78 喋る幽体
八坂の無事が確認できたところで、いよいよ仕事が始まる。
部外者である小田には厳重に口止めをしてから、麓へ帰ってもらった。
とても残念だ、と杉野はつい思ってしまっていた。
少しずつ、だが確実に杉野の性癖は壊れていき、その牙城はあと少しで崩れそうだ。
やはり、八坂分が足りないからなのだろうか。
それとも、昨日の祭りで気まずい別れ方をしてしまったせいなのだろうか。
答えは、杉野自身にも分からなかった。
ただ一つ確かな事は、小田に対する気持ちは八坂に対するそれとはまったく違うであろうということだろう。
小田への胸の高鳴りは、おそらく欲求不満によるものだ。
最近は八坂との会話も多くはなっていたが、代わりに前までのツンデレな感じがあまりない。
それに対して、小田のツンデレっぽさは出会ったばかりの八坂に似ている。
しかし、小田は男だと普通の人なら思うだろう。
たが、たとえ男でもあれだけ奇麗な顔立ちならば、そこまで大した問題ではない。
杉野にそっちの気があるわけではないのだが、こればっかりは田舎マジックとでも言おうか。
普段から化粧でばっちり決めた女ばかりを街中で見ていると、田舎の真っ黒に日焼けした素朴な子にときめいてしまう、あれだ。
まあ、それがなくても、中性的な見た目の小田をそういう目で見てしまう者は多そうだが……。
杉野がショタコ――ホモなのかどうかは一旦置いておいて、今は件の幽体を一刻も早く見つけなければならない。
ソウルアイを装着して必死に探してはいるのだが、強力な幽体どころか普通の幽体すら見つからない。
博士の話では、幽体にも生きている人間と同じように信仰心があるらしく、神社には畏れ多くて近づかないが、逆にお寺にはよく集まる傾向があるのだとか。
とはいえ、わざわざ八坂と杉野をここまで操って、さらに八坂を神社の中に座らせて植物状態にしたくらいだから、何かしらの目的があるのだろう。
ならば、この近くにいるはずなのだ。
しかし、現実はそう甘くはなかった。
三十分、一時間とどんどん時間が過ぎていくが、未だに幽体の一匹も見つからない。
このままでは、今日中に捕まえるのは無理だろうと杉野達が諦めかけたその時、その場にいた全員に謎の声が聞こえた。
『生者達よ、我はここにいるぞ』
まるで、頭の中に直接語りかけてくるようなその声は、なんとなく御社殿の方から聞こえてきたような気がした。
試しに、八坂が座っている六畳一間の部屋の中を隈なく調べてみるが、幽体どころかネズミの一匹もいない。
「今のって、幽体が喋ったんですかね?」
疑問に思った杉野が聞いてみると、博士はしばらく考え込んでから、首を横に振った。
「……いや、幽体が喋るなどありえん。今迄もそういう報告が上がったことはあったが、全て幻聴じゃった。もし言葉を発したとしても、あのような意味のある文章など喋れるはずがない」
博士があまりにも必死に、まるで自分に言い聞かせるように言うので、杉野は納得せざるを得なかった。
しかし、博士の必死な弁解も、再び杉野達の頭へ流れてきた声によってかき消された。
『何をやっておるのだ! 我の姿が見えぬのか!』
「やっぱり聞こえますよね!?」
「聞こえん! なーんも、聞こえんわ! 幻聴じゃ、こんなのは!」
どうしても博士はこの声を認めたくないらしく、ついには自分のハイエースに引きこもってしまった。
「あきらかに幻聴じゃねぇだろ。おーい! 誰かいんのかー!」
『おぉ、ようやく気づいたか!」
坂田が叫んでみると、その声の主が反応してくれた。
「ふむ、これは興味深い。まさか、話せる幽体に会えるとはな」
うちの博士とは違って、流石に本部勤務ともなれば頭も柔らかいようで、芦屋はそこまで狼狽えてなかった。
逆に、幽体の声に耳を傾けているくらいだ。
「それで、貴様は何者だ? 何故、ソウルアイで認識できぬのだ?」
『そうるあいとは己らが着けている奇怪な仮面のことか? よく分からんが、我の姿が見えないのは他に原因があるのではないか?』
「その原因とはなんだ? もったいぶらずに教えろ」
『ふっ、そう簡単に教えてなるものか。己らは学者か何かなのだろう? それなら、自分で考えてみよ』
ぶっきらぼうに問う芦屋に、幽体らしき声は少し苛立っていた。
「すまんなぁ、幽体さん。このあんちゃん、芦屋ちゃんって言うんやけどなぁ。ちょっと人格に問題はあるけど、悪い人ではないんよ。やから、なんとか機嫌を直してもらえないやろか」
「うちからも頼んます。この通りや」
内藤が猫なで声でダメ押しすると、幽体らしき声はなんとなく口調が穏やかになってきた。
『よし、分かった。そこの女の誓願に免じて教えてやろう。己らが我を見ることができないのは、おそらく我の力が弱まっているからだ』
「つまりは、消えかかっているわけか。では、乾電池でも持ってきてやろう」
芦屋が乾電池を取りに行こうとしたので、幽体らしき声が慌てて止めた。
『待て待て、何か勘違いしているようだが、我はそんじょそこらの霊魂共とは違うのだ。そんなよく分からんもので力を取り戻せるなら、苦労はしないわ』
「ほう、ではなんだと言うのだ。神か何かか?」
『近いが、少し違うな。我は神の力を持つ霊魂、己ら風に言うと神れべるの幽体だ』
それが本当ならば、世紀の大発見だろう。
幽体がそんな力を持てるのみならず、神の存在も証明できそうだからだ。
「そうなると、我々の専門外だな。杉野、あの小田とかいう少年を呼んで来い。それと、麓の神社の宮司もだ」
「部外者は居ちゃまずいんじゃ?」
「そうも言ってられん。今回の仕事は、元々この村の住人から依頼されたものだからな。多少の口止めは効くだろうし、あっちとしてはこの神紛いの幽体が煩わしいのだろうから、喜んで協力してくれるだろうよ」
「分かりました。小田と宮司さんを呼んでくればいいんですね?」
『あぁそれと、巫女も要るぞ。我の力を取り戻す為には、恋の儀式を行う必要があるからな』
付け加えるように幽体が言ったのをしっかりと聞いてから、杉野は神社を出発した。
「それにしても、まさかターゲットである幽体と喋る時が来るとはな」
芦屋がやれやれといった感じで言うと、幽体も賛同した。
『我も生者と喋るのは久しぶりじゃ。なんせ、五年も放置されてたからな』
かくして、神の如き力を得た幽体との共同作戦は始まった。
杉野が山を降りていくと、前方に見覚えのある人影を発見した。
あれは紛れもなく、小田の後ろ姿だ。
「なにやってんだ、お前? まだ帰ってなかったのか?」
小田を帰してからゆうに三十分は経っていたので、まだこんな山の中腹にいるのはおかしい。
もしや、先程の杉野のように操られているのかと心配して、杉野が顔を覗き込んでみると、何故か顔を逸らす。
「どうしたんだ? なんかやましい事でもあるのか?」
「いや、そうじゃねぇけどよぉ」
歯切れの悪い小田の返事にちょいとばかし苛立った杉野が、再び小田の尻を叩こうとすると、やっとこちらを見てくれた。
小田のその奇麗な瞳には涙が溜まり、時折ぽろぽろと大粒の涙が零れている。
「ちょ、なんで泣いてんだよ!? あれか? 尻叩かれたのが嫌だったか?」
「ちげぇよ! 美紀姉が心配だから泣いてんだよ! 文句あっか!」
そういえば、小田は八坂のことが好きだとか言っていたのを、杉野は今になって思い出した。
普段から死に触れている杉野なんかはああいう場面でも泣くようなことはないが、小田は一般人だ。
好きな人のあんな姿を見せられて、平静でいられるはずがない。
「あーえっと、ごめんな。僕らはああいうのに慣れちゃってるから、君みたいな一般人の配慮なんて考えてなかったんだ。良ければ、僕の胸を貸すから、思う存分泣いてくれていいぞ」
杉野が腕を広げていつでも来れるように構えると、少しだけ躊躇った後、小田が胸へ飛び込んできた。
そして、早朝の静かな山の中で、一人の少年の泣き叫ぶ声が響くのであった。
十分もすると、あれだけ泣き叫んでいたのがすすり泣く程度へと変わり、ついには何も聞こえなくなった。
「落ち着いたか? ……あれ?」
反応がないので、心配になった杉野が見てみると、どうやら泣きつかれて寝てしまったらしく、小田の小さな肩が上下し、可愛らしい寝息が聞こえてきた。
「寝ちゃったのか。 しょうがねぇなぁ、ほんとに」
ここに置いてくわけにもいかないので、小田をおんぶして、麓の神社まで歩くことにした。
芦屋達のいる山頂へ戻ることも考えたが、ここからなら麓へ降りる方が近いだろう。
それに、軽いとはいえ、人一人を背負って山を登るのはさすがに無理がある。
麓の神社へ着くと、鳥居の傍で小田の親父さんが待っていた。
「どうもすいません。うちの春樹が迷惑をかけてしまったようで」
開口一番、申し訳なさそうに謝ってきた親父さんに背負っていた小田を託す。
「いえいえ、逆に助かりましたよ。春樹君がいなかったら、行方不明になってたうちのメンバーを見つけられなかったでしょうから」
「そう言っていただけるとこちらも助かります」
小田の弁明をしたところで、杉野は早速本題に入った。
「あのー、つかぬ事をお伺いしますが、この神社の宮司さんってどちらに居られるのでしょうか?」
「宮司は私ですが」
そういえば、小田は自分の事を次期宮司だと言っていた。
あれは、嘘ではなかったのだな。
「ああ、そうなんですね。実はお願いがありまして、あの山の頂上にある織彦神社で恋の儀式というのを執り行ってもらいたいのですが……」
「なあにぃ! 織彦神社ですってぇ!」
杉野が織彦神社の名前を出すと、宮司が血相を変えて叫んだ。
「我々、彦織神社の者は、あの神社と関わるつもりはございません。申し訳ありませんが、お引き取りを」
「な、なんでですか? いくら神社同士の仲が悪いって言っても、もう潰れてるんだから関係ないじゃないですか」
「そういうわけには行きませぬ。これは、代々受け継いできた伝統なのです」
どれだけ言っても首を縦に振ってくれない宮司の頑固さに杉野が諦めかけた時、宮司の腕の中で寝息を立てていた小田が目を覚ました。
「……親父、俺からもお願いだ。美紀姉が大変なことになっちまって、儀式をすれば助かるかも知れないんだよ」
「春樹……しょうがなねぇなぁ、美紀ちゃんがピンチならやってやらんこともないか」
息子からの必死の説得もあって、ついに宮司が許可を出してくれた。
「では、杉野君だったけか、君に伝言を頼もう。一時間待て、さすれば巫女と共に馳せ参じようと」
宮司はそれだけ伝えると、担いでいた小田を降ろしてから、金ぴかの御社殿の方へ歩いていった。
「お前は行かなくていいのか?」
ぼーっと突っ立っていた小田に聞いてみると、何故か真っ赤な顔をして吠えてきた。
「う、うるさい! 貴様に言われんでも行くわ!」
相変わらずうるさい奴だと杉野が呆れて山へ戻ろうとすると、後ろから小田の声が聞こえた。
「ありがとな、胸貸してくれて。じゃ、じゃあな!」
感謝の言葉だけ残してから、小田も御社殿の方へと走っていった。
杉野は、その小麦色に日焼けした少年が御社殿の中へ消えるまで、ずっと見てしまっていた。
「いかんいかん、僕には八坂さんがいるんだ。あんな小僧に現を抜かしている場合じゃない!」
気つけ代わりに両頬を力いっぱい叩いて、杉野は再び山へと戻る道を駆けていった。




