84 禁じられた名前
秋も深まり、だんだんと肌寒くなってきた今日この頃、杉野達は博士から呼び出しを食らっていた。
特に何かやらかしたとかそういうわけではなく、いつものお仕事が始まる合図だ。
この会社では唐突に仕事が始まるので、常に気を張ってないといけない。
もう少し余裕を持って知らせてほしいものだが、あの博士には何を言っても無駄だろう。
文句を言ってもしょうがないので、杉野はゆっくりとした足取りで集合場所へ向かった。
ミーティングルームへ集まると、どういうわけか博士がいなかった。
「けっ、呼び出し食らって来てみたら、あの糞ジジイいねぇのかよ。ったく、適当な仕事しやがるぜ」
杉野よりも少々遅めに来た坂田が悪態をつく。
「まあ、あっちも忙しいんじゃないですか?」
杉野が博士の弁解をしてみるが、ぶっちゃけあまり気持ちがこもってないので効果は薄いだろう。
遅刻常習犯の坂田が来ているのに、呼び出した張本人である博士がいないのはさすがにまずい、まずすぎる。
このままでは、ストライキの一つや二つ起こってもおかしくはないだろう。
「よしよし、全員集まっておるようじゃのう」
そんな心配など知らぬといった顔でエレベーターから博士が出てきたので、杉野達、特に坂田は憤慨した。
「何やってたんだよ、糞ジジイ! 俺ら、ここでずっと待ってたんだぜ!」
「そうっすよ! そっちが呼び出したんですから、普通は先に待ってるもんでしょう!」
若者達の文句に、博士は顔色一つ変えずに反論する。
「何を言うかと思えば、そんなことか。ワシは君らの直属の上司じゃぞ。それなのに、何故君らに配慮せねばならぬのだ? いいか、君らの仕事はワシが取ってきているのだ。そこらへんを肝に銘じておけ」
博士の暴論に、杉野達は何も言い返せなかった。
論破されたからとか、圧倒されたとかそういうわけではなく、ただ単にめんどくさかったからだ。
これからやりたくない仕事が待っているのに、無駄に長ったらしい説教を誘発するのはあまりに愚策だ。
なので、ここは下手に言い返さずに黙っておくのが得策なのだ。
「では、文句が止んだところで、今回の作戦内容を発表する。今回は久しぶりの呪物捜索じゃぞ」
「久しぶりの?」
八坂が頭の上にはてなを浮かべたが、博士は敢えて無視した。
「今回のターゲットは、『禁后』と呼ばれる呪物だ」
「へっ?」「なんて?」
どういうわけか、博士が口にしたその言葉にもやがかかったような気がした。
「じゃから、『禁后』じゃよ」
いや、気のせいではない。
そのターゲットの名前らしき言葉だけがどうあがいても聞こえないのだ。
まるで、自分達の脳みそがその言葉を認識するのを阻害しているような、そんな感覚だ。
「すんませーん! 何言ってっか、全然分かんないんですけど」
そんな状況でも、坂田は特に深く考えたりはしなかった。
「ふむ、どうやら今回のブツは相当に厄介な代物らしいな」
杉野達が怪訝な顔をしているのに気づいたのか、こほんと咳ばらいをしてから、博士は続ける。
「呪物の中には、自らの認識を阻害する代物もあるのじゃ。そういう物は、基本的に危険度が高いのじゃが、その力に引き寄せられる者も多い。つまりは、幽体ホイホイなわけじゃな」
「なるほど、今回も苛烈な作戦になりそうでありますな~」
内容はうんざりって感じだが、口調は楽しみで仕方ないのが見え見えな神谷が顎に手を当てて考え込むフリをする。
杉野や坂田とは違って、オカルト大好きな神谷にとって、幽体が多いのは願ったり叶ったりなのだろう。
「んで、そのなんとかってのは、どういうもんなんだ?」
「それがじゃな、情報が少なすぎて分からないのじゃよ。ただ、『禁后』という名前とそれが何処にあるかという情報しかなくてのう」
「だめじゃねぇかよ!」
「場所は分かっとるんだからいいじゃろうが! とにかく、君らには現地へ行って、ターゲットをどうにかして探しだし、傷一つ付けずに確保してほしいのじゃ。上手く使えば、実験材料に困らなくなるからな」
博士があーだこーだと頼んでくるが、杉野達は肝心な事をまだ聞いていなかった。
「ってか、今回は何処に行かせようってんだよ? また山奥のド田舎に行けってか?」
「いや、山奥ではない。田舎ではあるがな」
そう言って、博士が渡したのは青木ヶ原樹海の地図だった。
「田舎どころか、人っ子一人いないような秘境じゃねぇかよ!」
駐車場へ下るエレベーターの中で、坂田は溜まりに溜まった文句を吐き出していた。
それはそうだ、前回の田舎はまだ人がいる田舎だったが、今回はただの森なのだ。
今迄も色々な現場に行ったが、これほどに行きたくないと思ってしまう場所もない。
「しょうがないですよ、博士が決めたことなんですから。それよりも、この地図ってなんか変じゃないですか? ほら、樹海の真ん中に変な建物がいっぱい建ってますよ」
杉野が樹海の真ん中辺りを指しながら、他のメンバーに聞いてみる。
「ん? あ~確かに、なんか変なのが書いてあるな。神谷ー、こういうの知ってたりしないか?」
「どれどれ、これはなんでしょうなぁ、一見すると遊園地にも見えますけど……」
神谷に言われて、地図をよく見てみると、その建物群の一つ一つに奇抜な名前が付けられていた。
「ゴータンク」とか「アイアンマイン」とか、やけにカタカナの名前が多い。
そんな中、漢字で書かれた建物もあった。
「禁后の館」、如何にもなにかありそう名前だ。
「ここに例のなんとかって呪物があるの?」
八坂がなんとなしに聞いてみるが、男共は答えなかった。
そんなに簡単に見つかるものだろうか。
罠とかじゃないのか。
つい、そんな疑惑がよぎってしまうのだ。
八坂は知らないだろうが、かなり前に呪物を探しに行って、被曝したり、人形に殺されかけたりしたので、それだけ慎重になってしまうのもしょうがない。
まだ幽体やUMAの方がマシだと思ってしまうほどに、杉野達は呪物という物に恐怖しているのだ。
「どうしたのよ? いつもなら馬鹿みたいに騒ぐのに、今日はやけに大人しいじゃない」
不審に思ったのか、八坂が問い詰めてきた。
このままでは、色々とまずい。
コトリバコのことは博士から口止めされているし、杉野としてもあんな刺激的な話を八坂に話すのは気が引ける。
「いや~、こういう樹海とかって色々ヤバそうじゃん。ほら、自殺の名所だしさぁ」
坂田が適当に誤魔化すが、額に冷や汗をかきながら言われても、余計に怪しまれてしまうのではなかろうか。
「ふーん、あんたでも怖い物あるのね」
だが、幸運にも八坂はそれ以上聞いてこなかった。
坂田だけでなく、杉野や神谷も緊迫した表情で行く末を見守っていたのが効いたのかは分からぬが、とりあえずは一山越えたのでよしとしよう。
男共のピンチが過ぎ去ったところで、エレベーターが目的の階に着いたことを知らせる電子音が鳴り響き、張り詰めた空気を和らげた。
エレベーターの鉄扉が開くと、杉野は何か違和感を感じた。
誰かに見られているような、そんな感覚だ。
「あれ? 清水ちゃん、どうしたの? そんなとこに隠れて」
視線の正体は、数ある戦車の中でも一番シンプルな三号戦車に隠れた清水であった。
どういうわけか、こちらをじーっと見つめたまま固まっている。
一瞬、坂田の方を見たのち、清水は自分のバイクに跨って、地下通路の方へ走りだしてしまった。
「あっ、おい!」
坂田が慌てて呼び止めるも、清水はこちらに一瞬振り返っただけで、止まることはなかった。
そういえば、前回の任務から帰ってきてから、坂田と清水の様子がおかしかったのだった。
いつもなら、「ダーリン」だの「ハニー」だのとうるさいのに、今は挨拶すらしない。
一度、坂田に別れたのか聞いてみたのだが、上手い具合に濁されてしまい、ますます謎が深まる結果となった。
子分の杉野としては、正直に白状してほしい。
そしたら、神谷と一緒に慰めてやれるのに。
そんな気持ちを知ってか知らずか、八坂が呟いた。
「やっぱり、別れちゃったのかな……」
どうやら、あちらも同じらしい。
こうなれば、今回の任務中にどうにかして聞き出して、結果によっては帰ってから慰め会でもしてやらねばならぬだろう。
杉野はそう心に決めてから、相棒に跨り、自分が進むべき地下通路へと急いだ。
今回は街中からのスタートである。
現在の時刻は午前八時、まだ出勤ラッシュな時間帯だ。
なので、高速まではなるべく細い路地を通るようにした。
むやみやたらに生活道路を通るのはあまりよろしくはないのだろうが、今回ばかりは許してほしい。
杉野は兄貴分が心配でしょうがないのだ。
もし、坂田と清水の二人だけが先に着いてしまおうものなら、気まずいったらありゃしないだろう。
それだけは、なんとしても避けなければならない。
杉野はスロットルを思いっきり捻ると、高速への近道である峠道を登り始めた。
高速に乗ってからは、楽なものだった。
平日のこの時間なら、走っているのはほとんどトラックだ。
大抵、80kmかそこらで走っているので、抜くのも容易いし、乗っているのは運転のプロなのだから、下道の社用車に乗ってる連中よりは信用できる。
そういうわけで、樹海の最寄りインターである富士吉田ICまでは特にトラブルもなく走破できたのであった。
インターチェンジを降りると、すぐ近くに遊園地があるらしく、ホテルやらなんやらの看板がそこかしこに立っていた。
そういえば、今回の現場は遊園地だった。
とはいえ、ネットで調べた限りでは潰れてから二十年以上経っている廃墟だ。
そんなに楽し気な場所でないことは分かりきっている。
それでも、遊園地というだけで多少の期待はしてしまう。
杉野の子供の頃は水族館に行ってばかりで、遊園地などという面白そうな所には行ったことがなかったのだ。
杉野は割とまともな大人に育ったはずだが、やはりやったことがない娯楽には多大な憧れがあった。
ジェットコースターや観覧車などの定番から、その遊園地だけのアトラクションなど、きっとどれも楽しいのだろう。
廃墟とはいえ、雰囲気だけでも楽しめるのなら悪くはない。
杉野はだんだんと、今回の仕事が楽しみに思えてきた。
バイパスをいくらか走ると、少しずつ木々が増えてきて、如何にも樹海って感じの風景が広がってきた。
道の両端に立ち塞がるその緑の壁は、まるで杉野が来るのを阻んでいるようにも見える。
ついでに言うと、十月の半ばなのも相まって、かなり肌寒い。
やはり、森の、しかも樹海ともなればその冷却効果は凄まじいのだろう。
だが、心配は無用である。
こんなこともあろうかと、今回はお気に入りのMA-1を羽織ってきたのだ。
たとえ、雪が降ろうが雹が降ろうが、これならばあったかぽかぽかだ。
とはいえ、ほんとに雪が降ってきたら、違う意味で凍りつきそうだが。




