059 勇者をやる気にさせたのは
周りに、大きな結界が張られた。それは、水の竜へと徐々に縮んでいく。
「…………すごい」
勇者が呟く。結界魔法が使えない彼でも、伝説級魔物である竜を閉じ込められる結界を作り出すには、相当な技術がいることぐらいはわかる。
その結界を張った結界師は、黒いローブをすっぽりと被った、小柄な人物だった。フードからこぼれた白い髪が、風になびいている。
似てるなぁ、と勇者は思った。髪の色も、雰囲気も。何もかも含めて、幼馴染のシエル――五年前、魔王軍の四天王に攫われた、人質の少女と似ていた。彼女も、結界魔法の使い手だった。
勇者は、目の前の結界師と、幼馴染の少女を重ねて見た(本人です)。
もし、シエルが攫われていなかったら、この結界師のように、どこかで誰かを守って、活躍していたかもしれない(その結界師はシエル本人です)。いや、違う。もっと早く助けに行っていれば、シエルは今頃……(今、シエルは水の竜を閉じ込めるのに頑張っています)。
「オレも、やらないと……」
勇者は聖剣を握って立ち上がる。
自分でも驚いた。水の竜を前にして、立ち向かおうとするなんて。同時に「臆病者が何やってんだ」「お前にはできっこない」と、弱い自分が言ってくる。
「勇者さん」
結界師が、少し低めの声で、勇者に声をかけた。
「勇者さんが攻撃する瞬間に、結界を解除しますね」
そうだ、勇者である自分がやらないといけない。ここで立ち止まっていては、シエルを助けるどころか、近くにいる人々を守ることすらできない。
「失敗しても大丈夫です。危なかったら私が結界を張るから。あなたは何も心配せず、剣を振り下ろすだけでいいんです」
まるで、勇者が臆病だとわかっているかのような物言い。結界師は、本当はシエルなのだと、思いたくなってしまう(本当にシエルです)。
だが、彼が臆病者だということは、この場にいる誰もが知っていること。さっきの勇者の行動は、どう見ても勇者には見えなかったから。
「やりましょう、勇者さん。あなたなら、たぶんだけどできますよ!」
そう言った結界師は、フードに隠れて顔全体は見えなかったが、笑う口元はシエルとそっくりだった(だって本人だもん)。
「……やります」
勇者は決心して、聖剣を握り直した。足に風魔法を纏い、勇者は大きく飛躍した。
早く動き出さなければ、また恐怖で動けなくなってしまう。それは、勇者自身が一番よくわかっていることだった。だから、すぐに動いたのだ。
空中で、勇者は閉じていた目を開けた。
「ひっ」
目の前に、水の竜がいる。
「こ、こんなところまで飛べるなんて、風魔法ってすごいなぁー……」
恐怖を紛らわせるために、勇者はそう口にする。
「なんだ? 小僧」
竜の低くて太い声が、勇者の肌を撫でる。
「やっぱ、無理ぃぃぃ!」
勇者はもう一度目をつむり、そのまま落下した。海へ真っ逆さまだ。
あ、やばいな、と思った。だが、その時の勇者には、風魔法でどうにかするとか、そんな考えは思い浮かばなかった。
そのまま海にドボン……とはならなかった。勇者の体は、何者かの風魔法によって、ふわふわと落下の速度を緩めていく。
「何、これ……?」
目を開けると、そこには小さなコガラスの姿。なんでこんな海の上にコガラスが……?
勇者の理解が追い付かないまま、とうとう体が海に触れた――瞬間、勇者の体は何かに押されて飛び上がった。
「いやぁぁぁ!」
勇者のお尻に触れたのは、柔らかいゼリー質の魔物。さっき船を襲っていたクラーゲンが、勇者に手を振ってエールを送っていた。
そうして、勇者は水の竜の上まで飛んだ。
「何これ何これ何これ!」
理解が追い付かず、勇者はまた、水の竜を斬ることなく落下した。
さっきと同じように、勇者の体は風魔法でふわりと浮き、そしてクラーゲンの体当たりで飛び上がる。つまりは、このまま勇者が水の竜を斬らなければ、クラーゲントランポリンで一連の流れを無限ループというわけだ。
「やるしかない、ってこと!?」
勇者は目を回しながら、落ちたり上がったりを繰り返している。その様子を、水の竜はわけがわからなそうに、ただ眺めていた。
風魔法とクラーゲン……一体どういうことだろう。ずっと上がって下がってを繰り返しているから、ちょっと吐きそうだ。
勇者はクラーゲンの体当たりで水の竜の上に来ると、頬を叩いて視線を水の竜に向けた。
「大丈夫、できる……」
聖剣を竜にかざし、勇者は息を吸った。
竜と目が合う。その時、勇者の頭の中は空っぽになった。何も考えず、勇者は剣を振り下ろす。
勇者の攻撃が結界に当たる寸前、結界師は結界を解除したらしい。すんなりと勇者の攻撃は竜に当たった。
「くっ……!」
水の竜の声にも、勇者は反応せず、ただただ堅い体に剣を食い込ませていく。
「たわけが!」
水の竜が抵抗するが、勇者は動じない。彼の頭の中からは、恐怖だけではなく、すべての感情が抜け落ちていた。ただ、この竜を斬らなければならないという、義務感だけが脳内を支配していた。
とうとう、剣は竜の皮膚を破り、そのまま深くに傷をつけた。
「ぐ、ぐわぁぁぁ!」
水の竜は悶え苦しんでいた。もう竜の周りに結界はないが、今度は痛みでうまく動けないらしい。
「馬鹿な! 我の体に傷をつけるなど!」
水の竜の言葉で、勇者ははっとした。
「わっ」
勇者はクラーゲンの上で数回飛び跳ねる。彼はまばたきをして、水の竜を見た。
「オレが……斬った?」




