91 シャーマン軍団とステーキ
ティーガーから降りて、シャーマンに近づいてみると、ペリスコープで見たよりも幾分か大きく見えた。
エリックの話では、シャーマンは背が高めなので、見た目だけならティーガーのような重戦車にも負けないらしい。
とはいっても、近くで見るとやはり中戦車は中戦車、主砲はそんなにゴツくないし、装甲だってティーガーに比べれば全然だ。
「結構、可愛いかも……」
それでも、その丸っこい外見はなかなかに可愛らしく、八坂なんかにはわりと好評だった。
「おい、出てこいよ! また、戦車の中で留守番か?」
「いいです。皆さんだけで楽しんでください。私はここで待ってますので」
そんな中、絶賛仲違い中のカップル二人がティーガーのハッチ越しに口喧嘩をしていた。
清水の口調が最初に会った時に戻っているような気がするが、坂田的にはどうなのだろう。
いつもよりテンションも低いし、清水への態度もなんとなく苛ついているようにも見えるから、あまり良くは思っていないのだろうか。
「ったく、すんません、遅れました。んで、どの車両に乗るんすか?」
「ああ、あの一番奇麗な奴に……ってか、お前らどうしたんだ? 喧嘩でもしたか?」
バカップル達が珍しく口喧嘩をしているのを見て、久しぶりの再開であるエリックが心配そうに聞いた。
「えっと、まあ、所謂倦怠期ってやつっすよ。教官も経験あるっしょ?」
「そりゃ~、俺も男だからそういうのは分かるけどよぉ、倦怠期になるにゃちと早すぎやしねぇか?」
「いいでしょ、べつに! んなことより、早く乗りましょうや! ほら、早く!」
坂田は誤魔化すような大声で答えてから、シャーマンの砲塔へよじ登った。
「はぁ~、めんどくせぇ奴らだな、ほんと」
深いため息を吐いてから、エリックはシャーマンの後ろへ回り込んだ。
気になった杉野はキラキラした目をした神谷やちょっとめんどくさそうにしている八坂を置いて、エリックの後を追ってみた。
エリックはシャーマンの後ろに取りつき、ティーガーを始動させる時にも使ったL字型のハンドルを持って右往左往していた。
「なにしてんすか?」
「いや、どっかにこいつを挿す穴があるはずなんだが……ぼけっと見てねぇで、お前も探せ!」
「へーい」
怒られてしまった杉野が軽く探してみるも、建物の中が思ったよりも暗かったので、なかなかお目当ての穴を見つけられなかった。
二人が始動用の穴を探して四苦八苦していると、唐突にシャーマンのお尻から白い煙が出てきた。
それと同時に、重戦車のティーガーよりかはいくらか軽いエンジン音が聞こえてくる。
「なんだぁ、勝手に点きやがったぞ」
「先に中に入った坂田さんがセル回したんじゃないんですか?」
「そいつはありえねぇ。ここは廃園から二十年以上経ってんだ、バッテリーなんざとっくの昔に死んでるはずだが……」
エンジンが点いた理由を探っていると、ハッチから全身煤だらけになった坂田が飛び出してきた。
「おーい! セル回したら、簡単に点きましたよー!」
「まったく、あいつは勝手なことばかりしやがるなぁ」
「いいじゃないですか、無事に点いたんですし。さ、早く乗りましょう!」
シャーマンのエンジン音を聞いて、杉野はアメリカ製戦車に乗るのが俄然楽しみになっていた。
早速、こちらもまたワクワクした表情の神谷と一緒にシャーマンの砲塔へよじ登り、坂田が這い出てきたハッチを覗く。
すると、砲主席や照準器、隅の方にぎっしり並べられた砲弾に至るまで、煤のような黒い粉がこびり付いていて、車内の何処を見ても真っ黒だった。
見ると、ハッチの裏側も見事に粉だらけだ。
試しに指で拭って、匂いを嗅いでみると、何処かで嗅いだような鉄の匂いがした。
どうやら、これは煤などではなく細かい鉄粉らしい。
そういえば、さっき出てきた坂田もこんな感じの鉄粉にまみれていた。
おそらく、車内に入ってから色々といじったせいで、身体のあちこちに付いてしまったのだろう。
「教官殿! これを見てください! 何処もかしこも鉄粉だらけであります!」
「あぁ!? なんだってこんなに汚れてんだよ? 俺が乗った時はピッカピカだったぞ」
エリックが乗ったのは子供の頃なので、埃が溜まっているなら分かる。
しかし、埃ではなく鉄粉が溜まっている、というかこびり付いているのはどういうことなのだろうか。
「誰かの悪戯とかじゃねぇの? 樹海の方にも、そんな感じの焼け跡があったし」
シャーマンと同じように、服も顔も鉄粉だらけな坂田が恨めしそうに言う。
「いや、こんな樹海の奥まで来て……ちょっと待った、焼け跡ってなんのことだ?」
坂田の恨み節に異を唱える途中で、エリックが怪訝な顔つきで聞いてきた。
「あぁー、樹海のキャンプ場に放火した跡があったんすよ。あれやった奴がここに辿り着いたんじゃないですか? ここからわりと近いし」
「わざわざ樹海まで来て、やることが放火かよ。そいつは相当な暇人だな」
「あっ、あとなんか変な破片が落ちてたんだっけ?」
「そうですそうです! 確か、このシャーマンと同じ75mm砲の……」
そこまで言うと、神谷はハッとした顔をしてから、シャーマンの車内へ潜り込んだ。
「ちょ、お前までまっくろけになるぞ!」
坂田の忠告が届かなかったのか、それとも何か重大な事に気づいたのかは定かではないが、神谷はなかなか戻ってこなかった。
もしや、何かあったのかと一同が心配になってきた頃になって、神谷がようやっとハッチから顔を出した。
「見てください、これ! あの焼け跡にあった破片と同じ印字で口径も同じですよ!」
まっくろけになった神谷がシャーマンから取ってきたのは、鉄粉だらけになった砲弾だった。
その砲弾の弾頭部分にこびり付いた鉄粉が拭われると、「75G」という印字がはっきりと見えた。
「ってことは、誰かがこのシャーマンを使って、そのキャンプ場を砲撃したってのか? なかなか面白いジョークだな」
「ジョークなんかじゃないですよ! ちゃんと写真も撮ってきたんですから」
そう言って、神谷が取り出したのは昔懐かしいインスタントカメラであった。
「こいつは現像しないと見れねぇぞ」
「えっ、マジでありますか?」
あまりのショックに、神谷は持っていたカメラを地面に落としかけた。
「うおっと、あぶねぇ」
間一髪のところで坂田がキャッチしたから良かったが、あとちょっとで貴重な物的証拠を消失してしまうところだった。
「にしても、そんな懐かしいもんよく持ってるな。お前らが子供の頃にあったかどうかってくらい古いもんだぞ」
「ああいえ、これはそのキャンプ場で拾った物なので」
「なるほどな。そうなると、ちゃんと撮れてるかは分からんぞ」
神谷の盗み癖はともかく、残念ながらキャンプ場砲撃事件はいとも簡単に迷宮入りしてしまったのだった。
結局、シャーマンに乗るのは断念した。
鉄粉で汚れるのが嫌なのではなく、もしもの時に指紋やらなんやらが付いたりしたらヤバそうだからだ。
すでに若者数名が触ってしまったが、まだ鉄粉を少し拭ったくらいなので、これ以上いじらなければ大丈夫だろう。
さらに言うなら、樹海のど真ん中で戦車に乗って、小屋を砲撃するような人間と同じ事をするのはさすがに恥ずかしいというのもある。
杉野達はまだ若いが、分別のつかない子供ではないのだ。
乗るのを諦めて、ずらっと奇麗に整列しているシャーマンを眺めていると、ふと、疑問が湧いてきた。
アメリカ製の戦車というのは、どうしてこうも同じような見た目ばかりなのだろうか。
どうにも気になってきた杉野は、思い切ってエリックに聞いてみることにした。
「あのーちょっと聞きたいんですけど……」
「ん? なんだ? 俺が分かることならなんでも答えるぞ」
「えっと、なんでアメリカの戦車ってどれも同じような見た目なんですか?」
杉野の素朴な質問に、エリックが興奮気味に答える。
「なに言ってんだ!? 全然違うだろ! さっき乗り込んだのは『M4A1』、その隣のは『M4A3E2』、さらに奥のが『M6A1』、んで一番奥のちっこい奴が『M22』だな」
「全部一緒じゃないですか!? いや、最後のはあきらかに小さいんで分かりますけど、他はまったく一緒ですよね」
「よく見てみろ。M4A1はあの中じゃ古めのシャーマンだから鋳造車体なんだよ。あれは車内が狭いから、俺はあんまり好きじゃねぇな。んで、あっちのM4A3E2は突撃戦車つって、歩兵の盾になって突撃を敢行する、いわば部隊の要だ。お前らもあんな風になれるように頑張れよ」
「いや、そういう自己犠牲みたいなのはちょっと……」
「おいおい、それじゃあモテねぇぞぉ」
「余計なお世話です!」
痛い所を突かれた杉野は、つい大袈裟に反応してしまった。
そのせいで、後ろで聞いていた坂田が背中を小突いてきてうざかったが、エリックの解説をもっと聞きたかったので無視した。
「それじゃ、次の戦車の説明をするぞ。次のはちょっと見た目がゴツイから分かると思うが、お前らがさっきまで乗ってたティーガーと同じ重戦車だ。このM6A1は正確にはシャーマンじゃねぇ、その証拠に砲が二つ付いてるだろ? ああいう戦車は世界的にも珍しいんだよ」
「二つ付いてるとなんか良い事があんのかよ?」
さっきまで杉野を小突いていた坂田が唐突に質問した。
「そりゃお前、二つあれば二箇所を同時に砲撃できるだろ。小さい副砲の方に榴弾でも積んどきゃ、いざって時に便利だしな」
「そのいざって時って?」
「歩兵に詰め寄られた時だよ」
杉野は榴弾で撃たれる哀れな歩兵を想像してしまって、少し気分が悪くなってきた。
「まあ、大抵は砲塔に付いてる機銃を使うから、わざわざ榴弾を使うことはそうなかっただろうけどな」
「もうそれ、副砲いらないんじゃ?」
「いるに決まってんだろ! 主砲以外にも撃てるってのが重要なんだよ」
ドイツのティーガーとは違って、アメリカの重戦車は個性的なのだなというのが、杉野の素朴な感想であった。
「そんで、最後にM22だな。こいつは所謂軽戦車だ。早くて脆くて弱い。だから、基本的に偵察に使われてたらしい」
「へぇー、にしてもちっこいな。車より小さいんじゃねぇか?」
「こいつはなぁ、デケェ輸送機に乗っけて何処へでも運べる空挺戦車なんだよ。まあ、イギリスくらいしか運用できなかったらしいがな」
「じゃあ、やろうと思えばティーガーで引っ張って持ち帰れたりもできるんですかね?」
「できないことはないが、あれは俺の趣味じゃねぇからな。持って帰ったとしても、間違いなく乗らなくなるだろう」
「教官殿はドイツ戦車がお好きですからな、自国の戦車は見飽きているのでしょう」
男三人が戦車話に花を咲かせていると、何処からかぐうぐうと腹の虫が鳴いているような気の抜けた音が聞こえた。
「すいません、今朝はあんまり食べてなかったので……」
音自体はあきらかに八坂の方から聞こえていたが、杉野はなんとなく身代わりをすることにした。
下心がないと言ったら嘘になるだろうが、やらぬ善よりやる偽善とも言うし、このくらいなら嫌われたりしないだろう。
「おぉ、もうそんな時間か。んじゃ、軽く飯でも作るかね」
現在時刻はもうすぐ午後一時になろうとしていたので、ある意味よかったのかもしれない。
あのままだと、日が暮れるまでエリックの長話を聞かされるはめになりそうだったし。
この廃遊園地に来るまでに、杉野達が口にしたのはチョコバー一本くらいだった。
ミーティングなどで忙しく、まともな朝飯などは食えなかったのだ。
なので、昼飯はなるべくガッツリ食いたい。
そのことをエリックに伝えると、ニヤリと笑いながら自身満々な答えが返ってきた。
「安心しろ。戦車にアメリカで調達した食料を丸三日分は詰め込んであるからよ。今日は俺の帰還祝いだと思って、いっぱい食え」
それを聞いて、杉野達は少し心配になってきた。
以前、エリックが消費期限が切れそうだからと無理やり食わせてきたアメリカ製の戦闘糧食、通称「MRE」がトンデモなく不味かったからだ。
もしや、今度も同じような不味い戦闘糧食を食わせる気だろうか。
そうなったら、さすがの杉野達でも我慢ならない。
しかし、杉野達の心配とは裏腹に、ティーガーの中からエリックが持ってきたのは何枚ものステーキ肉だった。
ガッチガチに冷凍されていたらしく、外に出された今も白い煙をまとっている。
「帰ったらこいつを焼いてやろうと思ってな。どうだ、嬉しいか?」
エリックが出してきた最高の食材に、杉野達は一瞬固まってしまった。
「やったー!!」「牛だー!!」「ステーキであります!!」
しかし、すぐに歓喜の雄叫びを上げ、男三人で万歳三唱をしてしまうほどに喜んだ。
「あんた達はほんとに単純ね」
などと、平静を保ったように言った八坂だが、ほころんだ口元を見れば喜んでいるのは明白だ。
「はぁ……」
そんな中、あまり嬉しくなさそうな者が一人。
このところ、めっきり口数が減ってしまった清水だ。
というのも、彼女は最近ダイエットを始めたようで、毎日の食事をパンとサラダだけに制限して、杉野達に交じってトレーニングをしたりと、かなり本気で痩せたいらしい。
それなのに、あんなカロリーの高そうなステーキを食べるなんて、いくら朝飯を抜いてきているとはいえ、あまりにも罪深い。
「ああそうだ。他に積んできてるのは堅パンと粉ミルクくらいしかないから、向こう三日は毎食ステーキが出ると思ってくれ」
エリックが付け加えた一言は、清水をさらに追い詰めた。
仕事が長引けば長引くほど、カロリーは増え、体重も間違いなく増えるだろう。
ならば、パンと牛乳だけ食えばいいのではないかと思うかもしれないが、一日中働くのにそれだけではそのうち倒れてしまうかもしれない。
故に、おかずを抜くという選択肢を取ってはならんのだ。
「……私も手伝います」
清水は全てを諦めて、調理の準備を進める若者達に交じることにした。
せっかくなので、調理は明るい外でやることになった。
建物の中でやってもいいが、如何せん埃が多いので、料理の味に影響しそうだというエリックの判断だ。
外に出てすぐの所にティーガーに積んでおいたファイヤーピットを設置したら、早速調理を始めよう。
まず、ステーキに下味を付ける前に軽く日光に当てて解凍する。
大体五分ほどして、肉が柔らかくなってきたら、まな板に移して下味を付けていく。
今回はシンプルに故障と岩塩だけで味付けし、香りづけに軽くバジルを振りかけた。
しっかりと両面に擦り込んだら、熱々に熱した鉄板の上へ一枚一枚丁寧に並べていく。
焼くのはエリックの仕事なので、杉野達は同時進行でソースを作っていこう。
ソースとはいっても、そこまで凝ったものではない。
醤油とおろしにんにく、それに塩胡椒を加えた比較的シンプルな代物だ。
エリック曰く、「良い肉はシンプルに味わうのが一番美味い」とのことだ。
鉄製の小さなコップの中へ素材をぶち込んだら、肉と一緒に鉄板に載せる。
あとは、放っておけばアチアチの美味いソースが出来上がるという寸法だ。
それから肉の表面が良い色になるまで焼いたら、肉を火から上げ、アルミホイルに巻いて休ませる。
三分くらい休ませたら、お皿に一枚ずつ載せていき、そこへ出来たばかりのソースをかけていく。
ステーキを焼いているついでに沸かしたお湯で溶いた粉ミルクと堅パンを添えたら、豪勢なお昼ご飯の完成だ。
「そんじゃ、いただきます!」
「いただきまーす!」「まーす!」「ます!」
皆、相当腹が減っていたようで、食事前の挨拶もそこそこに肉へ食らいついた。
杉野も同様に分厚いステーキにかぶりついてみると、肉汁が口の中にじゅわっと広がった。
その肉汁がまた醤油ベースのソースと合って、格別に美味い。
肉自体は、黒毛和牛のような脂が多めのものとは違って、とても肉々しい食いごたえのある味だった。
「そういえば、この肉って何処の部位なんすか?」
坂田が自分のステーキを半分くらい食い終わったところで、エリックへ質問した。
なかなかに赤身らしい肉だが、果たして何処の部位なのだろうか。
「こいつは確かランプ肉だったかな。お尻辺りの部位だな」
「お、お尻すか」
それを聞いて、それまでバクバク食っていた坂田の手が止まった。
「そう気にするな。肉なんて、美味ければどれも一緒だ」
そう言うと、エリックは自分の皿にある最後の肉片を口に放り込んだ。
そういえば、肉に夢中で堅パンを食っていなかった。
堅パンというくらいだから、さぞかし堅いのだろう。
杉野は覚悟を決めて、堅パンに齧りついた。
ガキィンと音がするほどの勢いで噛んだが、堅パンはビクともしなかった。
いくら堅いとはいっても、ここまで堅いとは思わなかった。
「あのー、このパン堅すぎませんかね?」
「ああ、それな。牛乳に浸して食べるんだよ」
エリックに正しい食べ方を聞いた杉野は、早速まだ飲んでいない牛乳に堅パンを浸してみた。
牛乳を吸い込んだはずの堅パンは、見た目だけならさっきとまったく変化していない。
思い切って齧ってみると、さっきとは打って変わって楽に噛み切れた。
堅パン自体にはほとんど味が付いていないが、牛乳の味がしっかりとしみ込んでいて、とても美味しい。
試しに牛乳だけ飲んでみると、これがまた粉ミルクとは思えないほどに美味しかった。
「これって、普通の粉ミルクじゃないんですか?」
「そいつは全粉乳つって、脂肪分も入ってる粉ミルクなんだよ。普通の脱脂粉乳だとこうはいかねぇな」
そう言うと、エリックは大ジョッキに注がれた牛乳をゴクゴクと喉を鳴らして一気に飲み干した。
「ぷはぁっ! 美味い!」
こうして、今迄で一番豪勢な昼食は和やかに過ぎていった。




