64 奥多摩を目指す者達
杉野達が本線へ戻り、かなりのハイペースで東京を目指している最中、八坂もまた同じように東へ向かっていた。
だがしかし、杉野達とは目的が違う。
八坂の方は、ただの里帰りなのだ。
愛車の旧式ビートルに鞭打って、東京にある実家へ戻るのはなかなかに骨が折れるが、親の頼みを断れるほど八坂は非情ではない。
とはいえ、土日休みを使うのは軽率だった。
どうせなら、連休を使うべきだっただろう。
一応、この会社にもお盆休みやシルバーウィークなどはある。
あるが、すでにどちらも終わってしまっているので、今度の連休は十月までお預けだ。
何故その時に行かなかったのかというと、すべては八坂の先延ばし癖が悪いのだ。
それも、帰省を促す手紙が来てしまったことで、もはや通用しなくなった。
とにかく、あまり長いこと帰省しないと親が心配してしまう。
両親が大好きな八坂はそれだけは避けたかった。
帰ったら話したいことがいっぱいあるし、久しぶりに母の料理も食べたい。
会社の食堂で食べるご飯も悪くはないが、さすがに実家の味には叶わない。
それと、地元の友達にも会って、都会の話をしてやりたい。
もっと早くに里帰りすべきだったと、八坂は軽く後悔してきた。
そんなことをぼんやりと考えながらハンドルを握っていると、後方から二台のおしゃれなバイクが迫ってきた。
随分と急いでいるようで、見た目に似つかわしくない爆音がしたと思うと、あっという間に抜かれていた。
八坂の愛車であるビートルは父のお古なので、そうスピードは出ない。
そのため、今も左車線を80kmほどで走っているのだが、それでもあのバイク達は速すぎる。
相対的にそう見えているとかではなく、あきらかにスピード違反な速さだった。
もし、八坂が警察なら間違いなく捕まえていただろう。
しかし、一般道ならまだしもここは高速道路だ。
そういうスピード狂の一人や二人くらいはいるだろう。
いちいち気にしていたら、とても東京まで走ってられない。
八坂がそう自分に言い聞かせ、ハンドルを握りなおすと、三人目と四人目のスピード狂の姿がサイドミラー越しに見えてしまった。
さらに驚いたのは、その二人の乗っているバイクに見覚えがあったことだ。
一方は昨日初めて見た色々と派手なバイク、もう一方はあのうるさい奴が乗っているスポーツバイク。
そう、どちらも同僚が乗っているバイクなのだ。
そういえば、あの二人は伊豆の方にツーリングに行くとか言っていたが、ここは首都圏中央連絡自動車道。
あきらかに、伊豆へ行く道ではない。
というか、とっくに通り過ぎている。
もしや、盗まれたのではと八坂は一瞬思ったが、バイクがすぐそこまで近づいてくるとその不安は消え失せた。
彼らがいつも被っているヘルメットの中の顔が見慣れたものだったからだ。
ほっと安心した八坂を尻目に、その二台のスピード狂達は先に行ったおしゃれな方を追いかけるようにどんどんスピードを上げていき、八坂のビートルを追い越す頃にはあきらかに100kmを越える速度になっていた。
「まったく、あのアホ共は……事故るんじゃないわよ」
八坂がぽつっと呟いたその独り言は、ビートルのガーガーうるさいエンジン音にいとも容易くかき消された。
「あれ? 今のビートルって、八坂さんのじゃないですか?」
「そうか? 気のせいじゃねぇの?」
「いや、絶対そうですよ! 間違いないです!」
独り言は聞こえなくても、八坂のことが気になってしょうがない杉野には分かった。
先程追い抜いた車は、確かに八坂のだ。
となると、やはり八坂も東京を目指しているのだろう。
一緒に仕事ができるのは嬉しいが、最初から東京方面へ走っていた杉野達や東京にコンサートを見に行った神谷とは違って、なんの予定もなさそうな八坂には酷なのではないか。
しかも、あんなボロッちい旧車で行かせるのだから、よりかわいそうだ。
目的地に着く頃には、きっと身体の節々が痛むに違いない。
今夜辺り、マッサージでもしてやろうかと、杉野は変態親父みたいなことを考えてしまっていた。
杉野のスケベ心が出たところで、前方に見覚えのあるカフェレーサーが見えてきた。
「あいつらって、ちょっと前に俺らを強引に抜かしていった奴らじゃねぇか?」
「多分、そうだと思います」
その二台は、確かにあのGBとSRだった。
相変わらず、おしゃれな風貌でカッコいい爆音を鳴らしながら走っている。
さっきと違うのは、やけに飛ばしていることくらいだ。
おそらく、150kmくらい出しているのではなかろうか。
坂田のVTはともかく、杉野のラリーでは相当回さないと付いていくのもキツイだろう。
とはいえ、あれほどのことをやってくれたのだから、一回くらいは追い越してやりたい。
そう思ってしまうのは、その場で激高するタイプの坂田とは違って、杉野は後からやり返すタイプだからだろうか。
「よっしゃ、杉野! あいつら追い越しちまおうぜ!」
「僕のラリーじゃ無理っすよ。とても届きそうにないっす」
今のラリーの速度はメーター読みで140km。
この時点でエンジンがうるさい悲鳴を上げているのに、どうやって追い越せるのだろう。
「まあ、見てなって。……ところで、杉野はコーナーを攻めるのは好きか?」
「なんですか、急に。好きっちゃ好きですけど」
そろそろ降りるべきインターチェンジが迫って来ているというのに、この男は何を呑気な事を言っているのだといった口調で杉野が答えると、坂田は軽く鼻を鳴らしてから言った。
「そんなら、この先に良いコーナーがあるぜ」
坂田が言うや否や、前方に「カーブ注意」の標識が見えてきた。
その先には、かなりの急カーブが待ち構えている。
「いくぞ、杉野! コーナーで抜いてやれ!」
「ちょ――待ってくださいよぉ」
スピードを落とすどころか、逆に加速して急カーブに突っ込んでいった坂田を追いかけて、杉野は緩めていたスロットルをいっぱいまで回した。
律儀にコーナー手前で速度を落としていた杉野のラリーは、主の急な命令に素早く答え、がなり立てるようなエンジン音を撒き散らしながらドドッパンと加速した。
あまりの加速Gに杉野は振り落されそうになりながらコーナーに進入していき、ゆっくりめにコーナーを曲がっていた件のカフェレーサー達をいとも簡単に抜いていった。
「やるじゃねぇか、杉野! 完璧なコーナリングだったぜ!」
「マジで死ぬかと思いましたよ! ほんとに!」
「でも、楽しかっただろ?」
「それは、まあ、楽しかったですけど。もうこんな無茶は二度と御免ですからね」
「へいへい、まーこれも経験だ。男なら、一生に一回くらいは死ぬ気で攻めてみるもんだぞ」
その後も急カーブは続き、そのたびに坂田の無茶ぶりが飛んできて、一生に一回の攻めをやるはめになった。
連続カーブが終わる頃には、あのおしゃれなカフェレーサー達は見えなくなっていた。
日の出ICを降りて、いくらか下道を走っていくと、東京らしいコンクリートジャングルから瑞々しい緑が眩しい森へと景色が変わってきた。
休日だからなのか、膝を擦りながらコーナーを曲がる時代遅れのルーレット族や爆音を鳴らしながらノロノロと走るアメリカン軍団などが散見される。
そのどれもが自分の走りたいように走っているので、田舎者の杉野達にとって奥多摩の峠道は難易度が高かった。
名古屋市街とはまた違った怖さだ。
今回の目的地である七夕村は奥多摩の最深部にあるらしいので、辿り着くまでに気力と体力を使い切ってしまうかもしれない。
それでも進まねばならないのは、ボーナスが欲しいからではない。
涼を求めているからだ。
高速を走っていた時は良かったが、高速を降りてからの街中には灼熱地獄が広がっていた。
森に入っていけば少しは涼しくなるだろうと思いきや、都会らしく木々が剪定されているせいで、直射日光がもろに杉野達へ降り注いできて、とんでもなく暑い。
まだ街中のコンクリートジャングルで暖められた熱気がない分マシではあるが、それでもキツイもんはキツイ。
もっと奥の方へ行けば、少しは涼しくなるだろうと信じて走ってはいるが、このままでは熱中症にでもなりそうだ。
杉野が暑さにうんざりしていると、唐突に涼やかな強風が前から吹いてきた。
その風は相当な強さで、もし横から食らっていたら転倒していたかもしれないほどだ。
さっきまではほぼ無風だったのに、急にどうしたのだろう。
杉野は疑問に思っていたが、難しく考えない坂田はこれ幸いと両手両足を車体から離して全身でその涼風を感じていた。
危ないことを平気でやるその神経には恐れ入ってしまう。
坂田は馬鹿だが、度胸だけは人一倍あるのだ。
そんな坂田に、杉野は何度も勇気づけられ、助けられた。
ただ、むやみやたらに危ないことをしないでほしいと杉野は常に心配していた。
皆の兄貴分には事故ってほしくないのだ。
謎の風はさておき、奥多摩の峠は奥三河のそれとは違ってよく整備されている。
剪定された木々はもちろん、道路に書かれた白線もとても奇麗ではっきりとしている。
さらに凄いのが、あれだけバイクや車が走りまくっているのに、ヒビがほとんどないことだろう。
さすがは首都圏、といったところだろうか。
とはいえ、整備されている峠道というのは弊害も多い。
走りやすいということは、スピードを出しやすくコーナーを攻めやすい。
つまりは、事故りやすい道なのだ。
まだ奥多摩に来て一時間も経っていないのに、すでに二回も事故っている現場に遭遇してしまった。
幸い、どちらも転んだだけのようで、ライダーは軽傷に見えた。
だが、バイクの方はガードレールに突っ込んでしまったようで、あきらかにお釈迦になっていた。
やはり、ここは魔境だ。
たまにテレビでやっている、ルーレット族の映像のほとんどはここで撮られたものだというのも納得だ。
現に、バブルの頃から走っているような公道レーサーっぽいのを何台も見かけている。
事故るなら、一人で勝手に事故ってほしいと杉野は切に願った。
若者には若者のやるべき事が大量にあるのだから、過去の栄光を忘れられない愚か者に邪魔されるわけにはいかないのだ。




