31 新たな仲間
地下五階のミーティングルームの裏にはマジックミラーで仕切られた隠し部屋が存在している。
かつて、杉野達の顔合わせが行われた時には、その隠し部屋からエリックが覗き見ていたらしい。
今回の面接で誰が来るのかは杉野達もまだ知らないが、どうせこの後の予定などは昼飯を食って昼寝するくらいしかないので、暇つぶしがてら隠し部屋から面接の見学でも洒落こもうというわけだ。
なんと、贅沢な時間の使い方だろうか。
杉野達は目的の部屋に忍び込むと、自分達の後輩になるかもしれない人物の到着を待った。
しばらく待つと、ミーティングルームに直接繋がっているエレベーターから博士が姿を現した。
その後ろに付いて出てきたのは、一昨日廃墟で救出したばかりの女性だった。
「おい、マジかよ!」
「ちょ――声が大きいですって!」
坂田が驚きと喜びが混ざったような声を上げるので、すかさず杉野が注意する。
「大丈夫だって。この部屋、防音っぽいし」
隠し部屋の防音システムは、学校の音楽室で見るような無数の穴が開いた壁やスチール製の二重防音ドアなど、妙に徹底している。
もしかしたら、この部屋は最重要機密を話すために作られたのかもしれない。
軍のお偉方や政府関係者など、今迄も地位の高い人物が訪問してきたことが度々あった。
おそらく、表のミーティングルームで話せないような重要な会談や非公式の密約がこの部屋で交わされていたのだろう。
そう考えると、自分達がこんな部屋にいて良いのかと不安になってきた。
もっとも、この部屋の存在を教えてくれたのは、他でもない博士だったのだが。
杉野が勝手に不安に駆られている間に、面接が始まっていた。
「えっと、清水慶子です。本日はよろしくお願いします」
向こう側の音声は全て、集音性に優れた博士特製隠しマイクによって拾われ、こちら側にあるスピーカーから流れる。
音自体はよく聞こえるのだが、マイクの性能が良すぎるせいか、衣ずれやちょっとした物音も拾ってしまっていて、どうにも聞きづらい。
今更、文句を言ってもしょうがないので、杉野達はなるべく物音を立てないようにして、スピーカーの向こうから聞こえてくる音声に神経を集中させた。
「えー、清水さんはどうしてうちに入りたいと思ったのだね?」
「そうですね、危ないところを助けてもらったのでその恩返しと言いますか、拾ってもらったこの命を御社の為に使いたいと思いまして。あ! あと、御社で好きな人が働いているので、それも理由の一つです」
なんとなく、こちらを見ながら言われたような気がして、杉野は首を傾げた。
確か、マジックミラーはあちらからこちらを見ることはできないはずなのだが……。
超能力でも使っているのだろうか。
杉野が真面目に考え込んでいる隣で、坂田が鼻息を荒くして興奮していた。
「す、好きな人って、もしかして俺だったりする? な! な! 杉野、どう思うよ?」
「知らないっすよ。少なくとも、僕ではないと思います。面識ないし」
「おそらく、自分も違いますな。清水なんて人は自分の交友リストにはいませんから」
杉野も神谷も否定するとなると、いよいよ坂田のテンションも有頂天となる。
「えぇー、ガチで俺なん? うわー、今になって緊張してきたわー。てかてか、もしあの子が採用されたら、毎日一緒に仕事できるわけだろ? それって、やばくね? 杉野、ちょっと俺のほっぺた摘まんでくれ、夢かも知れんから」
「へーい」
生返事を返しながら、頼まれた杉野が坂田の頬を思いっきり摘まんだ。
「いっててて、もういい、もういいから! 夢じゃないとすると、こいつはあれか! 運命ってやつか!?」
臭いセリフを吐きながら、興奮しっぱなしの坂田を宥めていると、いつの間にか面接が終わっていた。
どうやら、合格だったようで、鏡の向こう側で心底嬉しそうな笑顔を晒している清水の表情からもそれが伺える。
杉野達がホッと安心していると、ふと、博士の姿が見えないことに気づいた。
杉野がそのことを他の二人に伝える前に、隠し部屋の二重扉が開かれ、博士が顔を出した。
「ちょっと、いいかね。君らのうちの誰かに手伝ってほしいことがあるのだが、誰か暇な者はおるか?」
「はい! 俺、行きます! なんなら、新人ちゃんに会社の案内だってやりますよ!」
杉野が気を利かせて坂田を推薦する前に、本人自ら立候補した。
「ほう、やってくれるか! では、一昨日行った廃墟まで新人を連れていってくれないか? どうにも、バイクを置き去りにしてしまったようでな」
「お安い御用っすよ!」
「では、さっさと出てきたまえ。他にも色々とやることがあるのでな」
重厚な二重扉から坂田が顔を出すと、清水の顔が瞬時に赤くなった。
やはり、そういうことなのだろう。
杉野は心の中で坂田の恋路を応援することにした。
「それで、ここが地下駐車場! 広いでしょ、ここに自分のバイクを停めてもらっていいからね」
「は、はい」
地下駐車場へ直通のエレベーターを降りた坂田と清水の二人は、駐車場内の車両や通路の説明をしながら、あっちへ行ったりこっちへ寄ったりして、なかなか目当ての車両まで辿り着かない。
もちろん、それも坂田が思いついた作戦の一つで、できるだけ長く喋っていたいからだったりするのだが、運の良いことに清水もそれを望んでいた。
子供みたいにあちこち紹介して回る坂田を微笑ましいと思い、同時にそのハスキーな声に酔いしれていたのだ。
散々もったいぶってから、最後に自分のバイクを紹介すると、早速エンジンを掛け、清水にほとんど使ってなかった予備のヘルメットを手渡した。
「ちょっと乗り心地わりぃかもしれんけど、堪忍な」
「ぜ、全然大丈夫です! というか、後ろに乗せてもらえるなんて、夢にも思わなかったというか……」
最後の言葉はごにょごにょと口ごもってしまい、坂田に聞こえることはなかった。
「そ、それでは失礼します!」
清水が、先に跨っていた坂田の後ろへ慎重に腰を下ろすと、古いバイクらしいへたったサスペンションがぐっと沈み込んだ。
「うひょう!?」
「ど、どうかしましたか!?」
坂田が素っ頓狂な声を上げたので、思わず清水が聞く。
「い、いや~、なんでもないぜ。そいじゃ、そろそろ出発しますかね」
「お、お願いします」
いつもよりも多めにスロットルを回して、お似合いの二人を乗せたバイクが走り出した。
通路を抜け、地上に出て、今にも雨が降りそうな雲行きの下、坂田達を乗せたフルカウルスポ―ツが山道を走っていく。
そのフルカウルスポ―ツを操っている坂田はいつになく緊張していた。
いつも走っている道だし、二人乗りなんて高校の頃にダチを乗せて県外へ遠征したくらいには慣れているつもりだ。
しかし、それらも背中に感じる柔らかさの前には無力であった。
坂田自身、星の数ほどの女性と付き合って、二人乗りでデートに行ったこともあるのだが、ここまでデカいのは初めてだ。
しかも、結構な勢いでくっついてくるので、坂田の頭の中は真っ白になっていた。
まだ雨が降っていないのは、不幸中の幸いと云えるだろう。
こんな心境で、雨の中をバイクで行軍しようなど、愚の骨頂と云えるからだ。
しかし、坂田の「廃墟に着くまでは雨よ、どうか降らないでくれ」という切なる願いは、突然の夕立に洗い流されてしまったのであった。
幸い、夕立が降り始めたのは廃墟まで1kmを切っていた地点だったので、そう濡れることはないだろうと坂田は思っていた。
しかし、肝心なことをこの時の坂田は忘れていたのだ。
坂田の忘れていた事とは、しばらく走った先にある不自然に切り開かれた道のことだ。
一昨日、エリックがわざわざ戦車まで使って切り開いたその道には、すでに雨水が溜まり始めていた。
ここを突破しなければ廃墟には辿り着けない、この時の坂田はそう信じ切っていた。
実際には、山の反対側に回り込めば舗装された県道が廃墟へと繋がっているのだが、そんなことは坂田も知らなかったのだ。
結局、このドロドロの化け物道を泥にまみれながら進んで行くこととなった。
どうにか廃墟に辿り着き、とりあえず中に入って雨が上がるのを待つことにした。
この日、清水はリクルートスーツで来ていたのだが、暑いということで上は白いワイシャツ一枚であった。
先程の雨で盛大に濡れてしまい、あちこち透けているのを、紳士である坂田は目を背けてなるべく見ないようにしていた。
しかし、見たいという欲望には抗えず、相手にバレないようにこっそりと見てしまう。
残念ながら、バイクに乗っている間、ずーっと坂田にくっついていたせいで、その大きな胸はまったく濡れていなかった。
だが、それ以外が濡れているのが、坂田の目には妙に煽情的に映っていた。
ますます、彼女に色々な意味で興味を持った坂田は、彼女のことを知ろうと思った。
「清水さん……だっけ。こういう所にはよく来るの? 一昨日は俺らよりも先に五階まで行っててびっくりしたよ」
坂田に急に質問された清水が、ビクッと身体を震わせた。
「ひゃ、ひゃい!? え、えーと、好きな人がここに入ったのを見かけて、追いかけてきちゃいまして……」
所謂、「ストーカー」である。
昨今、男女問わず問題になっている行為を、この清水という女はまるで犬が迷いこんだのだというような口調で言っているが、普通の人間が聞いたらドン引きしてしまうこと間違いなしだろう。
しかし、この坂田という男はそんな些細なことよりも、目の前に立っている自分に気があるかも知れない女のことの方が重要なのだ。
「へぇーそうなんだ!」
故に、それ以上深く突っ込むような野暮なことは聞かないのである。
「ちなみに、その好きな人って俺だったりする?」
坂田が無遠慮に聞いてみると、清水の顔が真っ赤に染まった。
耳まで赤くしている彼女を見て、坂田は確信した。
これはいけると、今回の戦は勝ち戦だと。
だが、意外と恋愛については奥手な坂田はあと一歩を踏み出せないでいた。
星の数ほどの女性と付き合ってきたと自負しているが、告白に関してはとんと経験がない。
あちらから告白してくるのをただその場の感情でOKしていたので、自分から好意を伝えるというのはやったことがないのだ。
あと一歩が踏み出せない坂田と顔を真っ赤にして夢見心地な清水が互いにまごまごしていると、いつの間にやら雨が止んで、空には綺麗な虹がかかっていた。
「雨、上がったみたいだね」
「そ、そうみたいですね」
入る前よりも複雑な感情を抱いた二人が、廃墟の外へ出る。
廃墟の裏手には坂田のバイクしか停まっていなかった。
「そういえば、清水さんのバイクを取りに来たんだっけか。何処に停めたか、覚えてる?」
「あっ、はい。表の方に……」
清水の案内で廃墟の表へ周ってみると、そこにはおしゃれなクラシックバイクが大人しく主人を待っていた。
「SW-1! 珍しいの乗ってんなぁ! これって、全部ノーマルなん?」
「はい、あんまり機械に詳しくないので……」
「へぇー。にしても、綺麗に乗ってんなぁ」
「あ、ありがとうございます」
坂田が舐めるように自分の愛車を観察するので、清水はなんとなく恥ずかしくなってきて、目を背けてしまう。
「そうだ! この後、暇? 良かったら、ツーリング行かね?」
「ふぇっ!? えーと、よ、喜んでご一緒させていただきます!!」
坂田がようやく一歩を踏み出すと、清水が嬉しそうに答えてくれた。
その後、坂田はもっと楽な道があったことを知り、酷く後悔したのであった。




