88 ぱんどらぱーく
エリックが来てくれたおかげで、直近の危機を回避し、さらには現場までの足も確保できたのは良かった。
ただ、少々面倒なことになった。
というのも、戦車の前半分が熊の血や内蔵でぐちゃぐちゃに汚れてしまい、それを落とさなければならなくなったのだ。
確かに、エリックが来なければ自分達は、特に坂田と清水の二人は間違いなく食い殺されていただろう。
しかし、貴重な飲み水まで使って、戦車を洗うなどあまりにもアホらしい。
こんなことをしてる暇があったら、さっさと先に進むべきではないかと杉野は思ったが、久しぶりのエリックが怖すぎて、直接言う勇気はなかった。
それから二十分もかけて、戦車を洗車したのだった。
冷たい水を使ったので、それはそれはきついものだったのは言うまでもない。
戦車が奇麗になったところで、エリックから指示が飛んできた。
「よし、てめぇら! 戦車に乗り込め!」
今回の仕事はなかなか派手なことになりそうだ。
そんなことは、エリックが帰って来た次点で分かり切っていたことではあったが、戦車に乗るのなら更なる激しい攻防が待っているのだろう。
いや、ドンパチやるのが嫌いなわけではないのだが、如何せん危険な事が多いので、杉野的にはあまりよろしくない。
特に、今は神谷という怪我人がいるのだから、戦闘なんてご法度だ。
まあ、戦車の外で神谷を背負いながら戦うよりかはマシだろうが。
戦車に乗るのはいいのだが、ここで一つ問題が発生した。
このティーガー、正確にはⅥ号戦車ティーガーH1型に乗れるのは五人まで。
今いるのは怪我人の神谷も合わせて、六人。
これでは、誰か一人随伴に出なければならないのではないかと杉野達は不安がったが、エリックの計らいでどうにかなった。
それは、神谷を操縦手席の後ろのスペースに寝かせればいい、というなんとも強引な策だった。
確かに、操縦手席の後ろには人一人がギリギリ寝られるスペースはあるが、かなり危険が伴うだろう。
何故なら、神谷の寝床のすぐそばに炸薬がガッチリ詰まった砲弾が所狭しと並べられているからだ。
もし、何かの手違いで爆発しようものなら、怪我程度では済まない。
いや、それ自体は他の面々も同じくらい危険なのだが、なにより問題なのは神谷が怪我をしていることだ。
もしもの時に、満足に動けない状態ではそうすぐに逃げられないだろう。
さすがの杉野も神谷が可哀そうになってきたので、何処か他の場所に寝かせてやれないかとエリックに意見具申してみたが、他にスペースがないと言われてしまった。
「大丈夫でありますよ。こう見えても、逃げ足は早い方でありますから」
神谷はそう言ってくれたが、やはり心配だった杉野はせめてもの情けとして、リュックに詰め込んでいた毛布を渡してやった。
これで、少しは暖かく過ごせるはずだ。
怪我人を安置したところで、次は各人員の配置を決めていく。
とはいっても、基本的に三号戦車に乗った時と同じような配置だ。
装填手は坂田、砲手は杉野、通信手は普段オペレーターをやってる清水、そして神谷の代わりとなる操縦手は本格的に戦車を触るのは初めてな八坂にやってもらうことになった。
「ちょっと、このレバー重すぎません?」
「重戦車なんだから、そんなもんだ。嫌なら、装填手をやってもいいんだぜ」
「……分かりましたよ。やればいいんでしょ、やれば」
渋々、八坂が渾身の力でレバーを倒すと、戦車がガクッと動いた。
しかし、前には進まず、すぐにエンジンが切れてしまった。
「あーあー、クラッチを繋がねぇうちにギアを入れちまったからエンストしちまったじゃねぇか。坂田! 杉野! 一緒に来い。エンジンの再始動だ」
「へーい」「はいはい」
先に出ていった車長のエリックに続いて、杉野と坂田の二人もゆっくりとキューポラから車外に出る。
すると、秋の寒々とした北風が杉野達の顔に吹きつけてきた。
「くぅー寒い! 早いとこエンジンかけて戻ろうぜ」
「そうしましょう。エンジンさえかければ、車内も暖かくなりそうですし」
先程までは、ロケットで飛んできた時から点いていたエンジンのおかげで、車内は快適な温度となっていた。
だが、八坂がエンストさせてから一分も経たないうちに、ほとんど外と変わらないほどに冷え込んでしまったのだ。
神谷に毛布を渡しといて良かったと思うと同時に、杉野は少し後悔してきた。
あの毛布があれば、外での作業中も少しは暖かく過ごせるはずだったのだ。
まあ、今更言ってもしょうがないのだが。
「いいか、エンジンをかける時は勢いとタイミングが大事なんだ。なるべく一発で決めろよ」
「分かってますよ。よっしゃ、頑張るか、杉野!」
「はい!」
坂田の掛け声に答えてから、杉野は戦車の後部にあるクランクシャフトの先端に通じる穴に挿された始動用のL字型ハンドルを握った。
このハンドルを回して、クランクシャフトを手動で回すのだが、如何せん重戦車なもので、とても重い。
坂田と力を合わせて回そうとはしているのだが、うんともすんとも言わない。
「ったく、しょうがねぇなぁ」
これでは埒が明かないと判断したのか、エリックもハンドルを握り、思いっきり回す。
すると、さっきまで石のように動かなかったハンドルがキィキィと音を立てながら回り始めたではないか。
ある程度勢いがついてくると、エリックがハンドルを離した。
しかし、勢いが乗ったハンドルは軽いままで、さらに早く回すこともできそうだ。
それからしばらく回していると、くわんくわんとエンジンの回りそうな音がしてきた。
「よーし、それくらいでいいぞ。んじゃ、あとはこいつを押してやれば……」
エリックがハンドルの付け根当たりをいじると、戦車の尻に付いている煙突のようなマフラーから白い煙がぶわっと出た。
それと同時に、猛々しいエンジン音が小気味良いビートを刻み始める。
「よくやった! んじゃ、ちゃっちゃと戻るぞ。寒くて、凍えそうだ」
「りょうかーい」「へーい」
適当な返事を返してから、杉野達はエンジンの熱で暖まってきた車内へと戻っていった。
車内はもうすでにかなり暖かくなっており、なんなら汗ばむほどだった。
昔の戦車なので、断熱素材などは使ってないし、エアコンもない。
寒いのはキツイが、これだけ暑いとそれはそれで大変そうだ。
とはいえ、贅沢を言ってはいられない。
あのまま寒い中を歩いていたら、いつかは風邪を引いてしまうだろし、また熊が出てくる可能性だってゼロではない。
この人里離れた樹海の中、安全な戦車の中でぬくぬくと過ごせるというのは、トンデモなく恵まれているのだ。
そういえば、毛布を渡してやった神谷はどうしているのかと、杉野が自分の足元を覗いてみると、毛布にくるまれた汗だくの神谷の姿を見つけた。
おそらく、毛布にくるまったはいいが、あまりにも車内が狭すぎて、筒状になった毛布から抜け出せなくなってしまったのだろう。
「おーい、神谷ー! 大丈夫ー?」
「だ、大丈夫であります! 自分のことは気にせず、どうぞ戦車を動かしてくださいませ」
本人が大丈夫と言っているのなら、問題ないだろう。
とはいえ、心配ではあったので、自分の飲み水である麦茶入りの水筒を神谷の顔のすぐそばに置いてあげた。
多分、というか間違いなく脱水症状になるだろうから、いつでも飲める位置に置いた方がいいだろうという杉野の粋な計らいだ。
ただ、揺れが激しい車内でお茶を飲むのはなかなかに難儀しそうだが。
エンジンからの熱に慣れた頃、キューポラから顔だけ出して前を見ていた車長のエリックが嬉しそうな声を上げた。
「お前ら、見えてきたぞ!」
「何がですか?」
操縦手の八坂以外は基本的に外が見えないので、代表して杉野が聞いてみる。
「そりゃおめぇ、今回の目的地の『ぱんどらぱーく』に決まってるじゃねぇか」
樹海に入って約二時間も掛けて、ようやっとこさ現場に着いたらしい。
苦労の末に辿り着けた現場の姿が気になった杉野は照準器を覗いてみる。
照準器から見えたのは、寂れてはいるが華やかな色合いが心を揺さぶる大きなゲートだった。
ゲートの上の方には、「ぱんどらぱーく」と丸っこい字が書かれていて、杉野の子供心をくすぐってくる。
果たして、あのゲートの先にはどんなアトラクションが待っているのだろうか。
十中八九乗れるものはないだろうが、雰囲気だけでも楽しめるだろうし、お化け屋敷なんかがあれば幽体も捕獲できそうだしで一石二鳥でよいではないか。
杉野はいつの間にか、照準器の向こう側にある非日常に魅入られていた。
それは他の面々も同じようで、手近のペリスコープ――索敵用の潜望鏡――から前方の景色を見て、皆一様にそわそわしている。
日がな一日、薄暗い地下で生活しているから、太陽の光に当たるだけでもテンションが上がってくるのに、あんな面白そうな所へ今から突入するというのだから、そりゃワクワクもするだろう。
皆、娯楽に飢えているのだ。
その様子に気づいたのか、エリックが嫌味な言い方で釘を刺してきた。
「言っとくが、遊びに来てるんじゃないからな。仕事しねぇ奴は、戦車の砲身に括り付けてやるぞ」
いや、脅してきたと言った方がいいだろう。
最近は、博士や藤原など比較的大人しめな人間に指揮されることが多かったので、粗暴なエリックの言葉を聞いて、なんとなく懐かしくなってしまった。
というのも、エリックの下に付いて仕事をするのはかれこれ三か月ぶりなのだ。
コトリバコの件に関わってない八坂に至っては、少なくとも四か月以上、下手したら半年くらいは間が開いているのではないだろうか。
そうなると、上手い具合にやらなければ連携が取れなくなるかもしれない。
同じミリオタの神谷はともかく、他の面々はエリックとそこまで仲が良いというわけでもないし、あまり尊敬できるような人間だとも思っていない。
なので、なるべくお互いを尊重して、妥協点を見つけながら仕事をするのが最善だと思うのだが、エリックはそのつもりがないらしい。
つまり、この仕事は失敗する可能性が著しく高いのだ。
「ったく、もうちょっと愛想よくしろよ」
「なんだ? なんか言ったか、坂田」
坂田のぼそっと出てしまった呟きをエリックは聞き逃さなかった。
「なんでもないでーす」
現場に入る前から、戦車の中には不穏な空気が漂っていた。
果たして、こんな調子でまともに仕事ができるのだろうか。
杉野は心の中で、無理だろうなと呟いた。
遊園地のゲートといっても、そこまでデカいものではなく、バスやトラックが通れるギリギリの高さしかなかった。
思ったよりも低かったので、戦車が通れるのか心配だったが、案外すんなりと通れた。
とはいえ、あちらこちらに瓦礫が転がっていたので、運が悪ければ真新しい戦車にキズが付いていたかもしれないが。




