第十七回・書くことを習慣づけること
たま~に気が向けば書いてます、とか、ヒマな時に書いていますと公言する人は気楽でいいなあと思います。私は毎日書かないと心の中の澱や創作心がパンクして病気になりそうです。だから自分のためにも書いています。創作すること自体は無料なところがいいと思ってせっせとパソコンに向かっています。
私からのアドバイスだと価値ないかもですが、プロになりたかったら毎日何分でもいいのでデスクに向かうことだと思います。この文字はなんだろうと思ったら辞書を引く、パソコンならウィキペディアで検索するなど。何も知らない無の状態から良い作品が生まれにくいと思います。作家は学歴は関係ないです。若い人ならたった十数年生きてきた分の人間関係だけを文学的に書いて受賞する可能性もありです……実際それでやっていける天才もいますが、私は凡人なので年寄りになってもなお、オーソドックスなやり方でちまちま、こつこつと文字を重ねていくわけです。
書く環境も人それぞれですが、私は周囲が静かでないと書けないです。だから人が寝静まった真夜中もしくは明け方に書いています。お酒を飲みませんので夕食を食べたらもう眠たくなります。職務で不眠症で悩んでいる人と話しますが、眠れない時こそ喜んで本を引っ張りだすか刺繍するか塗り絵遊びをすべきです……とは言えないので、大変ですねと同情します。私自身は不眠症の苦しみはよくわかってないです。眠たいのに眠れないのもつらかろうと思いますが、眠りたくなくて、ずっと起きて文章を書きたいのに寝てしまうことでつらいのは誰もわからないだろう。というわけで地味にこつこつと書いています。
旅行などでパソコンが開ける環境や時間がない場合は、メモを持参していますのでそれに覚書をします。とにかくペンは必須です。そうでないと旅行先なのに、早く帰宅して文章を書きたいという変な禁断症状が出ます。夜遅くまで起きている家族に対しても早く寝ちゃえ~と念じたりね。文章好きな親がいる家庭はこんなものだろうか、でも私は子育て失敗していますね。私の子供もいじめられたし、なんとか持ち直してせっかく入った高校も退学して家でゲームばかりするしおまけに兄弟仲悪いし……です。私自身妹や親戚と諸事情で絶縁しているせいかもしれません。だから文章を書いていたせいではない。でもこの人生でいいのか、と思うときに折々に拙作を読み返して人生は失敗したとしても後に残せるものはあると思いなおしてわれとわが身を慰めています。
書くことを習慣づけていると、精神的なメリットは多いです。また、ものの考え方が人それぞれなので、やはり理解してあげたいと思います。本職でも書き手側の生育過程を聞く機会があると、行動分析もある程度はできるようになります。でも、いちいち言葉には出さないことですね。
今回のまとめは、
① 書くことで誰を傷つけてもいけません。
② 書くことで心の中の整理がつく。
……という意味でも覚書的な日記を書くことでも立派な修行だといえるという話でした。




