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96 袋の中のティーガー

 アーケードで待ち構えていると、ソ連製の戦車達がお行儀よく一列に並んでやってきた。

 一番前にKV-2、その後ろにSMK、そして最後方にSU-152。

 いや待て、そのさらに後ろで蛇行しているのは、杉野達が散々追いかけまわしたM22ではないか。


「最後方にM22を発見しました!」


「おいおい、あっちから来やがったのかよ。ま、探す手間が省けたからいいけどよぉ」


「どうするのでありますか? 撃ってもよろしいので?」


「いや、まずは……そうだ、ここからは杉野が全部命令しろ」


「へっ?」


 急に振られて、杉野は情けない返事をしてしまった。


「シャーマンを二両も撃破したんだ。できないってことはねぇだろ」


「いや、その、あれだけの数を一度に相手するのはさすがに厳しいと思うんですけど」


「馬鹿野郎! やらなきゃ、やられるんだぞ!」


 車長席で縮こまりながら泣き言を言いやがった杉野に腹を立てたエリックがついに声を荒げた。


「でもでも、僕が指揮するよりも教官がやった方が確実ですし……」


「あのなぁ、それじゃあいつまで経っても成長しねぇだろうが。俺はいつでも居るわけじゃねぇんだぞ?」


 確かに、エリックの言うことはもっともだ。理にかなってる。

 しかし、杉野には目の前のデカブツ達相手に勝てるとは到底思えなかった。

 ティーガーよりも太い主砲、先程のシャーマンよりもデカい図体、そしてなによりも数的有利があちらにはある。

 こちらが世界最強の重戦車といっても、限界があるのだ。

 ただ、そんなことを言っても、エリックは納得しないだろう。

 エリックは数々の死線をくぐり抜けてきた、いわば戦闘のスペシャリスト。

 きっと、このような状況を何度も打開してきたに違いない。

 それに比べて、こっちは銃の訓練を受けているとはいえ、戦車に関してはまったくの素人だ。

 そんな人間にいきなり戦車四台を相手にしろというのは、やはりいくらなんでも無茶過ぎる。

 しかも、失敗すれば自分だけでなく、仲間達も死んでしまうかもしれないのだからやってられない。

 杉野が自信を喪失しまくっていると、呆れたエリックが妙に優しげなことを言ってきた。


「しょうがねぇなぁ。ヒントを出してやっから、そっから考えて指示を出せ」


「それなら、多分、できると思います!」


 エリックの優しさに今回ばかりは甘えることにした。

 プライドがどうとか、そんなことを言っている場合ではない。

 このままわーわー言い合っていたら、みんな仲良く死んでしまうのだ。

 そんなことを考えていたら、早速KV-2(頭でっかち)が撃ってきたではないか。

 威勢よく飛んできた砲弾はティーガーのスモークディスチャージャー――何本かの筒が砲塔に付いていて、ここから発煙弾を発射する――をもぎ取り、そのまま後ろの土産物屋に突っ込んだ。

 土産物屋の壁に当たったところで砲弾が爆発し、皿や窓ガラスが割れる音が耳をつんざく爆発音に混じって聞こえてきた。


「また派手にやりやがる。杉野、相手に撃たれたらどうするか、今のお前なら分かるよな?」


「はい! 神谷はとりあえず一番前にいるKV-2を撃って!」


「了解であります!」


「坂田さんと教官は、次の弾をすぐに撃てるように装填をお願いします。二人ならそんなにかかりませんよね?」


「あたぼうよぉ!」「へへっ、任せんしゃい!」


「では、まず一発目! 撃てー!」


「了解!」


 杉野の号令で、ついに反撃が始まった。

 爆音と爆風を撒き散らしながら、ティーガーの主砲が火を噴き、口径8.8cmの戦車砲から放たれた殺意マシマシな砲弾は頭でっかちなKV-2に飛んでいった。

 だが、現実はそう甘くない。

 砲弾は確かにKV-2の砲塔に当たったが、カキーンと気持ちいい音を立てて弾かれてしまったのだ。


「命中しました、が敵は未だ健在であります!」


「くっ、弾かれたか……杉野、次は他のを狙った方がいいぞ」


「な、なんでですか?」


 杉野が聞くと、次弾を装填しながらエリックが答える。


「殺れる奴からやった方が効率がいいからな」


「なるほど」


 言い分はもっともであったが、少々物騒な気がしないでもなかった。


「では、次弾は後ろにいる砲塔がいっぱいある……なんでしたっけ?」


「SMKでありますか?」


「そうそれ! そいつを狙って!」


「KVが邪魔で狙えないのであります」


「え!? えーっと……」


 どうするべきか悩んだ杉野は、助けを求めるようにエリックの方を見た。


「あーそうだな、今の位置から上手く狙えないなら、自分から動けばいいんじゃないか?」


「所謂、陣地転換でありますな」


「それを言うなら、陣地変換だ」


 神谷が間違った補足をしてくれたおかげで、エリックが助言を言ったことは他の人員には気づかれなかった。


「じゃ、じゃあ、えーっと、八坂さん、後進しながらちょっとずつ右にずれてくことってできる?」


「やってみないと分からないけど……」


 自信のなさそうなわりには、八坂の操縦はとてもスムーズだった。

 杉野の注文通りに右へすいーっとずれながら後退していくだけでなく、見えていないはずの障害物を見事に交わしていったのだ。

 アーケードまでの道中もそうだったが、八坂には戦車乗りの才能があるのかもしれない。


「これなら、撃てるのであります」


「よし、じゃあ準備ができたら撃ってね」


「とっくの昔に装填完了してるぜ、いつでも撃てる」


「ああそうなの、それじゃあ発射!」


「了解です!」


 二射目は走行中の発射だったため、前よりも難易度が高かったはずだが、神谷は見事にターゲットであるSMKへ命中させた。

 残念ながら、その一発で沈黙させることはできなかったが、二つある砲塔のうちの前に付いている小さい方を無力化できたらしい。

 その証拠に、さっきまでは一度に五発分の砲火が見えていたのに、今は四発に減っているのだ。


「SMKの前部砲塔、沈黙! 敵の火力を削ってやりました!」


「その調子だよ、神谷。あとは、もう一つの砲塔も――」



 カンッ!!



 突然、杉野の真横から甲高い音がした。

 撃ってきた砲弾が砲塔に掠ったのだろうか。

 そう思い、杉野がキューポラからちょこっとだけ頭を出して、さっき音がした方をチェックしてみると、そこには杉野達を散々おちょくってきた軽戦車がいた。


「あぁ!! M22が横に付きました!」


「なんだと! 八坂! 後進から前進に切り替えて、前にいる露助共の横を通って逃げろ!」


「りょ、了解しました」


 エリックの指示に、八坂は迅速に従った。

 ギアを変え、エンジンを唸らせて、ティーガーを思いっきり加速させる。


「ヒントを出すだけなんじゃ?」


 指揮権を取られた杉野がむすっとしながら聞くと、エリックはさっきとは打って変わって真面目な表情でこう言った。


「死にそうな時は別だ」



 急加速したティーガーはKV達のすぐ横を通り過ぎ、そのままアーケードを脱出した。

 あちらさんは練度が低いようで、しばらく右往左往した後、互いにぶつかりながら追いかけてきた。

 そのおかげで無事に逃げきれたのだが、杉野には少し気になることがあった。


「あれ、ほんとにテロリストなんですかね?」


「お前もそう思うか。まあ、わざわざ二次大戦時代のボロッちい戦車を持ち出してくるなんざ、テロリストがやることじゃねぇわな。最低でも冷戦時代のもんじゃねぇと使い物にならんだろうに」


「同じようなボロッちいのを貰ってきた人がここにもいますがね」


 坂田が茶化したように言うや否や、エリックの声色があきらかに不機嫌そうになった。


「いいか、こいつはかの有名なミハエル・ヴィットマンが乗っていたのと同じモデルだ。 そんじょそこらの量産型とは違う」


「でも、これって試作品だったんですよね?」


「まあ、そうだが……」


 坂田の反論に、それまで饒舌だったエリックの口が止まった。


「じゃあ、おんなじモデルも糞もないっすよ。だって、倉庫かどっかに眠ってたんですもん」


「戦中はそうだったかもしれんが、今日は計三台も撃破しただろ!」


「それも、結局は素人が乗ってたのを撃破しただけでしょ? そんなに大したことじゃ――」


「ちょっと黙っててよ! こっちは忙しいんだから!」


 二人の口喧嘩がヒートアップする前に、操縦席の方から八坂の苛立ちが混じった悲痛な叫びが聞こえてきた。

 それからは特に口論は起きていないが、車内の空気は最悪であった。



 敵を振り切り、一旦近くの倉庫に隠れて休憩することになった。

 シャーマンとの戦いからずーっと休みなしで動いていたので、これ以上はまずい。

 あまり無理すると疲れからミスを起こしてしまうかもしれないし、なにより車内のピリピリとした空気を多少なりとも改善したいのだ。

 どんよりとした空気を入れ替えようと、杉野がハッチを全開にした。

 すると、ティーガーのエンジン音に混じって、履帯が回るキュラキュラという音が聞こえたような気がした。


「なんか聞こえません?」


「あぁ? 別になにも聞こえねぇぞ。聞き間違いじゃねぇのか?」


「いえ、確かに聞こえました。なんかこう、キュラキュラって音が……」


 杉野が言いきる前に、その音がすぐ近くで聞こえてきた。


「そう! この音!」


 はて、さっきはもっと遠くの方から聞こえてきたはずだが……。

 杉野が疑問に思っていると、今度は耳元で爆音がした。


「な、なになに!?」


 狼狽えながら、杉野がキューポラから外の様子を窺ってみると、なんとあの頭でっかちことKV-2がすぐ目の前にいるではないか。

 正確にはティーガーの真後ろ、倉庫の入り口でこちらに砲塔を向けて、退路を塞いでいるのだ。


「教官! KV-2に見つかりました!」


「Shit! 休憩どころじゃねぇな。杉野、他にはいるか?」


「いえ、KVだけです」


「よし、それならお前が指揮して、あのデカブツを撃破してみろ。一対一ならやれるだろ?」


「多分、いけると思います」


 少々自信のない返事ではあったが、エリックはとりあえず納得してくれた。

 とはいえ、いくら一両だけとはいえ、こんな強そうな戦車に勝てるのだろうか。

 砲塔だけでなく、主砲自体もこちらより二回りくらいデカいように見えるのだが。


「まあ、そう心配するな。あっちは素人だ。こっちの主砲を潰されないかぎり、負けることはないだろう」


 エリックの励ましになっていない言葉はさておき、主砲を相手に向けなければ、勝てるものも勝てない。

 そのため、杉野は神谷に砲塔を回して、後ろにいるKV-2を狙うように指示した。

 砲塔がゆっくりと回りだし、KV-2へ主砲を向けた。

 そういえば、さっきからKV-2の砲撃音を聞いていないような気がする。

 なんだか嫌な予感がするのは何故だろうか。

 杉野はだんだんと不安になってきた。


「杉野隊長、狙いは定まりましたぞ。早く、発射の許可を」


「あ、ああそうだね。では、撃てぇ!」


 杉野の号令とほぼ同時に、大音量の砲撃音が鳴り響いた。

 しかし、それは自分達が乗っているティーガーのものではなかった。


「神谷、今撃った?」


 試しに杉野が聞いてみると、神谷が言いにくそうに答える。


「……撃てませんでした」


「な、なんで!? 相手は撃ってきてるんだよ! こっちも撃たないと殺されるちゃうのに」


「いや、撃とうとはしたのですよ。確かに、引き金は引いたのです。ですが、その……」


「言いにくいなら、坂田さん伝いでもいいけど」


 杉野が温情でそう言うと、神谷は早速坂田へ耳打ちした。


「ふむふむ、なるほど。なんか、撃った時の手応えがないんだって」


「手応え?」


 坂田伝いの神谷の言葉は、なんとも分かりにくいものだった。

 杉野はまだティーガーの主砲を撃ったことがないので、手応えがどうのと言われても分からない。

 いや、神谷を信頼していないわけではない、もちろん信じている。

 だが、この極限の状況でそんなことを言われても……。

 その時、杉野は思い出した。

 最初に聞こえた砲撃音とは別に、何かが目の前で爆発するような音が聞こえていたことを。

 その音の正体が気になった杉野は、再びキューポラから少しだけ顔を出して、周りの様子を調べてみた。

 目の前にいるKV-2は変化なし。

 他の車両が来ているわけでもない。

 それよりも、注目すべきものがすぐそこにあった。


「主砲が……壊れてる」


 なんと、ティーガーのあの猛々しい主砲がバナナの皮のように裂けていたのだ。

 主砲のまだ無事な部分に焦げた痕があちこちにあることから、神谷が撃った拍子に爆発したのかもしれない。


「おい、どうした杉野? 何かあったか?」


 車内からエリックの呼ぶ声が聞こえてきて、あまりのショックに呆けていた杉野は現実に引き戻された。


「あーいや、えーっと、主砲が壊れちゃったみたいなんすけど、これってヤバイですかね?」


「ほう、やられちまったか。ちょっと待ってろ、代わりのもんを送ってもらうように頼むから」


 エリックは思っていたよりも冷静だった。

 主砲が使えなくなったのだから、普通ならもっと焦るはずだ。

 それどころか、特に気にする風でもなく、何処かへ電話をかけ始めているではないか。


「あの~、ああなっちゃたら、もう撃てないんですよね?」


「ん? まあ、そうだな」


「それなら、どうしてそんなに冷静なんですか!? 敵はまだ目の前にいるんですよ!?」


「まあそう焦るな。あーもしもし、俺だ。早速だが、主砲の替えを送ってもらえねぇか?」


 狼狽える杉野を軽くいなしてから、エリックは電話の向こうへ拝みだした。


「あぁ!? しょうがねぇだろうが! 直で現場に行ったら、思ったよりもヤベェ奴らが相手だったんだよ」


 と思いきや、電話の向こうにいる相手に掴みかかるほどの勢いで怒鳴りだす。


「……あーそうだ、座標なんだがよぉ、ティーガーのちょこっと前の方に落としてくれねぇか。ああ、んじゃ、頼むぞ」


 軽い口喧嘩を経て、話がまとまったようで、最後に不穏な言葉を残してから、エリックは電話を切った。

 電話を切ってからもエリックの余裕な態度は変わらず、なんなら欠伸までしていた。

 それが気に食わないかのように、KV-2の砲撃音が響いてきた。

 車内はなんともなかったが、無傷では済まなかったらしく、何かが切れる音が聞こえた。


「ヤバいっすよ! このままじゃ、やられちゃいます!」


「あれ? バックしたら、右にそれちゃうんだけど」


「もうだめだーおしまいだー」


「杉野隊長! ダメ元でもう一発撃ってみてもよろしいでしょうか?」


「死ぬなら、祐樹さんと一緒に……」


 絶体絶命の状況に、車内はパニックになっていた。

 清水にいたっては、思い人との心中を望み始めている。


「あーもう、うるせぇ! お前ら、ちったぁ静かにできんのか!?」


 見兼ねたエリックの怒声が飛んできたが、若者達の耳には届くはずもなかった。

 それはそうだ、そのきっかけを作ったのは、他でもないエリックなのだから。

 主砲が裂けた時点で、何らかの対策を講じていればここまでの事態にはならなかっただろう。


「はぁーあ、やってられっかよ。いいか、あともうちょっとで代わりの主砲が来るんだよ。そしたら、全部解決するんだ。だから、それまで大人しく――」


 エリックの説得を遮るように、再び砲撃音が響いた。

 今回も車内にまで被害はいかなかったようだが、八坂の様子がおかしい。


「あ、あれ? 今度はなにやっても動かなくなっちゃった」


 どうにも、駆動系をやられたらしい。

 素人といっても、かなり慎重な性質(たち)なようで、完全に動きを止めてからこちらを食おうというわけだ。

 ただでさえ反撃ができないというのに、逃げることすらできないとなれば、もはや杉野達の死は確定したも同然だ。


「嗚呼、短い人生でありました」「バイク買ったばっかりなのに!」「こんなことなら、もっと遊んどきゃーよかったぜ」「死にたくない死にたくない、まだ死にたくないー!」「祐樹さんと一緒に死ねるなら本望」


 絶望的な状況に、杉野達は叫んだ。

 しかし、そんなのは気休めにしかならない。

 それでも、人は死に直面すると叫ぶくらいしかできないのだ。

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