055 魔王軍四天王の芸当
「此処の平穏を乱す者は、我の敵だ。葬ってくれよう!」
水の竜は、船の周りをぐるりと一周した。竜の体が海に触れ、波で船が揺れる。
「きゃー!」
「船が沈む!」
船に乗っている人々はパニックになっていた。不安の声を漏らす者、顔を青ざめて座り込んでいる者、子供を守ろうとしている者。
その目に恐怖が宿っていないのは、私の隣にいるレインぐらいだった。
「シエルさん。危険な状況になった場合、結界をお願いします」
「うん」
レインは冷静に、水の竜の動きを観察し続けていた。
水の竜が空に昇り、その勢いに船がぐらつく。レインはバランスを崩し、しりもちをついていた。
大丈夫? と私がレインに声をかけようとしたとき、船の周りの海が、高い、高い波を作った。船を囲うようにして、徐々に迫ってくる。
私は結界を張ろうと一歩前に出た。でも……結界を張ったとしても、水の勢いに飲まれて船は沈んでしまう。どうにかして波を止めるための形状の結界を張らなければ……。
「シエルさん、結界は必要ありません」
レインの言葉に、私は目を見開いた。
その瞬間、レインの瞳が、一瞬だけ光ったように見えた。
「え……」
波はぴたりと止まったかと思えば、静かに収まった。ゆっくり、海に溶け込んでいく。
「なんだとっ!?」
水の竜がびっくりしている。
「レインくん、すごい……」
「当然ですよ。ぼくは魔王軍四天王なのですから」
私は魔法にあまり詳しくないが、たぶん、水の竜の魔法をレインが乗っ取ったのだろう。もちろん、並の人間がなせる業ではない。惜しまぬ努力の末に、やっとたどり着ける境地なのだ。
「なんですか、今の……」
チユが、あまりの芸当に絶句していた。彼女はその術者を探そうと、後ろを振り返った。レインはというと、そんなチユを気にも留めず、ただ水の竜をじっと見つめていた。
「小賢しい!」
竜が唸ると、今度は海が渦を巻いた。
「わー、ぐるぐる」
ティフォーネは自分が飛んで逃げられるからか、のんきに渦を観察している。
船は渦に逆らえず、次第に飲み込まれていく。
「これ、どうにかできるの!?」
「できます」
レインは指先を、渦とは逆回りに、くるくると回した。
「おもしろい」
ティフォーネは、レインの指の動きに合わせて、くるくると飛び回る。
レインは指を回す速度を、最初は速く、だんだん遅くしていった。それに対応して、次第に渦が収まっていく。
「……すご」
もうそれしか言えなかった。
竜も、口をあんぐりと開けて固まってしまっている。
「あの、今のはどなたが……!」
チユが立ち上がり、乗客に尋ねる。だが、誰も名乗り出ない。
名乗り出てしまえば、いろいろと面倒だ。伝説級魔物である竜の魔法を乗っ取ったなんて、どこの誰だか質問攻めにされるに決まっている。もしもそれでレインが魔王軍四天王だとバレてしまえば、また船がパニックになる。
そもそも、レインは長期休暇中であり、プニカメの島に行くために船に乗ったのだ。勇者に試練を与えるためでも、竜と戦うためでもない。正体が知られれば、プニカメの島を堪能できずに終わる。絶対に、それは避けなければならない。
「さっさと終わらせましょう」
レインは、聞こえないぐらいの声量で小さく呟くと、深呼吸をしてから水の竜に視線を向けた。
竜の頭の上に、水の球体が現れた。徐々に大きくなっていくそれに、まだ竜は気づいていない。
「誰だ! さっきから我の邪魔ばかりしおって!」
レインが作り出した水の塊は、水晶のようにきっちりとした球体になった。
「なんだ……?」
ようやく、竜は頭上の水に気づいた。その途端、それは竜の顔へ直撃した。
「ぶっ……!」
竜がたじろいだ隙に、レインは新たな魔法を展開する。
海から、いくつかの水の塊が取り出される。間髪入れずに、それは竜へとぶつけられた。
「……どうしましょう」
レインがぽつりと呟く。
「ん……?」
相変わらずの無表情だが、レインは少し焦っているようにも見えた。
「攻撃が効いていません」
「え、なんで……」
レインの言葉通り、水の竜は体制を整え直していた。見たところ、傷一つない。
「あの竜は魔法が得意ではないようです。おそらく、戦い慣れしていないのかと」
「なるほど……?」
「ですが、体が異常なまでに堅すぎます。あれでは、魔法も何も効きません」
「え……」
彼が断言するのだから、相当堅いのだろう。魔王軍四天王であるレインの魔法ですら効かないのだから、この場にいる誰の攻撃も通らない。
「唯一、望みがあるとすれば、勇者ですが……」
勇者を見ると、彼は「無理……人生終わり……」とぶつぶつ呟きながら、魂が抜けたように座り込んでいた。
「あれじゃあ、どうにもならないね」
これ、勇者のトラウマになるなんてことないよね。引きこもるなんて、本当にやめてほしい。お願いだから、これ以上勇者にストレスを与えないでください。
「……もう一つ、方法があるかもしれません」
レインは私を見つめた。その力強い視線に、私はただレインと目を合わせることしかできなかった。
「それは――」
彼は、竜という災害を鎮めるための、一つの案を話し始めた。