71 秋の夜長に祭りはいかが?
無事に宿へ帰ると、人生を模したすごろくやガンジーが核を撃ち込んできそうな戦略ボードゲームなどで坂田達が遊んでいたので、杉野も加わって大いに楽しんだ。
そういえば、あの神社の事を八坂に聞いてみようかとも思ったが、楽しい時間に水を差すのは少々億劫だったため断念した。
これもまた、親睦を深めるという名目の仕事なのだから、そんな無粋なことをしてはならぬのだ。
ボードゲームも佳境に入った頃、杉野達がくつろいでいる梅の間に博士がずかずかと入ってきた。
「ちょー勝手に入ってこんといてくださいよ。まだ国境開放してないでしょーに」
「何を言っとるのかは分からんが、君らに良い話を持ってきたぞ」
「良い話?」「なんかあるんか?」
いつの間にやら、すっかり仲良くなっていた坂田と仙石の二人が聞き返した。
「君らも知っての通り、神谷君がまだ来ていない。そして、現在の時刻が午後五時を回っているのを考えると、今日の仕事はこれで終わりにして、明日の朝一から始めるのが最善だろうという結論に至った」
「マジっすか。それって今日はもう自由に何処行ってもいいってことっすよね?」
「そうじゃ、何処へ行こうが構わん。ただし、明日の朝までに帰ってこれるようにしておけ。遅刻したら、タダ働きにしてやるからな」
博士のサプライズ発言で、梅の間の一行は歓喜した。
ほとんど仕事らしい仕事をしてなかったのに休日手当が貰えたのだから、そりゃ喜ぶだろう。
「あーそうそう、近くの神社で祭りをやっとるみたいだから、行ってみたらどうじゃ? 浴衣は宿の方で貸してくれるみたいじゃしのう」
それだけ言ってから、博士は自分の拠点である松の間に戻っていった。
ちなみに、芦屋は梅の間に泊まるのは不服だと言って、梅の間と松の間の間にある竹の間に泊まっていたので、この事は杉野達だけしか聞いていない。
そのため、博士の独断で今日の仕事を打ち切った事をのちに芦屋が知り、壮絶な口喧嘩がこの後すぐに始まるのだが、それは杉野達が知るところではない。
何故なら、彼ら若人達は宿で大人しく遊んでいるほど真面目ではないからだ。
祭りへ行くことに決めた一行は、まず浴衣を借りに行くことにした。
そのついでに、八坂は母親に昼間聞き忘れていた事を聞こうと思っていた。
あれから何度もチャンスはあったのだが、毎回忘れてしまっていたのだ。
まるで、何か大きな力によって阻止されているような気もしたが、さすがにありえないだろう。
あんまりそういうのを気にすると、色々と厄介な目に会いそうだし。
何はともあれ、浴衣を受け取りに行かねばなるまい。
そうして、ガールズトークで仲良くなった内藤と親友の清水を連れて、母親探しに出発した。
男共はそのままの格好で行くらしいので、女子だけなのはありがたい。
八坂は昔から男が苦手だった。
村には若い女の人があまりいないうえに、ジジイ共は八坂の尻や足をジロジロと見てきたので、あまり良い印象がなかったのだ
もし、同世代の男友達が一人や二人でも居れば、そんなことにはならなかっただろう。
そういえば、子供の頃に村でよく遊んでいたあの子は元気にしているだろうか。
もしかしたら、祭りに行けば会えるかもしれない。
八坂は今になって、祭りが楽しみになってきた。
宴会場に行くと、晩御飯の用意をしているお母さんに出くわした。
今日の献立は海老祭りらしく、お膳には伊勢海老の舟盛りとでっかい海老フライが載せられていた。
「海老ばっかだね」
「あんたの好物だったからねぇ、お父さんが張り切っちゃったみたいで」
八坂はしまったと思った。
せっかく、お父さんが腕によりをかけて作ってくれた御馳走なのに、これから断らなければいけないのだ。
祭りで何も食べてこないというなら、どうにかなるかも知れないが、それはそれでもったいない。
久しぶりの地元の祭りなのに、たこ焼きの一つも食べられないなんてナンセンスだ。
八坂はお父さんの寂しそうな顔を思い浮かべながら、お母さんへ事情を話すことにした。
「実はね、今晩はお祭りに行くから、晩御飯はいらないの。ごめんね」
「あぁそうなの。じゃあ、お父さんに伝えておくわね」
お母さんはそこまで気にしてないように思えた。
しかし、これからお父さんへその事を伝えに行かなければならないのだから、そう良い気分ではないだろう。
昔からお母さんは感情を表に出さない性格だったから、とても分かりにくいがきっとそうだ。
「あとね、浴衣を貸してほしいんだけど、三人分」
「はいはい、用意しときますよ。あとで、お母さんの部屋に来なさい。着付けてあげるから」
「うん、ありがとね」
お母さんは相変わらずの仏頂面のまま、八坂の分のお膳を調理場へ持っていった。
しばらくすると、お父さんの悲痛な嘆きが聞こえてくる。
後悔の念に苛まれてから、八坂は廊下に待たせていた清水達をお母さんの部屋まで案内した。
お母さんの部屋は、前に見た時と何も変わらずにそのままだった。
綺麗好きなお母さんらしく、埃の一つも落ちていないその部屋には、すでに浴衣が三枚、奇麗に畳まれて置かれていた。
「奇麗な浴衣やなぁ。こんなん借りてしまって、ほんまにええの?」
「いいんですよ、別に。元々、この浴衣はお客さんに貸し出す物なので。まあ、ほとんど客が来ないから、使われることはなかったみたいですけど」
その三枚の浴衣は新品そのもので、その証拠に少しだけぱりぱりしていた。
おそらく、まだ糊が残っているのだろう。
「しかも、これ、私達全員のサイズにピッタリ合ってますよ」
ぽっちゃり系の清水や瘦せ型の八坂まで、三人の体系は見事にバラバラだったが、お母さんは完璧に浴衣をチョイスしていた。
確か、結婚する前は呉服屋で働いていたらしいので、その時に鍛えた洞察眼で見抜いたのだろう。
八坂達が互いの身体つきを観察し合っていると、慌てた様子のお母さんが部屋に入ってきた。
「あらあら、ごめんなさいね、遅くなっちゃって」
「いえいえ、うちらも今来たとこやさかい」
「そう言っていただけると助かりますぅ。では、早速着付けさせていただきますね」
そう言うと、一人ずつ浴衣を着付けていく。
お母さんの着付けはプロも顔負けの早さで終わるので、八坂はこのタイミングを逃すまいと例のネックレスの事を聞いてみた。
「ねぇ、このネックレスってお母さんの?」
勇気を出して聞いてみたはいいものの、お母さんの反応は微妙だった。
「なあに、そのネックレス? 随分、古臭いデザインなのね。都会ではそういうのが流行ってるの?」
「いや、そういうわけじゃなくて。これ、私の部屋に置いてあったの。お父さんに聞いたら知らないって言うから、てっきりお母さんが置いたんだと思ったけど、違うんだね」
「私がそんなまどろっこしい渡し方するわけないじゃない。それに、そのネックレスは私の趣味じゃないし。……はい、できた。さ、早く行かないと祭りが終わっちゃうわよ」
「ありがとう」「ありがとうございます」「おおきに」
着付けが終わり、三人がそれぞれ礼を言ってから、宿の玄関へぱたぱたと走っていった。
「奇麗になったわね、あの子」
それは、いつもの不愛想な表情ではなく、娘の成長を喜ぶ母親の顔であった。
女子達が着物を着付けている間に、男子達は身なりを整え、宿の玄関前で駄弁っていた。
その内容はもちろん恋バナなどではなく、自分達の相棒であるバイクの事ばかりだ。
中でも、かなりの改造が施されている、仙石のGB400はバイク好きな杉野と坂田に好評だった。
ただでさえ珍しいGB、しかも400㏄とあれば、そうなってしまうのも仕方ないだろう。
特に、坂田なんかはカフェレーサー的な見た目が気にいったらしく、GBの周りを回りながらあちこち観察している。
「良いっすねぇ、これは。超カッチョイイすわ」
「せやろ! ワイの大事な相棒やからな」
自分の相棒を手放しに褒められた仙石はというと、ふふーんと胸を張って自分の事のように喜んでいた。
「確かに、まあ、カッコいい……かな」
対して、杉野の反応は鈍かった
というのも、杉野の好みはラリーのようなオフ系か坂田のVTみたいなスポーツ系だったので、おしゃれなカフェレーサーは好みじゃなかったのだ。
「つっても、あんさんらのバイクもカッコいいで」
「えへへ、やっぱりそうですかね」「そりゃそうよ、俺の相棒だからな」
バイク談義に花が咲いたところで、玄関の引き戸がガララッと開けられ、中から浴衣を着た女子達が出てきた。
それはまさに、片田舎に咲く三本の華であった。
明るい髪色に合わせた、内藤の黄色い浴衣は、例えるならば向日葵。
ぽっちゃ――グラマラスな体形の清水でも余裕で着られるほど大きな紫の浴衣は、日本庭園の池に浮かぶ睡蓮の花。
そして、三人の中で最年少の八坂の着物は、まだ子供っぽさが残る内面を表しているかのようなピンクの浴衣。
ピンクだと色々あるが、しいて言えばチューリップだろうか。
これだけ奇麗な華が揃えば、ちょっとした品評会を開けそうだ。
その華達に見惚れた男達は、しばらく言葉を失った。
杉野は八坂に見惚れ、坂田は清水に惚れなおし、そして仙石もまた、ただの幼馴染だと思っていた内藤に惚れそうになっていた。
「黙ってないで、なんか言ってよ。気持ち悪い」
相変わらずの毒舌な八坂ではあったが、その頬は淡い紅色に染まっていた。
「えぇっと、奇麗だね?」
「なんで疑問形なのよ。褒めるんならちゃんと褒めなさい」
「ご、ごめん」
そんな甘酸っぱいやり取りとは違い、もうすでに付き合っている坂田達の方は……。
「ダーリン、どう? 似合うかな」
「バッチリ似合ってるぜ! ってか、どんな恰好のハニーでも俺は大好きだけどな!」
「きゃーダーリン大好き!」
いつも通り、ラブいバカップルの会話だった。
しかし、それにあてられた者が約二名ほどいた。
仙石と内藤の幼馴染コンビだ。
特に仙石なんかは、さっきまでのハイテンションぶりが何処かに消え去り、今はただ目の前の幼馴染の姿に心を奪われている。
もちろん、内藤もまた、仙石ほどではないにせよドキドキはしていた。
幼馴染とはいえ、仙石のような好青年に見つめられれば、そりゃそうもなる。
そんな二人を面白く思った坂田がここぞとばかりに茶化した。
「ようよう、お二人さん。もしかして、好きになっちゃった感じっすかぁ?」
「な、なにを言うとるんや! んなわけないやろ! こんなガキの頃から見飽きた顔なんざ好きになるか、ボケ!」
必死に取り繕う仙石はとても分かりやすかった。
「せやせや、うちかてこんな唐変木のことなんて、なんとも思ってへんわ」
内藤も弁解しようとするが、頬を染めながら言っていてはなんの説得力もない。
「そんなことより、早う行かんと祭りが終わってまうで!」
「せ、せやな! ほな、行こか」
そう言って、うぶな幼馴染達はその場から逃げるように祭りの会場へ行ってしまった。
残された四人は、二人の時間を邪魔しないようにと、少し時間を置いてからその後を追いかけたのであった。
祭り、特に秋祭りは豊穣をお祝いするという役割があるが、ここの祭りは少し違った。
杉野が昼間にお邪魔した彦織神社の参道にはハート型の綿飴やお好み焼きなどを売る屋台が並び、さらには相性占いと書かれた看板を掲げた占い屋までいる。
そう、ここの祭りは「恋」がテーマなのだ。
まあ、彦織神社が恋愛成就の神様を祀っていることから、予想できたことではあるが。
そんな祭りだからなのか、あちらこちらにおそらく村の外から来たのであろうカップル達が何組も見受けられた。
杉野達もそのラブい空気にあてられたが、先に着いていた仙石達は特にダメージが深かった。
二人の間は人一人分ほど離れていたが、杉野にはそのわずかな隙間が二人の心の距離に見えた。
「ひゅーひゅー、お熱いねぇ」
「っんな! そんなんじゃないわい! おい、これ以上からかわれる前に行くぞ」
「そうやね……って、ちょっ、手ぇ引っ張らんといて!」
「うるしゃい! 早う行かんと、何言われるかわかったもんじゃねぇ」
坂田の挑発に押されたのか、仙石は内藤の手を引いて、参道の人ごみの中へ消えていった。
「あいつ、なかなかやりやがるなぁ。よっしゃ、俺らも行こうぜ、ハニー」
「その言葉を待っていたわ、ダーリン」
仙石達の甘酸っぱいやりとりを見て触発された坂田も、妙にテンションが高い清水を連れて、カップルの海の中に消えていった。
こうなると、やはり自分もやらねばならぬのだろうな。
そう、杉野が考えていると、逆に八坂の方から杉野の手を握ってきた。
「はぐれるといけないから……」
そんな可愛いことを呟いた八坂の表情は、残念ながら俯いてしまっているのでよく見えない。
しかし、耳が真っ赤に染まっているのをみるに、かなりの勇気を出したのだろう。
となると、男の杉野がいつまでも黙っているわけにはいかない。
「じゃじゃじゃ、じゃあ行こうか」
どもりまくってしまったが、どうにか言うことができた。
さあ、後はその小さな手を引いて、人ごみの中へ飛び込むだけだ。
だけなのだが、これがなかなかに難しい。
というのも、杉野はこの時点で緊張しまくってしまい、立ってるだけでやっとだったのだ。
これでは、せっかく八坂が勇気を出してくれたというのに、あまりに情けないではないか。
杉野は自己嫌悪の回廊に入りかけようとしていた。
しかし、それを引き留めるかのように、聞きなれた声が杉野達の耳に飛び込んできた。
「おやおやぁ? 杉野氏に八坂氏ではありませんか。宿にいないと思ったらこんな所にいたのですね」
それは他ならぬ、神谷の声だった。
天の助けとは、まさにこの事だ。
「か、神谷!? なんでいるのよ!?」
焦った八坂は、握っていた手を離してしまった。
「あーいや、博士に聞いたら出かけていったという話だったので」
「あぁ、そう。で、何か用?」
「そう大した用事ではありませんよ。自分のせいで、今日は仕事ができなかったらしいので、一言お詫びをと思いまして」
「いいのよ、別に。というか、あんたのおかげで変な仕事をやらなくて済んだんだから、逆に感謝したいくらいよ」
「そう言ってもらえると、こちらもわざわざ詫びに来たかいがありました。では、自分はここいらで失礼させてもらいます。こんなカップルだらけの所にいつまでも居ると目が腐りますからな」
そう言って、クールに去ろうとする神谷に、杉野は心の中で深く感謝した。
彼のおかげで、少しだけだが杉野の心に余裕が生まれたからだ。
これならば、あのカップルの海へ飛び込める。
「あはは、神谷らしいね。じゃ、そろそろ行こっか。あんまり遅いと坂田さん達が心配しそうだし」
「そうね、行きましょうか」
ただ、再び手を握る勇気は、杉野はもちろん、八坂にも残されていなかった。
そうして、付き合っていたりいなかったり青春真っ盛りな若者達は、甘い恋の祭りへと突入していくのだった。




