35 怪物実験
慣れない機械に苦戦して、モニターを切るのに二十分もかけてしまった杉野達が研究フロアに戻ると、博士が不機嫌そうな顔で出迎えた。
「遅いぞ! 二十分も何をやっていたんじゃ! まあいい、ここからの実験は少々危険を伴うから、覚悟しておけよ」
これまでは危険じゃなかったのかというツッコミを飲み込んで、杉野達が黙々と銃やバズーカの準備をし始めた。
すると、今度は銃を撃つ前に、博士が止めに入った。
「待った、待った! 今回は兵器は一切使わないぞ。その代わり、君らが連れてきてくれたもう一つの実験材料を使う」
「もう一つの? そんなんありましたっけ?」
なんとなく嫌な予感がした杉野が聞いてみると、博士の口から聞きたくないワードが飛び出した。
「君らが連れてきた『八尺様』とかいう化け物じゃよ! 七つ目の箱である『チッポウ』はあの化け物に開けてもらうことにしよう」
「えぇぇぇぇ!! まだ生きてるんですか!?」
まさか、まだ生きてるとは思わなかった杉野が悲鳴を上げる。
「あぁ、言ってなかったか? あやつ、脳が半分になっていたというのに、一晩で回復しおったようで、隔離室の中を動き回っているのじゃ。しかも、脳が半分になったままでじゃぞ!」
そう言って、博士が案内したのは「隔離シェルター」と書かれた木札がドアにかかっている部屋であった。
中から何か音が聞こえたり、変な臭いがしたりといったヤバそうな感じはないが、本能が入ってはいけないと言っているような気がする。
「遠慮するな。この部屋は部外者じゃなければ、誰でもウェルカムだからな!」
博士が扉を開き、後ずさりしている杉野達に中へ入るように促す。
渋々、中に入ってみると、いつも対幽体訓練で使ってるトレーニングルームとほぼ同じようなレイアウトになっていた。
ただ一つ違うのは、杉野達がいるレコーディングルームのような監視室と八尺様が軟禁されている隔離室の間にある壁にマジックミラーが嵌められていたことだ。
「なんか、動物園みたいっすね」
坂田が率直な感想を述べると、博士がぷんすかと怒りだした。
「この部屋は、見世物を入れておく檻ではないわい! 本来は、幽体に憑かれて暴走状態に陥った者を隔離する部屋じゃ。場合によっては、君らがここに入ることになるかも知れんのじゃぞ」
「そいつは、ご遠慮したいっすわ」
「ま、せいぜい憑かれないようにすることじゃな」
博士からこの部屋の本来の使い方を教えてもらったところで、早速実験に取り掛かることにした。
まずは、隔離室内にある麻酔発射装置で八尺様を一時的に眠らせ、八尺様が夢の世界に旅立っている間に、杉野達が八尺様の半分だけ残った頭に脳波を計測するための電極を貼り付ける。
それから、隔離室に繋がる頑強な鉄扉に付いている小窓――本来は食事を入れるための物――からコトリバコを中へ放り込む。
あとは、麻酔が切れて覚醒した八尺様が箱に興味を持つまで、待てばいいという寸法だ。
まず最初に、八尺様に遠隔で麻酔を打つ。
ここで使う麻酔発射装置は、先程の実験でも出てきたロボットアームにFP-45――通称リベレーター――という銃を改造した麻酔発射器を持たせただけの、お粗末な物だった。
操作に関しては、全てマジックミラーの前にある大きな操作盤を使う。
操作盤の真ん中には液晶画面が嵌め込まれており、発射器視点の映像を映し出している。
この映像を見ながら、画面の横に付いているレバーを使って、発射装置の照準を合わせるというわけだ。
古い銃を使っているからなのか、はたまた博士のエイム力が貧弱なのかは分からないが、ふらふらと動き回る八尺様に向けてもう五発は撃っているのに、未だに命中弾がない。
「自分がやってみてもよろしいでしょうか?」
見兼ねた神谷が、それまでフルフル震える手で照準を合わせていた博士に意見具申をしてみると、悲しげな表情の博士が操作を譲った。
「やはり、年は取りたくないのう。手が震えてしまって、どうにもうまく当てられんわ」
操作を変わった神谷が、あちこち動き回る八尺様に狙いを定めると、発射ボタンを押した。
発射された麻酔弾は、見事に八尺様の右腕に当たり、ほどなくして麻酔が効き始めた八尺様が膝を突いて眠りだした。
「やるじゃねぇか、神谷! 見直したぜ!」
「いえいえ、これくらいの動きなら、逃げ回るTー34をアハトアハトで仕留めるよりも簡単ですよ」
最近、神谷がハマってるロシア製シューティングゲームの話らしいが、まったく興味のない博士は適当に聞き逃して、次の指示をする。
「では、ターゲットが眠ったところで、すぐにこの電極を取り付けてこい」
「あのー、ほんとに僕達が行くんですか? ロボットアームとかでなんとかできないんでしょうか?」
杉野が聞いてみると、博士が呆れた顔をする。
「あんな単純なロボットにそんな複雑な作業ができるわけなかろう。さあさ、あやつが起きる前に早く行ってきなさい」
博士に半ば無理やり、隔離室に放り込まれてしまった杉野達は、ビビりながら作業を開始した。
電極を八尺様の頭に張り付ける作業は、弱音を吐いていた杉野がやることになった。
残りの二人はベレッタを構えて、八尺様がいつ起きても大丈夫なようにドアの近くで待機している。
もし、起きてしまった時は、すぐに退路を確保して、銃で足止めしながら逃げる作戦らしい。
ただ、車に轢かれ、海に落ち、しまいには8.8cm対戦車砲を頭に食らってもピンピンしている化け物に、今更拳銃なぞ効くとは思えないが。
作業自体は、滞りなく進んだ。
特に、八尺様が膝を突いていることにより、つま先立ちをせずとも頭に手が届いたのは都合が良かった。
もし、立ったまま寝ていたら、梯子を持ってくる必要があっただろう。
ちなみに、電極の根本には何かのレコーダーのような物が付いており、中で紙のロールが回っている。
おそらく、この紙に脳波を記録するのだろう。
全ての電極を付け終わり、坂田達の方に振りむいて指でOKサインを送ろうとすると、何やら焦っていた。
必死に杉野の後ろを指差して、早くこっちへ来いと手招きしている。
不思議に思った杉野が後ろを振り返ると、さっきまでぐっすり眠っていた八尺様の目が少しずつ開こうとしていた。
「早くこっちこい! 逃げねぇと食われるぞ!」
坂田の叫びを聞いて、杉野が弾かれたように出口へ向かって駆けだした。
坂田達が杉野の後ろに向かって発砲を開始したことから、八尺様が動き出したことが分かる。
坂田が開けてくれた出口に杉野が飛び込み、次に神谷が、最後に返り血まみれになった坂田が出てきてたのを確認すると、先に出た二人で急いで鉄扉を閉めた。
しばらく、扉を引っ掻くキーキーという金属音やドンドンと力任せに叩く鈍い音が続いたが、三十分ほど放置していたら、いつの間にか収まっていた。
実験は次の工程に移ろうとしているのだが、マジックミラーから見える部屋の中に八尺様の姿が見当たらない。
「扉の前に張り付いてしまったか。よほど、腹が減っているようじゃのう。 ほれ、飯の時間じゃぞ」
博士が冗談交じりに、扉に付いている小窓を開けると、窓越しに八尺様の顔がこちらを睨んでいた。
それでも動じない博士が、食事もといコトリバコを投げ入れる。
箱は八尺様の顔面へ見事に命中し、かなりの勢いでぶつけられたのか、顔を痛そうに抑えながら扉の近くで悶え始めた。
しばらく待っていると、痛みが引いた八尺様が部屋の中を徘徊し始めた。
これは時間がかかりそうだと思っていると、不意に、八尺様がコトリバコを拾い上げてあちこちいじり始めたではないか。
一見すると実験は順調に進んでいるように見える。
しかし、杉野に一つの疑問が芽生えた。
「ところで、僕らが試行錯誤してもなかなか開けられなかったあの箱を、あんな化け物に開けられるんでしょうか? 戦車砲でも無理かも知れないのに」
「良い質問だ。君には、あの化け物がオスとメス、どっちに見えるかね?」
「えーっと、メスですかね? 髪、長いですし」
八尺様は常に白いボロ布を纏っているので、身体のラインやモノがあるかないかで性別を判断するのは難しい。
ただ、髪が長いという特徴は布で身体が隠れていても分かる特徴だ。
その特徴は、人間ならば男性よりかは女性に多い特徴といえる。
そこから判断すると、八尺様はメスであるという結論が杉野の中で導き出されたわけだ。
「ふむ、それが正解かどうかは、あの化け物の様子を見ていれば、自ずと分かるじゃろうな」
「はぁ」
よく分からなかった杉野が生返事を返してから、隔離室の中の八尺様を見てみると、どうにも様子がおかしい。
さっきまで、箱をいじりながら部屋の中をうろうろしていたのに、今はまったく動く気配がない。
そのまま観察していると、いきなり八尺様の口から赤黒い血が流れ落ちたと思うと、バタッと床に倒れてしまった。
「どうやら、杉野君の答えは正解だったようだね」
そう、博士が静かに言うと、隔離室の鉄扉を開けて、中に入ってしまった。
「ちょっ! 何やってんすか!」
坂田が慌てて連れ戻しに行こうとするが、博士は至って冷静に八尺様の手首に自分の指を当てる。
次に、八尺様の瞼をこじ開けると、懐から出したライトを当てた。
どうやら、本当に死んだのか確認しているようだ。
「よし、死んでおるな。もう入ってきてもよいぞ」
博士はそう言うが、まだ半信半疑の杉野はビクビクしながら隔離室に入った。
外からはよく見えなかったので分からなかったが、八尺様は失禁しながら死んだようで、床に黄色い液体が広がっていた。
肝心のコトリバコはというと、綺麗に蓋が開けられて、中から血と七つの胎児が覗いていた。
かなりのアンモニア臭と血の臭いで充満した隔離室の中で、博士が八尺様に取り付けてあった電極を無理やり剥がすと、さっさと部屋から出ていってしまった。
「ちょ、置いてかないでくださいよ!」
すでに死んでいるとはいえ、こんな恐ろしい化け物がいる空間にいつまでもいられなかった杉野は、すぐに博士の後を追いかけた。
隔離シェルターから出ると、博士がさっき回収したロール紙を何かの機械にセットしていた。
「酷いっすよ! 一人で戻っちゃうなんて」
「あぁ、すまんな。どうしても、実験の結果が早く知りたくてな」
子供のようなキラキラした目をした博士が答えるので、杉野はそれ以上何も言えなくなってしまった。
「よし、準備出来たぞ! どれどれ、ほう、なるほど」
「何が分かったのでありますか?」
杉野の後から来た神谷が、機械に付いている液晶画面に釘付けになっている博士に質問した。
「ん? あぁ、そうじゃったな。君らにも、この素晴らしい実験結果を共有してやらねばな」
そう言うと、画面に映る緑の横棒が波打っている様子を杉野達にも見せた。
「これは?」
「あの八尺様とかいう化け物の脳波じゃよ。ほれ、ここでいきなり乱れ始めたじゃろう。おそらく、ここで箱を開けたんじゃろうな」
博士の言う通り、さっきよりも明らかに激しく上下する波が流れたと思うと、ある時を境にパタッと波がなくなってしまっていた。
「なんで、こんなことになったんだ? 俺がいじった時はなんもならなかったのに」
「それは、君がオスだからだろう」
「オス!?」
いきなり自分をオス呼ばわりされた坂田が、思わず聞き返した。
「神谷君から聞いたと思うが、コトリバコは女子供が開けた時だけ呪いの効果が出るようになっているようじゃ。今回の実験で、それが真実である可能性が高まったのう」
博士はそう言うと、不敵な笑みを浮かべる。
「そうなると、次はその呪いに逆らってみたくなるのう」
言い終わるや否や、博士は端末を取り出して、何処かに電話をかけ始めた。




