47 蟲々大森林
洞窟の中を隈なく調べると、わずかに光が漏れている亀裂を発見した。
その亀裂を、藤原が持ってきていたつるはしで削ってみると、脆くなっていたのかボロボロとどんどん崩れていく。
杉野達も手伝ったおかげか、五分ほどで人一人が通れるくらいの穴ができた。
さすがに、これ以上広げるのは崩落の可能性があるので、戦車は置いていくことにした。
最低限必要な荷物を各々の鞄に詰め込んで、一人ずつ穴に入っていく。
他のメンバーよりも大きめの鞄を背負っていた神谷が穴につっかえたり、勢い余って穴の近くにあったゴキブリの巣を踏み抜いたりしたが、なんとか全員が穴をくぐることができた。
穴の先は思いのほか広い道になっていたので、奥に進むのに苦労はしなかった。
ただ、穴を抜けてから、妙にゴキブリやカマドウマなどの小さな虫が増えてきたので、八坂が怖がってしまい、ペース自体はかなり遅い。
しかし、杉野はこの時間が永遠に続いてほしいと願っていた。
なぜなら、虫に怖がっている八坂が近くにいた杉野の腕にしがみついてくるからだ。
常に八坂の体温を腕に感じ、虫の羽音が聞こえてきた時には、それに加えて腕に小さな胸の感触が感じられるのだ。
これほど幸せなことがあるだろうか、いやない。
八坂には悪いが、なるべくこの極上の時間が続くように、わざとゆっくり歩く杉野なのであった。
しばらく歩いていくと、急に虫がいなくなった。
さっきまでは、ゴキブリやゲジゲジなどが地面や壁を縦横無尽に走り回っていたのに、今は蟻の一匹も見当たらない。
「ふぅ、やっといなくなった……あっ、えっと、ごめん」
そう言って、八坂が今迄しがみついていた杉野の腕を慌てて離す。
まだ、掴んでていいのにと、杉野は自分の腕を名残惜しそうに見つめる。
「イチャイチャするのはいいけどよぉ、あんまりゆっくりしてっと、置いてっちまうぞ」
「イチャイチャなんてしてません!」
坂田の半分茶化しが入った注意を聞いて、顔を真っ赤にした八坂が強く否定した。
そんなに言わなくてもと、杉野は少しへこんだ。
そのせいで、何かに足を取られて、盛大に転んでしまった。
暗くてよく見えないが、眼前には硬い岩肌が迫っているのだろう。
当たったら痛いくらいじゃ済まなさそうだが、これは足元を確認しなかった自分が悪いのだ。
甘んじて受け入れるつもりで、杉野は覚悟を決めて目をつぶり、痛みに耐えることにした。
しかし、意外なことに硬い岩盤に当たることはなく、代わりに何か別の弾力性の高い物にぶつかった。
その物体は、冷たくザラザラした感触で所々凹凸があった。
その物体をよく見てみると変な模様があるのに気づいた。
うす暗くて分かりづらいが、縞模様だろうか。
「おーい、大丈夫か――って、そいつは!」
坂田が呼んだ気がして、顔を上げてみると、どういうわけか坂田達が杉野を見て後ずさりをしている。
どうしてなのかと聞こうとすると、藤原が遮った。
「杉野君、落ち着いて、ゆっくりとこちらに来なさい。いいかい、ゆっくりとだよ」
なんのことだか分からなかったが、とりあえず言われた通りにゆっくりとした動作で立ち上がり、件の物体を踏まないようにして坂田達の所へ向かう。
ふと、気になって後ろを覗いてみると、そこには異常に腹が膨れている大蛇が寝ていた。
いや、寝ているというよりは、動けないといった方が正確だろうか。
「あ、あれ、なんですか!? もしかして、ツチノコ!?」
「いや、ツチノコにしてはデカすぎる。大方、牛か何かを丸呑みしたオオアナコンダだろう」
その大蛇は目測でも8m以上はありそうな怪物級の大きさだった。
そういえば、こないだのテレビでやっていたツチノコ特集では、ツチノコは体長30cmから80cmと言っていた。
「アナコンダ!? って、日本にいるんすか!?」
「おそらく、ペットとして飼われていたのが逃げ出したのだろう。しかし、何処かから逃げ出したという情報がないのを見るに、秘密裏に飼われていたのだろうね」
藤原が大蛇に近寄り、懐から取り出したデジカメで写真を取る。
フラッシュが焚かれ、明るくなったその一瞬で大蛇の全体像がガッツリ見えてしまった。
もし、大蛇が動けていたら、あの腹の中に入っていたのは自分だったのだろうと思うと、背筋が凍りつく。
「この感じだと消化まで二、三日はかかりそうだから、そう心配しないでも大丈夫だろう。ほら、気を取り直して、先に進むよ」
そう言って、藤原がさっさと先に行ってしまったので、杉野達は大蛇から逃げるように後を追いかけた。
藤原に追いつくと、洞窟の奥の方が明るくなっているのに気づいた。
おそらく、そこに光源があるのだろう。
早速、杉野達が光の方へ近づこうとすると、藤原が止めた。
「ちょっと、待った! ここから先は、空気中の酸素濃度が高いようだから、このマスクを付けていきたまえ」
そう言って渡されたのは、小さなマスクだった。
「これは?」
杉野が聞いてみると、藤原が得意げな調子で答えた。
「よく聞いてくれた! このマスクはどんな環境でもまともに呼吸ができる優れものなのだよ。さすがに、酸素ボンベがないと水中では呼吸できないけどね」
藤原の説明を聞いて、安心した杉野がそのマスクを付けてみた。
見た目は普通のマスクっぽいが、生地が透明になっていて、マスクをしていても互いの表情がよく分かる。
付ける前と付けた後で、呼吸の感覚にそこまで違いがないのも良い。
「あーあと、顎のとこにあるスイッチを押してごらん」
藤原に言われた通りに、顎の下らへんにあったスイッチを押してみると、マスクの中に冷たい空気が入ってくる。
「超小型内蔵バッテリーの充電がなくならない限り、マスクに入る空気を冷やしてくれる、とっておきの機能なんだ」
「バッテリーが切れたら?」
「外の外気をそのまま吸い込んでしまうね。なーに、ちゃんと充電しておけばそうそう切れることはないよ」
それを聞いて、杉野はすぐさまスイッチを切った。
そんな危険を犯してまで涼みたくはない。
「全員マスクを付けたね? それじゃ、奥へ行ってみようか!」
妙にテンションが高い藤原を先頭に、一行は洞窟の奥へと突き進んでいった。
洞窟の最奥には、またもや光の漏れている亀裂があった。
今回は、人が通れるほどの大きさの亀裂であったため、無駄な作業をせずに済んだのは幸運だった。
皆、巨大蜘蛛との激戦で疲れているのだ。
これ以上、体を動かしたらバテてしまうだろう。
亀裂を抜けると、そこにはジャングルが広がっていた。
外に抜けたのかと思い、上を見上げてみるが、青空ではなく岩で出来た黒い天井しか見えない。
よく見ると、天井には太陽のように輝く光源があちこちにぶら下がっている。
「あれは、なんですかね?」
神谷が天井を指差して、藤原に聞いてみる。
「あれは……なんだろうね」
言いながら、自分の鞄から双眼鏡を取り出して、件の光源を確認する。
「ふ~む、ふむふむ……どうやら、電灯のようだね。なんなら、覗いてみるかい」
そう言って、神谷に双眼鏡を渡す。
「なーんか、変な形ですね~。あっ、杉野隊員も見てみますか?」
「じゃあ、失礼して」
神谷から受け取った双眼鏡――オートフォーカスやレーザーレンジファインダーだけでなく、暗視機能まで付いている多機能双眼鏡らしい――で天井に付いているライトらしき物体を確認してみる。
螺旋状に巻かれた白い電灯が煌々と輝き、光に誘われた何匹ものカゲロウが群がっていた。
電灯の形状以外は特に変わった物もないように見えるが、杉野は妙な違和感を感じた。
どうにも、虫のサイズ感がおかしいような気がするのだ。
目測で20cmくらいの大きさの伝統に群がっているその虫は、どうみても電灯よりデカい。
よく見ると、羽の生え方や色なども、子供の頃に図鑑で見たカゲロウとは違っている。
どうしても気になった杉野は、双眼鏡を返すついでに聞いてみた。
「あの、なんか電灯の近くにデッカい虫みたいなのが群がってるんですけど、あれなんなんですかね?」
「ほう、どれどれ……あれは、『パレオディクティオプテラ』だね。石炭紀にいたカゲロウのご先祖だよ」
「石炭紀!? なんで、そんな昔の虫がこんな洞窟にいるんですか?」
「おそらく、この洞窟に迷い込んでしまった個体が絶滅の危機を逃れ、そのまま洞窟の中だけで繁殖していたのだろうね。まあ、シーラカンスなんかもデボン紀からずーっと生き残ってきたんだし、石炭紀の虫が生き残ってても不思議ではないよ」
無理やりすぎる気もするが、実際にこの目で見てしまったのだから、信じるしかない。
「それにしても、あの電灯は誰が、何の目的で付けたんだろうねぇ。僕には、そっちの方が気になるよ」
言われてみれば、こんな辺鄙な場所にあのような奇怪な形の電灯を付けるなど、正気の沙汰ではない。
もしや、旧日本帝国軍が付けたのだろうか。
それにしては、デザインが近代的すぎる気もするが。
杉野と藤原が考え込んでいると、後ろの方から八坂の悲鳴が聞こえた。
急いで振り返ってみると、八坂が硬そうな甲殻を持ったデッカいムカデに追いかけられているのが見えた。
先に気づいた坂田がムカデに発砲するも、なかなか当たらない。
そうこうしているうちに、八坂達はどんどん遠くへ行ってしまう。
杉野と坂田の二人は急いで、あとを追いかけた。
なんとか追いついた杉野がムカデを踏みつけ、どうにか動きを止めることには成功した。
しかし、普通のムカデと違って、足で踏んづけただけでは装甲のような甲殻を潰せそうにない。
このままではどうにもならないので、二本の触覚が生えている頭らしき部分をライフルで撃ち抜く。
さすがに、頭は柔らかいようで弾痕から緑色の体液が流れ出てきた。
ゆっくりと足を離してみるが、ムカデが動き出す気配はない。
ホッと一安心して、忘れていた空薬莢の排莢をしてから八坂に近づくと、涙でぐしゃぐしゃの顔をした八坂が杉野に抱きついてきた。
「こ、怖かったぁ! 怖かったよぉ」
あまりの恐怖で子供のようになってしまった八坂の扱いに困り果て、後ろにいた坂田に助けを求めるも、杉野の肩をポンっと軽く叩いたと思うと、藤原の下に戻ってしまった。
それから十五分ほど、八坂が泣き止むまでなだめていた杉野であった。
八坂が泣き止み始めた頃、心配した神谷が呼びに来た。
「あのー、お熱いところ申し訳ないのでありますが、藤原隊長がお呼びであります」
それを聞いた八坂が、さっきまで抱きついていた杉野を投げ飛ばす。
照れ隠しにしても、強引なものだ。
「あーそうだ、そのムカデも持ってきてください。では、自分は先に戻っていますので」
そう付け加えると、神谷は足早に元来た道を戻っていった。
あの重そうなムカデを一人で担いでいくのは、相当な重労働になりそうだ。
だがしかし、女の子に手伝ってもらうわけにはいかないだろう。
杉野にも、最低限のプライドというものがあるのだ。
杉野がムカデの腹を掴んで持ち上げようとするも、思っていた三倍は重く、一人だけの力では地面から少し浮く程度しか上げられなかった。
しょうがないので、杉野は早々になけなしのプライドを捨て、八坂に助けを求める。
「えーっと、ちょっと手伝ってもらえないかな?」
杉野の問いかけに、八坂は答えずにそっぽを向いてしまった。
いや、答えてはいるようだ。
あまりにも声が小さくて、杉野に聞こえなかっただけで。
「えっ? なんて?」
「だから……さっき、私が泣いてたこと、黙っててくれるんなら手伝ってあげる」
「それくらいなら、お安い御用だけど……」
「だけど?」
「多分、他の二人にはもうバレてると思うよ」
杉野が暴露すると、顔を赤く染めた八坂がムカデのお尻を持つ。
すぐさま、杉野が頭を持つと、ギリギリ引きずらずにムカデを藤原の所まで運べそうだ。
道中、猫ほどの大きさのタランチュラにムカデを奪われそうになったり、鷲と見間違うようなトンボに襲われたりと、刺激の強いトラブルに見舞われたおかげで、藤原達の下に辿り着く頃にはムカデの死体はボロボロになってしまっていた。
「はぁ~あ、やっと着いた」
「もう、無理。これ以上、動けない」
杉野達が藤原の下へ着くや否や、ムカデの死体をそこら辺にほっぽり出して、二人は荒れた息を整え始めた。
「ご苦労さん。よかったら、そこのハンモックで休んでいてくれ。昼御飯は、こっちで作っとくから」
そう言って、藤原が指差した方を見てみると、大木に白いハンモックが吊るされていた。
どうやら、ジャングルの入り口近くに簡素な拠点を作ったようだ。
ハンモックの他にも、焚火や小さなタープテントなどが準備されている。
これなら、しばらくはここで生活できるだろう。
藤原の言われた通りに、杉野がハンモックに寝転がってみると、これがなかなか気持ちよくて、すぐに眠れてしまいそうだった。
しかし、杉野に続いて八坂までハンモックに入ってきたので、軽く寝かかっていた杉野の眠気は一気に覚めた。
かなり大きめのハンモックなので身体が当たることはないが、目が合ったりすると恥ずかしいので、二人は反対を向いて寝ることにした。
外側を向くと、ハンモックが吊るされている大木の幹がよく見える。
じっくりと観察してみると、鱗のようなゴツゴツがあったり、てっぺんの葉っぱがある部分には太い枝が生えていたりと、洞窟の外で見たヤシの木とは違う点がいくつか発見できた。
この木も、他の虫達のような古生代の生き残りなのだろうか。
そんなことを考えていると、背後からごそごそと布が擦れる音が聞こえた。
おそらく、先に寝付いた八坂が寝返りを打っているのだろう。
杉野も寝てしまおうと目を閉じると、再び、音が聞こえた。
今度は、ハンモックの上をゴロゴロと転がるような音だ。
そういえば、清水に聞いた話では八坂は寝相が悪く、よくベットから落ちているらしい。
ただ、ここは会社の共用寝室ではなく、絶滅を逃れた巨大昆虫達がうようよしているジャングルだ。
もし、ハンモックから落ちてしまったら、耳の一つは齧り取られてもおかしくない。
心配になった杉野が八坂の方へ寝返りを打つと、目の前に八坂の寝顔があった。
ここまで近くで見たことはさすがになかったため、杉野はなんだか恥ずかしくなってきた。
それにしても、よく寝ている。
今なら何をしても起きなさそうだが、紳士の杉野にはそんな不埒なことはできない。
正確には、勇気がないのだが。
ただ、こんなチャンスは滅多にないので、杉野は思う存分好きな娘の顔を見つめることにした。
奇麗な白い肌、高い鼻筋、そしてサラサラとした黒髪、その全てが杉野を虜にするには充分だった。
ずーっと見つめていたかったが、いつ起きるやも分からぬので、最後に可愛い寝顔を目に焼き付けてから反対側に寝返りを打った。




