050 人質の思考ではない
私は目の前の扉を見た。その向こうには、蒼炎の騎士がいる。
「そこにいるのはわかっています。探知魔法を張り巡らせていますからね」
探知魔法とは、人の気配などを感じ取るための魔法だ。蒼炎の騎士は、扉の前に人がいることを確信している。今から移動したのなら、さらに警戒されて、蒼炎の騎士を閉じ込めることができなくなる可能性がある。
角の壁に隠れたレインを見た。彼は申し訳なさそうに(無表情のままだが)視線を右へ逸らしていた。
レインの存在は探知魔法で把握されているのだろうか。いや、レインの反応から察するに、気づかれてはいないのだろう。レインは一瞬立ち止まって、その後すぐに逃げやがったから、ただの通行人としか思われていないはずだ。
「私に話したいこととは、何でしょうか」
扉の向こうから、穏やかな声がする。もしも私が危険人物だったらと考え、刺激しないようにしているのだろう。相当警戒されている。
私は返答に困ってレインを見るが、彼はただ私を見守っているだけだった。
「えっと、ですね……」
とりあえず口を開いたはいいが、何を話そうか。何か、蒼炎の騎士との共通の話題。共通の……。考えて、私は一つ思いついた。
「あの、私……アストの友達です!」
どうにかなりますように。願いながら、レインを見ると、罪悪感からかそこだけ空気が曇っているような気がした。
「アストさんの?」
「はい!」
扉の前に仕掛けられているらしい探知魔法は、魔力も探知するものなのだろうか。だとしたら、とてもとても厄介だ。
早く結界を張ってこの場から脱したいが、魔力でばれたら、扉を開けられて、拘束されて、終わりだ。
私は魔王軍の人質だから、脅されてやったと説明すれば何とか助かるかもしれないが、レインは魔王城に帰ったらカオスに絞られ、コスモは一年間おやつ抜きの刑かもしれない。プラス反省文、百……いや千枚。
それを回避するためにも、絶対に無事に魔王城へ帰らなくてはならない(人質の思考ではない)。
「アストさんのご友人でしたか。それで、ご用件とは?」
扉は開かれない。まだ警戒されているようだ。
レインを見て、扉を指さしながら「結界張っていい?」と口パクで尋ねた。レインは首を横に振りながら、手でバツ印を作った。
「あ、アストは、元気ですか?」
「ええ、元気すぎるぐらいです」
「危なっかしすぎて、迷惑かけていませんか?」
何とか話を続けようとしたのに、急に返事がなくなった。
何か変なことを言っただろうか、ますます疑われた? そんなことをぐるぐると考えていると、扉の向こうから笑い声が聞こえてきた。
私もレインも驚いて、扉のほうへ目を向ける。
「ああ、すみません。どうやら、貴方がアストさんのお知り合いというのは、本当のようですね」
何がそんなに面白いのか、蒼炎の騎士の笑いは、しばらく止まらなかった。
「失礼しました。すぐ開けますから、お待ちください」
私は息を吐きだした。完全ではないかもしれないが、警戒を解くことには成功した。
けれど、蒼炎の騎士が扉を開けてしまう前に、結界を張り、彼を閉じ込めなければならない。
「シエルさん、結界を」
レインに言われ、私はすぐに結界を張る。どこからも抜けられないように、丁寧に、そして素早く。
張り終わるのとほぼ同時に、蒼炎の騎士は扉へ戻ってきたようだった。結界で覆われていて触れることができなくなった扉に、蒼炎の騎士は言葉を失い、息だけを吐きだした。
ガンッ、と結界を叩く音が聞こえた。だが、結界が壊された様子はない。
「やってくれましたね……」
蒼炎の騎士はぽつりとつぶやくと、八つ当たりをするように結界を殴った。
「その結界からは、どう足掻いても抜け出せませんよ、蒼炎の騎士さん」
レインが扉の向こうへ声をかけた。いつもの淡々とした口調。私はもう五年もずっと一緒にいるから何とも思わないが、レインのことをよく知らない人が、彼の冷たい声を聞けば、誰もが「怖い」と思うだろう。
「その声、レイン……!? 魔王軍四天王の、水魔法使い……」
信じられないといった様子で、蒼炎の騎士はレインの名を口にした。
蒼炎の騎士は、ミナモの町を襲った上級魔物、アイスネークの群れを追い払った英雄だ。それほどの手練れなら、一度くらい魔王軍四天王であるレインに挑んでいてもおかしくない。それでも、声を聞いただけでわかるなんて、相当耳が良いのだろう。
彼はすぐに深呼吸をして、落ち着きを取り戻した。
「……何が目的ですか?」
「言うと思います?」
蒼炎の騎士の穏やかな口調と、レインのとげとげしい口調がぶつかり合う。彼らの間には、火花が散っていた。幸い、扉と結界で遮られ、魔法のぶつけ合いになることはなかった。
「あなたは今回の計画において、最も邪魔な存在です。しばらくの間、そこでおとなしくしていてください」
「随分と勝手なことをおっしゃいますね。聞き入れられません」
カンッ、と金属のようなものが固いものにぶつかる音がした。おそらく、剣で結界を攻撃したのだろう。
「無駄ですよ。その結界は、ぼくでも壊せませんから」
「貴方にはできずとも、私ならどうでしょうね?」
「何を言いますか、あなたは何度もぼくに負けているではありませんか」
「そっ、れは……でも、レインは力が弱いですから、魔法をなしにすればすぐにねじ伏せられます」
「そんなことっ、ありますけど、そもそもぼくは魔法使いです。体術は専門外です」
だんだんと早口になりながら言い合う二人を見ながら、私は、レインが人見知りをしないなんて、蒼炎の騎士とは何度も戦ったことがあるのかな、なんてのんきに考え事をしていた。
「とにかく、ぼくたちの邪魔はしないでください。行きますよ、シエルさん」
「ああ、うん」
心の中で、「蒼炎の騎士さんごめんなさい」と言って、その場を後にした。