまった。
「さっきから待っているんだけれど、やっぱり待っているだけじゃ無理かしら。でも、高等部の人たちを押しのけてまであそこに行く勇気はないわ。」
「それはそうね。年上のお姉様方を押しのけたら貴方、明日からこの学校に居られなくなるかもね。……冗談よ。試しにここから手を振ってみたら?」
メグはどことなく楽しそうだ。
というか、皆私と殿下の事を話す時はどことなく楽しそうにしている。以前聞いた話によると、何だか微笑ましくなるらしい。意味が分からない。
「手を振ってもここから見えるのかな。私背低いから、手前の人たちに隠れてしまうんじゃないかしら。」
「殿下の背は高いから、案外遠くからでも見えるかもよ?取り合えずやってみたらいいじゃないの。」
メグの言う通りだ。ここからでも殿下の顔は時々見えるから、向こうからも気づいてもらえるかもしれない。
試しに遠くから殿下の名前を呼びながら手を振ってみる。が、私のか細い声は騒めきの中で隠れて消えてしまった。
まあ、やっぱり無理かと諦めかけたその時、殿下の顔が周囲を見渡す様にぐるりと一周し、そして私とばっちり目線があった。
その瞬間、殿下は今までの愛想笑いとすまし顔をやめ、いつもの満面の笑み全開でこちらにぶんぶんと手を振ってくれた。
「何、どうしたのかしら。」
「あんなに楽しそうな殿下の顔、初めて見たわ!でも、一体誰に?」
周囲が騒めき立ち、誰に手を振ったのかときょろきょろ見回し始めた。
ちょっと恥ずかしいというか、居心地が悪くなってきた。
もういいかな、と手をそっと下げた私に構わず、彼は人混みを掻き分けるようにしてこちらにずんずんと歩み寄ってきた。
「なんだ、お前も来てくれたのか。もう少し早く声を掛けてくれればよかったのに。」
「……いえ、そうしたかったのは山々なんですが。ちょっと、話しかけ辛かったんですよね。」
周囲でひそひそと声が上がり、今まで殿下を囲んでいた女子生徒達が困惑している。
「あー、なんだ。そういうことか。」
殿下は周りを見て状況を察したらしい。恋愛面に鈍い彼でも、雰囲気を悟るのは上手らしい。
騒めきにかき消されない程大きく芯のある声を張り上げた。
「そこで挨拶しようと待っていた人達、悪いな。ちょっとこいつと話させてくれ。同じ部の後輩で、俺の一番弟子なんだ。」
すると、困惑していた観衆は納得したようで、今まで囲んでいた人達も静かに引き下がってくれた。
「殿下、部活動には熱心でしたものね。後輩と言われれば納得ですわ。」
「一番弟子ですって!うらやましいわ、私も殿下に手解きして貰えたら……」
「聞いたことがあるわ、中等部に凄く優秀な子が居るって。きっとあの子がそうね。」
「平民なんですって。殿下が卒業されたら会うことも無いでしょうし、この時ばかりはそっとして差し上げましょう。」
こちらに聞こえないようにひそひそと話しているつもりでも、五感強化で丸聞こえだ。恐らく殿下も同じだろうが、互いに聞こえないふりをしておこう。
「殿下、ご卒業おめでとうございます。それと、私はいつから一番弟子になったのでしょうか。」
「ありがとう。 あの日からだな。」
殿下は笑いながら地面へと目線をやった。一瞬何のことか分からなかったが、恐らく地下を示しているのだろう。
地下と言えばあの日、決闘大会の日だ。
「確かにあの日から色々と教えてもらいましたね。戦い方とか、精神魔法について。」
「そうだろう?俺のおかげでお前は強くなった。あ、できれば精神魔法が使えることについてはあまり大声で言わないでくれ。使えること自体は隠していないが、適正属性であることは伏せているんだ。部活や授業、大会でも使ったことは無い。使ったのはお前やアーロン、ヴァンサン相手位だな。」
声を一気に潜め、彼はこちらに顔を近づけて言った。
「なぜですか?やはりあまりイメージが良くないから?」
「それは別にどうでもいいんだがな。隠し手札は多い方が得だろう?」
にやりと意地悪そうに笑う彼は、いつも通りの殿下だ。
「ああそれと、近衛隊の話、本気だからな。卒業時に迎えに来るからな、覚悟しておけ。」
「ちょっと、私冒険者になる予定だって言ったじゃないですか。」
「冒険なんて近衛隊所属でもできる。なんたって俺が冒険者並みに世界を見て回る予定だからだ。どうしてもって言うなら冒険者と近衛隊の掛け持ちでも許すぞ!……強制する気はないけれどな。ま、卒業時もう一度勧誘しに行くから、その時にまた話は聞こう。」
そこまで私を勧誘するには何か思惑があるのだろうか。
殿下の顔を見れば、彼はいつも通り豪快に笑っている。私の頭をぐりぐりと撫で、髪をぐしゃぐしゃにしていく。
……単に私が特別気に入られているだけかもしれない。
でも、悪い気はしない。
「じゃあ、私は勧誘されて当然の優秀な人材になれるよう努力しますね。殿下も世界を見て回れるよう、王子として頑張ってください。」
「中々言うじゃないか。勿論そのつもりだ。学園の外にでれば厳しい世界が広がっているわけだが、同時にまだ見ぬ素晴らしいものもきっとあるだろう。それをお前と楽しめる機会があればいいな。」
彼は右手を出し、握手を求めた。私はそれに応じ、手をしっかりと握った。
彼の手は大きくごつい。剣をずっと持ち続けてきたのだろう、所々傷跡やタコができている。
「それじゃあ、またな。」
「はい、お元気で。」
別れはあっさりしたものだ。片手で手をひらひら振りながらも、彼は人混みの中へと消えていった。
気が付けば、いつの間にか彼の隣にはアーロンが控えており、ヴァンサンも近くに寄っている。私が2人にも手を振ると、2人とも微笑みながら手を振り返してくれた。
「どう?話したいことは話せた?」
メグがそっと私の肩に手を置いた。私が話し終わるまで離れていてくれたようだ。
「うん、沢山話せたよ。私が卒業する時は会いに来てくれるんだってさ。」
「あら、贅沢じゃない。流石『ガルス殿下の一番弟子』ね。」
「……『素手使い』のあだ名よりはマシかなあ。」
その後卒業生は卒業パーティーがあるらしく、全員会場へ向かって行った。
私達は彼らの後ろ姿が消えるまで、名残惜しく見つめていた。




