001 勇者が来ない件について
「勇者が来ない件について!」
魔王軍四天王の執務室。その扉が、何者かによって突然開かれ、私たちは驚いて音の方へ振り向いた。
「五年経っても何もしてこない勇者に、ちょっかいをかけようと思います!」
来訪者は、まるでご褒美を買いに行く子供のようなテンションで言い放った。
私たちが頭にはてなマークを浮かべて口をぽかんとさせているのには構わず、彼は続ける。
「そこで、勇者のことをよく知るシエルに協力してもらおうと思ってるんだけど、どう思う?」
「え、私?」
思いがけず名を呼ばれ戸惑う私を見て、ペンを持ったまま固まっていた少年がようやく言葉を発した。
「待ってください、魔王様。話が全く見えないのですが」
それを聞いて、今度は来訪者――魔王コスモがぽかんと口を開けた。彼なりに、しっかりと説明したつもりだったのだろうが、私たちには一ミリも伝わっていなかった。
彼は少し考え込むと、落ち着いた口調で再度話し始めた。
「勇者にちょっかいかけようキャンペーンをしようと思っているんだけど、レインはどう思う?」
「……はい?」
コスモの話はますます意味がわからなくなっている気がする。
レインと呼ばれた少年はわけがわからないというように顔をかき、ため息を一つこぼす。
「ええと、勇者にちょっかいをかけて、一体どうするのですか?」
いつも通りの抑揚のない声でコスモに尋ねる。それは圧迫した重々しい空気を作り出したが、コスモはそれを吹き飛ばすような明るい笑顔で答える。
「魔王城に来させて、決闘する」
「ちょっかいをかけるというのは具体的にどのような?」
「それをシエルと一緒に決めようかなって思ったんだけど」
私たちは顔を見合わせた。
私と一緒に決めるとはつまり――人質に魔王軍の作戦(と呼べるのかわからないけれど)に協力させるということになる。ちょっとそれは問題なのではなかろうか。
レインも同じように思っているのか、コスモへと声をかける。
「あの、魔王様――」
「魔王様じゃなくて、コスモ様。なんなら、コスモお兄ちゃん、でもいいんだよ」
「……コスモ様。シエルさんは仮にも人質です。魔王軍の作戦に協力させるのはどうかと思います」
コスモは私に視線を移すと、ニコッと魔王らしくない明るい笑顔で笑いかけた。
「でも、シエルだって、なかなか助けに来てくれない勇者に一言、いや何言でも言ってやりたいでしょ?」
そりゃそう。
だって、勇者は「すぐに助けに行く」とか言っておきながら、五年経った今でもまだ最初のダンジョンすら攻略していないのだから。
さすがに遅いと思う。
「レインだって、早く勇者と戦いたいって思ってるでしょ?」
「そうですね。勇者に対抗するための魔法も考えてありますし、彼にどれだけ効き目があるのか試してみたいと思っています」
そういえば、魔王城に囚われてすぐのころ、レインは寝ずに勇者に勝つ方法を考えていた。
それはもうすごく頑張っていたから、私はひそかに応援していた。……私は勇者の味方のはず。
「だら? じゃあ決まりね。シエル借りてくから」
腕を掴まれ、びっくりして思わず振りほどこうと後ろへ一歩下がる。けれど、魔王の力は強く、簡単には離してくれなかった。
「待ってください、シエルさんを連れていかれるのは困ります」
ガタッと音を立てて勢いよく立ち上がったレインは、珍しく大きな声でそう言った。
「なんで?」
「……それは、その……」
レインは口をもごもごとさせながら、視線を左へと逸らす。何も思いつかなかったのか、レインは視線を足元へと落とした。
何だかちょっと悲しい。
「あれじゃないですか? 人質が魔王と一緒に歩いているのはおかしいとか」
「それです」
私が出した助け船に、レインは間髪入れず乗り込んだ。
「一応、人質の管理はぼくの仕事ですから、シエルさんをぼくから見えないところに連れていかれるのは困ります」
レインはこちらへ歩み寄ると、コスモの手から私の腕を離す。やっと解放された。
これでコスモも諦めるかなと思ったのだが、魔王はそんなに甘くなかった。
「じゃあレインも一緒に来ればいいじゃん」
「えぇ……」
今度はレインの腕がコスモに捕まる。いつもは感じられないレインの心情が、今ははっきりと伝わってきた。