5.ノテリの花
「待て! ミンネ!」
「止めるな! パチュイ! 刺し違えてでも、あのオオカミめを殺してやる!」
パチュイの手が、ミンネの馬のたてがみをつかむ。
「落ちつけ! ひとりで乗り込む気か!」
「兄上の仇だ! 私が討たずに誰が討つ!」
あきれるほどの力で、パチュイは馬を押さえている。
このまま突破することをあきらめ、ミンネは馬から飛び降りた。
着地と同時に石を跳ねあげ、パチュイに体当たりする。
だが、びくともしない。
「いい加減にしろ! ミンネ!」
「邪魔をするな!」
すぐに離れて、蹴りをくりだす。
右足で蹴り、左足で蹴り。
しかしそれも、パチュイの腕にはじかれる。
パチュイにガッと右足をつかまれかけ、ミンネは左足をはねあげ、パチュイの腹を思い切り蹴った。
背をそらして地面に手をつき、後ろに宙返りするように身体を起こす。
パチュイは体勢を崩している。
今だ、とばかりにミンネは馬に飛び乗り、駆けだした。
だが、パチュイはあきらめない。
「死にたいのか!?」
水しぶきをあげながら、川の浅いところを走り、むんずとミンネの足をつかんで、鞍の後ろに乗って来た。
「うわっ!」
これには、さすがのミンネも不意をつかれた。
手綱を奪われ引かれる。馬は川の真ん中で棒立ちになり、ミンネはたてがみにしがみつくので手いっぱいになった。
パチュイは馬の向きを変え、トトリ村の川岸に戻る。
先に馬を下りたパチュイが、ミンネを下ろした。
悔しまぎれに胸を叩こうとしたが、それも防がれてしまう。
悔しい。
ミンネはぐっと唇をかんだ。
「俺は、決して弱い男ではないつもりでいる。だが、いざ戦うとなれば、大柄なドラドの兵ひとりを相手にするので手いっぱいだ。必ず倒せるとさえ言えない。そなたはどうだ? 俺ひとり倒せないお前が、ドラドの長の懐までどうやってたどりつく?」
パチュイの言う通りだ。
ミンネひとりがドラド村に乗り込んだところで、仇討ちなど到底できるはずもない。
わかっている。わかっているが、どうしようもなかった。
「では、このまま泣き寝入りしろというのか! 兄を殺された! トトリは未来の長と、勇者を失ったのだぞ!」
ミンネは憎しみと怒りをこめた目で、パチュイと、その向こうにあるドラドの土地をにらんだ。
「証拠がない。ここで動けば、相手の思うツボだ」
「お前は許せるのか? パチュイ!」
「許せぬ。俺とて、心のおもむくままにふるまえば、この足で義兄上の仇討ちにいく。だが、義兄上がそれを望むと思うか?」
パチュイの淡い色の目もまた、怒りに燃えている。
ミンネはハッと胸をつかれ、目をそらした。
エンジュとパチュイは、兄弟のように育ち、義理の兄弟となった。
おそらく、狩りや鍛錬を共にする分、親よりも長い時間を過ごしてきた仲だ。
今、彼が抱えている悲しみも憎しみも、自分のものよりも弱いなどと、言えるはずがない。
「……すまない」
「よく考えてくれ、ミンネ。村に蒼き血を継ぐ者は、もうそなたしかいない。トトリには、蒼き血を持つものが必要なのだ。それだけではない。オラーテ様は、昨日息子を亡くし、今日娘を失うのか? 姉上は、夫と義妹を失うのか? オオカミをしとめたいのなら、こらえろ。矢を放つのは、しとめられるとわかってからだ」
床につく父の姿を思いだせば、いやでも頭が冷えた。
ミンネは「わかった。すまない」と言ってパチュイに謝った。
「……たしかに、パチュイの言うとおりだ。ドラドがこれだけ準備をして、我らを陥れようとしている以上、わざわざ罠にかかりにいくのは、愚かなことだと思う。……止めてくれてありがとう。父上の嘆きをひとつ減らせた」
「村に帰ろう。ミンネ。この場で得られる情報は、十分に得た」
ミンネはうなずき、今度は静かに馬に乗った。
馬の首を叩いてやれば、興奮していた馬も、落ち着きを取り戻したようだった。
今日この場で見たことを、急ぎオラーテに伝える必要がある。
二人はトトリ村に向かい、馬を走らせた。
(しかし、どうしてドラドは、こんな無謀なことをしかけてきたのだ?)
楠の森の上に広がる空は、厚い雲におおわれたままだ。
トトリとドラドは戦になるだろうか。
凶作になった時、食糧の豊富な森を抱えた南部との交易も盛んなトトリよりも、農業の他に産業のないドラドの方が、兵力の維持ははるかに難しくなる。
(己の首をしめるようなものではないか)
森に入る。
少し走ると、白い花があたりに見えた。
来たときは、エンジュのことに夢中で、目に入らなかったが、一面のノテリの花が咲いている。
「パチュイ! 待ってくれ!」
すぐにパチュイは馬を止める。「少し時間をくれ」と言って、ミンネは馬を下りた。
ノテリは、弔いに使う花だ。
死者の旅路を花で飾れば、黄泉路に迷うことはなくなるという。
パチュイは理由をきくこともなく、ミンネが花をつむのを手伝った。
そうして、草原の焼けあとのある塚まで戻る。
白い花を塚におき、手を合わせた。
エンジュが死んだとき、ミンネは火竜を怨み、火竜の子を呪った。
だが、それは間違っていたと今ならばわかる。
エンジュも、火竜の子も、ドラドに利用されただけだ。
もう、ミンネの心に、火竜や火竜の子を怨む気持ちはみじんもない。
「私が、火竜と話す力を持っていれば、竜の怒りもとけていただろうか」
ミンネはそう言って、暗い空を見上げた。
「火竜が怒りを示すべきは、ドラドだ。竜はドラドの祭壇を焼き払えばよかったのだ」
「まったくだ。焼くべきはドラドの……いや……」
ミンネは、言葉を途中で止め、立ち上がって焼けあとを見た。
美しい円を描く、火竜の吐いた炎のあと。
この炎は、本当に怒りの炎であったのだろうか? この塚には火竜の子が眠っているのに?
「……パチュイ。竜は、我が子の塚を怒りで焼くだろうか?」
「言われてみれば……たしかにそうだな。火竜が、火竜の子に怒りを示す理由はない」
わからないことばかりだ。
蒼き血が失った力を、取り戻したい。
昨日、火竜はなにを見たのだろう。もどかしさに、ミンネは、あぁと嘆いて天を仰ぐ。
「火竜の声が聞きたい。なにが起きたかを知っているはずだ。……私に、力さえあれば」
「己を責めるな。ミンネ。……今は、失われた命が、天で安らげるよう祈ろう」
ミンネは小さくうなずき、再び塚に向かい、胸に手を当てた。
ひとつゆっくり呼吸をしてから、ミンネはくるりと塚に背を向ける。
この謎をときたい。
二人はトトリ村に向かい、西の草原を抜け、楠の森を駆けぬけた。
森を抜けたあと、南西に向かえばトトリ村がある。「田畑の様子だけ見ていきた」とミンネは言い、西にまっすぐ進んで、田畑の広がる盆地を目指した。
狩りの途中で水をもらうこともある場所だ。
一組の夫婦が田の端に立っているのが見える。
ミンネは馬を寄せた。
男がミンネに頭を下げる。
女の方はこちらを見るなり、逃げ出してしまった。
男は頭を軽く下げたまま、後ろに下がった。そのまま逃げるように走っていく。
辺りには、ミンネを遠巻きに見ている者が数人いた。
つい数日前に、ここで一杯の水をもらい、親しく言葉を交わしたばかりだというのに。
火竜の怒りを買った男の妹だから。
あるいは蒼き血を持つものが力を失ったことへの失望なのか。
なんにせよ、民に背を向けられることは、胸の痛むことである。
「嫌われたものだな」
ぽつり、とミンネは呟く。
「気にするな。我らは我らで、やれることをやるだけだ」
「蒼き血を持つ者は、民に愛されていると信じていた。だが、違ったらしい。彼らが歓迎していたのは、己の暮らしを守ってくれる者だったのだな」
「なにが悪い。我らも敬っていたはずの炎竜に、怒りを示されて難渋しているのだ。彼らの態度も当然だろう」
パチュイはひどく早口で言った。
励まそうとしてくれているのかもしれない。
田畑の様子を左に見ながら、ミンネは村に向かって駆けた。
落ち込んでいる暇はない。
今できることは、うつむくことではなく、前に進むことだ。




