第7話 来訪者が運ぶ、嫌な予感
『幻が見えるという屋上』とは、この学園内にある七つの不思議のうちの一つだ。稀に、ここにある筈のないものが見えるという噂である。
しかし元々屋上は立ち入り禁止区域の一つであり、普段は未開放の場所だ。実際に見た人の話は聞いた事はなく、噂だけが脈々と受け継がれているという感じである。
そこを会場にしたからと言って、実際に目の前に不思議な事が起きるとは限らない。しかし『奇抜な場所で開かれるお茶会』という話題性の上乗せくらいにはなるだろう。
「そんなに喜んでいただけるなら、私たちも企画した甲斐があるというものです。いつでも使える場所ではありませんし、お茶会自体にも少し変わった趣向を凝らしたいと思っています。せっかくですからお二人にも、是非いつもとは少し違う時間を楽しんでいただければ嬉しいです」
「はい! 楽しみにしています!」
二人を真っ直ぐ見てそう告げると、嬉しそうに返事をしてから去っていく。
背を向けた二人が互いに「男爵家の私たちも本当に歓迎してくれたね」と言い合っているのが聞こえた。
殿下の権威主義的な考え方のせいで、今学園内では何事においても爵位が物差しになっている。個人で開かれるお茶会も、主催者に応じて参加者の下限を縛るのが最近の常だ。
だからこそ、他国とはいえ姫の身分にある私や公爵子息のシェイド様の開催するお茶会に呼んでもらえる事は貴重かつ嬉しい事なのだろう。
そもそも爵位で参加者を縛るだなんて、下級貴族に社交場の経験を積ませないのも同じ。もし社交場経験値が低いせいで、彼らが国を挙げた式典などで国外から招いた来賓相手に粗相を働いたらどうするのか。
そんな想像一つせずに国内だけを見て好き勝手にやっているから、この国の未来が不安になるのだ。
そういう意味でもこのお茶会は成功させたい。爵位によらないお茶会でも楽しく過ごせる前例を作るいい機会だ。
そんな事を考えながら、彼女たちの背を自然と目で追っていた。しかしすぐに、教室内の変化に視線を外す。
教室内が、動揺じみたざわめきに揺れた。原因を探して視線を巡らせ、すぐにその正体を突き止める。
教室の出入り口に、眼鏡をかけた紺色の髪の男子生徒が立っている。
その姿を見て私が最初に思ったのは「下級生の教室に足を運ぶなんて珍しい」だった。
彼は殿下の側近候補の一人。殿下の側に侍るイエスマンの腰ぎんちゃくで、生徒会の一員でもある。
しかし実際に彼と話した事は数えるほどしかない。
会話にならなかったのだ。他の方たちもそうだったけれど、彼は特に殿下に倣い下働き扱いしてきていたから。
最初の方こそ一応付き合っていたけれど、話すのは時間の無駄だと思って以降は、彼の言葉はほぼすべて右から左へと流していた。
私と彼はそういう間柄でしかなく、それはおそらく今後も変わらない。
一体誰目当てなのだろう。
無意識的に自分という選択肢を除外して呑気にそんな事を考えていたから、驚いた。
「キャスリング嬢」
「……何でしょう」
一拍反応が遅れながらも、さも平静を装い答える。
まさか私に用事なのだろうか。だとしたら、理由はおそらく一つしかない。
「殿下がお呼びだ、早く来い」
周りの事をまったく気にしない彼の声は、教室中に響き渡った。
周りの空気がざわめきを増す。
何故、殿下がリリベール様を……?
陛下からの正式な下知こそ下されていないが、私が婚約破棄を突き付けられたのは皆が知っている事だ。その上での呼び出しとなれば、不安と好奇心がない交ぜになったざわめきに室内が溢れても、至極仕方がない事だろう。
が、聞きたいのは私も同じだ。
何故私が、今更殿下に呼ばれるのか。
嫌な予感しかしないだけに、思わず「その、本当に私なのですか?」と聞き返す。
そこにはもちろん「間違いであってほしい」という一種の願望が隠れていた。
しかし彼は、それほど気が利く人物ではない。
「だからそうだと言ってる」
おそらくこれまで私がずっと、殿下からの言伝を聞き返した事など一度もなかったからだろう。不機嫌そうで不本意そうな声と目がこちらに返ってくる。
口からため息が漏れた。
内心に素直になるのなら、私を呼ぶ理由が何であろうと、その要求には応じたくない。しかし抵抗したところで状況が悪化する事はあっても、改善される事はないだろう。
私はゆっくりと席を立った。周りからは、不安のような恐れのような視線が注がれているけれど、それらをすべて、敢えて無視する。
昼食時間は、もう既に残り二十分を切っている。用事があるというのなら、早く済ませてしまわなければ午後の授業に差し障る。
殿下のお呼びがあったとなれば教師陣は「仕方がない事だ」と思ってくれそうではある。けれど、誰でもない私自身が可能な限り授業は真面目に受けたいと思っている。
間に合えばいいなと思うけれど、叶わないような予感がした。
こういう時の私の予想は、残念ながらよく当たる。天災がこちらの都合などまるで気にしないように、殿下もまた、周りの都合を気にしない。