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歌が好きで何が悪い?!

作者: 黄舞

 俺の名前は田村修(たむらおさむ)

 名前なんてどうでもいいが、これから俺の昔話を一つさせてくれ。


 もう数十年前の話だ。記憶も曖昧で強烈なやつしか覚えてない。

 それでも語らせて欲しい。


 小学生まではまるで天国だった。

 あの時は家でも外でも好きなように大声で歌っていた。


 今誰かに言うと驚かれるがあの頃の俺には音程っていう概念がなかった。

 音階ってのは知っていた。兄も姉もピアノを習ってたし、家にアップライトのピアノがあったからな。


 だが自分が出した歌は全てぴったり正しく音階をなぞっていると思っていたんだ。

 だから親や兄弟に『お前の歌は何の歌を歌っているのか全く分からない』と言われても、全く意味が分からなかったんだ。


 だって、歌の通りの歌詞を歌っている。

 どう考えたってこの歌しかないだろう? ってわけだ。


 だからいつもその指摘を受けると、歌詞が間違っているって事しか頭に浮かばなかった。

 歌詞カードを引っ張り出して自分が間違ってないことを確認して、自慢げにもう一度歌って見せたさ。


 返ってくる言葉は一緒なのにな……。


 俺が本当の意味で音痴って言う言葉を身に染みて知ったのは、中学生の秋だった。

 今でも忘れもしない、四限目、楽しい楽しい給食の前の時間だ。


 言い訳をするとその時俺はすこぶる調子が悪かった。

 頭や耳や喉は痛いし、声はガラガラする。


 後で分かったんだが軽い外耳炎になっていたんだ。

 その日は秋の校内発表に向けての歌の練習だった。


 授業は問題なく進み、もうすぐ終了、さぁ給食だ! って時に事件は起きた。

 俺の音程がとんでも無く外れていることに先生が気付いてしまったんだ。


「田村くん。大丈夫かね? ちょっと一人でここ歌ってみなさい」


 周りの視線を一身に浴びながら、どんなフレーズだったか忘れたが大きな声で歌った。


「もう一度。同じ所を」


 怪訝な顔付きで先生は同じ所を何度も何度も歌わせた。

 しまいには単音をピアノで鳴らしながら、同じ音を出せって言ってきた。


 音痴っていうのがどんな物か想像出来ない人の為に説明しておく。

 ピアノでも人の声でも音を出してそれに合わせた音を出せと言われた時、普通の人はすぐにその音を出せるんだ。


 もしくは初めは違った音を出しても調整して同じ音に持ってこれる。

 これが普通だ。しかし音痴はそうじゃない。


 自分が出している音と聞いている音が合ってるのか違うのかが全く分からないんだ。

 ちょうどあの時の俺はそうだった。


「田村くん。ちゃんと音を聴いて。ちゃんと音を出すんだ」


 頭や耳や喉の痛みを我慢しながら、枯れた声で一生懸命出せる限りの大声で歌った。

 この時ばかりは歌うのが苦痛で、嫌で嫌でたまらなかった。


 終了の鐘が聞こえてから十数分が過ぎた時に、先生が俺に言った言葉は今でも忘れられない。


「田村くん。君、指揮者をやりなさい」


 死刑宣告だった。いくら俺でも先生の言いたいことは分かった

 つまり、俺は歌わせて貰えなかったのだ。


 給食の時間に被ってまで授業を延長させられた級友たちの視線は、それはもう素直なほど怒りと呆れと嫌悪感をあらわにしていた。

 ガキなんてそんなもんだろ?


 その日から少しずつだがちゃんと頭で考えて、耳で聞いて出さないと正しい音なんて出ないってことに気付いた。

 家のピアノで音を鳴らしては、大きな声で必死で正しい音を出そうとしていたよ。


 家族には相変わらず『合ってない』って言われることが多かったけどな。


 転機って言うか、今でも自分の判断にびっくりすることが高校を入学してすぐにあった。

 その頃には自他ともに認める音痴で、下手の横好きだった。


 とにかく歌うのが好きであの事件の後も、好きな歌手の歌を聴いてはそれを真似るように歌っていた。

 まぁ、上手いかどうかは言わずもがな、だ。


 そんな俺が、なんと合唱部に入った。

 興味はあったから見学に行ったら一個上の女の先輩の勢いが凄くて、思わず『はい。入るつもりで来ました』って言っちまったんだ。


 高校時代は天国とも地獄とも言えた。

 入った時は男女比がいい感じの小さい部活だった。


 しかし年目が上がるにつれ、女子ばっかりいっぱい入って、男子の新入生はゼロだった。

 結果、三年の時は男子二人、女子二十人以上というハーレム状態だった。


 羨ましいだろう?

 しかし世の中そんなに甘くない。


 なんてったってここは合唱部。歌を歌うところだ。

 音痴な俺は一生懸命練習に参加した。


 参加した理由の半分くらいは女子目当てだってのは認める……。

 ただ正直、女子が居なかったら挫折してただろう。


 そのくらい音痴な俺が合唱部に居るって言うのは辛いことだった。


 まだ一年の時、こんなことを先輩に言われた。


「修、お前よく鼻歌歌ってるだろ? あれな、全部音程ばらばらだから。気を付けろよ」


 言われた時は頭が真っ白になったね。

 音痴だって事はもう言われ慣れてたし、自覚もあった。


 だから人がいる時には鼻歌を歌うようになっていたんだ。

 それだとバレないと思ってな。


 だけどそれはバレてたし、しかも鼻歌すらも音痴だって言われたんだ。

 正直立ち直るのに二、三日はかかったね。


 部活は結構真面目で、毎日練習があって冬の演奏会に向けて結構な数の曲を、一年かけて練習していた。

 初めの頃はパート練、つまり各パートで音取りの練習をするんだ。


 先輩がいた頃はまだ良かった。

 先輩が正しい音を出してくれるし、間違ったら教えてくれる。


 しかし先輩が居なくなってからが辛い。

 一人で合ってるかどうかも分からないままずっと篭って歌を歌うんだ。


 凄いやつなんかは楽譜を見ただけですぐに歌えるんだ。

 もちろん俺はそうじゃない。


 一個一個鍵盤を鳴らしては、曲を覚えていく。

 そうやって練習している間に、自分は完璧に歌えるようになったと錯覚するんだ。


 皆で合わせる時間になって、意気揚々とさっき完璧と思っていた歌を歌う。

 しかし様子がおかしい。周りは『またか……』って顔をするし、指揮者の先生の顔は渋い。


「田村くん。もう少し音取りをして来なさい」


 それを言われたら皆が楽しそうにアンサンブルをしている間、個室でずっと同じ曲を一人黙々と歌い続けるんだ。


 他にもこんな事を言われたことがある。

 一つ上の綺麗な先輩と、俺が一年生の時に歌った歌を二人で歌っていたんだ。


 二人とも大好きな歌だったから、めちゃくちゃ楽しく歌ってたんだけど、途中でぱたりと先輩が歌うのを止めた。

 どうしたんだろう? って思って顔を覗き込んだら、すっごい寂しそうな顔してさ。


「先輩達が居なくなると、こんな良い歌も歌えなくなっちゃうんだね……」


 その時は恥ずかしいやら情けないやら、申し訳ない気分でいっぱいだった。

 もっと上手く歌えればってね。


 家に帰った後、何度も何度もその曲を練習したさ。

 結局先輩ともう一回歌うことは無かったけど。


 そんな俺でも三年間も真面目に合唱部を続けていたらそれなりに上達する。

 まぁ、上達してやっと下手くそくらいになれただけだけど。


 高校で今でも覚えている嬉しかったことは、三年の冬の演奏会、そのアフターの時のことだ。

 アフターってのはアンコールも全部終わった後、ロビーの集まって見に来てくれ人の目の前で歌を歌うんだ。


 大地讃頌って知ってるか?

 すごく有名な曲だけどちゃんと歌ったことのあるやつは少ないんじゃないかな。


 とにかくそれを皆の前で輪になって歌った。

 出だしは四パートで歌うんだが、途中各パートがどんどん追いかけながら増えていく部分があるんだ。


 もう気付いたかもしれないが、各パートの出だしは俺のソロ。

 ワンフレーズの簡単な音階の、そんなソロだった。


 俺が歌い始める瞬間、皆神妙な面持ちで俺をじっと見ているのが分かった。

 俺は出来るだけ、出来るだけ丁寧に歌ったんだ。


 そしたら周りの皆がすっごい笑顔になって。

 凄い良い笑顔で次々と他のパートが入ってきた。


 この時の皆の笑顔は今でも忘れられないね。


 演奏会が終わったら、三年は受験だ。

 幸い第一志望の大学に入ることが出来た。


 もう合唱はやらないと思っていた。

 正直、歌を歌うならカラオケで十分だと思っていた。


 しかし心のどこかでやってみたいと思ってたんだろうな。

 合唱なんてやったことないっていう、たまたま初めの講義で隣だった男が、合唱団を見に行くって言うんで一緒について行ってしまった。


 合唱団っていうのはその大学ではグリー、つまり男声合唱団のことを言った。

 他にも女声も居る混声合唱団っていうのがあったが、そっちには興味がなかった。


 男だけの合唱団を選んだ理由は色々だが、まぁそのことは今は大きな問題じゃない。

 とにかく、結局大学の四年間もどっぷりと合唱に浸かったわけだ。


 俺が入った合唱団は男だけだが四つのパートに別れていた。

 その中で俺はセカンドテナー、上から二番目に高い旋律を歌う。


 セカンドの役割はわかりやすく言えばハモリだ。

 音楽に詳しい人なら説明するまでもないことだが、他のパートが『ド』と『ソ』を歌ったら、『ミ』とか『ミ♭』とかを歌う。


 俺の音で曲が明るく聞こえたり暗く聞こえたりする、重要な音だ。

 これは極簡単な例で、他にも色々あるが別に音楽の授業をするつもりは無いから、興味があるやつは自分で調べてくれ。


 所で、男性だけの合唱団に入っているって言うと、大抵のやつは不思議そうな顔をする。

 そりゃそうだ。花の大学生、何が悲しくて男ばかりで集まらなければならないんだ。


 しかし実際入って見ると驚くほど居心地がよかった。

 俺もゲームばっかりやっていて、オタクと名乗るにはおこがましいが趣味はインドア派だった。


 偏見かもしれないが大学生にもなって男声合唱なんてやってるやつは、大体がいい意味で変人だ。

 少なくとも俺の周りはそんな奴らばかりだった。


 そういう奴らってのは得てして同じ臭いがする仲間にとっては至極居心地の良い存在なんだ。


 俺は高校が女ばかりの環境にいたから、男だけの環境は違った意味で天国だった。

 発言に気を使わなくて済むし、男特有の馬鹿もできる。


 面白おかしくサークル活動を楽しんだよ。


 あー、えーっと、なんの話しだったかな?

 そうだ、歌の話だ。


 合唱団に入ってもいきなり歌が上手くなるわけじゃないから、卒団するまで音程やら発音やら散々言われた。

 しかしな、大学時代にこそ俺が人生で一番、歌ってて、歌を嫌いにならないで、良かったって出来事があったんだ。


 それは忘れもしない三年の合宿での出来事だった。

 合唱団も毎年冬に演奏会を開くんだが、その演奏会で歌う曲集は、指揮者が選ぶことが出来た。


 曲はもう決まっていたんだがその曲は大曲で、一曲で一ステージ分の長さがあった。

 普通は四から五曲くらいで一ステージだから、どのくらい長いか分かるだろう?


 その曲にはたくさんのソロがあったんだ。

 長いのから短いの、セリフじゃなく擬音みたいなものまであった。


 中でも二つのソロはセリフも長く、この曲の見せ場だった。


「じゃあ、一番目のソロは田村にやらせる」


 正指揮者、団長も含めカースト制度の最上位に居る先輩の言葉に皆耳を疑った。

 そりゃそうだろう。声がでかいだけの音程もちゃんと取れないような奴に大事なソロを任せられるか?


 案の定、団長から疑問の声が上がった。


「これを田村にやらせる理由が分からん。他の誰か、適任者がいるんじゃないのか?」


 俺もその意見には賛成だった。

 ソロなんて、しかも一番長い一分弱もあるソロなんて俺がやっていい訳が無い。そう思っていた。


「これは俺が一生懸命考えた結果だ。俺は田村に任せようと思う。合宿の最後に一度、ソロも入れた通しをやる。その時にもう一度考える」


 この時ソロを割り振られた喜びよりも、中学校の時のあの事件を思い出していたんだ。

 恐ろしくて、恐ろしくて、恐ろしくて。


 合宿の間ずっとソロの事ばかり考えていた。

 通しをやる前日の夜中、俺は正指揮者を探してウロウロしていた。


 合宿中は最終日以外は酒はご法度だから、他の皆はトランプとかで遊んでいたはずだ。

 やっと見つけた正指揮者は、まるで俺を待っていたかのようにピアノが置いてある練習室に居た。


 実際は自分の振る曲のイメージ練習をしていたんだと思う。

 俺は恐る恐る近付き、こう言ったんだ。


「中川さん、すいませんが、ソロの指導をお願いできませんか? 自信がなくて……」


 それを聞いた中川さんは初め驚いた顔をしていたが、満面の笑みを浮かべた。

 その後一時間ほど指導してもらったよ。


 声の出し方から音のとり方、表現までみっちりやってもらった。

 次の朝一番にぶっつけ本番で通しが始まった。


 各パート、まだ音がちゃんと取れていない所があってもとにかく止まらずに最後まで歌うんだ。

 曲の中頃、俺のソロが始まる所に来た。


 その時の様子を俺は実は覚えていないんだ。

 確かに歌っているんだが、意識は別の所に浮かんでるみたいで。


 トランスしたって言えば一番分かりやすいのかな?

 何が何だか分からないが、フワフワとした、心地よい気持ちの中に漂っていた。


 曲が終わって、『わっ!』と歓声が上がった。

 合唱団の皆が俺のソロを褒め讃えたんだ。


 俺は上手く歌えたのかどうなのか分からなかったが、今まで感じたことの無い幸福感に満たされていたのを覚えている。


 満場一致で俺のソロが承認された。

 嬉しかったよ。報われた気がした。


 そして演奏会当日。色々あって、あの曲の指揮は毎年一ステージお願いしている偉い先生に振ってもらう事になっていた。

 中川さんも歌うのだから、俺のソロを中川さんに渡した方が良いって声もでた。


 幸か不幸か合宿のイメージが尾を引いて、俺のままでいいってことに落ち着いた。


 今だから言うが、中川さんは指揮じゃなく、歌もピカイチだった。

 きっと中川さんが歌った方がより良い演奏が出来たに違いない。


 演奏会が無事終わりアフターも終え、団員それぞれが知り合いと挨拶をする時間になった。

 俺もそれなりに顔が広かったから、色んな人と話をしていたんだ。


 そうしたら向こうから見たことの無い若い女の子が二人、駆け寄ってきた。

 どうやら今年受験の高校生らしい。


 その子の一人が俺に言った言葉、それだけで、歌が好きで良かった、下手でも嫌いにならないで良かったって思ったんだ。


「ソロを歌ってた方ですよね?! 感動しました! 私は女なので合唱団には入れませんが、混成に入って、人を感動させる歌を歌いたいです!」


 言われた時、俺はぽかーんと間抜けな顔をしていたと思う。

 『握手してください!』って言う女の子の手を握り返して、『ありがとう』って言うのが精一杯だった。


 女の子が去って、頭の中で女の子が言った言葉を反芻して、ようやく理解出来たんだ。

 俺は賑やかな演奏会場の前の広場で一人立ちつくし、泣いていたんだ。

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― 新着の感想 ―
[一言] 私は小学生時代合唱強豪校で合唱部に所属していたのですが、この作品を読んでその頃の気持ちを思い出しました。 ありがとうございます(*´∀`*)
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