039 帰ったら潰す
黙々と冒険者へ矢を放つイルを見ながら、レインは小さくつぶやいた。
「人は変われるものですね」
全く同感だ。
以前までのイルならば、アストの言うことに耳を傾けようともしなかっただろう。それに、町を守るという考えが浮かぶことも、なかったと思う。
あんなハチャメチャな方法では、イルの考えは変わらないと思っていたが、意外と簡単に人は変わるらしい。
「もう少しやり方はあったと思いますがね……」
人に矢を放つなんて、常識的に考えて許されることではない。声をかけても聞いてくれないのなら、たしかに眠らせるという方法も有効だが、それでも睡眠魔法を使うとか、もう少し穏便に済ませる方法はあったと思う。
案の定、冒険者の反感を買い、イルは弓を奪われていた。
「イルさんの課題は、近接戦闘術を身に着けることです」
「ん……? それはレインくんもじゃない?」
レインは数秒間、私の顔を見て固まっていた。図星だったのか、そっと視線を右に逸らした。
彼は信じられないほど力が弱く、近接でなら私でも勝てる。とはいえ、相当な距離を詰められなければ、水魔法でどうにかしてしまうのだろうけど。
一匹のコガラスが、レインの後ろに隠れていたテトの頭上にとまった。さっきチユが治療した、悪い人に怪我をさせられたコガラスだ。
「すっかり懐かれちゃったね」
テトは恐る恐るコガラスに手を伸ばし、羽にちょんと触れた。その柔らかさに目を輝かせ、彼は両手でコガラスをもふもふする。
その子以外の二匹は、早く帰りたいのか、じっと仲間のほうを見つめている。
「早く返して終わらせましょう」
そう言うと、レインは噴水に目を留め、そこに魔法を使った。勢いよく水が噴き出し、雨のように地面へ降り注ぐ。
呆気にとられていると、それを見計らったかのように突風が吹いた。コガラスと冒険者が引き離される。
「シエルさん」
声をかけられた意図を読み取り、私はコガラスと冒険者の間を分断するように結界を張った。これで、怪我をしてしまう人とコガラスを、これ以上出さずに済む。
冒険者たちは急に現れた見えない壁に、文句と暴言を吐いていた。イルは、その様子を蔑んだ目で見ていた。
「じゃあ、コガラスを返しに行こっか」
チユが声をかけると、テトは名残惜しそうにコガラスを持ち上げ、頭の上から降ろす。そして、大きく頷いた。
「あとは任せて、ぼくたちは様子を見守りましょう」
この場には、アストとイル、それから勇者もどこかにいるわけだし、私がシエルだと気づかれたらまずい。特にイルは、勘が鋭いらしく、すぐに見抜かれてしまいそうだ。
「コガラスさん、この子たちなら無事ですよ!」
冒険者たちはわけがわからないまま、チユとテト、それからコガラスの様子を見守っていた。
元気になったコガラスは、チユとテトの元を離れ、家族のもとに帰っていく。もふもふの羽毛同士が触れ合って、その時間はとても温かそうだった。
「あ……」
元気になった三匹のコガラスを見た、コガラスの大群は、ゆっくりとミドリ町から離れていく。
「元気でね、また遊びに来てね!」
大活躍であったテトは、コガラスに大きく手を振っていた。
冒険者たちは、手柄をとれなかったことにぶつぶつ文句を言いながら、その場からはけて行った。
イルは奪われた弓を返され、壊れたところがないか確認している。アストは不思議そうにしながらも、元気になったコガラスを嬉しそうに眺めていた。
「思ったよりあっさり終わったね」
「はい。ですが、本来の目的は達成できて――」
「あれ、イルじゃないですか!」
チユが、てくてくとイルに近づいていく。私たちはよく理解できず、言葉を失った。
「今回はお手柄だったな、チユ」
「え……熱でもありますか? 無理していませんか?」
イルが人を褒めるということも信じられないが、チユとイルが浅からぬ仲であることも信じられない。
「あれ、二人は知り合いなの?」
「はい! 弟みたいな存在です」
「僕のほうが二歳年上だって」
にへへーと笑うチユ。それを軽くつついたイル。この二人が知り合いだというのなら、別に魔王軍が手を出さなくても、じきに――
「彼女が前言ってた、勇者パーティーの新メンバー候補……治癒魔法使いのチユだ」
いや、もうすでに話がついていた。
隣で、レインがひゅーっと息を吸う音が聞こえてきた。けれど、何も言わない。いや、言葉が出てこないのだろう。
「改めて、よろしくお願いしますね。アストさん!」
チユはアストの手を握り、柔らかい笑顔を見せた。
そんな笑顔の裏で、私たちは燃え尽きていた。
「無駄足……でしたね」
「ホントにそうね」
背後からの声に驚いて、私たちは振り向いた。いつの間にかそこにいたアイレが、深くため息をついた。
「結局、補佐役ちゃん見つからなかったのよ。だから、あたしはコガラスと冒険者を離しただけだったわ」
レインの魔法を見計らったかのように吹いた突風は、アイレによるものだったらしい。
「いえ、おかげで安全に事を進めることができました。ありがとうございます」
遠い目をしながら、レインはアイレを見ずにお礼を言う。
きっと、レインが今考えていることはこうだ。あのクソ魔王、帰ったら潰す。レインはそんなに口が悪くないが、似たようなことを考えているだろう。
「リーダー! オレ、超すごかっただろ!」
「ああ、超すごいぞ。ミドリ町をすくった英雄だな!」
頭を撫でられているテトの頬に、柔らかいものが触れた。見ると、それは黒くてふわふわな――コガラスだった。
「お前、戻ってきたのか!?」
テトは、さっき仲間と一緒に帰ったはずの、小さなコガラスを両手で包み込んだ。テトに懐き、頭の上にとまっていた子だ。
「遊びに来ていいとは言ったけど、今じゃないだろ?」
コガラスはわかっていない様子で、テトの髪にじゃれた。
「わわ。もう、仕方ないなぁ……」
テトはまんざらでもない様子で、コガラスを撫でていた。
人間と魔族も、こんな風に仲良く手を取り合えたらいいのに。そうしたら、あの怖がり勇者は無理に戦わずに済むのにな、と思った。
ちなみにその勇者はというと、知らぬところでコガラスにつつかれて泣いていた。