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第8話 用意されたのは、席のないテーブル



「キャスリング嬢を連れてきました」


 連れてこられた先にあったのは、案の定『生徒会』と書かれた扉の前だった。

 ノックをして案内役の彼がそう告げれば、奥から「入れ」と声がする。


 ゆっくりと扉が開けば、甘い香りが鼻腔を掠めた。

 楕円の大きなテーブルに、五人分の椅子が並んでいる。そこには殿下の他に、現在の近衛騎士隊長の息子と宰相の息子――殿下の腰巾着の二人が既に着席していて、残っていた下手の二脚のうちの一脚を、先日の婚約破棄の場に殿下の隣にいたあの令嬢が、イソイソと殿下の隣に持って行って座った。


 通常、わざわざ席を持って行って殿下の隣に座るのは、殿下に対して無礼に当たる。

 この中で彼女は、最も地位の低い伯爵家の令嬢だ。他では権威主義的な振る舞いをしているくせにこうして例外を作るあたり、ただのひいきに他ならない。

 それを咎めない周りも周りだ。思わずため息が出そうになる。


 最後の空席に、案内役だった殿下の腰ぎんちゃくが腰を下ろした。当然私が座る席はない。


「リリベール様、やっといらしたのですね。私、待ちくたびれちゃった」


 殿下の隣で楽しげに笑う令嬢・アイナがそんな風に言う。


 無邪気で笑顔の可愛らしい子で、元々平民育ちだったのを貴族家に途中で引き取ったのだとか。甘やかされて育ったのか貴族の常識には疎い印象がある。

 部を弁えて殿下に苦言を呈する事こそあれど、口答えはしなかった私に比べて、彼女は平気で殿下に意見してはいじけたり笑ったりしていた。我が儘な言い分も中にはあったと思うけど、それもまた殿下の目には新鮮に映っているのかもしれない。


 婚約者だった時からよく、当てつけのように「お前は堅苦しい」だとか「自分の能力を鼻にかけて。俺を見下すなんて、淑女の風上にも置けない」などと、彼女とは比べられたものだ。

 しかし痛くも痒くも感じなかったのは、以前も今も変わらない。


 私は彼女に張り合うつもりがない。たとえ相手がそのつもりでも、だ。だからそんな風にあからさまに「貴女の席、正式に奪ってやったわよ」と言いたげな、得意げな顔をされたところで、何の感慨も抱けない。


「早くテーブルにつけ。気が利くアイナが持ってきた美味い紅茶と菓子を、仕方がなくお前にもくれてやる」


 殿下が相変わらずの静かで高圧的な声で、上から私に命令してくる。

 アイナが彼の隣で「えー? 私はただ当然の事をしただけですよぅ」などという形だけの謙遜をしながら、ルンルン気分で椅子のないスペースに紅茶とお菓子を用意し始める。


 カッタンカッタンと音を立てながら用意するその様は、とてもじゃないけど上品とは言えない。

 そもそも殿下の使用人が同席しているのに自分で紅茶とお菓子を準備するのは、あまり歓迎されない行為だ。やるにしたってプライベート空間に限るべき、少なくとも私は王妃教育で殿下のお母様からそのように教わった。


 思わず呆れている私を、おそらく殿下は自分たちにとって嬉しい方向へ勘違いしているのだろう。バカにしたように小さく笑う。


 明らかに目で「席につけ」と言ってきているけど、椅子がないのが見えていないのだろうか。

 ただの嫌がらせのつもりなのか、それとも見せしめをしたいのか。どちらにしろ「詰めが甘い」と内心で笑う。


 誰が最近まで生徒会の全裏業務を取り仕切っていたと思っているのか。

 一度ため息をついてから、私は室内へと歩いていく。

 勝手知った生徒会室だ、どこに何が置いてあるかは誰よりもよく知っている。


 倉庫にしている続き部屋の、扉を開き中を見渡す。

 かなり整理の余地のある部屋である事は前々から気になっていたけど、それでもすぐに探し物は見つけることができた。


 埃を被った布が掛けられた、抱えるほどの大きさの物。教室からずっとついてきていたメイドに一言「お願い」と言えば、優秀な彼女はいつも通り、淡々と己の仕事をしてくれる。


 埃が舞わないように注意しつつ、手早くはぎとられた布。その下からは一脚、立派な椅子が現れた。

 実際に質のいいものだ。なんせ、これは歴代の生徒会長が使っていた椅子で、殿下が会長に就任した際に「お古の椅子になど座れるか!」とごねて交換させたものなのだから。


 隣の部屋から戻ってきた私たちを見て、殿下が思わずといった感じで目を剥いた。

 今彼が座っている五脚揃いのティーチェアよりも、見るからに立派な代物だ。せっかくわざわざ仕掛けた悪意をものの見事に返されて、彼の性格で腹立たしく思わない筈がない。


 これまでだったらそれを察した時点で、立ちっぱなしを選んだだろう。それがもっとも波風を立てずに済む道で、一番平和な筋道だった。

 しかし私はもう、そうと分かっていて座る事を選ぶ。



 やっと着席すれば、アイナさんがニコニコ顔で「どうぞ」と飲み食いを勧めてくる。

 言われずとも、出されたものに一度も口を付けないのは淑女のマナーに反する行為だ。そんな私の中の常識が、ティーカップに口を付けさせた。

 しかしすぐにそれを後悔する事になる。


 端的に言えば、ひどい味だった。何が悪いって、もちろん淹れ方もあるのだろうけど、おそらくそれ以前の問題だ。

 茶葉それ自体は、間違いなくこの国でもよく飲まれている種類のものだ。しかしいつも飲んでいるものより、明らかに香りが薄く、感じる筈のない酸味を感じる。


 王妃教育の一つに、紅茶に関する知識もあった。茶葉の保存状態が悪いと、大抵紅茶はこんな味になる。


「うん、美味しいよアイナ」

「嬉しいです。私、この紅茶が一番好きで!」


 楽しげに笑い合っている二人に、私は思わず「正気か」と思った。チラリと周りを見回すが、気付いていないのか、言わないだけか。誰一人として紅茶に言及する者はいない。


 殿下なんて、幼少期からずっと良質な物ばかり口にしてきている筈なのに……。


 恋の病とは、それほどまでに人の判断力を奪うのだろうか。

 だとしたら、恋なんて人の思考を鈍らせるだけだ。


「それで殿下、お呼びだったとお聞きしましたが」


 アイナさんとの会話の途中で割り込む形になってしまったのは、あまり褒められた事ではない自覚がある。

 しかし私だって、残り少ない昼食時間に急に呼び出されて迷惑している。授業が始まる前に暇を告げて、早く教室に戻りたい。




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