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第2話 婚約破棄で、目覚めた思考



 私と殿下の婚約は、そもそも国同士の契約だった。

 私は言わば、人質だ。武力の弱い我が本国が、交易によってこの国に益を為す代わりに不戦条約を結ぶための、約束の担保としてやってきた。


 益ごと我が国をいつでも武力で無理やりにでも簒奪できるこの国に対して、縁繋ぎになることで関係強化に努めることが、我が国にとって最も有用だと判断され、私がここに送られた。

 いわゆる政略結婚だ。だからそこに愛はなく、育てることは可能だったかもしれないけれど、実際にそうはならなかった。


 理由はきっと、色々とある。

 この国での立ち居振る舞いに必死だったのはもちろん、私はそもそも殿下という人間をあまり好きにはなれなかった。


 彼もきっとそうだろう。そういう雰囲気を隠しもしないのが彼という人だ。

 分かりやすく嘲り笑うような事はないが、嫌いな相手には目に見えた侮蔑の目を向けてくる。言葉少なだが、その分むしろ「空気でこっちの気持ちを察しろよ」という傲慢さを前面に出す。だから彼に想い人ができた時も、とても分かりやすかった。


 それでも流石に驚いた。


「リリベール・キャスリング、お前との婚約は今日で破棄だ」


 彼が私にそんな言葉を突き付けたのは、学園内のダンスホール。今はダンスの授業中で、他国の来賓役である先生方をいかにもてなすかの実践授業中だった。


 そもそも今日は、少し様子がおかしいなとは思っていた。

 普通、婚約者がいる男女はダンスパーティーには同伴する。貴族にとっての常識であり今日の授業も漏れなくそれに倣っている筈だった。


 しかし今日は、時間になっても私を迎えには来なかった。授業に遅れる訳にもいかないから、何か用事でもあったのだろうと結論付けて、私はとりあえず一人で会場に来て卒なく授業をこなしていたのだけど、途中で別の令嬢を侍らせた彼が入場し、私にこんな事を言ってきたのだ。


 有無を言わせぬ物言いは、私が彼の物言いを絶対に拒絶しないと確信しているものだった。

 これについては別に不思議には思わない。

 実際に私はこれまで一度も、殿下の言葉に逆らった事は一度もない。一応進言をすることはあるが、結果的には殿下の意志に沿う。


 その方が、すべてがうまくいくと思っていた。国同士の摩擦は生まれないし、殿下の機嫌も必要以上にマイナスになる事はない。


 殿下の実の母の現王妃様からも『常にすべて殿下の意に添うように動く事。それが国母たる者の持つべき精神であり、ただその願いを叶えるための方法論を探し粛々と実行する事こそが、貴女の存在意義である』と、王妃教育で散々言われ続けてきた。


 それらすべての意に沿うために、私は日々頑張った。

 学生の内は、公務も少ない。代わりに公務の練習として宛がわれる『生徒会』という名の統率・運営を請け負う学園の首脳組織の一員として、殿下に任された雑務の大半を、私一人でこなしていた。


 自分一人の献身によって周りが平和でいられる事こそ、未来の王妃としての誇りである。本気でそう思っていたから、特にしんどいとは思っていなかった。



 しかし、ふと気がついてしまった。


 それらはすべて、私が殿下の婚約者という立場だったからこそ必要な労働だった。しかしもし、私がその立場でなくなったら……?



 これまでは、自分の行動の主導権は殿下にすべて握られていた。表立って言われた事は一度もなかったけど、これまではずっと、自分の行動一つで自国の未来が変わると思っていた。

 人質に取られていた気分だった。しかしもし、彼がその権利を自ら手放すというのなら。


 ――もしかして、すべての行動に殿下の許可が必要なこの現状から、私は開放されるのでは?



 今まで建前と教えに縛られて停止してしまっていた思考が、音を立てて回り出す。目の前が急にパァーッと開けていく。

 そんな生き方から開放されたらやってみたい事、まだできる事が、私にはある。


 まるでパズルのピースがどんどんと埋まっていくかのような充足感を得ると共に、私はとある結論に至った。


 もしかしたらこれまでの時間は、私や我が国の未来にとって害あるものだったのかもしれない。

 こちらから婚約を破棄するのは論外だが、あちらがそうしてくれるのならば、角が立たずに別の最適解を目指す事ができる。つまり彼がこの婚約を破棄してくれるのは、むしろこちらの利になっている。


「分かりました。殿下の申し出、謹んでお受けいたします」


 殿下の言葉に辺りが周りが動揺に騒めく中、私の声は思いの他よく響いた。


 彼は何故か、少し驚いたような顔になった。

 もしかして、私が彼に縋るとでも思っていたのだろうか。いや、もし先程自らが開放されるチャンスであるという事実に気付けなければ、本国のために食い下がっていたかもしれない。

 しかしもう今は。


「痩せ我慢か。国のための醜態よりも自身のプライドの方が大事だとはな」


 見下すような目の色が、明らかな侮蔑に染まった。


 これまで何一つとして彼に逆らわなかった私が、彼には今までと同じように見えたのだろう。限りなく従順だった過去を思えば、主体性がない答えだと思われても仕方がないとは思う。

 しかし私は私の意志でここから動き出すともう決めた。


「あとでこの婚約破棄に異論を唱えたところで遅いぞ。ここにはたくさんの証人がいる」


 なるほど、たしかにここには今、この学校の全校生徒と先生がいる。彼にとっては学内でこれ以上に、手っ取り早い場所もないだろう。


 彼は、こんな明らかな授業妨害をしてどれだけ先生方に迷惑をかけることになるのか、国の政にも関わる事をこのような場所で勝手に断言して周りにどれだけの混乱を振りまく結果になるのかも、気にしていない。

 婚約者の立場としては、大いに気にすべき責任だ。しかしそれはもう、私が持つべき部分ではない。今後は今、彼の隣に嬉しそうに寄り添っているこの令嬢が背負うべきものである。


「リリベール・キャスリングの名において、後にこの件をあとで蒸し返す事は絶対にないと、例外なく誓わせていただきます」


 国同士の婚約だ。破棄には相応の手順と時間が必要になる。


 建前上はしばらく続く関係性ではあるだろうが、貴族家の子女が集まるこの場できっぱりと破棄が宣言された事は、私自身にとっても有用だ。

 私はもう今この時点から、実質的に殿下の婚約者ではない。この場の多くの人たちが、それを証明してくれるだろう。

 実質的拘束から解かれ、建前上の立場に守られている間が、私にとっての猶予期間だ。


 この際に、私は私にできる事を、やりたい事をやっていく。

 



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