55 危険な水浴び
ロボットの行く末は置いておいて、ある重要な問題を解決せねばならない。
それは、お風呂問題だ。
昨日は身体をタオルで拭いたくらいだったので、今、杉野達は物凄く臭い。
ただ、皆同じように臭いと、案外分からないものである。
皆、自分も仲間も臭くないと思っているから、今の今までお風呂のことを忘れていたのだ。
幸いなことに、このジャングルの真ん中辺りに小さな滝が流れているのを神谷が発見したので、シャワーくらいは浴びられるだろう。
しかし、ここでも問題が発生する。
男だけならともかく、今回は八坂がいる。
となると、皆で一斉に水浴びに行くのは無理があるのだ。
それならばと、いつでも助けにいける池での水浴びを杉野が提案したが、試しに入った坂田がアノマロカリスに襲われて、水底へ引っ張りこまれてしまった。
その場にいた三人――神谷は潜れないのでお留守番――でどうにか撃退できたが、もう少し遅れていたら危なかっただろう。
やはり、池での水浴びは現実的ではない。
だからといって、今日も濡れタオルで済ませるのは酷である。特に、八坂には。
そこで、坂田がある名案を思いついた。
「ぜっっったいに覗かないでよね!」
「そんな何回も言わなくても、覗いたりしないよ」
ジャングルの中を、杉野と八坂の二人で並んで歩く。
二人の様子は、決して仲が良いようには見えない。
先程から八坂に、自分が水浴びしているところを見張りを装って盗み見るのではないかと疑われているのだ。
坂田の提案で、二人づつ滝へ行って、交互に水浴びをすることになったのだが、これでは見張りどころではない。
もしもの時に助けに行けないのなら、見張りの意味がないからだ。
もう少し行けば、目的地である滝に着く。
しかし、二人の溝は滝が近づくにつれ離れていく。
まあ、何かあればいつでも助けられるように準備だけしとこうと、杉野は腰に差したサバイバルナイフを抜き、そこらへんのシダを切って切れ味を確認した。
ナイフを軽く当てただけで、チリ紙を切るようにスパっと切れた。
さすがは、藤原の研究所が支給しているナイフだ。
とはいっても、このナイフを使う機会が来ない方が本来はいいのだろう。
だが、杉野の本心は違った。
このナイフで八坂に迫る怪物をバッサバッサと切り伏せてみたいという自己顕示欲、そして、どさくさに紛れて八坂の清い身体を見たいというスケベ心だ。
前者はまだしも、後者は決して相手に感づかれてはいけない。
なので、もしその時が来たらできるだけ平静を保たなければならないだろう。
ただ、杉野はまだ十八歳、多感な時期だ。
まだ、滝にも着いていないのに顔のにやけが止まらない。
せめて、八坂に気づかれまいと、八坂の方を見ないようにしてはいるが、それも無駄なのかもしれない。
先程、八坂に釘を刺されたのは、かれこれ十回目なのだ。
もはや、彼女には杉野は性欲魔人にしか見えていないのだろう。
そういうふうに考えると、少しばかり興奮してしまう、変態さんな杉野なのであった。
滝へ着き、杉野がそこいらの岩陰に隠れると、八坂が服を脱ぎ始めたのが衣ずれの小さな音で分かった。
変態の杉野にとっては、そのわずかな音ですら、妄想の材料として申し分なかった。
今宵は眠れなさそうだ。
杉野が期待に胸を膨らませていると、更なる素材が耳に飛び込んでくる。
八坂が、天井から流れる小さな滝をシャワー代わりに身体を洗う水音が聞こえてきたのだ
これもまた、杉野の多感なスケベ心を掻き立てる。
これでしばらくは困らないだろう。
ふと、水音以外にも音が聞こえてくるのに気づいた。
例えるなら、頭上を小型のヘリコプターが飛んでいるような音だろうか。
その音は滝の周辺をぐるぐる回ったかと思うと、杉野のすぐ近くで止まった。
おそらく、その音の主は杉野が隠れている岩の裏にいるのだろう。
杉野は悩んだ。
もし、このまま八坂が気づかなかったら、この音の主に襲われてしまうのだろうか。
それならば、今のうちに出ていって、音の主を捕まえるべきだ。
しかし、襲うようなタイプじゃなかったら、ただの覗きになってしまうのではないか。
そう思うと、最初の一歩が踏み出せない。
「キャァァァァァ!!!
杉野が足踏みをしていると、滝の方から八坂の叫び声が聞こえてきた。
待ってましたと言わんばかりに杉野が飛び出すと、そこには背中から大きな羽を生やした素っ裸の八坂が立っていた。
「妖精かな?」
「馬鹿なこと言ってないで、早く助けなさいよ!」
よく見てみると、八坂の背中に緑の身体に赤い羽を生やした巨大なトンボが止まっていた。
確か、藤原が「メガネウラ」と呼んでいた古代のトンボだ。
「今、助ける!」
杉野が目の前に広がる絶景を目に焼きつけてから、八坂の救助を始める。
まずは、メガネウラの羽を持って引っ張ってみるが、思っていたよりも力が強く、ビクともしない。
それでも諦めずに引っ張り続けていると、ついには羽だけが取れてしまった。
そうこうしている間にも、メガネウラが八坂の白い背中にがぶりつこうと大きな顎をガバーッと開いている。
そうはさせるかと、杉野がナイフでメガネウラの足を切り、八坂から剥がす。
ほんとはもっと時間をかけるつもりだったのだが、八坂を傷つけるわけにはいかない為、強硬手段を取らざるを得なくなったのだ。
無事、メガネウラを捕まえたはいいが、どうにも殺す気になれない。
もうお腹はいっぱいだし、羽も足もないメガネウラなど放っておいても脅威にはならない。
だが、八坂のお腹、ちょうどおへその辺りにがっつりと付いている爪痕を見て、杉野は激怒した。
かの暴虐なるメガネウラを処さねばならぬと。
心の中で某有名小説風に激怒した杉野が、奇麗な複眼が付いたメガネウラの頭にナイフを突き立てた。
ナイフを突き刺されたメガネウラは、しばらくの間、ガチガチと顎を鳴らしながら暴れたが、地面に叩きつけて放置するとだんだん動きが鈍くなり、最後には口から緑色の体液を吐き出して息絶えた。
「いやー、危なかったねぇ。僕が助けなかったら、今頃あいつの晩飯になってたところだったよ」
杉野が調子に乗って、軽口を叩きながら八坂に近づくと、不機嫌な顔をした八坂に睨まれた。
「それは感謝してる、けど……着替えたいから、あっち行ってろ、このドスケベ!」
「ひぇぇぇ! ごめんなさーい!」
杉野が慌てて岩陰に隠れると、「変態!」や「あほ!」などの罵声に加えて、八坂の悲鳴が聞こえた。
「また、なんかあったー?」
気になった杉野が岩陰から顔を出すと、罵声と共に拳大の石が飛んできた。
「うるさい! こっち見んな! なんでもないから、ちゃんと見張ってろ!」
ちょいとばかし口は悪いが、それでも杉野のことを頼ってくれているようだ。
そう思うと、少しは二人の溝も縮まったといえるだろう。
それから、五分ほど待つと、岩の後ろから八坂の呼ぶ声がした。
「着替え、終わったから、次、あんたが洗ってきなさいよ」
なんだか、歯切れの悪い喋り方をしている八坂に疑問を抱きながら杉野が振り返ると、ビリビリに破れた服を着た八坂が真っ赤な顔をして立っていた。
胸などの刺激の強い部分は運良く破れていないが、お腹や太ももなどは丸見えだ。
「ど、どうしたの!? その服!?」
「虫にやられたみたい。一応、替えはあるからいいけど……」
それを聞いて、少しがっかりした表情をしてしまった杉野のすねを、八坂のローキックが襲った。
「早く洗ってきて! 拠点に戻らないと着替えられないんだから!」
次の蹴りが飛んでこないうちに、杉野も水浴びをしに滝へ近づいた。
滝のシャワーはとても冷たく、気持ちよかった。
やはり、暑い夏には冷たいシャワーを浴びて、心も体もすっきりさせるのが一番だ。
さすがに、ボディソープや石鹸などの文明の利器を使うわけにはいかないが、水で汗を洗い流すだけでも結構奇麗になるものだ。
汗を流し、火照った体を冷やしたところで、持ってきていたバスタオルで身体を拭き、さあ、服を着ようかといったところで、杉野は過去の自分を呪った。
杉野の服も、八坂のと同じようにビリビリに引き裂かれていたのだ。
悲しいことに、ここに来るまでに着ていた服も今着ようとした替えの服も同じようにやられている。
おそらく、八坂の服を破いたのもメガネウラではないのだろう。
辺りを見回しても、犯人らしき者は見当たらないことから、まんまと逃げられてしまったようだ。
しょうがないので、八坂と同じように無残に破られた服を着ることにした。
服を着て、八坂に見せてみるも、特に何も言われなかった。
耳まで赤くしてそっぽを向いていることから、見るのが恥ずかしいだけのようだ。
拠点に帰ると、案の定、ボロボロになって帰ってきた杉野達を見た坂田がからかってきた。
特に、八坂のお腹に付いた爪痕と杉野を交互に見て、「意外と激しいんだな」と言ってきたのには焦った。
こうなると、坂田にも同じ目にあってもらわなければならないようだ。
杉野は、自分達と入れ替わりに水浴びに行った坂田と神谷の二人に、あそこで何があったのか伝えないことにした。
からかってこなかった神谷には悪いが、連帯責任ということにしておこう。
そうでもしないと、調子に乗ってしまった坂田は止められないのだから。
二十分後、坂田達が帰ってきた。
もちろん、二人の服もビリビリに破かれていた。
彼らもまた、ジャングルのいたずら虫にやられたのだろう。
これで、少しでも反省してくれるといいのだが。
「それじゃ、そろそろ寝ようかね」
晩飯も食い、身体も洗って、あとはこれといってやることもない。
なので、藤原の言うことを特に嫌がったりもせず、素直に床に就く。
とはいっても、一つのハンモックに五人で寝るとなると、なかなかに寝づらい。
ついでにいうと、先程の水浴びで少々刺激的な体験をしてしまった杉野は色々と溜まってしまっていたので、なおのこと寝つけない。
さすがに、皆が寝ているハンモックの上でやる勇気はないので、草むらにでも隠れてからやるとしよう。
そう考えた杉野は、ぐっすり寝ている仲間達を起こさないように、ゆっくりとハンモックから降りた。
ハンモックから離れたはいいが、何もないのは少し寂しい。
そういえば、池の方に藤原のノートパソコンが置きっぱなしになっていることを思い出した。
こっそり使えばバレないだろうという安易な考えで、杉野は池の方へ向かった。
パソコンはあの時と同じ状態で、地べたに直置きされていた。
これ幸いと、閉じていたパソコンを開くと、画面には何処かの島が映っていた。
「まさか……」
まさに、そのまさかである。
あの、渦に飲み込まれて行方不明になっていたロボットの視界がまだ映っているのだ。
持ち主の予想よりも遥かに丈夫に出来ていたロボットだったが、さすがに動くことはできないらしく、さっきから同じ景色しか映っていない。
ただ、潮の流れなのか、少しずつ島の方へ近づいてはいるようだ。
これならば、明日の朝には島へ上陸できるだろう。
杉野は自分の用事よりもこのロボットの行く末の方が気になってきた。
さすがに、朝まで見ているのは無理だが、もう少し眠くなってくるまで見ているくらいなら大丈夫だろう。
そうなると、地べたに座って見るのは少々行儀が悪い。
なので、ノートパソコンはそこらにあった岩の上に置き、自分は座布団代わりのヤシの葉を尻に敷いて、存分にリラックスできる環境を整えることにした。
ふと、会社に入る前に、実家でこうしてくつろいでいたのを思い出す。
たとえ場所が変わっても、少し工夫すれば自分だけの快適空間を作りだせるのだ。
さあ、視聴準備を整えたところで、ロボットの見る世界をもう一度見てみよう。
前方に見える島は案外近くにあるようで、木々の種類から飛び立つ鳥の様子までよく見えた。
どうにも、島の植生はこちらのジャングルと同じらしい。
シダなどの原始的な植物ばかりで、少し面白味がない。
どうせなら、巨大キノコでも出てくれば面白いのに。
杉野ががっかりしていると、ロボットの周りが慌ただしくなってきた。
波が激しくなり、あちこちからザバザバと水を切る音が聞こえてくる。
何が起こっているのか理解する前に、事態は急変した。
急に、ロボットの視界が高速で動きだしたのだ。
さらに、ロボットは空を向いてしまったようで、もはや黒い曇り空しか映していない。
そして、なによりも目を引くのが、ロボットの視界の隅に映っている牙だろう。
鮫のそれを彷彿とさせるその牙は、ロボットの強化ガラスの外殻に食い込んで、ギリギリと軋ませていた。
このままでは、潰されてしまう。
焦った杉野がキーボードを適当に叩いてみるが、エラーを知らせるビープ音が流れるだけでロボットに変化はない。
ならばと、今度はそこらへんに捨て置かれていたコントローラーを手に取り、裏にあるカバー付きの赤いボタンをカバーの上から殴った。
すると、映像の中のロボットが電流を流したらしく、ロボットを咥えていた何者かは酷く驚き、手に入れた獲物を投げ飛ばした。
ロボットは宙を舞いながら、どんどん島に近づいていき、最後には岩に囲まれた洞窟のような所へ不時着した。
そして、ロボットの視界が捉えたのは、岩に刻まれた線のような傷といくつかの点々であった。
線だけなら、自然に出来たもののようにも見える。
だが、点々の方は何者かが刃物で掘り抜いたように奇麗な丸形だった。
そのことから、これが人工的に作られた物であるという事が窺える。
今いる洞窟よりも謎が多そうなその島に、辿り着いた者がいたのだ。
杉野は探検家ではないが、その者に感銘を受けた。
ロボットですら、ボロボロにならないと辿り着けないような場所なのに、その者は岩に何かを刻むくらいの余力が残っていたのだから、憧れてしまうのも無理はない。
きっと、著名な探検家なのだろう。
無事に帰れたら、その探検家の事をもっと調べてみよう。
そう、杉野は決意した。
よく見ると、岩の端っこにも線らしき傷があった。
おそらく、他にも何かが書いてあったのだろう。
過去の偉人が残したこのメッセージをもっと見ていたかったが、残念なことにロボットからの映像が突然途切れてしまったため、それは叶わなかった。
どうやら、バッテリー切れで通信が断たれてしまったらしい。
あんなにもボロボロになったのに、最後はバッテリー切れで力尽きるとはなんとも見上げた根性だ。
杉野は、自分の任務を最後までやり遂げようとするその心意気に感動し、その日はそのまま寝ることにした。
こんなものを見た後で用を済ませられるほど、杉野は無粋な人間ではなかったのだ。




