76 仲間捜し
杉野が消えた八坂を探しに宿を出てから約二時間後、坂田は廊下から聞こえてくる博士の怒鳴り声のおかげで目覚めてしまった。
「なんだよ、うるせぇなぁ。ったく、朝から元気な爺さんだな、ほんとに」
坂田がぶつぶつ言いながら布団から起き上がると、部屋にはすでに誰もいなかった。
どうやら、坂田が一番遅く起きてしまったらしい。
もしや、博士が怒っているのは自分がなかなか起きてこないからなのだろうか。
そう思って、坂田がスマホで時刻を確認してみるが、まだ起床時刻までに余裕がある。
となると、また違う理由であんなに怒鳴っているのか。
一体誰がそんなヘマをこんな早朝にやらかしたというのだ。
坂田が呆れながら部屋の襖を少しだけ開けてみると、廊下に並んでいる神谷達と目があった。
「ふわぁー、おはよー。どしたん? そんな並んじゃって」
欠伸をしながら朝の挨拶をした坂田を、神谷の隣で頭を抱えている仙石がツッコんだ。
「おはようさん。あんた、今の状況分かってるか?」
「状況? あっ」
「今日は早いのう、坂田。それでも、他の奴らよりも三十分遅いがな」
少しだけ開けていた襖がダンッと音がするほどの勢いで開かれると、博士が不機嫌そうな表情で坂田に文句を言った。
「えぇ! まだ、起床時間までは余裕があるじゃないすか!?」
「それは会社での起床時間だ! この宿では朝の五時半から飯が出るのだぞ! お前の為にワシ達がどれだけ――」
「まあまあ、落ち着け。こいつも反省しているだろう。それに、元はといえば、お前がこいつに伝え忘れていたのだろうが! 責任転嫁も大概にしろ!」
「なんじゃと! うちの人間のことに首を突っ込むんじゃないわい!」
「なんだぁ! この糞ジジイ!」
博士と芦屋の口論は次第に殴り合いの喧嘩に発展していった。
「この隙に、朝飯食いに行こか」
「せやな、あーなったら芦屋はんは周りが見えなくなるし」
そうして、若者達は上司同士が喧嘩しているうちに宴会場へと向かったのであった。
宴会場に着くと、すでに美味しそうな朝飯がお膳に並べられていた。
「こいつは美味そうやな。ほれ、坂田はんもぼけっとしてないで、芦屋ちゃん達が来るまでにちゃっちゃと食っちまおうや」
「いや、ちょっと気になることがあってよぉ」
「なんや、言うてみぃ。ただし、五秒以内でな。飯が冷めてまう」
「杉野と八坂は何処行ったんだ?」
坂田が部屋の襖を開けた時も、あの二人の姿はなかった。
もしや、宴会場へ先に行っているのかと思ったが、どうも違うようなので、坂田は心配になってきたのだ。
「そういえば」「いないねぇ」
神谷や清水達ですら、今になって気づいたのだから、昨日知り合ったばかりの仙石達が気づかないのも無理はない。
「あの二人は付き合ってるんやったけ? なら、どっかで逢引しとるんちゃうか?」
「いや、まだ付き合ってなかったはずだ。それに、あの杉野が俺に黙ってどっかに行くとは思えん」
「随分と過保護なんやねぇ。ただの同僚やろ? いちいち言わんでも逢引くらいするんちゃう?」
内藤に言われて、坂田はハッとした。
もしかしたら、自分のせいで杉野は告白できずにいるのか。
今迄、兄貴分として色々と偉そうにしていたが、そのせいで杉野は萎縮していたのではないか。
坂田の頭の中にそんな考えがぐるぐると渦を巻いて、堂々巡りとなってしまった。
「そんな考え込まんでもええよ。きっと、その杉野って子はあんさんの事が大好きなんよ」
「えっ?」
「大好きだからこそ、言わなかったんやないかな。迷惑掛けたくないから」
難しい顔をして考え込んでしまった坂田に、内藤は優し気な口調で諭した。
「せやせや、あんまり変に考え込まん方がええよ」
内藤に続いて、仙石も励ますように言ってくれた。
本部の人間はなんて良い奴なんだ、と単純な坂田は思った。
「ほら、早く朝飯食わんと冷めてまうで」
「よっしゃ、そんじゃ食うか!」
元気を取り戻した坂田は、朝飯の生しらす丼をバクバクと掻き込むのであった。
「でも、八坂ちゃんや杉野君がいないのは困るよねぇ」
「確かに、このままでは仕事に支障をきたすのであります」
朝飯を食い終わり、腹が満たされると、あらためて杉野達がいないことの重大さに気づく。
一人いないくらいならそう影響はないだろうが、二人もいなくなるともはや仕事にならない。
「宿の中にはいなさそうだし、飯も手付かずのままだし、困ったなぁ」
「女将さんに聞いてみたら、ええんやないか?」
今迄興味なさそうに聞いていた仙石が提案した。
「それだ! したら、早速女将さんを!」
「あらあら、私に何か御用?」
いつの間にやら、宴会場に入って片づけを始めた女将が不思議そうな顔で聞いた。
「どわっと! いたんっすね。えっと、杉野とやさ――美紀さん見てませんかね。朝起きた時からずーっといないんですけど」
「杉野さんなら二時間くらい前に会いましたよ。確か、美紀を探してたみたいで」
「何処に行ったか分かりますか?」
坂田は藁にすがる勢いで、女将に詰め寄った。
「それが分からないのよ。私も美紀は何処に行ったのかとしか聞かれなかったからねぇ」
「ちなみに、なんて答えたんや?」
本部組である仙石も、自分のことのように心配してくれているようだ。
「ええと、今日はまだ見てないわって言ったかしら」
「それで、その後杉野はんは何処に行ったんや」
「確か……外に出てったような。あの後すぐに玄関を開ける音が聞こえたから」
「坂田はん、聞いたな? こうなったら、この場にいる全員で捜索隊を組織するしかないで」
「そこまでしなくても、そのうち帰って来るんじゃねぇか?」
「いや、こいつはそんな簡単な話やない。事件の匂いがするんや」
「事件って、そんな大袈裟な」
坂田が冗談だと思ってへらへら笑っていると、仙石に胸倉を掴まれた。
「これは冗談やないで。ワイは本気や」
あまりにも静かに、そして怒気の含んだ声で言うので、坂田は思わず息を呑んだ。
「す、すまん。ワイもちょっと動揺しててな」
ハッとした仙石が手を離すと、申し訳なさそうに謝ってくる。
「ああいや、別に。俺も悪かったし」
二人が仲直りしたところで、即席の捜索隊は宴会場を出発した。
一旦、梅の間に戻って準備を整えることにした坂田達は、廊下でのびている博士達に出くわした。
坂田達に気づくと、玉籠組の方の博士がむくっと起き上がった。
「なんじゃ、お前ら飯を食ってきたのか」
気絶しているのかと思いきや、殴り疲れて寝ているだけだったようだ。
「なんか、長くなりそうだったから、先に食っといた」
「そうかそうか、良い心がけじゃ。飯は食えるうちに食った方がいいからのう。で、何か用か? なにやら深刻そうな顔をしとるが」
「杉野と八坂ちゃんが何処にもいないんっすよ! 女将さんの話では、外に行ったんじゃないかって」
「そうか……おい、芦屋、立てるか?」
博士に言われて、よろよろとふらつきながら芦屋が立ち上がる。
「あぁ、なんとかな。ったく、ジジイのくせに切れのあるパンチしやがる」
「お前がひょろいだけじゃ。そんなことより、うちの若いのを探しに行くぞ。二人もいなくなっては仕事にならん」
「ったく、しょうがねぇなぁ。貸し一つだぞ」
博士達の協力を得て、いよいよ捜索隊は大所帯になってきた。
「それじゃあ、しゅっぱーつ!」
坂田の元気のいい号令で、捜索隊は宿を出発した。
「それで、何か当てはあるのか? 彼らが行きそうな所とか、何かあるだろう?」
相変わらず不機嫌そうな芦屋が聞くと、坂田と仙石の仲良しコンビはバシッと言った。
「いんや、特にはないなぁ。なっ!」
「せやなぁ、女将さんも外に出た以外はよう分からんって言ってたし」
坂田達の答えに、芦屋は少しイラッとした。
「なにをやっているのだ! 情報収集は基本中の基本だろう!」
いや、かなり怒っていた。
「まあまあ、そない怒らんでも。まだ始まったばかりやし、村の人に聞いたらええんちゃうん?」
内藤がどうどうとなだめると、芦屋は少し平静を取り戻したように見えた。
もしかして、女に弱いのか?
「そうやで、芦屋ちゃん。ほら、昨日行った神社に行けば、なんか知ってる人が一人くらいはおるやろ」
「んまぁそうだな。では、神社に急ぐぞ」
いや、これはただ単に自分の部下に甘いだけなのだろう。
意外な一面を芦屋が見せてくれたところで、捜索隊はあの金ぴかの神社へ向かった。
神社に着くと、昨日の喧騒は何処へやら、人っ子一人いない閑散とした参道が出迎えた。
神社の人員も昨日よりあきらかに少なく、男達に評判だったあの可愛らしい巫女もいない。
その代わりに、御社殿の前で箒片手にぼーっとしている一人の少年がいたので、捜索隊から選ばれた坂田が杉野達の事を聞いてくることになった。
近くでよく見ると、その少年は何処かで見たことがあるような気がしたので、昔よくやったナンパの要領で聞いてみることにした。
「ねぇねぇ、俺達どっかで会ったことない?」
金髪のチャラい坂田に話しかけられた少年が、くりっとした黒目を見開いて後ずさりした。
「な、なんですか?」
どうやら、警戒されているらしい。
「あー、えっと、ごめんな、急に。ちょっと聞きたいことがあんだけど、今大丈夫?」
「いいですけど、何かしたら人を呼びますからね」
これはちょっと、いやかなり厳しい。
このままでは質問どころではないので、坂田は世間話でも試みることにした。
「いや、ナンパとかじゃないんだ。あっ、そうだ。君、中学生?」
「高校生です!」
背が低かったので中学生くらいだと思っていた坂田の予想は見事に外れた。
「あはは、ごめんなぁ。そうか、高校生か。何年生なの?」
「一年生です」
「ここら辺の高校に通ってんの?」
「いえ、ここからバスで一時間くらい行った所で、ってなんなんですか!? 聞きたいことがあるんなら、早く言ってくださいよ」
世間話作戦は逆効果だったらしい。
まあ、少しは場の空気も和らいだようだし、よしとしよう。
「えっとな、知らなかったら、素直に知らないって言ってくれていいから、正直に答えてくれよ」
「……はい」
あまりにも、坂田が真剣な顔で言うので、少年は少し怖気ついたように見えた。
「ここに、杉野か八坂って奴は来なかったか?」
「美紀ねえ――八坂さんなら見てないですけど、杉野って人ならつい二時間前に来ましたよ」
「マジか!? なんて、言ってた?」
ようやく聞けた目撃情報に喜んだ坂田は思わず少年の肩を掴んでいた。
その少年の肩は、男のそれにしては華奢でとても柔らかかった。
まるで、女の肩のような……。
「こらぁー! ダーリン、なにやってんの!? 八坂ちゃん達が何処に行ったか聞くだけでしょ! なんで、ボディタッチがいるのよ!」
「すまんすまん、ちょっと熱が入っちゃってな。ってか、男相手ならいいだろ、別に」
「あっ、あの、すいません、そろそろ離してもらえませんか? ちょっと、痛いので」
気づかないうちに、坂田は少年の肩を掴む両手に力を入れていたらしい。
慌てて手を離し、坂田は申し訳なさそうに謝った。
「ああっと、ごめんな。んで、杉野は何処に行ったか、分かるか?」
「ええっと、たぶん、あの山に行ったんだと思います。俺が、八坂さんならあの山の神社にいるんじゃないかって言ったんで」
「なるほど、それでその神社ってのはここからかなり歩くのか?」
「いえ、ここからなら歩いて三十分くらいで着きますよ。よかったら、案内しましょうか?」
「おぉ、そいつはありがたいぜ。おーい、みんなー、この子が杉野の所まで道案内してくれるってよ」
かくして、捜索隊に案内係が着いたのであった。
何故か、清水が不機嫌になるのと引き換えになったが。
山の麓まで来ると、それまで先頭を歩いていた少年が振り返った。
「こっから先は道が崩れてるんで、ちょっと大変なんですけど大丈夫ですか? まだ、歩けますか?」
「舐めてもらっちゃ困るぜ。俺たちゃ毎日のように訓練してっからな!」
「自衛隊の方だったんですか?」
「いや、そうじゃねぇけど。まあ、そんなもんだ」
仲良さげに話している坂田達を、後ろから殺気丸出しで睨みつけているのは、他でもない清水だ。
「私のダーリンに気安く話しやがって、あのアマ」
「ちょっ、ちょっと清水はん、なんかあったん? 随分、殺気が漏れてはるけど……」
内藤が心配して声をかけてきてくれたが、もはや清水は嫉妬の化身となっていた。
「あのアマが悪いんですよ。うちのダーリンにあんなに近づいて」
「アマ? あの子、男の子ちゃうん?」
「いえ、あれは間違いなく女です! 汚らわしいメスの匂いがしますもの」
それを聞いて、神谷が興奮気味に語り出す。
「ほう、ボーイッシュ俺っ娘ですか。一部の人達に刺さりそうな良いキャラですな。しかも、ショートヘアの田舎娘ときた。こいつは股間に優しくないですなぁ。いやはや、恐ろしい」
「きもいわぁ」
「うぐっ!」
内藤のはんなりとした、しかしストレートな反応は神谷へダイレクトヒットした。
「でも、確かにあれはええなぁ。可愛らしいし」
「仙石はんまでそんなこと言うん? きもいわ~ほんま」
「がふっ!」
神社に着く前に、二人の男が心に深い傷を負ったのであった。
その後も、崩れた道で躓いた少年を坂田が抱きとめたり、好きな漫画の話で盛り上がっていたりと、清水の嫉妬は積もっていった。
果たして、この仕事が終わるまでに、坂田は死なずに済むのだろうか。
そのうち、清水に殺されそうな気がするが。
色々あったが、捜索隊はどうにか山を登り切り、例の神社へと辿り着いた。
それは、ほぼ廃墟と化した、麓の神社よりは地味目な建物だった。
鳥居はもうほとんどなくなっていて、神社の敷地内にはボロボロの御社殿しかない。
「おーい! 杉野ー! 八坂ちゃーん! 居たら返事してくれー!」
早速、坂田が呼びかけてみると、御社殿の方から物音が聞こえた。
「杉野!? いるのか!? 俺だ! 坂田だ!」
坂田が御社殿へ駆け寄ると、賽銭箱の裏でぐっすりと気持ちよさそうに寝ている杉野を発見した。




