99 同志ガソーリン
無事に主砲が直り、さあ反撃だと皆が乗り込んだまでは良かったのだが、ここで一つ問題が発生した。
杉野が乗り込んだと同時に、何故かエンジンが切れてしまったのだ。
しかも、少しずつ事切れるような切れ方だったので、杉野はなんだか嫌な予感がした。
「や、八坂さーん、どうしたのー? なんかエンジン切れちゃったみたいだけど」
「ちょっと待ってて、今忙しいんだから!」
杉野の問いに、八坂は不機嫌そうに答えた。
こうなると、下手に何か言ったりするよりはしばらく待っていた方がいいだろう。
そう考えた杉野がしばらく待ってみるが、一向にエンジンが始動する気配はない。
「おい、どうしたんだ? 早く始動し直せ」
痺れを切らしたエリックが聞いてみると、「あっ」という声がしてから、八坂の心細い声が聞こえてきた。
「いや、あの、燃料がなくなりました……」
「マジで!」「もうおしまいだー!」「なんてこったであります!」
坂田は驚き、杉野は絶望し、神谷なんかは天を仰いだ。
「いや、ちょっと待つのであります。KV-2のを使えばいいのでは?」
「それだ!」「ナイスアイデア!」「神谷もたまには良いこと言うじゃない!」
「えへへ、それほどでもありま――」
「無理だ。KVはディーゼルエンジン、こいつはガソリンエンジンだ。ガソリン車に軽油が使えないことくらい、免許持ってるお前らなら分かるだろう」
神谷のアイデアは、エリックの鋭いツッコミにより粉砕された。
「そんな、じゃあどうすれば……」
再び退路を断たれた杉野が嘆いていると、絶望のどん底に叩き落した張本人のエリックがニヤリと笑った。
「こんなこともあろうかと、秘密兵器を持ってきてんだ」
エリックは得意げに言ってから、食料と一緒に弾薬庫の一部を占有していたある物を取り出した。
それは、見た目だけなら金属製の樽って感じだ。
「それはなんでありますか?」
「これはな、石油生成装置だ。こいつに動物の死骸を入れると、勝手に石油を生成してくれるすげー代物なんだ。なんでも超高温でめっちゃくちゃに圧縮すると生成できるらしいんだが、まあ原理が分からなくてもガソリンは出てくるんだから問題ないよな」
エリックの適当な説明でも、それがトンデモない発明なことは明白であった。
石油を生成する? 精製じゃなくて?
そんなことができるのなら、それはもうノーベル賞ものだろう。
「ちなみに、名前とかってあるんすか?」
そこらへんをあまり理解していない坂田が呑気な質問を放った。
「ああ、『ミス・コンプレッション』って言うんだ」
「ミスってことは、その機械は女性なのですか?」
「作ったのが女性の研究者らしいぞ。なんでも、フルーツジュースを作ってたら閃いたとか」
開発秘話も気にはなるが、今はもっと重大な事を気にするべきだ。
そう思った杉野は、盛り上がっている会話に入っていった。
「あ、あの! それに入れる死骸はどうするんですか?」
聞かれたエリックは、何を言ってるんだとでも言いそうな顔で答える。
「そりゃおめぇ、あの骸骨の山を使えばいいだろ」
「あれですか!? それはちょっと、人道的にまずいんじゃ……」
死人で生計を立てている杉野が言えることじゃない気もするが、さすがにもの言わぬ死体をどうこうするのには抵抗があった。
「今更人道も何もないだろう。使えるもんは容赦なく使う、それが一番だからな」
しかし、そんな弱音がエリックに通じるはずもなく、わざわざ戦車から降りて、骸骨の山をいくらか貰うことになってしまった。
これほど罰当たりな事をしていて、果たして自分達はどうなってしまうのだろうか。
確かなことは、間違いなく天国には行けないだろうということだ。
骨を集めるのは、そう大変ではなかった。
死んでから相当な時間が経っているからそんなに臭くないし、骨自体もかなり脆くなっているので、何体かの遺骸を解体するのに僅か三分ほどしか掛からなかったのだ。
生成機に入れる時に大きすぎる大腿骨などは細かく折って入れるのだが、これもそう大した力もいらずに、ポキポキと子気味いい音を立てながら作業できた。
なんとなく、骨壺に遺骨を入れているような絵面になっているような気もするが、今は気にしないようにしておこう。
あまり気にすると、杉野の中の何かが崩壊してしまうような気がするから……。
大体三体分くらいの骨を生成機に入れたら、あとはスイッチを入れるだけで石油の生成からガソリンの精製までしてくれるらしい。
なんとも、便利な機械だ。
「あっポチッとな」
変な掛け声と共にエリックが生成機のボタンを押すと、中からガーガーと何かが回る音がして、徐々に生成器自体が小刻みに震え出した。
「そういえば、これって骨だけでもいいんですね」
「そうだな、一応は大丈夫なはずだ」
エリックからなんとも不安になる返答が返ってきた。
今からでもシャーマンの燃料を確保しに行くべきではないかと、杉野は不安になってきた。
「まあ、そう心配するな。きっと出てくるさ」
どうしてそうも自信たっぷりなのかは分からないが、今はこの機械を信じるしかない。
不安になりながらもひたすら待っていると、生成機の震えが止まり、チーンとベルの音が鳴り響いた。
「おっ、出来たみたいだぞ」
早速、エリックが生成機に付いている蛇口を捻り、その下にジェリ缶を置いた。
すると、奇麗な透明の液体が流れ出てきたではないか。
「これ、ほんとにガソリンですか?」
杉野はまだ疑っていた。
「そんなに疑うんなら、ちょっと嗅いでみろ」
エリックに言われ、杉野は渋々といった感じでジェリ缶の中の匂いを嗅いでみた。
それはまさに、ガソリンスタンドのあの匂いであった。
杉野はわりとあの匂いが好きだったので、間違うはずもない。
「ほら、ガソリンの匂いだろ?」
「確かに似てますけど……」
まだ杉野は信じられなかった。
こんなに簡単にガソリンが作れるのなら、今のエネルギー問題なんてとっくに解決しているだろう。
だがしかし、原油価格の高騰やらで杉野達ライダーは給油の度に苦い思いをしている。
杉野の不満を表情から悟ったのか、エリックはさらに付け加えた。
「こいつはな、まだ発明されたばっかりなんだ。だから、まだ効率が悪くて、個人用にこっそり使うくらいしかできない。いわば試作品なんだよ」
「そりゃそうでありますよな。こんなもんが市場に溢れたら、ガソリンスタンドなんて要らなくなりますし、中東辺りも黙ってないでしょう」
「ま、それもあるな。とはいっても、天然物の石油なんていつかは枯渇するんだから、こいつで本格的に生成するようにしねぇと、近い将来エンジン付きの乗り物に乗れなくなっちまうぜ」
そう話すエリックの表情は、どこか寂しげに見えた。
環境うんぬんは置いておいて、これが本物のガソリン生成機であることはもはや疑いようがない。
事実、出てきたガソリンをティーガーに入れたら、何事もなかったかのように始動したのだから、これ以上疑う方が馬鹿だ。
とはいえ、人間の骨から作った燃料で走る戦車なんて、なかなかヘビーな話だ。
重戦車だけに……。
給油できたら、さあ出発だ。
景気づけにシャッターを砲撃で吹っ飛ばし、開いた穴をくぐって外へ出る。
すると、倉庫を出てすぐ左側に、例のソ連製戦車が一両だけいた。
あのやけに車高が低いのは、おそらくSU-152だろう。
パッと見た限りでは他の車両は見当たらないので、はぐれたのだろうか。
「教官、SU-152を発見しました」
杉野が報告すると、めんどくさそうに頭を掻いたりしながら、エリックが振り向いた。
「今はお前が車長だ、杉野。毎回、俺に報告してこなくていいぞ」
「あっはい、分かりましたー」
そういえばそうだった。
今は自分がこのティーガーの指揮を任されているのだった。
倉庫での作業のほとんどをエリックが仕切っていたので、杉野はそのことをすっかり忘れてしまっていたのだ。
「それじゃあ、砲塔を九時の方向に回頭。装填手は次弾装填の準備を」
「了解であります!」「任せろ!」
車長の指示を、的確にかつ素早く実行した神谷達の連携はとても素晴らしいものだった。
主砲は瞬く間に敵を捉え、まだ気づいていない相手の横っ腹にしっかりと狙いをつけた。
「撃てぇ!」
杉野の号令により、ズドンと第一射目が放たれると、今か今かとそのタイミングを待っていた坂田は間髪入れずに次の砲弾を装填した。
一瞬のうちに次を撃てるようになったが、杉野はすぐには指示を出さなかった。
次を撃つ前に、まずはどれくらいの被害を与えたのかを確認しなければならない。
無力化した相手に撃ってしまったら、弾の無駄になるからだ。
杉野がキューポラから少しだけ顔を出し、硝煙と砂埃の中にいるであろう敵の姿を探した。
お目当ての物はすぐに見つかった。
横っ腹にティーガーの渾身の一撃を食らわせたSU-152が激しく炎上し、派手な火柱を上げていたからだ。
おそらく、中の砲弾が誘爆したのだろう。
「敵SU-152、炎上してます。撃破……でいいんですよね?」
聞いてきた杉野に、エリックは無言で頷いた。
「やっっったー!!!」「大戦果でありますぞ、杉野隊長!」「よくやったなぁ、杉野ー!」
久しぶりの撃破だったため、砲塔内はそれはもう喜びの嵐であった。
「まったく、一両撃破したくらいでこの騒ぎか……先が思いやられるぜ」
無事に敵戦車を撃破した一行は、最後のソ連製戦車であるSMKを探しに四方八方へ走り回った。
しかし、復活したティーガーにビビっているのか、SMKどころかM22すら見当たらない。
よく考えてみれば、当然だ。
あちらは多砲塔戦車とはいえ、そのうちの一つはティーガーの砲撃によって無力化され、車体の真ん中に鎮座する76.2mmの主砲しか残ってないのだ。
もし、自分達があちら側だったら、間違いなく撤退しているところだろう。
「もう逃げちまったんじゃねぇの。こんだけ探していねぇんだし」
ペリスコープから外の景色を眺めるのに飽きた坂田が欠伸をしながら言った。
「それはない。あいつらはまだこの遊園地にいる」
根拠もなしにエリックが反論してきたので、ムッとした坂田は装填手用のベンチにもたれかかると、そのまま不貞腐れた。
「へっ、そうかい。んじゃ、見つかったら起こしてくれや、俺はそれまで寝とくからよ」
「お前なぁ、何処に敵がいるか分からないんだぞ。そんな余裕ぶっこいてると、そのうち……」
エリックの説教は変なところで途切れた。
どういうわけか、それまでペリスコープを覗いていたエリックが硬直して、まったく動かなくなってしまったからだ。
「どうしたんですか? なんか、変なもんでも見たような……」
不審に思った杉野がキューポラから外を確認すると異様な物が見えた。
杉野達が探していたSMKの上に、無数の黒い骸骨が乗っていたのだ。
しかも、その骸骨達は倉庫にもあったAK-47や何処かで見たようなロケットランチャーを抱えて、今まさにこちらを撃とうとしていたのだからたまらない。
「敵SMKを発見! 壊れた前部砲塔の上に黒い骸骨がいっぱい乗ってます!」
「何時の方角でありますか!?」
「えーっと、十二時! 真っ正面!」
ペリスコープではなく、照準器で索敵していた神谷のせいで、主砲は真後ろを向いていた。
これでは、砲塔を回している間に撃たれてしまう。
というか、すでに小銃の乾いた銃声やティーガーのすぐ近くにロケット弾が着弾する爆発音が聞こえてきているので、実際はもう撃たれている。
「今から砲塔を回しても間に合わないでありますよ!」
「しょうがない……八坂さん、思いっきり加速してから左の履帯だけブレーキかけて!」
「えっ? わ、分かった!」
最初は動揺していた八坂も、すぐに杉野の意図を汲み取り、実行に移した。
およそ40kmほどのスピードでSMKへ近づいていたティーガーは、片側だけのブレーキにより、履帯をキキキーっと鳴らしながら軽くスピンした。
一回転半ほどの緩い回転のあと、ちょうど主砲がSMKに向いたところで杉野が指示を出す。
「今だ! 思いっきりブレーキを引いて!」
杉野がやりたいことをある程度分かっていた八坂は、その合図を待ってましたと言わんばかりに右の履帯へ思いっきりブレーキをかけた。
思惑通り、車体の回転は止まり、主砲はしっかりとSMKの第二砲塔を捉えていた。
「撃ってもよろしいでありますか?」
「ああ、うん。どうぞ」
「ヒャッハー! ぶち抜いてやるのであります!」
なんだか人が変わったような神谷の渾身の一撃――実際にやったのはティーガーだが――は見事にSMKの第二砲塔を貫き、中にいる骸骨と車体の上に乗っていた骸骨達を吹き飛ばした。
あとに残ったのは、二つの砲塔に大穴を開けた哀れな失敗戦車だけだった。




