第十三話・通信教育の文学講座について
今は小説講座やエッセイ講座、童話講座などなんでもあります。カルチャースクールにもあるし、顔をあわせなくても気楽に受講できる通信講座もあります。公募ガイドという雑誌にはそれこそいっぱい広告があります。
私は若い頃に某新聞主催のエッセイ講座に参加したことがあります。一カ月に一度課題にちなんだ短文を書いて郵送で送り、数週間後に郵送で批評がかえってくるというもの。期間は半年でワンクール。どきどきして講師のチェック入りの返送を待っていました。講師はその新聞の編集者さんでした。お名前は忘れました。この批評文、今でも家のどこかにあると思いますが見事なものでした。褒めつつ短所をさりげなく書き手を傷つけないように指摘する。二度ほどやり取りして一生この講師についていこうと決めたら、なんと講師が体調不良のため交替になった。あと四回。帰ってきた批評は私の作品の出来がわるいせいもあるけど、ありきたりな批評で参考にならない。単なる感想文ならお金を払いたくない。でも料金は支払い済みだったので最後まで続けましたがこれって私の文と編集者との相性があるのではないかとも思いました。そのぐらい文章の批評部分の入れ込み具合、気合が違ってみえました。私の文体が嫌いなのかと思うぐらい違いました。ど素人にそんなこという権利あるのかと怒られそうな話ですから心の中で思うだけですけども。
長編も出すようになってから、評価が割れたりすることを見るにつけ、書き手と読み手は当然生きてきた経緯も思考の推移も違う。それを見るにつけ、ネットで気軽にUPしたものについて感想や批評をいただくことは(しかも無料で)ただただ有り難く思います。その感想は間違っているとは思いません。読み手の感想は読み手にとっては真実です。書き手はそれを尊重すべきです。
通信教育はもう一つあって、完成品を一度限りで講評してくれるもの。本物の作家さんの名前が冠になっています。枚数によって金額がきちんと決められた明朗会計でちょっと高額……でも本職様の感想も欲しくて依頼しました。結果、ものすごい酷評が来ました。某文学賞通過作だったのですがメタメタでした。しかしいただいた批評がどれも的を得ています。これを繰り返し読むごとに、このシーンはこうしよう、ああしようと大幅な書き換えをしなくてはと思います。
書き直してもう一度別のところで送ろうと思って温存しています。先生のアドバイスを元に作品造りを大事にしようと思っています。ぱっと書いてさっと送っちゃうということまでお見通しでしたからね。推敲を大事にするようにとありました……今回も他山の石にしてくださいね。




