26 平和な片田舎
目的地である八尺村は、小さな神社と家が数件ある程度の典型的な片田舎であった。
車窓からは、あちこちの畑でご老人達が農作業に勤しんでいるのが見える。
「こんな平和そうな田舎に呪いの道具なんてあるんですかね?」
「分かんないぜぇ。案外、怪しい秘祭とかやってたりして、そういうの貯め込んでるかもしれねぇぜ」
「確かに、怖い話とかだとこういう田舎が舞台ってのが定石ですし、ありえる話ですな」
車内の失礼な会話を知ってか知らずか、さっきまで農作業に明け暮れていた老人達がこちらをチラチラと見ているような気がする。
やはり、こういう片田舎ではよそ者が乗った車は怪しまれて当然なのだろう。
「にしても、ジジババしかいねぇな」
「子供や孫は都会に行っちゃって、郷土愛の強いご老人だけが残ったのでありましょうな」
確かに、さっきから推定六十歳以上の年寄りしか見かけない。
実際、こんな田舎に留まろうと思う若者なぞ、相当な変わり者かお人好しくらいだろう。
「そういえば、ここの村の名前ってなんだっけ? はっさくだったかけっさくだったかそんな感じの名前だったと思うんだけど」
「はっしゃくですよ! 八尺村! まったく、さっき標識に書いてあったんだから忘れないでくださいよ!」
「へへへ、めんごめんご。ってかさぁ、ブツ受けとったら、どっか観光行かね? せっかく島根まで来たんだし、行くしかねぇだら。俺、出雲大社行きてーんだよ」
「行けるわけないでしょ! ただでさえ時間ないんですから、ブツ受け取ったらすぐ帰りますよ!」
今日の杉野は機嫌が悪かった。
ここに辿り着くまでに坂田の無責任なナビに何度も騙され、振り回されたからだ。
島根県に入ってからも坂田の標識を読まないという悪癖に苦しめられたせいで、散々な目にあったのだから、杉野がキレるのもしょうがない。
「それで、目的のお家って何処にあるんですか?」
「え? 俺は聞いてないよ。八尺村にあるってことしか言われなかったし。杉野が知ってるんじゃねぇの?」
「いや、僕が知ってたらわざわざ聞きませんよ。神谷はどう? 知ってる?」
「誠に恥ずかしながら、自分もそこらへんは聞いてないのであります」
困ったことに、この場にいる三人の中に目的のブツを受け取る場所の詳細を知る者はいないようだ。
「じゃ、会社に連絡して確認しますわ。ちょっと、車停めて」
それを聞いて、神谷が自分の愛車を近くの駄菓子屋のすぐそばに停めた。
杉野が懐から端末を出して、ピッポッパッと番号を押し、相手が受話器を取るのを待っていると、坂田が車から出ようとする。
「ちょっくら、そこの駄菓子屋で聞いてくるわ」
「いやいや、そんなん教えてもらえるわけないっすよ。ちょっと戻ってき――」
坂田を止めるのを邪魔するように通信が繋がり、端末の向こう側から博士の声が聞こえてきた。
『もしもーし、悪戯か? あんまり無駄なことをするなら、減給するぞ! まったく、通信費もタダじゃないというのに』
「あっ、いや、すいません! 悪戯じゃないです! ちょっと確認したいことがございまして」
『なんじゃい! くだらんことなら切るぞ!』
「今回の仕事に関することなので、どうか切らないでくださいまし」
焦った杉野が変な口調で対応しているのを見て、神谷が噴き出した。
笑われた杉野が、神谷の方をキッと睨みつけてから、端末の向こうの博士へ本題を切り出す。
「確認なんですけど、目的の家って八尺村にある神社でいいんでしたっけ?」
『何を言っておる! 神社にあるわけがなかろう!』
怒鳴るだけ怒鳴ると、溜め息をついてから元のしわがれた声に戻る。
『どうせ、エリックに何処の家か聞くのを忘れたのじゃろう? まったく、妙に遅れておるから怪しいとは思ったが、そういうのはもっと早く聞いてくれ。それで、今、何処じゃ?』
「さっき八尺村に着いたところです」
『そうか。では、村の中心部に武家屋敷があったじゃろう? そこが君達の目的地じゃよ』
「ありがとうございます! ちなみに、僕らのことを先方は知っているので?」
『当たり前じゃろう。とはいっても、株式会社幽体研究所ではなく玉籠大学の超常現象学科からの使いだと言っておいたから、ちゃんと話を合わせるのじゃぞ』
「わっかりました! ではでは、貴重なお時間を割いていただきありがとうございました。失礼いたします~」
必要な情報を聞いたところで、これ以上説教を聞かされる前に、さっさと切り上げる。
『ま、待て! まだ、大事なことを話して――』
切り際に、博士が何か言っていたような気がしたが、気にしないことにした。
これ以上、あのイカれた博士の話を聞いているのは堪えられない。
博士との通信を切ったのとほぼ同時に、坂田が駄菓子の入った袋を下げて、車内に戻ってきた。
「目的の家が分かりましたよ――って、なに買ってんすか!?」
「いやね、駄菓子屋のおばあちゃんがさぁ、ここら辺は若い子がめったに来ないからってんで色々と貰っちゃってね。杉野も食べるか?」
坂田が袋からうまい棒を一本取り出して、杉野に差し出す。
「……いただきます」
渋々といった感じで、うまい棒を受け取った杉野は、このまま無事に終わることを願って、うまい棒に噛りついた。
村の中心部にある武家屋敷へ近づいてみると、立派な門の中から甚平を着た恰幅の良い老人が出てきた。
「おーい! 玉籠大学の人ー! こっちですよー!」
見た目のわりに若々しい声でこちらを呼ぶと、半開きにしていた門を全開にする。
神谷が車を門の前に停めると、さっきの老人がこちらへ寄ってきたので、坂田が窓を開けて応対する。
「どーもどーも、ゆうたい――じゃなかった、玉籠大学から来た者です。こちらで例のブツを受け取れると聞いているのですが、ありますかね?」
「もちろん、ありますとも! さあさ、長旅で疲れたでしょう。中に入って、どうぞ身体を休めてください。あーそうそう、車はそこら辺の適当な所に停めておけばいいですよ。なにせ、田舎なものですから、そうそう邪魔になることもございませんので」
「へい、わっかりました! 神谷ー、そこら辺に停めときゃいいってー」
「了解でーす」
神谷が適当に返事を返すと、門のすぐ近くに車を駐車した。
「それで、例のブツなのですが……」
屋敷の中の一室に通された三人が、出されたお茶を呑気に啜っていると、あちらの方から本題を切り出してきた。
「あぁそうだ、自己紹介がまだでしたね。私、下田と申します」
「これはどうもご丁寧に。私、玉籠大学で教授をしております。坂田と言います」
なかなかに贅沢な肩書を名乗った坂田が、深々とお辞儀をする。
「いや~、若いのに教授とはさぞ優秀なのですな。えぇーでは、そろそろ本題に入らせていただきますと、ちょいとばかし手違いがありまして、ここにはブツはないのです……ですが、明日には用意できると思いますので、今日はここで泊まっていってはどうでしょうか?」
「それはちっと話が違いますぜ。先程、伺った時にはブツがあるとはっきり仰っていたのですから、ここまできて出し惜しみされては困りますなぁ」
坂田がどこぞの借金取りのような脅しをかけて、下田を追い込んでいく。
すると、下田の髪の毛の一本も生えていない坊主頭から一筋の汗が流れた。
「いやはや、その若さで教授にまで昇りつめただけのことはありますな。実をいうと、ブツ自体はこの屋敷にあるのですが、一つだけ、こことは違う場所に保管していまして、それを取ってくるとなると少しばかりお時間をいただかないといけないのです」
「ほう! それでは、私どもが取ってくれば万事解決いたしましょうぞ。ちなみに、その保管場所は何処にあるのですか?」
「それが……この村に神社があるのに、皆さんはお気づきになられましたでしょうか? 実はその神社の御神体がさっき言ったブツなのであります。ですから、たとえ大学からの使者といえど、そう簡単には譲ってもらえないでしょう。ですが、私がお願いすれば譲ってくれるやも知れないのです。少しばかり、時間がかかるかもしれませんが」
なんと、この村の神社では呪いの道具を御神体として祀っているらしい。
海外で云うところの悪魔崇拝のようなものだろうか。
「では、私どももそのお願いとやらに付いて行けばいいのではないでしょうか? そうすれば、時間も短縮出来ますし」
「それは……分かりました。では、少し待っていてください。いくらか準備をしてきますので。あーあと、神社までの道のりは私の車で案内しますので、先に車に戻っていてください。ブツの方も玄関に置いときますから」
「交渉成立ですな。では、杉野君、神谷君、車に戻るぞ」
教授になりきった坂田が、生徒役の杉野達に車へ戻るよう促した。
車に戻るついでに、玄関にあったブツの入った木箱を車まで運ぶ。
「意外と軽そうだな」
杉野と神谷の二人に木箱を運ばせ、自分は駄菓子屋で貰ったウチワで涼んでいる。
そんな、教授気取りの坂田を無視して、杉野達は車まで見た目以上に重い木箱をえっちらおっちらと運んでいった。
やっとの思いで、車の荷室へ木箱を運び込み、先に車の中で涼んでいた坂田のおかげで冷え切った車内に杉野達が転がり込む。
「ひどいですよー、坂田さん。ちょっとくらい手伝ってくださいよ」
「わりぃわりぃ、さっきの交渉で疲れちまったからさー」
確かに、先程の下田との交渉劇は見事なものであったといえる。
しかし、それくらいでそんなに疲れるはずがない。
大方、この暑さの中で重い物を運びたくないだけだろう。
「んまぁ、んなことよりも、これで目的のブツは大体集まったことだし、もうバックレて帰らね? さすがに、めんどくなってきたわ」
「何言ってるんですか!? ちゃんと、全部回収しないとまた取りに戻ることになりますよ!」
「そうかー、そうだよなー。っつっても、ほんとにあるのかね? さっき、博士に聞いた時は神社にないって言ってたんだろう? なんか、騙されてんじゃねぇの?」
「うーん、まあ、確かに……でも、ここでバックレて帰っちゃうなんて失礼ですよ。一応、いつでも逃げられるように準備しておいて、神社には僕と坂田さんの二人で行きましょう。そうすれば、もし騙されていたとしても応援を呼べますし」
「んまぁ、杉野がそんなに言うなら行ってみるか」
坂田の説得が終わったのと、屋敷の裏手から古いセダンが出てくるのがほぼ同時であった。
「案内しますので、付いてきてくださーい!」
セダンの窓から下田が顔だけ出して、大声でこちらに呼びかけると、返事を待たずにそのまま走り出してしまった。
セダンに遅れまいと、神谷が慌てて愛車のエンジンを掛けた。




