62 東へと至る道
地下通路の奥のエレベーターへ乗り、地上まで昇ったら、かなり前にエリックの愛車で通ったトンネルに出る。
幸いにも、電車はまだ来ていないようで、トンネルの中は静まり返っていた。
まず最初に、坂田が暗闇の中へ入り、次に杉野が恐る恐る入っていった。
トンネルの中はとても暗く、ラリーのヘッドライトがなかったら、とても走れたものではなかっただろう。
というのも、坂田のVTのヘッドライトはハロゲン電球なので、LEDを贅沢に二つも使ったラリーのライトより暗い。
自分のすぐ前方を照らすくらいはできるが、トンネル全体、特に奥の方を照らすとなると出力が足りないのだ。
まあ、前から電車が来るんでもない限り、奥まで照らす必要はないのだが。
無事、トンネルを抜け、修繕途中のフェンスを突き破って、国道へ出る。
これにより、杉野達は幽体研究所と関係のない、ただの一般人となったのだ。
晴れて自由になった二人は、まず高速の入り口を目指して山道を下っていく。
ここから一番近いインターまでは大体5kmほどだが、如何せん山道なので起伏が激しく、辿り着くのは容易ではない。
特にこの時期はまだ苔があちこちに生えていて、ちょくちょくタイヤを滑らしてくる。
とてもバイクが走っていい道ではない。
この道は元々、有料の観光道路だったのだが、無料になったことで管理が疎かになってしまい、このように苔や落ち葉が放置されているのだ。
無料で走らせてもらっている以上あまり文句は言えないが、それでもこれは酷い、酷すぎる。
杉野は仕事の都合上、カブでオフロードを走ったことは何度もあったが、ぶっちゃけこういう道の方が怖い。
さらに言うと、昨日乗り始めたばかりの慣れてないバイクなので、余計気を張ってしまう。
一方の坂田は、特に気にする風でもなく普通に走っている。
タイヤが滑ろうが、落ち葉の山に突っ込もうがお構いなしだ。
やはり、走り慣れている人間は違うなと杉野が感心していると、昨日寝る前にヘルメットに取り付けたインカムから坂田の割れんばかりの元気な声が聞こえてきた。
「よう! 杉野! 元気かー?」
「元気っちゃ元気ですけど、路面状況がヤバすぎてちょっとピンチです」
「おーそうか。ま、そのうち慣れる!」
坂田のアドバイスは役立つことも多いが、大抵は意味のない戯言だ。
もちろん、これは後者の部類に入る。
というか、こっちが運転に集中している時に話しかけてこないで欲しいのだが……。
杉野がうざったい坂田の戯言を右から左に聞き流していると、いつの間にか山を抜けていた。
先程までは、奇麗な緑が辺り一面に生い茂っていたのに、今は無駄に派手な色をした看板や建物があちこちに生えている。
杉野は少しばかし悲しくなってきた。
いつかはあの奇麗な山もこんな無機質な都会になってしまうのだろうか。
田舎は田舎、都会は都会のままでいて欲しいのに、現実は無惨にも何もかもを変えていってしまう。
自然だけではない、杉野の子供時代を彩った公園や駄菓子屋ですら、いつまでもそこにあるとは限らない。
潰れたり、駐車場になったり、現実はかくも厳しいものだ。
杉野は時々、この世界が止まってほしいとすら思ってしまっていた。
そんな子供のような妄想をしてしまうのは、やはり疲れているからなのだろう。
こうなったら、今日のツーリングをめぇいっぱい楽しんで、気分転換することにしようと杉野は決意した。
街中を抜けたら、今度はインターチェンジから高速に乗る。
杉野にとっては、自動車学校の講習以来の高速道路だ。
あの時は四輪だったのでかなり手こずったが、今回は二輪での挑戦となる。
さらに、今回はETCが付いているため、通行券を取る必要もない。
四輪の時より、よっぽど簡単なはずなのだ。
しかし、まだ心配事が残っていた。
料金所のバーがちゃんと上がるのか、だ。
杉野は昨日、ネットで高速道路の動画を見漁ってイメージトレーニングをしていたのだが、中にはバーが上がらずにそのまま衝突してしまうといった動画もあったのだ。
そんな動画を見てしまった杉野は、案の定、無駄に緊張していた。
しかし、こちらが緊張していようが関係なく、坂田はさっさとETCを通過して、杉野を置いていってしまう。
遅れるものかと、杉野が慌てて料金所を通過しようとするも、何故かバーが上がらない。
焦った杉野がブレーキをかけようとした瞬間、バーは何事もなかったかのようにバタッと良い音を立てて勢いよく上がった。
バイクの侵入速度が早すぎて、バーが上がるのが遅く見えただけだったのだ。
杉野はちょっと恥ずかしくなり、ダダダンと一気に加速して、すでに高速に乗ってしまった坂田を追いかけた。
高速道路はそこらの下道と違って、事故る可能性は低い。
低いが、事故る時は容赦なく事故る。
ただ、それが自分達とは限らない。
特に杉野なんかは、バイクでの高速道路が初な分、より慎重な運転を心掛けることになる。
そのため、杉野の周りを走っているような高速に慣れきって慢心しているドライバーよりもよっぽど事故りにくいといえる。
だがしかし、自分が事故らなくとも、他人の事故の影響を被ってしまうのが高速道路の宿命だ。
現に今、500m先で玉つき事故を起こしたアホのおかげで、杉野達はかなりのタイムロスを強いられていた。
こんな時、ならず者なライダーなら止まっている車の間や路肩をすり抜けたりするのだろう。
慣れている坂田はともかく、中型はまだ初心者な杉野にそんな高度な技術があるはずがない。
無理にやったとしても、途中でコケるか、他の車のミラーを折ってしまう可能性が高いだろう。
となると、大人しく前の車に付いて行くしかないわけだ。
ゆっくり、ゆっくりと少しずつだが前へ進んでいる。
あまりにもゆっくり過ぎて、エンストしてしまいそうになるほどだ。
杉野のバイクが五年落ち程度で良かった。
何故なら、隣を走っている坂田のVTはさっきから何度もエンストしているからだ。
やはり、三十年以上前のバイクなだけあって、色々とガタがきているのだろうか。
結局、事故現場を通り抜けるまでに、坂田のVTは十一回もエンストしていた。
一回、バイク屋に見てもらった方が良いのはでないだろうか。
かなり長いこと走っていたような気がするが、実際はまだ県外にすら出ていなかった。
おそらく、あの事故渋滞が効いたのだろう。
過剰なストップ&ゴーで疲れてしまったし、まだ朝飯を食っていなかったので、杉野達はちょうどいい所にあった古城PAで休憩をとることにした。
古城PAは小さなコンビニとトイレがあるくらいの比較的小規模なパーキングエリアだった。
前に行った鈴鹿PAとは大違いだ。
いや、本来はこっちが普通で、鈴鹿がデカすぎるといった方がいいか。
しかし、意外にもこの二つのPAには共通点があった。
それは、二輪用の駐輪場が狭いことだ。
パーキングエリアというわりには、そこらの道の駅以下の広さしかないのだ。
特に、この古城PAの二輪用駐輪場は酷い。
おそらく、四輪用のを無理やり二輪用に転用したのだろう。
これでは、せいぜい四台くらいしか停められない。
もう少し杉野達が来るのが遅かったら、四輪の方に停めることになっていただろう。
こういうのは、早めに改善してほしいものだ。
小さな駐輪場に苦労してバイクを停めたら、早速コンビニへ朝飯を買いに行く。
まだ起きたばかりなので、そんなに多くは食えないだろうと思った杉野は鮭おにぎりを一つ、朝だろうがガッツリ食える坂田はカレーパンと焼きそばパン、そして肉まんを選んだ。
朝が苦手な杉野には、坂田のその鉄の胃袋が羨ましく思えた。
別段、小食というわけではない。
それでも、いつでも食事をしっかりと取れるというのは肉体労働において重宝される才能だといえる。
「どうした? 食わねぇのか? もしかして、体調悪かったか?」
おにぎりを見つめながらそんなことを考えていると、坂田が心配そうに聞いてきた。
「あぁ、いえ、ちょっと考え事してただけなんで……」
これ以上坂田を心配させまいと、杉野は手つかずで握ったままだったおにぎりにかぶりついた。
作りたてらしく、ほっかほかの美味しいご飯によく合う、鮭の濃い塩味が美味かった。
やはり、朝はこれくらい味が濃い方が難なく食える。
おにぎり自体もなかなかの大きさで、これならば昼までの体力もきっと持つだろう。
腹を満たし、軽く休憩を挟んでから、再び自分のバイクへ跨る。
まだ眠気はあるが、休憩中に飲んだエナドリのおかげで多少はしゃっきりしてきた。
杉野はエナドリを飲むとかなりテンションが爆上がる体質なのだが、今回は初めての高速ツーリングのせいなのか、逆に緊張感が増してしまっていた。
まあ、運転には適度な緊張感があった方が良いとも言うし、さしたる問題ではないだろう
軽い高揚感と少々過剰な緊張感を背負って、杉野は再び高速の本線へ向かって加速した。
それからしばらくは、特に事故や渋滞もなく、平和なものだった。
ただ、少し気になる事はあったが……。
気になる事とは、杉野達の後ろにピッタリと付いてきているライダー二人組だ。
サイドミラー越しに見た限りでは、どちらも古いカフェレーサーに乗っている。
一方は、杉野の行きつけのバイク屋で見かけたことがあるような気がした。
確か、GB400だったか、そんな名前のバイクだ。
ヘッドライトが嵌め込まれた、その仰々しいカウルはおそらく純正品だろう。
バイク屋に置いてあったやつにも、同じ物が付いていたからだ。
そういえば、バイク屋のおっちゃんの話だと、最近じゃほとんど見かけないレア物らしい。
同じGBで250のクラブマンというバイクもあるが、それに比べると生産台数も全然なのだとか。
どうしても気になったので、ネットで知らべてみると、このGB400はたった三年間しか生産されていなかった。
その中でも、あのデッカイカウルが付いているのはMkⅡといって、たった四千台しか生産されなかった超レア物らしい。
そんなレア物の隣を走っているのは、何処かで見たことがあるようなネイキッドだ。
こちらも、GBのようにヘッドカウルやセパハンが付いていて、如何にもなカフェレーサーとなっている。
それにしても、こっちのバイクも見覚えがあるはずなのに、何故か名前が出てこない。
どうにも疑問に思った杉野は、バイクに詳しい坂田に聞いてみることにした。
「あのー、坂田さん。ちょっと聞きたいんですけど?」
「ん~、なんだ? なんでも聞いてみろ、俺が知らねえこと以外なら答えられっからよ」
「あーはい、えっと、後ろにいるバイクってあれなんていうやつでしたっけ?」
すると、ミラー越しに見ていた杉野とは対照的に、坂田は大胆にも首を回して後ろを直接確認した。
「ちょっ! 何やってんすか!? 直接見たら駄目ですよ!」
下手したら煽り行為と受け取られかねないのではと心配する杉野を無視して、坂田がちょっとカッコつけた言い方で答えた。
「一台はGBだな、しかも400のやつだ。もう一台はSR、かなりカスタムしてある。二人仲良くカフェレーサースタイルってわけだな」
「あれSRなんすか!? 見た目は全然違いますけどねぇ」
「SRは割とカスタムされてんのが多いんだよ。ああいうようなおしゃれ系カスタムだけでなく、オフタイヤ履かせてアップマフラー付けたスクランブラーにする奴もいるしな。長いこと作ってたから、車体やパーツの玉数も多いんだよ」
「なるほどー。にしても、カッコいいすね! 特にあのGB」
杉野は根っからのHONDA党員だったので、HONDA製のバイクはどれもカッコよく見えてしまう。
そのため、この二台のどちらがカッコいいかなどというのは、最初から決まり切ったことなのだ。
「まあ、確かにな。ってか、なんか近くねぇか?」
「坂田さんがガン見したから、怒ってるんじゃないですか?」
大抵の場合、わざわざ後ろを振り返ってガン見されたら、嫌な気分になるだろう。
ただ、この坂田という男は違った。
前のライダーがこちらをガン見してきたら、坂田は反射的に手を振ったりしているのだ。
もちろん、他人だろうがお構いなしに。
なので、この時の坂田は杉野の言ってる事がよく分かっていなかった。
「なんで? 別に見たくらいで怒らんだら」
「いや、坂田さんはそうかもしれませんけど、人によっては煽られたと思ったりするんすよ」
「へぇ、変な奴もいたもんだ」
坂田が呑気なことを言っている間にも、後ろの二人はどんどんこちらに近づいてきて、ついには杉野達を追い越しにかかった。
しかし、今走っている道は一車線しかなく、抜くにはかなり強引にいかないと無理だ。
バイク同士なら簡単に抜けるのではと思うかも知れないが、いくらバイク同士でも狭い道では抜くのも抜かれるのも中々大変なのだ。
あんまり近くで追い越されるとびっくりしてバランスを崩したり、下手したら接触してしまうかもしれない。
そう考えると、追い越しは二車線に変わってからの方が良いだろう。
だが、相手は急いでいるようで、このまま追い越そうとしている。
このままでは危険なので、とりあえず杉野達はバイクを左側に寄せて、相手が追い越ししやすいようにした。
それだけやってもなお、相手は怒っているらしく、こちらへ近寄って、車体同士が接触しそうなギリギリの間隔で抜かしていった。
「なんだぁ、あいつら! あっぶねぇ抜かし方しやがって!」
「まあまあ、事故らんかったんだから、良かったじゃないですか」
「そりゃ、そうだがよぉ」
「あっそうだ、この先のSAで休憩しましょうよ。ほら、もうすぐ伊豆に着きますし、色々と走る前に軽く休憩しましょう!」
「……しょうがねぇなぁ、そこまで言うなら寄ってやるよ」
まだ少し怒っているようだったが、この様子なら大丈夫そうだ。
とりあえずは、この休憩の間に少しでもなだめておこうと杉野は考えていた。




