27 八尺村の怪物
セダンの後ろに付いて、老朽化の激しい田舎道を走っていくと、徐々に森の中に入り始めたようで、開けっ放しの窓から吹き込む風が冷たくなってくる。
「どんどん森の中に入っていきますね」
「やっぱり罠なんじゃねぇの?」
「そんな、ホラー映画か何かじゃないんですから、罠なんてあるわけないっすよ」
杉野が坂田の疑いを否定すると、後ろの席からでも坂田の機嫌が悪くなったのが分かった。
「へっ……どうせ、俺は映画の見すぎですよーだ」
あきらかに拗ね始めた坂田に呆れてきた杉野が窓の外を眺めていると、木々の隙間から覗く田園風景に何か妙な物が見えた気がした。
一言で表すなら、白い帽子を被った貴婦人といったところだ。
さっきまで、年寄りしか見かけなかったので、若い女性がいるのに驚いていると、前の席から杉野を呼ぶ声が聞こえた。
「おい! おい、杉野! あれ見ろよ! やっぱり、罠なんだよ、これは!」
妙に興奮した坂田に促されて、前を見てみると、そこには今にも崩れ落ちそうなボロい神社があった。
神谷だけ車内に残して、杉野と坂田の二人が車から降りると、夏の山の匂いに紛れて、何処かで嗅いだことのある臭いが鼻をついた。
なんの臭いかだったか思い出そうとしていると、さっきまで前を走っていたセダンから下田が出てきた。
「もう話はついておりますので、すぐに終わると思いますよ。おや、眼鏡を掛けた方がお見えにならないようですが……」
「あぁ、神谷君なら体調が優れないようなので、車で休んでいるのですよ」
決して、嘘は言ってない。
なにせ、今迄ずっと運転を任せっきりだったのだから、疲労も杉野達の比ではないはずだ。
少しくらい、休ませてやろうという坂田なりの優しさだろう。
まぁ、もしもの時にドライバーがダウンしていたら困るという理由もあるかもだが。
「そうですか……まぁ、いいでしょう。では、お二人に付いてきてもらうということで、まずはこれを着てください」
そう言うと、車の中から白い着物を取り出して、こちらに渡してきた。
所謂、白装束を受け取った杉野達は、心なしか顔が引きつっていた。
「これって、白装束ですよね? 私達は、葬儀か何かをしに来たのではないのですが……」
「へっ? あぁ、大丈夫ですよ! この着物はそういう意味があるわけではないんですよ。御神体を譲ってもらう代わりにちょっとした儀式を執り行うことになりまして、あなた方はその儀式の、いわば主役なのです!」
「ほう、主役ですか。それは中々面白そうですな」
主役と言われて気分を良くしたのか、ノリノリで受け取った白装束に袖を通し始めた坂田。
坂田を見て、呆れる杉野。
そんな二人へ車内から怪訝な視線を送る神谷。
果たして、彼らは無事に御神体を持ち帰ることができるのか!
白装束に着替えた二人を連れて、下田が鳥居をくぐり、神社の境内へと入っていく。
「この大太神社は見ての通り古い神社ではありますが、地元の住民たちに愛される、この村の憩いの場なのであります。ですので、そんなに緊張しなくとも大丈夫ですよ」
「い、いやー緊張なぞ、しておりませんぞ。少しばかり、肌寒いので震えてしまっていただけなのですよ」
坂田が苦しい言い訳をするも、その声は心配になるくらいに震えている。
「ここは、山の頂上付近ですからな、麓と比べると寒いでしょう。拝殿の中に入れば、少しは寒さが凌げると思いますので、もう少しの辛抱ですよ」
結局、拝殿の中に入るまでの道中、坂田はずっと震えていた。
拝殿の中は、意外にも綺麗な畳が敷かれており、天井や壁なども埃や蜘蛛の巣などの汚れは見当たらなかった。
部屋の真ん中には赤いカーペットが敷かれており、そのカーペットの中心には桐で出来た小さな台が置いてある。
「どうぞ、中にお入りください。さあさ、遠慮なさらずに」
拝殿の入り口で立ち止まっていた杉野達を、先に中に入っていった下田が呼び寄せる。
怪しまれてしまう前に、拝殿の中へ足を踏み入れた杉野の視界に物騒な物が映し出された。
さっきは拝殿の外からだったのでよく見えなかったのだが、小さな台の上に短刀らしき刃物がぶっ刺さっていたのだ。
「あの、すいません。これは?」
杉野が何処かに行こうとしていた下田を呼び止めて、聞いてみた。
「ああ、これですか。儀式に使うんですよ。刃は潰してあるので、怪我の心配はございません。ご安心ください。では、私はこれで」
説明を終えると、そそくさと何処かへ引っ込んでしまった。
「これ、ほんとに切れねぇのかね? っていうか、ガッツリぶっ刺さってるんだけど……」
桐の台に突き刺さった短刀をまじまじと観察する坂田を放っておいて、杉野は拝殿の中を散策してみることにした。
拝殿の中には桐の台――三宝というらしい――の他に、大きな和太鼓や巨大な法螺貝などの楽器、神主がバッサバッサと振っていそうな木の棒に白い紙を何枚も付けた物など、いかにも神社って感じの物があちこちに置いてある。
そして、拝殿の奥には重厚な木製の扉があり、何かのお札のようなものが貼られている。
どうみても、あの扉の向こうに御神体が納められていそうだが、お札が貼られている以上、下手に盗めば即バレるだろう。
そんなことを考えていると、拝殿の入り口に神主らしき老人が立っているのに気づく。
「ちょ――坂田さん! 神主さん来ましたよ!」
未だに、短刀を観察している坂田に呼びかける。
「あっ、どうもどうも、玉籠大学から参りました坂田という者です。えーっと、なんか儀式をやるとか言われたんですけど、私どもは何をすればいいのでしょうか?」
「ふん、挨拶はいいから、そこに座れ。時間が勿体ないわい」
どうやら、あまり歓迎されてないらしい。
これ以上機嫌を損ねないように、杉野達が赤いカーペットの上に胡坐をかくと、不機嫌な様子の神主が奥の扉の前で何やら唱え始めた。
「八尺様、八尺様、この者共を贄として捧げます。どうか、その怒りをお鎮め下さいまし」
神主の口から出てきたその呪詛は、杉野達を行動に移させるには十分だった。
二人がアイコンタクトだけで簡単に段取りを決めると、二人同時に動いた。
まず、坂田が神主を後ろから押さえ込み、杉野が三宝に突き刺さっていた短刀を引き抜き、奥の扉へ走った。
扉に貼ってあるお札を短刀で切りつけると、いとも簡単に切れてしまった。
「刃が潰してあるんじゃないのかよ」
杉野が独り言を言いながら、扉に手を掛け、勢いよく開く。
中には、アナログ時計が入っていた。
上部に金属製の鐘が付いている、所謂目覚まし時計である。
ちょうど、針が午後三時を刺そうというところで、ジリリリッと鐘が鳴り響いた。
それに気を取られた坂田の隙を突いて、神主が拘束を解き、拝殿から逃げ出した。
「くっそー逃げられちまった! っていうか、さっき言ってた八尺様ってなんのことなんだ?」
杉野はその単語に聞き覚えがあった。
しかし、あともう少しのところで思いだせない。
「にしても、うるせぇなぁ、この糞時計! ったく、あいつらが仕掛けたのか? ってか、ここにブツがねぇんなら何処にあるんだよ」
「多分、ないんですよ。僕らは騙されたんです」
ようやっと、さっき神主が言っていた単語のことを思い出した杉野の顔がみるみる青ざめていく。
「どういうことだよ? さっきまでは、罠じゃねぇって言ってたじゃねぇか! さっきの神主が言ってたことだって、なんのことだかわっかんねぇしよぉ。俺にも分かるように説明してくれよ!」
「説明しなくても、すぐに分かると思いますよ」
杉野は分かってしまったのだ。
八尺様とは何者なのか、神主の言っていたことの意味とは何なのか、何故、自分達は騙されてこんな所に連れて来られたのか。
全ては、さっきよりも強くなってきたあの謎の臭いが教えてくれたのだ。
スパァァァァン!!!
臭いがとても近くからしていることに気づいた時には、もう遅かった。
拝殿の入り口にある障子が破られる音と共に、臭いの主らしき者の白い手が坂田へと伸びていた。
とっさに、杉野は持っていた短刀をその白い手に目掛けて投げていた。
短刀は見事に手に当たり、怯んだその隙を突いて坂田が短刀を拾うと、白い手に突き刺し、そのまま畳にぶっ刺した。
手が動けないうちに、拝殿の入り口から駆け出すと、外には身長2mはあろうかという大女が障子に手を突っ込んでいた。
その光景は今迄見たどんなものよりもインパクトがあった。
普通の人間ではないとはっきり分かったからだ。
その大女が身長以外で他の人間と違うところは、まず肌が絵の具で塗ったように白いこと、こちらを見つめるその顔には無数の牙が覗く裂けた口や獣のような釣り目が見えたこと、そしてなにより、その大女から血の臭いが漂っていたことだろう。
とりあえず、大女が動けないうちに車に戻らなければいけない。
神社から車までは、距離にして200mほどだろうか。
全力で走れば、なんとかなるだろうか?
悩んでいる暇などないのだが、さっきから坂田の姿が見えないことが気がかりで、逃げるにも逃げれないのだ。
軽く境内を探してみると、さっき出てきた拝殿から法螺貝を抱えた坂田が出てきた。
とてもすっきりした顔でこちらに走ってくる。
「こんな時に何やってんすか! 早く逃げないと殺されますよ!」
「いいだろ、これくらい! あんな目にあわされたんだから、ちょいとお土産もらってもばち当たらねぇつーの」
どうやら、騙された腹いせに拝殿に置いてあった法螺貝を盗んできたらしい。
まったく、こんなギリギリの状況でも呑気なものだ。
鳥居をくぐり、車に辿り着くと、すぐに中へ飛び込んだ。
「な、なんですか!? そんなに慌てて、怪物でも出たんですか?」
「あぁ、その通りだ! だから、早く出発してくれー!」
「りょ、了解しました!」
神谷が点けっぱなしにしていたエンジンを唸らせ、スタートダッシュをきめると、来た道を全速力で駆けだした。
木々の多い山道から、田んぼばかりの村の中へと逃げてきた。
あの化け物は、追いつけないのか諦めたのかは分からないが、何処にも見当たらない。
このまま村から出て、高速に乗れれば無事に帰れるだろう。
「にしても、何があったんですか? あんな切羽詰まった顔して帰ってくるから、びっくりしましたよ」
「それがな、出たんだよ! バケモンが!」
かっぱらってきた法螺貝を抱えて、ぶるぶる震えている坂田が答える。
「バケモン? 幽霊なら分かりますけど、バケモンってなんですか?」
「お前、八尺様って知ってるか? 背が馬鹿みたいに高くて、女みたいな恰好してて――」
「それで、人を食らうんですよね。それくらい知ってますよ! って、もしかしてあそこにいたんですか!? 八尺様が!?」
「あぁ! あいつ、俺を食おうとしてた。杉野が助けてくれなかったら、今頃あのバケモンの腹の中だったぜ。あんときゃ、助けてくれてサンキューな、杉野!」
「いえいえ、人として当然のことをしたまでですから」
礼を言われた杉野がカッコつけたセリフを吐く。
「それで、その八尺様は今何処にいるんですか? もしかして、倒してきたとか?」
「いんや、倒すまでは無理だった。つっても、いくらか痛めつけてやったから、そうそう追ってこないだろう」
「そういえば、その八尺様ってどんな顔してました?」
「へっ? そりゃー、白い肌に獣みたいな目で――」
「口は裂けて、牙が何本も覗いてるとか?」
「おう、よく分かったな。ってか、なんでそんなこと聞くんだ?」
「いや、ルームミラーにその特徴が全部当てはまりそうな女性が映ってましてね。もうそろそろ追いつかれそうなんですよ」
神谷がそんなことを言うので、恐る恐る後ろを見てみると、必死にこちらを追いかけてくる八尺様の姿があった。
「やべぇよ! 追いつかれちまうって! 神谷! もっと、速く走って!」
「無理ですよ! これでも、全速力なんですから! はぁ、こんなことなら教官にニトロかなんか付けてもらうんだった」
神谷が愚痴を言ってる間にも、八尺様はどんどん近づいてくる。
「そうだ! 神谷ー! ちょっと、スピード落として!」
「正気ですか!? そんなんしたら、追いつかれちゃいますよ!」
「いいから、早く!」
「うぅ、どうなっても知りませんよ!」
神谷がアクセルを緩めると、八尺様が一気に車の横に付けてきた。
「よっしゃ! 計画通り!」
そう叫ぶと、何を血迷ったか、助手席の窓を開け始めた。
「何やってんすか!? 死にたいんすか!?」
見兼ねた杉野が止めようとするが、まったく聞く耳を持たずに、ついに窓を全開にしてしまった。
その好機を逃すまいと、八尺様が窓へ首を突っ込む。
すると、坂田が抱えていた法螺貝を八尺様の脳天にぶち当てたではないか。
頭に大打撃を食らった八尺様は、一瞬で杉野の視界から消えてしまった。
車のリアウィンドウから後ろを確認してみると、そこにはあまりの痛さに頭を抱えてうずくまる八尺様の哀れな姿が見えた。
村を出て、街中に入り、高速へ急いで乗り込んだ。
結局、島根観光は最後まできずに、県外へ逃げたのであった。




