大事なことは何も分からない
コンコン、と軽くノックすると、中から入れ、と低い声で返事が返ってきた。
失礼します、と小声で言いながら扉を開くと、中は見覚えのある教授が手を顔の前で組んで座っていた。
「よく来たな、まあ座れ。」
部屋の中は相変わらず本と魔道具で埋め尽くされ、以前よりも寧ろ増えている気がする。
相変わらず鋭い眼差しの下には隈が色濃く浮き出ている。相当疲れているのだろう。
「この前の魔族の件について、進展があったので呼び出した。分かっていると思うが、くれぐれも他言無用だ。」
「はい、わかっております。」
ガルス殿下と私はそれぞれ向かい合うようにして部屋の中央にあるソファーに腰かけた。高そうな魔獣の革を使ったソファーは柔らかく、手触りも良い。
「まず、あの時寄生されていた生徒についてだが、意識を取り戻した。」
「本当ですか?」
「ああ。だが、どうやら寄生された時から記憶がすっぽり抜け落ちているらしい。彼の出身は北部のとある男爵家の分家、それも苗字すらほぼ意味を為さないような家出身だった。そんな田舎に普段から住んでいるから、魔獣と出くわすことも多かったようだ。特に学校入学前には、普段見ないような変わった魔獣に襲われて頭部に張り付かれ、急いで剝がしたこともあると言っていた。」
「その時に産卵されたんですね。」
「そういうことだ。自覚症状がなく、入学後暫くしてから、恐らく孵化してからの記憶が一切ない。これ以上の情報は得られなかった。……尚、その生徒には自身が寄生されていたことを話したが、魔族については一切話していない。」
入学して早々体の主導権を奪われて記憶がないなんて、なんて可哀想な子だ。しかし、取り合えずは無事でよかった。
彼は回復次第学校生活に戻るようだ。寄生型魔獣のことは公表し、注意喚起を積極的に行うらしい。
「寄生魔獣のことは公にして、魔族の事は公表しないという方針なんですね?」
「その通りだ。そもそも寄生魔獣は学校外で出現した以上、我々の把握できる範疇を超えている。この学校関係なく注意が必要だ。一方で、魔族は流石に混乱を招くであろうことが容易に想像できる。この件については国王陛下にも相談した。」
「陛下にも!?」
「そうだ。歴史上人類の敵であった魔族の出現、それも王都内部に侵入したとあれば国の危機と言っても過言でない。故に我々は国王陛下にこの件についての指示を直接仰ぎ、その結果、魔族についての情報は外部に漏らさないようにきつく言われることになった訳だ。勿論お前達もだ。口外したら最悪国家反逆罪で首が飛ぶぞ。」
グリーベル教授は首に手を当て、斬る仕草をした。冗談じゃないのだろう、目が笑っていない。
折角命が助かったのにこんな事で死にたくない。絶対口外しないと心に誓った。
「それで、他はどうだったんです?あの転移魔道具、なぜあんな場所にあったんですか?普通のポータルを張れる道具の存在ですら国家機密なのに、魔界と現世を繋げられる程力の強い魔道具があんな場所に転がっているのはおかしいのでは?」
「それは私も甚だ疑問だ。調べてみたところ、あの魔道具の制作時期は相当昔、それこそ旧魔王軍がこちらに攻めてきた時期と同じくらいであることが分かった。転移魔道具は2つで1つの道具であり、転移元と転移先にそれぞれペアとなる片割れが必要だ。片割れが魔界にあるのだとしたら、戦時中に作成されたものがうっかりここに紛れ込み、片割れは魔族に奪われたのだろう。」
「それって、相当不味いですよね?そんなものは作られ次第国の管理下に行くと思うのですが、制作されたという記録はないのですか?」
「無かった。もしかしたら内密に制作されたものかもしれないし、国の管理下にないはぐれ職人が勝手に作り出して犯罪に使おうとしたのかもしれない。いずれにせよ、放置できるものでもないので今は国立研究所にて保管している。ガルス、お前が投影部分を綺麗に破壊したから新しくポータルは開通できないようになっている。咄嗟の判断にしてはよくやったな。」
「……お褒め頂き光栄です。」
殿下は苦笑いしている。
本来貴重な魔道具を破壊するのは言語道断だが、あの状況下で魔道具の停止方法なんてわからない。迷っている間に再びポータルを通じてこちらに魔族がやってくる可能性もあったから、あれが最適解だった。
教授もそれを理解してくれているようだ。
「ま、あとの手掛かりと言えば、ガルス、お前が吹き飛ばした魔族の腕だな。」
「ああ、最後に斬り飛ばしたアレですか。」
「そうだ。あの腕はきちんと保管してある。普通斬られた腕なんてすぐ腐敗してウジ虫の苗床になるはずだが、あの腕はちょっと様子がおかしい。未だに生きているように、血が通っているように新鮮なままだ。正直気味が悪い。」
彼は嫌なものを思い出したとばかりに視線を下に落とし、頬杖をついた。
「とはいえ、ただの腕だ。何か紋章や情報が描かれている訳じゃない。……得られた情報はそんなところだ。質問は?」
「ありません。気になっているところはどうせ謎のままですから。」
「私もありません。……あ、いえ、1つだけ。安全対策については大丈夫なんですか?」
2度あることは大抵3度あるもの。3度目があったら困る。今度こそ死んでしまいそうだ。
「絶対ない。……とは言い切れない。が、できる限りはするつもりだ。前も言った通り、普段は元より、大会時にも警備を増やそう。できる限り生徒が一人きりにならないように地下や倉庫は基本的に立ち入り禁止とする。生徒の自由度は下がるが、背に腹は代えられない。」
「分かりました。」
他にあるか?との問いに、静かに首を横に振った。殿下の言う通り、知りたいところは教授たちも知らないらしいから。
教授は私達に退室を命じ、次の授業へ向かうように促した。
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「ねえ知ってる?一年生の子が寄生型魔獣に寄生されていたんですって!」
寮に帰り、いつも通り皆と合流してのんびり過ごす時間。噂話に敏感なイザベルは、もうこの話を仕入れてきたらしい。
「知ってるわ、北部出身の男の子でしょう?入学後に乗っ取られたせいでこの学校の結界でも感知できなかったらしいけれど。」
「そうね、有名な話よ。メーティアは知ってる?」
イザベルどころか全員知っていた。流石にインパクトが強すぎたのか。
「ええ、知ってますよ。恐ろしいですよね。」
「そうよ!今まで寄生型魔獣なんて家畜についていた位なのに、人間の脳についちゃうなんて……しかも、その子の行動はずっとその魔獣に操られていたって話じゃない!」
「その子、どんな子だったんです?怪しい動きしていたんですか?」
「それがね、全然。凄く無口で大人しい子だったらしいけれど、不自然ではなかったって。田舎出身だったから入学前に知り合いとかもあまりいなくて、元々そういう気質なんだと思ってたって言ってたわ。」
イザベルはブルブルと震えている。自分が乗っ取られる想像をしてしまったのだろう。
デリケもマデリンも顔色が悪い。いつもはすぐなくなるおやつも全く減っていない。
一方、メグは何かを考えこんでいるようだった。
「どうしたのメグ、何かあったの?」
「いえね、丁度最近、地下への入り口が封鎖されたでしょう?今までも入る人は滅多に居なかったし入ったら貴重品が壊れるかもしれないからって怒られていたけど。最近はもう入れないようにぴったり塞がれてちゃっていて。あれ、なんでかなって思ったんですよね。」
「なんでって、その寄生された子が入って暴れたからでしょう?きっと中の物を壊しちゃったんじゃない?」
「うーん、壊しただけなら塞ぐ必要はないと思うんですけれど……まあ、そっか。そうかも。」
メグが横目でちらりとこちらを見た。何かを疑われている気がする。
内心焦りながらも外面では何事もなかったかのように紅茶を飲んでいると、メグは諦めたように視線を外してくれた。
メグは恐ろしいほど勘がいい。が、同時に話したくない事を問いたださない優しさも持っている。今はそれに助けられた気分だ。
「ま、私達も外出する時は気を付けましょうね。北部とは違って魔獣がここに出現することは滅多にないでしょうけれど。」
「万一寄生されても学校直属の神官や医師の方々が助けてくれるわ!科学と魔法の進歩が有難いわ~。」
「偉大な先人たちには感謝しないとね。後、その技術を受け継いでくれる人にも。」
そういえば治療できることを思い出したのか、皆の顔色が少し回復した。
いざとなれば治るのなら、恐怖は大分緩和される。実際私もあの子が治ったと聞いて大分ほっとした。
……ただ、これで終わりだとは思えない。
警備は今後改善されるだろうし、同じような魔道具が2つあるとは到底思えない。地下の魔道具だって綺麗に片付けられるだろうから、何か別の手法で魔族が侵入してくるとは考えにくい。
それでも、また今後何かが起こる。
だって、それを止めるのが私の天啓だから。




