82 黄泉の戦国絵巻
八坂達は必死に逃げたが、唯一の出口である城門が閉められてしまい、ついには敷地の隅へと追いやられてしまった。
「ようやく追いついたぞ! さあ、戻ってお茶を飲んでもらおうか」
手下共に追いついた伊邪那美様が、クククと笑いながらこちらへじわりじわりと近づいてくる。
「くっ、ここまでか」
八坂だけでなく、月読様までもが諦めていた。
しかしその時、何処からか聞きなれた声がした。
「やあやあ、我こそは杉野透でござーる! そこの八坂姫を救いにきたぞー!」
声のした方を見ると、あの杉野が城壁の瓦屋根の上で仁王立ちしていた。
よく見ると、杉野の腰には昨日鍾乳洞で手に入れた草薙剣が差さっていた。
鞘か何かに入れているのかと思ったが、どうにもベルトに挟んでいるだけらしく、ちょこちょこ外れないように調整している。
「相変わらず、決まらないわね」
八坂が呆れたように言うと、杉野が城壁から飛び降りてきた。
ドスンと結構な音と共に地面へ降り立つと、早速腰に差していた緑青色に鈍く輝く剣を抜いて、近場にいた手下へ切りかかった。
切られた手下は物の見事に真っ二つになり、霧のように搔き消えた。
「よっしゃ! まずは一体撃破!」
自分の剣撃が敵に効いて、子供のように喜んでいる杉野とは違って、八坂は冷静だった。
今、見えているだけでも五十人はいる手下と神様が一人、おそらく城の中にもまだ残存戦力が残っている可能性は高い。
杉野の剣撃だけでは、さすがに無理があるだろう。
そう考えた八坂は、月読様から鏡を受け取ると、手下共に向けてみた。
しかし、手下共は平然としている。
「な、なんで効かないの!?」
「ふふふっ、そう何度も同じ手が効くか! 黄泉醜女よ、一斉にかか――」
伊邪那美様が命令を下す前に、八坂は鏡を投げていた。
円盤投げの要領で投げられた鏡は手下共の間を搔い潜り、指揮をしていた伊邪那美様の顎へ直撃した。
「やった!」
思いがけずに攻撃が成功したので、八坂はガッツポーズまでして喜んだ。
「呑気に喜んでいる場合ではない。早く、逃げるぞ」
そう言うと、月読様は二人の手を取って、旋風が吹き荒れるほどの速さで走りだした。
「追えー! 決して、逃がすなー! 捕まえたら、取って食……」
後ろから伊邪那美様の叫び声が聞こえてくるが、あまりの速さに途中までしか聞こえなかった。
城門まで十秒と経たずに辿り着き、杉野が門番の二人を切り捨てると、月読様はいとも簡単に巨大な大扉を開いてしまった。
「あっけに取られてないで、早く出ろ。あの醜悪な女共に食われたいのか?」
「で、出ます、出ますから待ってください!」「お、置いてかないで!」
杉野が我先に門の外へ出ようとしたので、八坂は杉野のシャツを引っ張った。
「ちょっ、伸びるって!」
「置いていこうとするからでしょ!」
しょうがないので、杉野はシャツを握っていた八坂の手を取って、遥か彼方へ走り去ってしまった月読様の後を追いかけた。
かなりの距離を逃げたはずだが、追手はまだ追いかけてきていた。
月読様だけならともかく、人間の杉野達はそこまで速くは走れないので、追手はどんどん近づいてきている。
このままではヤバイと焦った杉野は、思わず持っていた剣を追手に向かって投げてしまった。
剣は確かに追手の一人に当たり、見事に消滅させたが、その他にもあと四十七体はいることを考えると、あまりに愚策だった。
「このままでは、まずいぞ。何か他にないのか?」
月読様に言われた杉野がポケットの中を探ってみるも、何もない。
「ないです! もう、何も!」
「そんなはずはない。私は確かに三つの神器を人間界にばら撒いたはずだ」
そう言われて、杉野はもう一度隈なく探してみたが、やはりないものはない。
一旦、落ち着く為に八坂を見てみると、紐か何かを首にかけているのが見えた。
「八坂さん、それなに?」
「えっ、あっ、これか!」
八坂の首にかかっていたのは、緑青色の勾玉が付いたネックレスだった。
「それは、ここから脱出する時に使う物だ。この状況では役に立たない」
「じゃあ、今すぐに帰してくださいよ! こんな世界、もううんざりです!」
「それは無理だ。元の世界に戻るには、長い詠唱が必要なのだ。逃げながらではとてもできない」
「そんな……」
元の世界に戻れるのは分かったが、この状況をどうにかしないとそれも無理なのだ。
こうなったら、さっきの剣を拾いに戻って、どうにか追手だけでも……。
ブウゥゥゥゥゥ!!
杉野が無謀な賭けに出ようか悩んでいると、何処からか法螺貝の音が聞こえてきた。
それと同時に、黒い大地を揺らす、馬の走る音も響いてくる。
「チェストォォォ!!!」
猛々しい掛け声と共に、馬に乗った大柄な鎧武者が追手共に突っ込み、その手に握った刀で追手の首を一気に五本も刈り取った。
「キエェェェェェェ!!!」
さらに、杉野達の前方から馬に乗った若武者が突撃してきたかと思うと、杉野達の頭上を飛び越え、追手の一人をスパンと一刀両断してしまった。
その勢いで、その侍達は追手を一人残らず、切り伏せていった。
全ての追手を切り伏せ、侍達は刀を静かに鞘へ納めると、若武者の方が馬から降りて、こちらへ寄ってきた。
「きさんら、こげんところでないをしちょっとか?」
かなり方言がきつかったが、ギリギリ意味は分かった。
「僕達、伊邪那美様の手下から逃げてきて、それで」
「あい、分かった。そんなら、オジキとオイで逃がしてやる」
「あ、ありがとうございます!」
杉野はあまりにも嬉しくて、ぺこぺこと何度もお辞儀をしていた。
「そげんびんたを下げんでんよかじゃ。同じ日ノ本ん男じゃってな、助くったぁ当然じゃ」
「お前らは何処の兵士だ? 筑紫島か?」
月読様が聞き慣れない地名を口にした。
「つくし、なんじゃって? おいらは薩摩から来たんじゃ」
「なんじゃ、豊久。そいつもさっきん奴らん仲間なんか?」
最初に来た大柄な鎧武者も馬を降りて、こちらへ近寄ってきた。
その手には、抜き身の大刀がキラリと光っている。
「ああいえ、この人は僕らを助けてくれた人なので、あいつらとは違います!」
「そんた良かった。あんわろらん仲間やったら、同じごつ切り捨てちょったところじゃ」
方言がきつすぎて、一部聞き取れなかったが、なんとなく物騒な内容だったことは分かった。
ほんとにこんな人達に任せて大丈夫なのだろうか。
「おいは島津豊久。こっちんオジキは島津義弘じゃ」
「あ、あの、鬼島津の!」
杉野が呟くと、義弘と呼ばれた鎧武者は兜越しにガハハと笑った。
「おいん異名は後世に轟いちょるんじゃな! ガハハハッ、こんた愉快じゃ」
かくして、杉野達にとんでもないボディガードが付いたのであった。
その頃、法螺貝が吹かれた丘の上では、かつて日ノ本でしのぎを削った武将達が集結していた。
「申し上げます! 突出した島津隊は敵の隊を撃滅せり。幾人かの人質を連れて、西へ向かわれました」
見張りに出ていた、一人の足軽が報告する。
「そうか、ご苦労じゃった。この戦、猿はどう思う?」
報告を聞いた西洋風の甲冑を着た武将が、隣の猿顔に聞いた。
「黄泉の国の大将はあの伊邪那美命でありますから、そう簡単には勝たせてくれないでしょう」
猿と呼ばれた、何本もの金色の立物――兜の鉢に付ける装飾品――が付いた豪勢な兜を被った武将が敵方を評価した。
「ふむ、では家康殿はどう見るか?」
「そうですな、相手は腐っても神でありますから、兵量攻めや水攻めは効かないでしょう。城へ突撃し、大将の首を討ち取るのが最善かと」
金色のシダが模られた前立ての付いた兜を被った武将が戦略を語る。
「確かにそうでござるな。勝家よ、兵を敵の城に集結させよ。地獄と同じように、この黄泉の国も一捻りにしてくれようぞ」
「ははっ」
勝家と呼ばれた髭もじゃは、猿顔の方を一睨みしてから、陣の裏へ下がった。
「猿、儂が死んだ後に勝家と何かあったのか? 随分と恨まれているようじゃが……」
「ちょいと一合戦して、雌雄を決めたくらいのことでございます。戦国の世に生きる者なら、それくらいよくあることでございますよ」
猿顔がきっぱりと答える。
「なるほどな。まあ、儂が光秀の野郎に討たれなければ良かったのだから、おぬしを悪くは言わぬ」
「ありがたきお言葉。して、その光秀殿はどうなされたので? 軍勢の中には見当たりませぬが」
猿顔が光秀殿と口に出すと、西洋風の武将の目尻がピクついた。
「殿とはなんだ、殿とは! あやつなど、呼び捨てにして構わぬわ! それに、あのような謀反人を我が軍勢に迎え入れるわけがなかろう。地獄で会った時に、針山に刺しておいたわ」
そう言うと、西洋風の武将は高らかに笑った。
「これは失礼しました。では、この軍勢は皆、信長様に忠誠を誓っているのですな?」
「当たり前じゃ。勝家や一益、長秀の三人に、貴様らの家来も含めた織田・徳川連合軍じゃ」
信長と呼ばれた武将が着々と集まる軍勢を見ながら語ると、家康が首を傾げる。
「此れはしたり、羽柴をお忘れでございまする」
「羽柴ぁ? ああ、猿の軍勢か。猿は儂の家来ゆえ、あれも儂の軍じゃ」
「なるほど、そういえばそうでしたな」
家康は、かつて天下を取った秀吉公と目の前の猿顔を記憶の中で見比べた。
目の前の猿顔は、どうみても信長が生きていた頃の、中国攻めを任されていた時と同じくらい若く見える。
どうにも、死者は自由自在に見た目を変えられるらしい。
そんな家康も、死に際の老いぼれな姿ではなく、小牧と長久手で秀吉とやりあった頃の姿であった。
「そろそろ、出陣の準備も整ったことじゃろう。儂は先に行って指揮をとっておるから、猿と家康殿は後から来い」
「はっ」「ははーっ」
家康は軽く、秀吉は深々と頭を下げて、信長を見送った。
黄泉の国に集まった戦力はざっと十五万。
ほとんどは人間だが、中には地獄で降伏した鬼の姿も混じっている。
その誰もが、刀や槍などで武装していた。
見た目は現実にいた頃のものと同じだが、刀剣や鎧、鉄砲に至るまで全て地獄製だ。
どうにも、地獄で作られた武具は神や鬼などの神仏を殺せるらしい。
信長はそれを知り、同じく地獄へ落ちた石田光成や小早川秀秋などの武将と共に地獄の一部を制圧し、地獄と極楽浄土を結ぶ蜘蛛の糸で出来たエレベーターを占拠した。
そのエレベーターを使って極楽浄土から家康と秀吉、そしてその家来を連れてくると、たった一晩で地獄を手に入れてしまったのだ。
それから、地獄の他にも世界があることを知った信長は鬼の技術を使って、黄泉の国へと攻め入ったというわけだ。
信長が敵の城の前へ辿り着くと、すでに何人もの武将や足軽達が集結していた。
東国無双に西国無双、鬼島津に鬼義重、井伊の赤備えに真田の赤備え、蟹江七本槍に賤ケ岳の七本槍、その他にも竹の才蔵や槍の勘兵衛などの猛将も加えれば、野戦において敵なしの布陣である。
さらに、軍師として官兵衛半兵衛の両兵衛を採用しているので、城攻めにも対応できる。
神の居城とはいえ、こんなちんけな城を落とすには少々過剰戦力なような気もするが、そこは信長、情け容赦など考えぬし、後のことも考えぬ。
たとえ、神仏への反逆のせいで謀反人が出たとして、こっちはすでに死んでいるのだ。
城を燃やされようが、毒を盛られようが痛くも痒くもない。
それに、生きてる間にも比叡山焼き討ちや家康の嫡子に自刃させたりなど、罪深い行いをいくつもしてきたのだ。
ならば、今回の戦もそれと同じことに過ぎぬ。
そうして、信長は自らの行いを正当化していた。
だが、この戦で最後にするつもりだ。
高天原や極楽浄土には、手を付けぬようにしよう。
それが、信長のわずかに残った正気だった。
「皆、聞けぇい! 此度の戦は勝ち戦ぞ! 存分に戦い、武功を上げよ!」
「ウオォォォォォ!」「信長様ー」「御屋形様ー」
信長の号令を合図に、城攻めは始まった。
ある者は城門に火を放ち、ある者は爆薬を詰めた茶釜で城壁を爆破する。
騎馬隊は城の周りを取り囲み、鼠一匹とて逃がさぬ包囲網を敷いている。
鉄砲隊は城の窓や城壁の上から覗く黄泉醜女共を、圧倒的な練度による精密射撃で撃ち落としていく。
城攻めをさせたら天下一の秀吉や築城名人の藤堂高虎による城の弱点を責めた攻撃により、城の防御は確実に落ちていった。
「これは素晴らしい光景ですな。このままいけば、落ちるのも時間の問題でしょう」
生前、何度となく見た光景に、家康は懐かしさを覚えていた。
「ふっ、他愛無いものだ。ところで、島津の連中が連れていたという人質は何処に行った?」
「そのことなのですが、どうやら島津のとこの若い衆が勝手に逃がしてしまったようで、今、忠勝と直政に追いかけさせているところでございます」
「そうか、あまり深追いはさせるなよ。人質を取る意味もなさそうじゃからな」
城攻めは順調に城の壁や城門を削り、もはや落城寸前である。
人質を使っての交渉なんぞ、時間の無駄だろう。
「御屋形様ー! 城門に穴が空きましたー! あともう少しで落ちまする!」
さっきまで城攻めに精を出していた秀吉が報告してきた。
「ご苦労だったな、猿よ。貴様には、衆合地獄をくれてやるぞ」
「ありがたき幸せ」
何百年ぶりに家来へ褒美をやっていると、今度は勝家が報告に来た。
「申し上げます! 城門を突破しました!」
「ご苦労。では、神の顔を拝みに行くか」
信長は意気揚々と、まだ足軽が群がっている城門の方へ足を運んだ。
城門の近くまで来ると、なにやら騒がしい。
「どうした? 何故、こんなにも騒いでおるのだ?」
信長が近くにいた真田の若武者に問うと、大将の顔を知らないのか、とてもフランクな返答が返ってきた。
「わしもよう知らんのだが、城の中に入った連中が悉くやられているらしい。あの有名な宮本武蔵もやられたんだと」
「どの武蔵だか知らんが、神程度で苦戦するとは情けないもんじゃ。こうなれば、儂が出るしかないようだな」
「ちょ、おっさん! 危ないから、入ったらいかんって!」
若武者の忠告を無視し、信長は足軽の群れを掻き分けて、城の中へと入っていった。
城の中には、無数の黄泉醜女とまばらな足軽達、そして雷をまとった大蛇が苛烈な戦いを繰り広げていた。
それはまさに、大蛇による殺戮ショーであった。
ある者は雷に打たれて丸焦げになり、またある者はその恐ろしい牙で切り裂かれた。
鬼に対しては不死身の軍勢でも、神の攻撃には抗えぬようで、どんどん兵数は減っていく。
このままでは、あの蛇一匹にせっかく集めた軍勢を殲滅されてしまう。
「皆の者! あやつを打ち滅ぼして、死の世界の天下を取るのだ! 儂に続けー!」
かつて、天下を取りかけた英傑の号令に、足軽と武将達は忘れかけていた誉れを取り戻した。
いざ、決戦の時である。
城が大変なことになっている頃、杉野達は豊久とその部下の足軽数人に守られて、城から遠く離れた森の中まで逃げてきた。
「ここまで来ればもう安心じゃ。きさんらが帰っためん詠唱とやらもしきっじゃろう」
「なにからなにまで、ほんとにありがとうございます」
馬から降ろしてもらった杉野は、深々と頭を下げて、礼を言った。
「よかってことじゃ。そいよりも追手が来たんごたっな」
「追手って、まだ来てるんですか!?」
杉野が後ろを見てみると、確かに何者かが追いかけてきているのが見えた。
「いや、うちん者んごたる」
豊久が視線の先からは土煙が上がっていて、何が来ているのかははっきり分からない。
しかし、大地を鳴らす足音からして、今迄の伊邪那美の手下共とは違うらしいことは分かった。
「来っど! わいらは早よ逃げ!」
豊久に背中を押され、杉野達は追手が来る方とは逆方向へ一目散に逃げた。
「あんわろらと戦うたあ、関ケ原以来じゃ」
豊久と逃亡兵達はかつてのように刀と鉄砲を構え、追手を待ち伏せた。
豊久達の協力もあり、杉野達は無事に安全圏である川の近くまで辿り着いた。
「この川を渡れば、すぐには追手も来れません。早く渡りましょう!」
杉野が我先にと渡ろうとすると、それを月読様が止めた。
「その川は生者が渡ってはならぬ。ここで詠唱をするので、しばし待たれよ」
月読様はそう言って、八坂から勾玉のネックレスをむしり取ると、それを天に向かって掲げてぶつぶつと呟き始めた。
「なんて言ってるの?」
「分かんない」
月読様が杉野達人間には分からぬ言葉を呟き続けると、次第に周りの空間が歪み始めた。
「ハァァァァ!!!」
月読様がその奇麗な顔が崩れるほどに力を入れて叫ぶと、清らかな白い光が杉野達を包んだ。




