040 何がどうしてそうなった
あんなことがあった数日後。私はプニカメをぷにぷにする、いつも通りの日々に戻っていた。
薄い長そでをまくると、ちらりと青あざが見える。あっ、と思って、すぐにあざを隠した。が、遅かった。
「本当に申し訳ありません」
いつの間にか隣にいたレインが、どんよりとした空気を連れてきた。
私の腕のあざは、レインが強く握ったせいでなってしまったものだ。あの時のレインは、人質が逃げるのではと相当焦っていたから、仕方ないと言えば仕方ない。そもそも私は人質なのだから、そこまで気にしなくても良いと思う。
「あざになってるだけで、痛くはないから……」
「ですが、ぼくの不注意で怪我をさせてしまったことには、変わりありません」
レインは視線を右に逸らし、ぎゅっと目をつむった。無意識だったとはいえ、強化魔法まで使って強く握りしめてしまったことに、相当な罪悪感を抱いているらしい。
気持ちはわからなくもない。だって、もし私がレインに怪我をさせてしまったら、同じように考えるはずだから。とはいっても、彼は魔王軍四天王だから、そう簡単に怪我などしないだろうけど。
「シエルさん、結婚しましょう」
「何がどうしてそうなった」
少しだけ空いた扉の隙間から、歓喜に満ち溢れた瞳が、二つ覗いている。紫色と白色。見覚えしかないそれらに、何となく予想がつきながらも、私はレインに尋ねた。
「えーっと、そうなった経緯を教えてもらってもいい?」
レインはこくりと頷く。
「人間界から帰ってきた次の日に、シエルさんの腕のあざを見たときから、ずっと責任の取り方について考えていました」
「ほう」
「それで、魔王様とアイレさんに相談したところ、責任を取るには、結婚するしかないと言われました」
やっぱり。相談相手が間違っている。ランドあたりに相談すれば、もっといい方法を教えてもらえただろうに。
「うん、それはちょっと言い過ぎかな……。そもそも私、人質だし」
レインは首を傾げた。人質の意味を調べ直したほうがいいと思う。
「結婚っていうのは、一緒にいたいって思った人とするものでしょ?」
「なら、別に問題はありませんよね?」
私はその言葉を理解するのに時間がかかり、一瞬固まった。
「え……えっ!?」
私がたじろぐと、レインは自分の手と私の手を重ねた。
「ぼくはシエルさんと一緒にいたいと思っていますよ」
どうしてそういうことは、真っ直ぐ目を見て言えるのだろう。初対面の人には、「はい」と「いいえ」すらまともに言えないのに。
扉の向こうでは、謎の轟音と歓声が響いていたらしい。
「どうしてそう思ったの?」
「え」
私からそんな質問が飛んでくるとは思っていなかったのか、レインは少しの間逡巡した。
「どうして……あっ、プニカメについて語り合えますし。それから、ここにいるプニカメに懐かれていますし」
それまで少しだけ熱くなっていた頬が、すっと温度を失った。
「プニカメをぷにぷにする手つきはプロですし」
「レインくんの頭の中は、プニカメでいっぱいだってことは、よくわかったよ」
扉の向こうから、またもや轟音と、今度は嘆声が聞こえてきた。
◇◆◇
鼻歌を歌いながら、一人の男が路地裏を歩いていた。
この町は最近、コガラスの群れに襲われたらしい。他人事のように考えながら、男は不気味に呟いた。
「弓使いくんってば、いい子になっちゃってさ」
表情一つ変えず、冒険者に矢を放つ彼の姿を思い浮かべる。そんなイルが「いい子」なのかは微妙だが、この男の言う「いい子」には当てはまっているらしい。
「戦わずに済んだらいいなと思ってたけど、どうやらそうもいかないみたい」
残念そうにため息をつくが、それには喜びも混じっていた。
「勇者くんも短剣使いくんも、相変わらずで何よりだねぇ」
男はブローチ型の魔道具を取り出した。ひび割れたそれを、大事そうに撫でる。
「にしても、これが壊れるなんて、どんな強い魔法が使われたんだ?」
この魔道具を壊したのは、ほかでもない、コスモの通信魔法だった。やはり、魔王の膨大な魔力には敵わなかったらしい。あの時は、空気と同化した魔王軍四天王もいたのだ。魔道具に負荷がかからないわけがなかった。
「せっかく作ってもらったのに。謝っておかないとなぁ」
男は魔道具をポケットにしまう。ちらりと明るい広場の噴水を見て、薄暗い路地裏との対比にため息をつく。
「あの水魔法使いの女の子、何者? あんな量の水を、しかもあの威力で出すなんてさ……」
水魔法使いの女の子――レインのことだ。残念ながら、女の子に間違えられているらしい。
「戦うことになったら勝ち目ないんだけど」
そう言う割には、あまり悔しそうではない。それが何故なのかは、暗いために見えない表情からは読み取れない。
「あと、一緒にいた結界師の子。顔は隠れて見えなかったけど……」
男は結界師の姿を思い浮かべて、少し考え込んだ。
「あの子も厄介だよなぁ。結界、すんごい堅かったし」
風が吹いたタイミングの結界の張り方は完璧だった。あの後、結界師はすぐに帰ってしまったから、男にはどこの誰なのかはさっぱりわからない。
魔王城では、シエルが小さなくしゃみをしていた。レインが「風邪ですか?」と心配していたが、ただ噂されているだけだ。
「あーあ、めんどくさ」
男はそう吐き捨てると、路地裏から姿を消した。