015 化け物
「えっ」
思わず出た声に反応してか、草むらから飛び出してきたそれの動きが止まった。
焦った様子でこちらを振り返ったのは、紛れもないプニカメだった。組長の上にいる迷子のプニカメを見つけ、安心したようにぱあっと顔を輝かせた。
そのプニカメと、迷子のプニカメを見比べる。どちらも海のように透き通った青色をしていた。
「もしかして、お母さん?」
迷子のプニカメは、お母さんの温かい腕の中へ飛び込んだ。お母さんはそれを愛おしそうにぎゅうっと抱きしめる。
「よかったね。見つかって」
母プニカメははっとして、私たちに向かって身振り手振りで何かを伝えようとした。その目には焦りの色が浮かんでいて、ただ事ではないことだけは私にもわかった。
母プニカメの言いたいことを理解したらしい組長は、体をふるふると震わせながら後ろを振り返った。
「何かいるの?」
私が声を小さくして尋ねると、組長は来た道の方向へ指を指した。
「逃げろってこと?」
組長は激しく首を縦に振った。
『なになに、緊急事態?』
通信魔法で聞こえてきたコスモの声は、遠くからだんだん近くなってきていた。もごもごと話しているのは、何かを食べているからだろうか。
私たちをほったらかしにして、ひとり夕食をとるだなんて。あとでカオスとレインに怒られても知らない。
「え、何?」
気味の悪い冷気が背中を伝う。風ではない。プニカメが悪戯したわけでもない。ふわりと肌を撫でるそれは、まるで悪寒のようでもあった。
だんだん周りの温度が冷えていく。逃げようにも、足が地面に凍り付いてしまったかのように動かない。否――本当に凍り付いていた。
『シエル、何が起こってるの? 大丈夫?』
コスモの問いに答えたいのに、寒さと恐怖で言葉が出てこない。
カンシチョウで見えていないのかと、小さな白い蝶を探す。冷気で逃げてしまったのか、その姿はどこにもなかった。
プニカメたちを見る。母プニカメは子供を守るように抱きしめ、組長は冷気が流れてくる方向をじっと見つめていた。
私は何かの気配を感じ取り、咄嗟に結界を張る。と同時に、氷の塊が無数に飛んできた。
もしも結界を張るのが遅くて、組長たちに当たっていたら……。そう考えると、背筋が凍る思いだった。
結界が冷気で白く染まる。結界の向こうに何がいて、何が起こっているのか、私からは見えない。だが、この攻撃が魔物によるものだということはわかった。
攻撃が収まったのを見計らって、氷が張り付いて重たくなった結界を消した。
そこにいたのは、一匹の大蛇だった。白色の鱗は氷のように艶やかで、鋭い視線は突き刺すように冷たい。
怖気づいた親子のプニカメは、目を見開いてふるふると震えていた。
組長は勇敢にも、「あっち行け」とでもいうように大蛇を睨んでいた。正直、プニカメが睨んでも、ただただ可愛いだけだが。
「コスモさん、白い蛇の魔物に襲われてます」
『えっ、うそ、大丈夫?』
「結界を張ったので今のところはみんな無事です」
私はもう一度、結界魔法を使った。
私の結界はそれなりの衝撃には耐えられる。結界魔法には自信があるのだ。けれど、攻撃の魔法は一切できないため、私にはこの大蛇を倒すことは不可能だ。
大蛇は攻撃を再開する。当たればひとたまりもない、力強い攻撃。だが、結界にはひびすら入っていない。
『今、レインが向かっているから。それまで耐えて!』
私が組長を発見してから数分は経っているはずだが、レインはまだ来ない。
たぶん、組長を心配して走ったせいで、どこかでバテてしまっているのだろう。息を切らしながらこちらへ向かっている彼の姿が目に浮かぶ。
氷が張り付き次第に重くなっていく結界に少々の不安を感じつつも、私にはまだそんなことを考えている余裕があった。
私は結界の強度を上げ、次の攻撃に備える――が、攻撃は来なかった。標的が変わったのか、氷が割れる音だけは聞こえてくる。
私は白い壁となった結界を解除して様子を窺う。
「レインくん……?」
大蛇の視線の先には、木に手をついて息を切らしているレインの姿があった。どう見ても戦える状況ではない。
「えっと、大丈夫?」
「だい……じょ、ぶ……です」
『それは大丈夫とは言わない』
通信魔法が酸欠の脳に響いたのか、レインは頭を押さえた。
彼は魔王軍四天王だから心配は要らないと思いたいが、念のため彼の前に結界を張っておく。
それに気づいたのか、レインは大蛇からの攻撃をかわそうとはせず、呼吸を整えるのに専念していた。
「今度こそ、本当に大丈夫です」
私は大蛇の攻撃が来ないタイミングで、レインの前の結界を解除した。同時に、レインは水魔法を放つ。
それが大蛇の頭に命中すると、大蛇は断末魔をあげる間もなく倒れた。そして、その姿は透明な魔石へと変わる。
足元の氷が解け、動けるようになった。
「あっけな……」
レインは私たちのほうへ近づいてくる。プニカメたちは、そんなレインを尊敬のまなざしで見つめていた。
「怪我はありませんか?」
「私は大丈夫だよ」
組長は「自分も大丈夫」と手をあげる。親子はお互いの顔を見合わせると、こくりと頷いた。よかった、みんな無事だ。