87 熊から逃げろ!
キャンプ場に着くのに、十分もかからなかった。
案の定、キャンプ場は荒れていて、唯一の建物である管理小屋には大きな穴が開いていた。
これでは、いざとなったら管理小屋に避難というのも無理そうだ。
「なんだこりゃ? この穴、なんか焼け焦げてんぞ」
坂田がそんなことを言うので、杉野も近づいて穴をよく観察してみると、確かに穴の淵には少し前まで燃えていたらしき焦げ跡があった。
火事か何かあったのか、それにしては最近火が点いたようにも見える。
もしや、誰かがここまで来て、放火でもしていったのだろうか。
愉快犯なのか、うっかり燃やしてしまったのかは分からないが、こんな森の中で火を使うなんて不用心なものだ。
下手したら、自分も死にかねないのに。
「あれ? これはなんでありましょうか?」
神谷が手に取ったのは、黒い鉄の破片だった。
その破片には、オレンジ色の文字で「75G」と書いてあった。
「なにそれ? 何かの部品?」
八坂が興味深げに神谷の手の中にある破片を見つめる。
「うーん、何処かで見たことがあるような気がするのでありますが……」
なんとも恐ろしいことに、神谷はなんの変哲もない鉄の破片を見たことがあると言うのだ。
いくらなんでも凄すぎやしないか、と杉野は少し懐疑的な視線を神谷に送る。
その神谷はというと、自分のスマホで何やら調べ事をしていた。
もしや、ネットで分かるようなことなのか。
それならば、そう大した事でもないだろう。
杉野はちびっとだけ、神谷を信じられるようになった。
「分かりました! これはアメリカ製の75mm砲弾の破片です」
「それって、戦車の砲弾なん?」
「おそらく、そうだと思います」
そこまで聞くと、坂田は酷く納得したというような顔をした。
「となると、教官が戦車で遊んでて、この小屋へ砲撃しちまったって可能性が高いな」
「でも、教官はドイツ戦車しか持ってなかったはずでありますが……」
「射撃大会だかの景品で貰ったんじゃねぇの。アメリカでやってたらしいし」
確かに、坂田の推測は一見すると当たってそうだ。
しかし、よく考えるとなんだかおかしい。
戦車であちこち砲撃して、火事まで起こすとなると、永田町のお偉方が黙ってない。
それに、本来は富士山と一緒に樹海も国の天然記念物に指定されているのだから、環境団体からの抗議もあるだろう。
ちょっと火事を起こしただけでも大変なことになるのに、あのエリックがそんな軽率な事をやるとは到底考えられないというのが、杉野の見解だ。
とすると、やはりこれは自分達以外の第三者がやったものだと考えるのが自然だろう。
しかし、誰がやったのだろうか。
戦車で砲撃なんて、普通の一般人ができることではない。
そうなると、ある仮説が浮かび上がる。
それを検証する為に、杉野はちょっとした質問をしてみることにした。
「神谷ー、その破片って、今もどっかで使われてたりするの?」
「おそらくは使われてないと思いますよ。というのも、これが使える戦車はM4シャーマンやM3などの二次大戦時代の物ばかりでありますからなぁ」
杉野の仮説とは、自衛隊の演習で流れ弾が飛んできたのではないかというものだったのだが、現代の戦車の物ではないとなると、その線は薄い。
となると、やはりエリックがやったのだろうか。
にわかには信じがたいが、この日本で戦中の戦車を乗り回す輩など、あのハゲ教官くらいしか……。
いや、一人いた。
UMA馬鹿の藤原だ。
しかし、こんな樹海にまでUMAがいるとは思えないし、なにより藤原は日本の戦車が好きなのであって、戦車であればなんでもいいって人ではなかったはずだ。
結局、エリックの仕業というのが一番しっくりくる。
それにしても、そのエリックは何処にいるのだろうか。
確か、先に現場へ着いている手筈だが……。
「おーい! 杉野ー! 早く来ないと置いてっちまうぞー!」
杉野が熟孝している間に、他の四人はすでに遊歩道の方へ進んでいた。
「あぁ! 待ってくださいよぉー!」
慌てて追いかけた杉野だったが、不意に獣臭い臭いがしたような気がして、後ろを振り返った。
キャンプ場跡には廃業当時から残されたままのテントがいくつかあるくらいで、獣の姿は何処にもない。
しかし、なんとなく嫌な予感がして、杉野は自分の銃を抜き、適当なテントの一つを撃ってみた。
弾は見事にテントの薄い生地を貫き、穴からは反対側の景色が見えるはずだった。
しかし、開いた穴から見えたのは黒い何かから真紅の液体が出ている姿であった。
「まさか!?」
撃たれたテントの中の何かが暴れ、その度にテントがビリビリと破け、ついには中にいた何かの姿が露わになった。
その何かは、ついさっき杉野に襲い掛かろうとしたツキノワグマだったのだ。
撃たれたのが気に食わなかったのか、かなりご立腹なようで、熊は大きな雄叫びを上げながら、杉野へ向かって突進してきた。
辛うじて恐慌状態にならなかった杉野は、落ち着いて今まさに飛び掛かろうとしている熊に照準を合わせ、愛銃の引き金を引いた。
二発目は確かに熊の耳に当たり、その半月型の耳を削いだ。
しかし、興奮状態の熊はそれくらいでは止まらず、逆に向かってくる勢いが増してしまった。
杉野が諦めかけたその時、杉野の後方から銃声が三発ほど聞こえてきた。
すると、熊の右目が潰れ、熊が情けない呻き声を上げながら、その場にうずくまったではないか。
杉野が音のした方へ振り返ると、坂田達が銃を構えて、こちらを狙っている。
「早くこっちに来い! 食われちまうぞ!」
坂田の呼び声で杉野は我に返り、坂田達がいる遊歩道へ走った。
幸いにも、熊は痛みでしばらくの間もがいていたので、どうにかその場から逃げ出すことができた。
熊から逃げられたのはいいものの、現場まではまだ距離がある。
あの様子だと、また熊が追いかけてくる可能性は残っていそうだ。
そうなると、今度ばかりは止められないかもしれない。
ああいう獣は死に際にとんでもない力を発揮するらしいし、こちらの銃弾も無限ではないのだ。
「どうするのよ! このままじゃ、食べられちゃうわよ!」
「んなこと言ったってどうにもなんねぇだろ! とにかく現場へ着くことだけ考えろ」
さすがの坂田も怖くなってきのか、ちょくちょく声が震えている。
そんな中、神谷はというと、冷静に残りの銃弾を数えていた。
意外と頼りがいがあるのだなと杉野が思っていると、神谷が遠慮がちに手を挙げた。
「神谷、どうしたー? なんかあったか?」
「えぇっと、実はですね、持ってきた弾が全部空砲でして、今後の戦いに付いていけなさそうなのですが……」
神谷の告白に、一同は凍りついた。
あの熊相手に拳銃三丁で戦わなければならぬのだ。
これは相当キツイ戦いになりそうだと杉野達が悲観していると、それまでずっと黙って気配を殺していた清水が絞り出すような小さな声で呟いた。
「あの、銃弾ならいくつか持ってきてます……」
「マジでありますか! ありがたいのであります!」
神谷がホッとした表情で清水に近寄ると、その間に黒い影が割り込んだ。
あまりにも動きが早くて、すぐにはそれが何か分からなかった。
しかし、その一瞬のうちに神谷が吹っ飛ばされたので、ある程度予想はついた。
例のツキノワグマが追いついてきたのだ。
熊らしき影は神谷を吹っ飛ばした後、近くの草むらへ飛び込んでしまったので、何処へ行ったのかは分からない。
このままでは、第二、第三の被害者が出てしまう。
焦った坂田があちこち撃ってみるが、草むらの揺れ方を見るかぎり、当たったようには見えない。
杉野や八坂も同じように撃つも、熊はあざ笑うようにそこら中の草むらを揺らし、ついには清水へ突進してきた。
「危ない!」
装填途中の銃を放り投げて、坂田が今にも熊の攻撃を受けそうな清水へ抱きつき、そのまま熊の突進をかわす。
間一髪のところで避けたのはいいが、まだ地面に倒れている坂田達へと熊がジリジリと距離を詰めていき、怒り狂った雄叫びを上げながら飛び掛かる。
杉野達も熊への発砲を続けてはいるが、おそらく止まらないだろう。
もはやこれまでと諦めた時、何処からかジェット機のような爆音が聞こえてきた。
次の瞬間、坂田達へ襲い掛かる為に立ち上がった熊へ高速でカッ飛んできた鉄の塊が直撃した。
鉄の塊はそのまま坂田達の目の前を一瞬で通り過ぎると、鬱蒼とした森の中に突っ込んでいき、とんでもない勢いで木々をなぎ倒しながら進んで行く。
あとには、鉄の塊から噴射された白い煙だけが残っていき、もう何がなんだか分からない。
あまりにも煙が濃すぎて、辺りがまともに見えるまでに五分ほどかかったのだから、それがどれほどのものなのかがよく分かるだろう。
煙が晴れて、まず坂田達を確認してみると、特に怪我などはしてないようで、腰の抜けた清水を坂田が引き起こしていた。
そういえば、熊に突き飛ばされた神谷はどうなったのだろうか。
杉野が辺りを探してみると、茂みの上で気絶している神谷を発見した。
すぐに駆け寄って、神谷を起こしにかかると意外にもすぐに起きてくれた。
「あれ~杉野隊員ではないですか。なんで、そんな不安そうな顔をしているのでありますか?」
「神谷が熊に吹っ飛ばされたからだよ! ってか、大丈夫なの? 怪我とかしてない?」
「大丈夫でありますよ! この茂みがクッションになってくれたみたいで、多少擦り傷はありますが、問題ないのであります」
一見すると、そこまで大した怪我はしていないように見えるが、もしかしたら骨折しているかもしれない。
ここは、一旦帰すべきだろうか。
杉野が考え込んでいると、心配させまいと神谷がそこら辺を走り回ってみせる。
「ほら、全然平気でありま――あいたた」
ちょこっと走ったあたりで、神谷が痛そうに足をさすったと思うと、うずくまってしまった。
「やっぱり大丈夫じゃないじゃん! ほら、おぶってあげるから、背中に乗って」
「かたじけないのであります」
神谷を背負いながら、杉野はなんだか最近よく人をおぶっている気がするなぁ、などと考えていた。
全員の無事が確認できたところで、例の鉄の塊の行方を見に行こうと坂田が提案した。
熊がまだ生きているのではないかと、最初は反対していた杉野だったが、背中で妙に興奮しながら行きたいコールを唱える神谷に押し負けて、了承せざるを得なかった。
鉄の塊が通った跡は見事に切り開かれ、所々でぼやが発生していた。
さすがに、ぼやをそのまま放置するわけにはいかないので、進むたびに火に土を振りかけて消火していく。
心なしか、奥に進めば進むほどぼやが多くなっているような気がする。
もしかしたら、ミサイルか何かが飛んできて、何処かで爆発したのだろうか。
しかし、それならば博士から何かしらの連絡があってもいいはずだ。
杉野がそんな事を考えていると、前方に黄土色の物体が見えてきた。
その物体を見て、それまで背中で大人しくしていた神谷が暴れ出した。
「あれは!!! ティーガーではありませんか!!!」
神谷のとんでもない驚きように、杉野ももう一度その物体をよく観察してみる。
遠いのでよく分からないが、なんとなく戦車っぽい。
最初の仕事で使った三号戦車に似てなくもない。
大きさは二回りほど大きいので、おそらくは違う戦車だろうが、ドイツ戦車なのは間違いないだろう。
杉野達が戦車のすぐそばまで来ると、唐突にキューポラ――砲塔の上に飛び出ている展望塔のような部分――のハッチが開き、中から見慣れた坊主頭が飛び出してきた。
「よう、久しぶりだな。元気してたか?」
「教官!」「エリック隊長!」
案の定、戦車に乗っていたのはエリックだった、
カッ飛んできた戦車に乗ってきたにしては、なかなか元気そうだ。
「帰ってこなくてもよかったのによぉ。なんで、帰ってきちまうかなぁ」
「なんだぁ、坂田。俺が帰ってきて、そんなに嬉しいか? ガッハッハッハ!!」
久しぶりに聞いたエリックの高らかな笑い声に、杉野達は懐かしいような鬱陶しいような妙な感覚を覚えた。
「んで、その戦車はなんなんだよ? またどっかで買ってきたのか?」
「そんな金が何処にあるってんだ。こいつは射撃大会の景品で貰ったんだよ」
そういえば、博士がそんな事を言っていたような気がする。
それにしても、大会の景品が戦車とはなかなかにぶっとんだ話だ。
「ってか、どっから飛んできたんだよ!? また、ヘリかなんか使ったのか?」
「いや、今回はこいつを使ったのさ」
そう言って、エリックが指し示したのは、戦車の横っ腹に括りつけられた小型ロケット十本セットだった。




