5 新たな日常
家に帰って、仕事のことを親に話すと特に止めたりはせず、「頑張ってらっしゃい」の一言だけであった。
しょうがないので、その日は荷物をまとめられるだけまとめて、床についたのである。
残念ながら、不安でとても眠れるわけがなかったのだが……。
朝起きて、歯を磨き、これが最後になるかもしれない実家での朝食を済ませ、相棒のMD110改――いわゆる郵政カブだ――に荷物を詰め込んで、会社へ向かった。
三月も中旬をとうに過ぎていくらか暖かくなったものだが、さすがに朝の風に吹かれてバイクに乗るのはなかなかにキツイものがある。
もっとも、家から会社までは5kmほどなので、さして苦行というほどでもない。
ふと気づくと、後ろから結構なスピードで迫ってくる赤い影に気づいた。
あれは、紛れもなくVT250Fインテグラではないか。
その、今時珍しい角目ライトのフルカウルスポ―ツが杉野のカブを追い越すと、青信号ギリギリの交差点を颯爽と駆け抜けていった。
後ろのシートには、結構な量の服やら目覚まし時計やらがネットで括り付けられている。
朝からなんとも珍しいものを見たものだと思って信号を待っていると、さっき追い抜いて行ったバイクが自分の目的地で止まっているのに気付いた。
最後の交差点を抜けて近づいてみると、VTのライダーがフルフェイスのヘルメットを脱いだ。
すると、昨日さんざん見た坂田の顔が出てきたではないか。
あちらもこっちに気づいたようで手なんか振って、何か言っている。
「おはようさん! 今日も寒いな!」
「おはようございます。……それインテグラっすよね」
自分もメットを脱いで、挨拶ついでに聞いてみる。
「おうよ! モリワキのマフラー付けてバリバリ気合入ってるっしょ」
「確かに、これはかっこいいすねぇ」
「だら~。杉野のもええな~……それって郵便屋のカブだら?」
「そうすっよ、元々近くの郵便局で使ってたのが、処分されずに行きつけのバイク屋で売ってたんで……元は90ccなんすけど、ボアアップして110ccにしてあるんすよ」
「へぇ~、なかなか渋いなぁ~」
坂田と互いのバイクを眺めていると、後ろから声がした。
「お前ら! 玄関前でいつまでもくっちゃべってんじゃねぇ!」
「す、すいません!」「すんませーん」
玄関前にエリックが仁王立ちして、こちらをにらんでいた。
その風貌は、まさに仁王像そのものであった。。
あまりの迫力に、杉野なんかはぷるぷる震えてしまったほどだ。
寒くなかったら、誤魔化せなかっただろう。
「ちゃっちゃと荷物を置きやがれ! そしたら、あっちに地下駐車場の入り口があるから、中にバイク置いて、駐車場の中で待機してろ」
「へーい」「はい!」
坂田は生返事しながら、杉野の方はビクビクと怯えながら、持ってきた荷物を玄関前に置き、バイクを押して会社の裏にあるという地下駐車場へ向かう。
「いや~、やっぱあのおっさんおっかねえわ……坊主だし、筋肉ムキムキだし」
「同感です。あの人と今日から毎日同じ屋根の下で暮らすと思うと、憂鬱で嫌になりますよ」
「だよな~」
鬼教官の悪口で盛り上がりながら、二人はビルの間を進んで行く。
会社の裏手に回っていくと、シャッターが半分くらい空いていたので、坂田と一緒に上げてみた。
「ここ下っていくんかな?」
「多分」
シャッタ―の先は結構な下り坂になっていて、地上からだと奥が見えない。
いつの間にか、坂田が愛車のエンジンに火を入れていた。
「こんなもん、一速入れてゆっくり行けば楽勝よ!」
さすがは中免持ちと感心しながら、杉野も相棒に跨りキックペダルを踏み下ろす。
杉野も一速でゆっくり行こうと思ったが、あまりに遅かったので、結局二速で下りていった。
多少怖いが、坂田に置いてかれるよりはマシなのだ。
中は螺旋状になっていて、まるでとぐろを巻いた大蛇の腹の中に自ら入っていくような気分だった。
200mくらい下ったところで、行き止まりに出た。
「あれー、駐車場もなんもないぜ」
目の前には白い薄汚れたコンクリートの壁が立ち塞がっているだけで、とても車を止められそうなスペースはなかった。
「バイクはここに止めとけってことなんかねぇ……」
カブから降りて辺りを散策していると、壁の隅にどこかで見たような板が張り付けてあるのを見つける。
「これは……」
試しに手のひらを板に当ててみると、これまたどこかで聞いたような電子音が響いた。
するとどうだろう、さっきまでコンクリの壁だったのが、ズズズッとせり上がっていくではないか。
「うひゃー、すっげぇー! 杉野、今何やったん?」
「いや、この板に手を当ててみただけですけど…」
「とにかくでかした! 早速先に進んでみようぜ」
そう言うと一人でさっさと先に走っていってしまったので、杉野もカブに跨って後を追う。
しばらく走ると、坂田に追いついた。
「なあなあ、これってエレベーターだよな?」
見ると、昨日までのとは違い、大型トラックなんかも丸ごと入りそうなエレベーターが大口を開けて、杉野達を待っていた。
「とりあえず、入ってみましょう」
恐る恐る入ってみると、まるで巨人が使うのかと思うほど天井が高かった。
「こんなもんで何運ぶんだよ」
坂田がぶつくさ言いながら、操作盤を探す。
「お! ここにボタンがあるぜ!」
そう言ってから、地下十階のボタンを押すと、地獄の門じみた重厚なドアがゆっくりと閉まり始めた。
エレベーターが止まり、開いた時よりもいくらか早めのスピードで扉が開くと、体育館くらいの広さはありそうな地下駐車場が目の前に広がる。
「うへー。めっちゃ広いな」
「エレベーターも広かったけど、駐車場も負けないくらい広いっすね」
エンジンを切ったバイクを押して、二人が奥へと進んでいく。
駐車場の中には、亀みたいな戦車や変な形のヘリみたいなのまで置いてある。
「なんか、博物館に来たみてーだな……お! あれは!」
坂田が何か見つけたようで、バイクを適当なところに止めてどこかへ駆けていった。
「こ、こいつは……カマロじゃねーか!! しかも、相当古い……こっちにはVMAXもある!」
坂田は、まるで子供がショーウィンドウ越しに欲しいおもちゃを見つめるような目で、スカイブルーの古いアメ車と黒光りしたクルーザーを交互に見ていた。
「誰のですかね?……もしかしてあの鬼教官の?」
「かもしれんな、アメリカ人っぽいし……ってこのVMAX、逆車じゃねーか?」
杉野もクルーザーに近づいてよく見てみると、各部の説明書きやらなんやらが英語になっていた。
しばらく、坂田とバイク談義に花を咲かせていると、エレベーターの方から黄色い軽バンが走ってきた。
その軽バンが亀みたいな戦車の横に駐車すると、中から昨日見たきりの眼鏡が出てきた。
「おー、神谷じゃん。おはようさん」
「おはようございます。……まだ全員そろってないんですね」
そういえば、もう集合時間の八時まで残り十分ほどなのに、八坂の姿が見えない。
「まあ、女は支度に時間がかかるからなぁ~……にしても、神谷もいい車乗ってんじゃん、それN-VANだら?」
「へへっ、ありがとうございます。ちょっと前に新車で買いまして…」
「いいねぇ~、買ったばっかりとか一番楽しい時期じゃん。どっか走ったりするん?」
「奥三河の方とかはちょくちょく行きますね」
「へぇ~、俺もバイクでよう行っとるよ。どっかで会っとるかもしれんね」
和やかな地元話に花を咲かせていると、またエレベーターが下りてくる音が聞こえる。
「お! ついにお姫様のご登場かな?」
坂田が冗談を飛ばしたりしていると、エレベーターの扉が開いたので、野郎共三人は戦車の陰から覗いてみたりする。
扉から出てきたのは、古めかしいドイツ車だった。
「空冷ビートルかよ!」
坂田が叫んだ。
どんなかわいらしい車が出てくるのかと期待していたら、渋い外車が出てきたのだから、驚くのも無理はない。
ビートルが小型ヘリの隣に止まると、お姫様もとい八坂が綺麗な黒髪を揺らして出てきた。
「これまた、渋いので来ましたなぁ~」
坂田が茶化す。
「……うっざ」
それだけ言うと、八坂は駐車場の奥へ歩いて行ってしまった。
どうやら、機嫌が悪いらしい。
「かわいげのねぇ~女だな」
うざがられた坂田はというと、少し拗ねているように見えた。
また男だけになってしまったので、趣味だの好きなタイプだので盛り上がっていると、坂田が駐車場に着いた時に抱いた疑問を唐突に投げかけた。
「そういえば、あの戦車とかヘリみたいなのって何なんだ? 戦争でもしようってのか?」
確かに地上から相当離れているとはいえ、街中にすぐ出れるようなところにこんな兵器を置くなんて不用心だ。
杉野が要らぬ心配していると、神谷があちこちの戦車やらヘリやらをじっくり観察している。
「あれは、三号突撃砲のG型かな? あっちは多分Fa223だと思います。あっちのは三号戦車M型でそっちの鼻が長いのはナースホルンですね。どれも第二次世界大戦の頃にドイツが作った兵器ですよ」
言われてみると、確かにどの車体の横っ腹にも鉄十字が描かれていた。
「やけに詳しいねぇ……もしかして神谷ってそっちもいける系?」
「まあ、嗜み程度には……」
「へぇ~……にしても、綺麗なもんだな。誰かのコレクションなんかね?」
どれも半世紀以上前に作られたにしては、汚れどころか擦り傷一つ付いていなかった。
三人で戦車を眺めていると、坂田がなにやら良からぬことを企んでいるのに気が付いた。
「なあなあ、これ、こっそり乗ってみない?」
「いや、ヤバいっすよ! もしばれたら、入社早々クビになっちゃいますよ!」
坂田が無理やり戦車の上に登ろうとするのを必死になって止めていたので、杉野は背後に近づく殺気に気づけなかった。
「そいつは、俺が現地へ行ってサルベージした貴重な一品だ。まさか勝手に乗ろうなんざ考えてねぇよな?」
その野太い声に恐る恐る振り返ってみると、あの鬼教官が腕を組んで立っていた。
「い、いや~かっこいい戦車だなーと思いまして、近くでよく見ていた次第であります」
坂田が苦し紛れの言い訳をしながら、エリックへ敬礼した。
「たくっ、あぶねぇから勝手に触るんじゃねぞ!」
「「「イエッサー」」」
三人が敬礼しているのを、エリックの肩越しに見ていた八坂がころころと笑っている。
やけに可愛らしく笑うのだなと、杉野はぼーっと見つめていた。
すると、見られているのに気づいた八坂が顔を赤くして、そっぽを向いてしまった。
「そういえば……神谷!」
「は、はい!」
突然呼ばれて、神谷がビクッと肩を震わす。
「こいつは三号突撃砲G型じゃなくて、105mmの砲を積んだ突撃榴弾砲の方だ。惜しかったな」
それから新人一行はエリックに連れられて、駐車場の出口へ歩いていく。
いくらか歩いたところで、昨日地下一階で見た例のセキュリティドアが立ちはだかる。
昨日、入る時と出る時に博士の案内で通ったきりであった。
「昨日入ってきた時に博士から教えてもらったと思うが、特別にもう一回説明してやろう」
言いながら、機械の電源を入れる。
「まあざっと説明すると、指紋・虹彩・声紋の三つの生体認証をクリアしてから、毎日変わるパスワードを入力する……これだけだ」
昨日の安倍博士の行動の意味が今になってようやっと理解できた。
「とりあえず、俺がやって見せるから、真似して入ってこい」
エリックが入ってしまう前に、杉野が忘れないうちに聞く。
「あ、あのパスワードって……」
「おーそうだったな、今日のパスワードは「Ghost」だ」
パスだけ教えると、慣れた様子でセキュリティを解除して扉の奥に行ってしまった。
エリックが扉を抜けて少しすると、ギロチンのように扉が閉まる。
教官がいなくなり、不安でいっぱいの新人達は沈黙してしまった。
しばらくして、ようやく坂田が口を開いた。
「どうする? 誰からやる?」
また沈黙が流れる。
今度は、誰も何も言わない。
しょうがねなぁというような顔で、坂田が扉の前に立った。
さすがは、最年長者だ。
教官よりかはいくらかおぼつかない手つきで一つづつ解除していく。
最後に、パスワードを入力すると扉が開いた。
坂田が扉を抜けると、またいくらかの猶予の後、扉が閉まる。
「じゃあ、次は……」
杉野が次の挑戦者をうかがってみるが、他の二人はそっぽを向いてしまっている。
しょうがないので、二番手は自分が行ってみることにした。
まずは、扉の右側にある板に手を置いてみる。
電子音が鳴る。
次に、扉の中央にある覗き穴を右目で覗くと、向こう側ではなく、カメラのレンズのようなものが見えた。
一瞬光ったかと思うと、また電子音が鳴る。
続けて、左にあるインターホンに適当な言葉を呟く――どうやら呟く言葉はなんでもいいらしい――と、電子音が鳴り扉にキーパッドが出現した。
そこに、先ほど教えてもらったパスワードを入力すると、ようやく扉が開いた。
閉まらないうちに、足早に坂田が待っている向こう側へ抜ける。
結局、全員が扉を抜けるのに十五分近くかかってしまった。
扉の先にエリックの姿がなかったので、新人たちはまた不安に駆られた。
「とりあえず、先に進もうや。奥で待っとるかもしれんし」
新人四人組の兄貴分である坂田が、兄貴らしく子分達を鼓舞してくれた。
坂田の後に続いて、しばらく進んでいくと、次はあの金属探知機が待っていた。
昨日と同じ要領で、横の穴に反応しそうな私物を入れてから、ゆっくりと一人づつくぐっていく。
ドキドキしながらくぐったが、特にブザーが鳴ることもなく、無事に全員がくぐれた。
私物を回収して先に進むと、金属製の重厚な扉の前に出る。
意を決して、坂田が重い扉をゆっくりと開けた。
「遅かったじゃねぇか。入るたびにこんだけ時間かかってちゃ、先が思いやられるぜ」
扉の先では、エリックが椅子に座って、銀色のリボルバーを磨いていた。
「いや~すんませんねぇ。道が混んでたもんで」
坂田が冗談交じりに言い訳する。
「まあいい。そこのタイムカードを押したら、あっちのエレベーターに乗って地下五階に行け」
エリックの横には、秘密結社じみた会社の割にはローテクなタイムレコーダーが置いてあった。
一人づつタイムカードを押していき、エレベーターに乗り込もうとすると、エリックが坂田を呼び止める。
「あーそうだ。これ、昨日の訓練の褒美だ」
言いながら、坂田に持っていたリボルバーと革製のホルスターを渡す。
「これコルトパイソンっすよね!? マジうれしーっす! ありがとうございます!」
「弾は後で渡すから。大丈夫だとは思うが、座学の途中で弄ったりするなよ」
「イエッサー!」
ビシッと敬礼をして、兵隊のようにくるっと回ってエレベーターに行進していく。
坂田以外の三人はエレベーターの中で首を長くして待っているというのに、呑気なものだ。
「早く来ないと置いていきますよ」
痺れを切らした神谷が急かした。
「いや~、わりぃわりぃ」
心底嬉しそうな顔をして、坂田が小走りで急ぐ。