46 百の目は何を見ていたのか
念のため、杉野がライフルで撃ってみるも、動くどころか反応すらしない。
どうやら、本当に死んでいるようだ。
安全が確認できたところで、藤原が戦車から飛び出して、蜘蛛の死体へと駆け寄っていく。
少し遅れて、外に出ていた杉野達や戦車の中にいた神谷達も藤原の後を追う。
蜘蛛のすぐ近くまで近づいてみると、遠くから見るよりもかなりグロテスクな見た目をしていることに気づいた。
たくさんの目が付いているとは思っていたが、頭や胴体の表側だけでなく裏側、つまり、常時地面に向いている箇所にも目が付いているのだ。
杉野があまりのグロさに辟易していると、さっきから何かを数えていた藤原が叫んだ。
「九十八、九十九、百! この蜘蛛は百個も目を持っているぞ!」
確かに、全身に目があればそれくらいはいくだろうが、何故そんなにも目が必要なのだろうか?
そんなにあったら、いらぬダメージを受けてしまいそうだが。
「しかし、妙だね。普通の蜘蛛なら、目は多くても八つしかないはずなんだが」
藤原も同じような疑問を抱えていたようで、懐からタブレット端末を取り出して、あれこれ調べ出す。
「ふーむ、テトロドトキシンにシガトキシンか。やはり、あの小川に流れていた毒はこの蜘蛛から出ていた物で間違いないようだね」
「そういえば、この蜘蛛ってなんて名前なんですかね?」
神谷が聞いてみると、藤原が難しい顔をする。
「うーん、こんなデカい蜘蛛なんて見たことも聞いたこともないから分からないけど、見た目はオニグモに類似しているね」
「ってことは、新種なんですか?」
「おそらく、そういうことになるだろうね。名づけるとしたら『ヒャクメオニグモ』ってところかな」
なんとも、そのまんまなネーミングだが、名は体を表すとも云うし、それで問題ないのだろう。
それにしても、新種の発見に貢献できるとは思っていなかった。
杉野は生物学に明るくないが、このような世紀の発見に立ち会える機会はそうそうないだろうということだけは分かった。
「こういうのもUMAに入るんですかね」
杉野が聞いてみると、藤原がにこりと笑った。
「良い質問だ! UMA、もとい隠棲動物というのは今迄に目撃はされていたけど捕獲されていない生物のことをいうんだ。だから、このヒャクメオニグモもそういった意味ではUMAといえるだろうね」
「へぇー、ちなみに発見に対する報酬とかってあるんですかね」
「まあ、賞金が出てれば貰えるんじゃないかな。例えば、日本の有名なUMAに『ツチノコ』がいるけれど、あれも生きて捕まえれば一億円くらい貰えるみたいだしね」
「なるほど。それで、この蜘蛛に賞金ってかかってるんですか?」
「聞いたことがないねぇ。なんせ、僕も初めて見るからね」
どうやら、賞金の方は期待するだけ無駄なようだ。
「それにしたって、グロイ見た目だな~。ほれ、八坂ちゃん! 巨大蜘蛛の脚焼き~蝙蝠を添えて~」
坂田が丸焦げになった蜘蛛の脚とそこら辺で死んでいた蝙蝠を素手で掴んで、少し遠くから見ていた八坂に見せに行った。
「ちょ、やめ――来ないでー!!」
ちょっとした悪ふざけのつもりだった坂田だったが、あまりにも反応が面白いので、さらにエスカレートしていく。
「それ! 蜘蛛の目ん玉だぞ!」
ついには、脚に付いていた目玉を取り出し、ぽーいっと八坂へ投げ出した。
「やめて、や――やめろって言ってるでしょうが!!」
ぽいぽいと目玉を投げていた坂田の頬に、八坂の渾身の左ストレートが決まった。
パンチを食らった坂田が大袈裟に倒れると、ぐちゃっと嫌な音が響く。
「げっ! 蝙蝠潰しちまった! どうしてくれんだよ、お気に入りのシャツがベチャベチャだぜ」
見ると、小さくHONDAのロゴが入ったまっ白いTシャツに、蝙蝠の赤い血や臓物がこびり付いていた。
「ふん、自業自得でしょ」
殴った八坂はというと、少しやり過ぎたというような顔でそっぽを向いていた。
その後しばらくは、赤と白のグラデーションが映えるシャツを着るはめになった坂田なのだった。
洞窟の中を調べていると、杉野が不思議な物を発見した。
昨日見つけた小川の水源らしき小さな泉があったのだが、なんと透明なビニールのような膜で保護されていたのだ。
未だに、蜘蛛の死体を観察していた藤原にこの事を報告すると、目の色を変えて泉へ走っていった。
少し遅れて杉野が追いつくと、藤原が泉を守っていたビニールをナイフで切ろうと四苦八苦していた。
ナイフを突き立てたり、ビニールを引っ張ってみたりしているが、穴どころか皺一つ付いてない。
「こいつは、普通のビニールじゃないな。そうだ、杉野君! ちょっと、銃で撃ってみてくれ」
「このビニールを撃つんですか?」
「そうだ」
「分かりました。ただ、弾が残り少ないので、新しいのをください」
「しょうがないな、これ以上は出せないよ」
「ありがとうございます」
杉野が藤原から受け取った弾薬をライフルに装填し、ビニールへ狙いをつけ、引き金を引いた。
弾は確かにビニールへ当たった。
しかし、硝煙で少し汚れた程度で、ほぼ無傷であった。
「撃っても駄目みたいですね」
「ふーむ、それじゃあ、あれで撃つか」
「あれ?」
「あれ」
藤原が指差したのは、さっきまで巨大蜘蛛と熱い戦いを繰り広げていた九七式中戦車だった。
藤原の指示で、坂田と神谷の二人だけが戦車に戻り、泉の前まで戦車を持ってきた。
杉野と八坂は探照灯でビニールを照らし、藤原はというと記録用にビデオカメラを回している。
「よく狙って……撃て!」
藤原の合図で、榴弾が一発だけ放たれた。
砲弾は見事に命中し、周りに砂煙が広がっていく。
砂煙が収まってから、件のビニールを見てみると、破裂したような破れ方をしていた。
「さすがに、戦車の砲撃には耐えられなかったか」
藤原がカメラ越しに破れたビニールの断面を観察し、ついでに泉の水を腰に付けた水質検査機で調べる。
「どうですか、何か分かりましたか?」
杉野が聞いてみるも、藤原は難しい顔をしたまま、何も答えない。
「このビニール、なんか付いてるぞ!」
坂田がいじっているビニールをライトで照らしてみると、確かに緑色のネバネバした物体がこびり付いていた。
「なんですかね、これ?」
「なんか分かんねぇけど、いい匂いだな、これ」
坂田がそう言うので、軽く嗅いでみると柑橘系の良い匂いがした。
「こらこら、むやみやたらに触るもんじゃないよ。毒かも知れないんだから」
「すいません」「さーせん」
怒られてしまい、ちょいとばかしテンションが下がってしまった坂田が戦車に戻っていったところで、あらためて、藤原に水質検査の結果を聞いてみた。
「それで、その泉の水質はどうだったんですか? 毒、ありましたか?」
「いや、ないよ。それどころか、細菌も少ない奇麗な水だよ。おそらく、このビニールが水源を蜘蛛の毒から守っていたんだろうね。なんなら、飲んでみるかい」
「遠慮しときます」
「そうかい? 美味しいのに」
そう言って、藤原が泉の水を手で掬って、ゴクッと飲んでしまった。
「うん、うまい! ちょっと汲んでいこうか。神谷くーん! 戦車の中の空になったペットボトルを取ってきてくれ」
藤原が呼ぶと、まるで飼い主に名前を呼ばれた犬のように、空のペットボトルを何本も持った神谷が戦車から飛び出てきた。
「お待たせしました! それで、ボトルで何を?」
「この泉の水を汲んどいて欲しいんだ。なに、そう大変な作業じゃないさ」
「それくらいなら、いくらでも致しますとも! この神谷一等兵にお任せください!」
そう意気込んだはいいものの、湧き水で満タンになったペットボトル六本を一人で戦車に積み込むのは、かなりの重労働だったようだ。
杉野が手伝おうと声をかけるが、「自分が請け負った任務なので」と言って、譲ろうとしなかった。
結局、見兼ねた藤原が六本のうちの三本を奪っていってしまったので、その後の神谷はなんとなく機嫌が悪くなってしまったのであった。




