2度目の正直 - 5
彼らの戦いはいつしか最高潮に上っていた。
魔族の魔力は底なしだ。あれだけ魔法を撃ちまくっても枯れるどころか精神が乱れる気配がない。これではいくら削っても意味がないだろう。
一方で、殿下の魔力もかなり多い。彼が自身で言っていた通り、その魔力量は異常の部類だ。他の生徒と比べればとんでもなく多く、狂気が成せる技なのかもしれない。
しかし、魔族に比べるとやはり足りないらしく、動き回っていることもあって体力が削られている。このままでは結果が見えている。
私はするりと移動した。今までは隠密に必死で相手の魔法を避ける最低限しか動けていなかったが、奇襲を仕掛けるにはこのままここに留まってはいけない。
彼は恐らく私がいる具体的な位置が分からないだけで、おおよその方向程度なら分かっているのだろう。最初にブラフを掛けた時も完全にこちらを向いていたし、今だってたまに目線がちらちらとこちらに飛んでくる。
試しに軽く移動してみたが、それでも魔族はたまにこちらを確認してくる。ダメだ、どこに行っても私の位置を大体把握されている。
しかし、何故私の居場所が分かる?確かに隠密魔法を使っても魔力探知に引っかかるが、それは接近してからの話だ。私はこの広い部屋でずっと、魔族とはかなり距離を取っている。この距離で隠密している相手を見つけるのは至難の業だ。
私の隠密が甘いのか?試しに自分の身体を確認しても、完全に背景と同化している。視界に引っかかっている訳ではなさそうだ。
それでは音か魔力か?どちらも考えにくい。自己強化で感覚が過敏になっている自分でも全く気づけない程に上手く抑えられている。隠密魔法は初めてだが、殿下のお手本のおかげで自分でも驚く程上手く発動できているから。
そもそもあれだけ派手に戦っている以上、音も魔力もかなりかき消されているはず。殿下もそれを意識してわざわざ大技を何度も放っているようだし。
苛烈を極めた戦いは続いている。そろそろ殿下も限界がきてそうだ。息は荒くなり、剣術の動きにブレが出始めた。流石に全力を出し続ければ人の身には限界が来る。
しかし、それは魔族も同じらしい。奴も少し魔法のコントロールが甘くなっている気がする。殿下に比べればほんの僅かな疲労だが、それでも無限の魔力がある訳じゃない。
そろそろ作戦の実行時だ。何とか隙をついてポータルに放り込んで送り返さねば。
またちらりと魔族の顔がこちらを向いた。視線は相変わらず合わないから、バレてはいない。それでも奇襲を掛ける時、接近してから攻撃するまでの隙を稼げない。
何だ、何が問題だ?
必死に頭を回転させ、授業で習った魔族についての項目を思い出す。内容はまだ覚えている、魔族は五感と魔力量及び魔力操作が優れており、人間の比にならない程である。でも、いくら優れていても隠密魔法で歪んでしまっていては感知できないはず。それとも私の隠密魔法がまだ下手なのか?
……いや、違う。可能性があるとすれば、これか。
丁度、殿下が本格的に勝負に出た。魔力を高めている。あれは風属性と炎属性だろうか。魔族も防御する準備をしている。
殿下は風魔法で部屋全体に散りばめられた埃を巻き上げ、魔族と自分を中心に竜巻を作り上げている。私は彼が何をしようとしているのかを察した。
急がねば、勝負の時は一瞬だ。
巻き上げた埃はぐるぐると竜巻を回るにつれ増加していき、彼らの姿を覆い隠す程に増加した。魔族はまだ彼が何をしようとしているのか理解できていないらしい。埃で周囲の様子を隠しているだけだと思っているのだろう、周囲の様子を注意深く観察している。
「マギニバ、そろそろ決着を付けようか。」
殿下はにやりと笑い、自身の剣を上方に高く突き上げた。魔族もつられて剣を見上げた。
その剣に炎が宿り、バチバチという音と共に多数の火の粉を周囲に撒き散らしている。そして彼は風魔法を解除し、解放された埃が彼らの周囲に降り積もると同時に剣を大振りに振り下ろした。
その瞬間、大爆発が起こった。
閃光と轟音、爆風が彼らを包み込み、熱風が彼らを燃やし尽くさんとばかりに唸りを上げた。
そう、粉塵爆発だ。無数の埃を2人の周辺に密集させて魔力の炎で点火した結果、何千回、何万回、いやそれ以上の連鎖反応が爆発を誘引したのだ。
中にいる魔族と殿下の様子は見えないが、魔力反応からして2人とも防御魔法を使っているのだろう。
眩しい光は暗闇に慣れた網膜を焼き、破裂音は敏感な鼓膜を破り、あちこちで燃え盛る塵は魔力の流れを感知させにくくしている。つまり、今が攻め時だ。
予めポータルと魔族の直線状に移動している。爆発の隙間を縫い、自己強化を多めに入れて地面を蹴り飛ばし、一息に魔族との距離を詰めた。
「馬鹿め、お前の場所なぞ見破っとるわ!」
魔族が恐ろしく低い声で唸り声を上げ、ぐるりとこちらを向き、魔力を一点に集約している。流石魔族、魔力の使い方が手馴れている。速度に自信があった私よりもずっと魔法の発動が早い。
黒い靄と紫の蛍光が入り混じったような不気味な魔力が渦巻き、魔族の手に圧縮された。殿下との戦いでも使わなかった本気の魔法が私に撃ち出されようとしている。あれを食らったらどんな防御魔法も貫通してしまうだろう。そして、その発動の早さ故に私は避けられない。
魔族は勝ちを確信したような笑みを一瞬浮かべ、その高速高火力高密度の魔法を確実に私の気配がする方へと撃ち込んだ。
勢い余った攻撃はそのまま貫通して壁にぶつかり、地下室の固い石の壁を大きく抉った。燃えた服の残骸がチリチリと空中に舞い、焦げ臭い臭いが辺りに充満する。
魔族はようやく悟ったらしい。一瞬で笑みを消し、さっと周囲を見渡した。
そう、攻撃は確かに貫通した。私のブラウスを。
奴は私を視認していた訳でも、音を聞いていた訳でも、魔力を探知していた訳でもない。私の匂いを感知していた。
魔族は五感が良く効く。それには人同士ではほぼ役に立たないような嗅覚も含まれている。故に魔族は私の居る方向を常に確認できていた。
だから、それを逆に利用してやった。
嗅覚がトリガーだと気づいた時、私は迷いなく自分の着ていた制服のブラウスを破って脱ぎ、そこに魔力を込めた。接近した時、魔族がこれを私だと勘違いして攻撃させ、隙を作れるように。
あの爆発が起きてから、このブラウスを丸く丸めてそのまま魔族に向かって投げつけてやった。あの時魔族は視認する余裕も無かっただろうから、匂いと魔力だけで私が奇襲をかけてきたのだと誤認した。まさに作戦通りだ。
そして今、魔族は大技を放った後の隙だらけの状態。そんな好機を逃す程私は甘くない。
全身に力を入れ、強化した身体能力で相手の懐へと飛び込み、杖を腹に突きつける。
そのままゆらゆら揺らめく光の穴の中へと押し出す様に、魔法を繰り出した。
「海流山!」
杖の先から夥しい量の水流が流れ出し、それら全てが1つの波となって魔族を無理矢理押し流す。
津波の恐ろしさはこの世界の人間には分かるまい。きっとこの魔族だって知らないに違いない。
如何に大柄であろうとも、如何に力が強かろうと、大量の質量の前では無意味。ただ水流が成すままに押し流されるしかない。
「おまえ、よくも!」
慌てて防御魔法を張るが、意味なんてない。風魔法で空中に逃げようとするが、逃がさない。上からも水流を落として溺れさせてやる。
この1年で私の魔力は桁違いに跳ね上がった。ゼロ距離海流山1つでへばるほど柔な魔力量はしていない。
「……なら、こうしてやる!」
押し流される先を見て、魔族が私たちの真意に気が付いたらしい。
ポータルと魔道具には水流は触れていない。下手に押し流すと消えてしまう可能性があるからだ。それを見た魔族は魔道具に向かって力を振り絞った。
「これがお前たちの手に渡る位なら!」
大きく挙げた手に再び魔力が籠っている。狙う先はポータルを開いている転移魔道具。まずい、あれを壊す気か。
私は海流山を制御しているから咄嗟に反応ができない。私が新しく魔法を発動してあいつを止めるよりも、あいつが攻撃を魔道具に仕掛ける方が早い。
魔道具が壊されてしまえば、私たちはこの魔族が死ぬまで戦わねばならない。不意をついた2対1でようやく追いつめられるような相手だ。それに殿下も大幅に魔力と体力を消費してしまったはず。
「殿下、あいつをとめ、」
プツン。
私が口に出すよりも早かった。
ついさっきまで魔力を込めていた魔族の右手が、紫の液体と共に華麗に空を舞った。私も魔族も、何があったかすぐに理解できず、一瞬置いてようやく状況を理解できた。
魔族は自分の右腕を凝視した。そこにあるはずの右手はなく、手首からスッパリと切断されている。腕の中から紫色の液体があふれ出し、私の魔法で生み出した水と混ざって黒く濁った。
私よりも後ろに居たはずの殿下が、一瞬のうちに魔道具の前に移動している。しっかりと構えた剣からは紫の血が滴り落ち、彼の手を伝って地に流れ落ちた。
「やれ。」
「はい。」
魔族は呆然としたまま、波に呑まれている。抵抗する気力も失せたらしい。
そのまま大量の水と共にポータルの中に思い切り押し込むと、空中に吸われるようにして魔族は虚空に消えていった。
魔族の転移を確認してすぐに殿下は手元の魔道具を蹴り、ポータルの射影部分を的確に踏み潰した。それと同時にポータルは砂嵐がかかったように歪み、捻じれて消え去った。




