第九話 本を出すと言うコト(商業出版編)
文学賞で佳作や奨励賞でも作品を載せてくださるところがあります。頂点しか扱わぬ大出版社主催の賞に比べ、地方文学賞は応募者に優しいです。
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作品をなんでもいいから形で残したいとおもうならば、
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応募者の数が膨大で競争が熾烈な中央の著名な賞よりも、地方文学賞はねらい目です。
近年私はそういうところばかり出しています。でも最近疲れてそれすら億劫なときもあります。前にも書きましたが自信満々だと落選で、自信がないなあと思ったのが入選するのはいくら考えても理由がわかりません。やはり縁というものがあるのだろうか。
さて光栄にもそういうところに出席した時の話です。授賞式の前に主催者様ならびに会社の編集者さんに会ってあいさつ、名刺をもらいます。授賞式そしてその後の出版に向けての段取りも口頭で説明を受けます。というのは、受賞者や佳作受賞者は人数が少ないから。
その時も片手に足りない人数です。学校のようにプリントを配って説明会というのはない。でもお名刺をいただけます。メールアドレスでやり取りもします。応募時に推敲は念入りにしたつもりですが、やっぱりだめでプロの校正さんからチェックを受けたゲラを渡されると「あれ……?」 と書いた本人がびっくりするぐらい変な言い回しが出てきます。それを赤文字で訂正してくる。ある単語が平仮名や漢字になって統一できてない。書きあげたつもりでも、推敲がしきれてないということで、これでよく受賞させていただけたと冷汗をかいたりします。
この時は一校、二校として最終としましたが更に念校として校正した人もいたようです。私は書きあげると面倒なので推敲もきちんとせず「これでいいから次の新しいヤツ書こう」 になります。多分プロになれないのもこういうモノグサな性格から来ているからでしょう……。
商業出版の場合は、こういった校正者がつきますが、地方文学賞の場合はいきなり「マルマルの部分がおかしいので、ここをぺけぺけにしていいですか」 と電話がかかってきたりします。細かいところは私も忘れているので「あ~すみません。良いようにお願いします」 と投げちゃいます。こうして書き出してみると、ここにもモノグサな性格が出ているなあ……。
そうして一人で細々と書いたものが私以外にも人の手を煩わせ、いざ形になったときの喜びはひとしおです。やっぱり創作はやめられないです。たまにこういうご褒美があるから。
……中央の賞をもらっての直木賞コースでないとイヤという人はともかく、地方文学は選者も優しい人が多いし、ねらい目だと思います。
地方文学賞の内、北日本文学賞は別格です。受賞までがキツイです。私は連続五回ほど応募してますが一次通過が最高です。数十年、つまり数十回も応募されている人が当たり前にいますので私などはまだ若輩です。最終選考まで進んだ人から伺った話を書きます。連絡があったのはやはり十一月の中旬前だったそうです。ネットによる一次通過者の発表はその月末ですから実際は前倒しで粛々と選考がすすめられているわけです。
北日本は締め切りが八月末なので四月ごろから題材を探し、五月に粗筋、六月には仕上げ七月には推敲を重ねて中旬には応募済みです。それでも全然ダメで難しいです。
公募に関して締め切り日ぎりぎりまで粘って推敲を重ねる人が多いようですが、それだと同じような本気本命の実力者が集中する……らしいので、私は早めに応募します。どこぞの文学賞選考者のエッセイから早めの方がいいよって話を聞いたからでもあります。それでもこんなです。
結果出すならもっと若い年に何らかの賞をもらっていたでしょう。もう駄目だろうなというあきらめも最近つきました。プチだが臨死体験もしたら、ここまできたからもういいやってなりました。今はもう若い人を応援していますですよ。がんばってください。
公募参加について早めがおすすめの私なりの理由 ⇒ ⇒ ⇒ 原稿先着順にナンバリングを打たれ、選者もしくは下読みに回されるので締め切り日が近いほど強豪と同じグループになると聞きました。私はヘタレなので強豪と一緒になるのはイヤです。一次や二次で通過できたら、それでいいと思われる方は締め切り日より早めに応募するのをおすすめします。