057 残した小瓶とメッセージ
クラーゲンの渾身の体当たりを受けて、マリーナとアストは大きく飛躍した。
海面にぶつかる前に、マリーナは飛び込みの体制を作り、アストを支える手に力を込めた。
水中へと落ちたマリーナは、すぐに上へ向かった。
(クララちゃんってば、あとで注意しておかないと……)
マリーナは、はっとしてアストを見た。クラーゲンの毒で苦しそうにしているが、さっきの衝撃で怪我をした様子はなさそうだ。
辺りを見回すと、近くに島があった。クラーゲンに飛ばされる前、向かおうとしていた島だった。
(かなり飛ばされたなぁ)
目的地に近くなったのは良いが、クララちゃんは加減を知らない。もし海ではなく、陸に落ちてしまっていたらと考えると、ぞっとした。
マリーナはアストを支えながら、島の海岸へ向かう。
(ここは無人島? ううん、建物があるみたい。人がいるのかな)
もしそうだとすれば、厄介だ。
マリーナは魔族……人間が忌み嫌うもの。この島に人間がいれば、石を投げられて追い出されてしまう。もっとひどい場合だと、マリーナは捕らえられてしまうかもしれない。
(でも、この人を見捨てるわけにはいかない)
マリーナはアストを見ながら、海岸へと泳いでいく。
(人は……いないっぽい)
海岸には誰もいない。嵐のせいで、海が少し荒れているから、近づかないようにしているのかもしれない。
マリーナは人間と同じ二本足で、海岸へ上がった。波にさらわれないよう、海から少し離れた場所に、アストを寝かせる。
(念のために、解毒薬を持ってきておいてよかった……)
解毒薬の小瓶を取り出し、蓋を開ける。それをアストの口に流そうと傾けた瞬間――足音が聞こえた。
――――誰かがこっちに向かってきている。
そう気づいた瞬間、マリーナはどうすればいいのかわからなくなった。
今は姿を隠せるものは持っていないから、きっと魔族だとばれてしまう。けれど、アストをこのまま放っておくわけにもいかない。もし足音の主に気づかれたら、マリーナは説明する声を持っていない。話を聞いてもらうどころか、そもそも話ができない。
(どうしようっ!)
マリーナは目をつむりたくなった。うずくまっていても仕方がないことぐらいわかっている。
(そうだ……)
彼女は足音を気にしながら、小瓶に蓋をして、アストの側に置いた。そこに矢印を書いて、『解毒薬です』と言葉を添えておく。
足音の速度と大きさから、アストがむせないように、吐き出さないように、解毒薬を飲ませる時間はないと思ったからだ。
足音が近づいてくる。
マリーナはすぐに踵を返し、足をもつれさせながら、海へと走っていく。
ちょうどマリーナが海へと潜った瞬間に、足音の主は倒れているアストを見つけていた。
「……大丈夫ですか!?」
彼女はアストに駆け寄った。そして、マリーナが残した小瓶とメッセージに気が付いた。
「解毒薬?」
歯を食いしばりながら、毒に苦しむアスト。足音の主である女性は、アストの口を無理やり開いて抑えると、そこへ解毒薬を流し込んだ。
「けほっ、けほっ……」
アストは少しむせてしまったが、ちゃんと解毒薬を飲み込めたようだ。しだいに呼吸が落ち着いてきた。
「君、大丈夫?」
女性が声をかけると、アストはゆっくりと目を開いた。
(よかった、大丈夫みたい)
マリーナはその様子を見届けて、船へと泳いでいった。マーフォーク族は泳ぎが得意で、泳ぐ速度は人間の比ではない。
すぐにクラーゲンのクララちゃんに飛ばされた地点まで戻ったマリーナは、海面から顔を出した。
(船は沈んでないみたい。レイン様がどうにかしてくれているのかな?)
船には魔王軍四天王のレインがいる。それに、勇者一行も乗っている。とはいえ、さっきの勇者の様子を見る限り、彼は戦力にはならなそうだが。
(でも、いくら魔王軍四天王様でも、ドラゴンを相手にするのはきついんじゃないかな……)
竜は、上級魔物より強い、伝説級魔物と呼ばれる、とにかく強い魔物だ。人間が討伐したという記録は、ただの一度もない。
千年前、当時の魔王でも、竜と戦うのは避けていたらしい。その魔王を討ち果たしたという勇者も、竜と戦った際、封印するしか手がなかったという。
(攻撃……効いていないみたい……)
レインの攻撃が竜に当たるが、傷一つつけられていない。ただ竜の怒りに触れるだけだった。
とりあえず、マリーナは船に向かった。もしかしたら、何かできることがあるかもしれない。
(誰かが死んじゃうのは、もう見たくない)
そう思いながら、マリーナが船近くの海面から、顔を出した時だった。
(結界……?)
船や竜、近くのものを全て囲うように、結界が張られている。
それは、水中にいるマリーナや、海水、船やそれに乗る乗客たちを無視して、ゆっくりと水の竜に向かっていく。
(どういうこと……?)
マリーナが困惑しているうちにも、結界はどんどん水の竜に迫っていった。
「な、なにぃっ!?」
水の竜が暴れるが、結界はひびすら入らない。
伝説級魔物、水の竜。それが、船に乗っている何者かの結界によって、封じ込められていた。
◇◆◇
「君、大丈夫?」
誰かの声がする。アストはゆっくりを目を開けた。
「…………お、れ……」
「ああ、無理して話さなくていいよ。毒が回っていたみたいだからね」
そうだ、船がクラーゲンに襲われて、でっかい竜が現れて……。アストはようやく機能してきた頭で考えた。
「あなたが、助けてくれたんですか?」
「いや、あたしはただ解毒薬を飲ませただけで――」
「ありがとうございます! 俺、アストっていいます! あなたのお名前は?」
「おお、元気そうならよかった……。あたしはサナ」
「サナさん! 素敵な名前ですね!」
アストに手を握られたサナは、さっきまで毒で苦しんでいたはずの、アストの回復力に驚くことしかできなかった。