063 水の竜の要求
その顔に不敵な笑みを浮かべながら、こちらへ向かってくる水の竜の攻撃を、間一髪のところで結界を張って防いだ。
子供の姿なのに、一撃は重い。やっぱりこの子の正体は水の竜なんだと確信した。
「そう、この結界だ!」
水の竜は不意にそう叫び、後ろへ下がった。
「一見すると柔らかなベールのようだが、それは我の攻撃すら通じない堅固な防壁」
竜は小さな子供の手で、私が張った結界に触れた。
「まさしく、我が求めていた代物だ」
「えっと……?」
困惑する私に、水の竜は琥珀色の目を向ける。そこには子供特有の、憧れの輝きがあった。
「竜封じの結界師よ、我を封印する気はないか?」
「……」
理解が追い付かず黙ったままでいると、水の竜は一歩後ろに下がり、胸の前で両手を組み、首をこてんと傾ける。
「我を封印してほしいなぁ、おねーさん」
ますます意味がわからなくなった。この状況は一体どういうことだ。
「一から、説明していただけますか? なぜあなたを封印する必要があるのです?」
わけがわからない状況の中、レインは無表情のまま、水の竜へと質問を投げかける。いつもより声が小さい。初めて会う人と話すのは、レインにとっては難しいことなのだ。それは子供でも、例外はないらしい。
レインが警戒心を解いて水の竜の横に立ったので、私も結界を消す。水の竜は名残惜しそうに消えた結界を眺めていたが、しばらくして話し始めた。
「封印されれば、外部からの干渉などなく、ただ一人の時間を悠々と過ごせるではないか! 竜同士の無駄な争いをせずとも良い、愚かな人間どもに気を遣わずとも良い、最高ではないか!」
目を輝かせながら、子供の姿をした水の竜は言う。そんなきらきらした目で見られると、「やってあげようかな」なんて気持ちになってしまう。
「つまり、引きこもりたい……ってこと?」
「その通りだ! 何だったか……にーと? 我の憧れである!」
それは憧れていいのだろうか。まあでも、引きこもりになろうが何しようが本人の勝手だから、別に好きにしたらいいと思う。
「突然、不審者が入ってきて、『竜封じの結界師を出せ』と言われ、勝負を仕掛けられ、何事かと思えば封印されてニートになりたい? ふざけるのも大概にしてください。ぼくは昨日、二時間しか寝ていないのです。一刻も早く仕事を終わらせて眠りたいです。ですから、こんなことをしている暇はありません。そもそも、あなたを封印するためには、もっと多くの魔術師が必要で……」
急に話し出したレインを見ながら、これは相当疲れてるな、と思った。それでも、レインは今日の分の仕事が終わるまでは休もうとしない。同じ四天王であるランドやアイレは気楽にやっているのだから、もっと楽に考えればいいのに。あとで魔王コスモかその側近のカオスに相談して、一言「休め」と伝えてもらおう。
レインの長々しい説教を聞きながら、水の竜は、その目に涙を溜めた。それがぽろぽろと零れ落ちたとき、レインは口を開いたまま固まった。
「ごめん、なさい……」
子供の姿で泣きながら言う水の竜に、レインはどうしていいかわからなくなっているようだった。
「噓泣き……?」
どう見たってそうだ。もし本当に怖くて泣いているのであれば、もっと顔がゆがむだろうし、何より、船を襲ったとき、勇者に斬られても泣かなかった水の竜が、こんなことで泣くはずがない。
「……ほう。ますます気に入った」
水の竜は顔に付いた水滴をぬぐいながら、私へ顔を向けた。
「要求を変更する。貴様、我が伴侶となれ」
「はんりょ……?」
それが何なのかわからずにいると、ただ立っていただけのはずのレインが、足をもつれさせ転びそうになっていた。
「ちょっと待ってください。何がどうしてそうなりました?」
「何か問題あるか?」
水の竜は質問に答えていない。レインはいつもより若干目を見開きながら、水の竜に詰め寄る。
「あの、はんりょ、って何?」
割り込んじゃだめだったかな、と考えながら尋ねるが、誰からも返事はなかった。
「そもそもあなたの見た目は人間でいう十歳ほどでしょう。まだ早いのではありませんか?」
「子供に化けているだけで、大人の姿にもなれる。これで問題はないだろう?」
肝心なところの意味がわからないせいで話についていけない。あとでレインに訊くか本で調べよう。
「では、なぜ今は子供の姿なのですか?」
レインの問いに、水の竜は一度目をつむった。レインとの距離を詰め、その手を取って握る。
「子供の姿でおねだりされたら、断れないでしょう?」
舌足らずな声で演じながら、水の竜は上目遣いでレインを見上げる。
この竜やるな。中には子供嫌いのひともいるだろうけど、子供のお願いに揺らいでしまうひとはきっと多い。さらに、確実に要求を通すため、目の大きさ、口の形、顔の角度まで、可愛く見えるように計算し尽くされているのだ。
「我は初めて恋心というものを抱いた。他でもない、竜封じの結界師にな」
「恋、心……?」
調べなくても、「はんりょ」という言葉の意味が何となくわかってしまった気がする。
「我を囲った結界は、滑らかで、それでいて頑丈で……あれほどの結界は、今までに見たことがなかった」
頬を紅潮させながら、水の竜は私へと視線を送った。
「あれから、我を封じた結界のことを考えるたび、胸が高鳴るのだ」
水の竜は胸を押さえた。
子供の姿でそんなこと言われても、私はただ困惑することしかできない。
「……それ、シエルさんに対してではなく、シエルさんが張った結界に対しての感情では?」
レインの言葉は、水の竜には届いていなかった。