表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
蒼の勇者と赤ランドセルの魔女  作者: 喜咲冬子
第一章 蒼の国の少女
3/30

2.葬送の光




 空が暗い。


 炎竜が去ったあとも、灰を溶かしたようにあたりは暗いままだった。


 焼いた骨を石の匙で壺に収めるのは、家族の務めである。


 エンジュの妹のミンネ。

 妻のフィユ。

 その弟のパチュイ。

 

 三人は丘を上った。

 ゆらゆらと、二つの松明が揺れている。


 ミンネは、焼け野原になった頂上の有様に息をのむ。

 なにも残っていない。祭壇さえも焼かれて灰になっていた。

 壮絶な光景である。


 フィユがミンネの肩を、壺を持っていない方の手で叩いた。

 棺の前では取り乱すほど嘆いていたが、もう落ち着いた様子だ。


 フィユは村の軍をまとめる将軍の娘ながら、商いの才があり、土器や織物の売り買いをしている。

 村の誰よりも賢い。多くのことを知る知恵者だ。


「……フィユ。私には竜の声が聞こえなかった。私の声も竜には届かなかった。女神の血など、なんの意味もなかったのだ」

「ミンネ。あなたのせいではないわ。あなたのお祖母様の代でさえ、もう火竜の声を聞くことができなかったと聞いているもの」


 だが、義姉の優しいなぐさめはミンネの心を楽にはしなかった。

 この空の暗さはどうだ。

 今の時間ならば、まだ西の空は明るかったはずだ。


(私に、もっと力があったならば)


 いや。

 すべての元凶は、エンジュだ。

 エンジュさえ火竜の子を殺さなければ、こんなことにはならなかった。

 ミンネはこらえていた恨み言を吐きだした。


「なにもかも、兄上が、火竜の子を殺したせいだ。この空を見ろ。ドラドの子と、蒼の国のすべての民の命を秤にかけて、兄上はドラドの子を選んだのだ!」

「ミンネ。エンジュは、子供たちを守ろうとして、火竜の子を射たの。それがたとえドラドの子であっても、私たちは、彼の勇気を誇るべきだわ」

「オオカミの子だ! 育てばトトリに弓を引く!」


 ミンネの紺碧の目が、西に向かう。

 トトリ村と西で境を接するのはドラド村だ。


 ドラド。

 村の規模はトトリに次ぎ、兵の強さでは蒼の国一と言われている。


 百年ほど前、遠い大陸から蒼の国に渡ってきた一族で、その祖がオオカミであるという伝説があることから、蒼の国ではドラドの者を、時にオオカミ、と呼ぶ。

 血に飢えたオオカミからの連想通り、この十年で近隣の村を二つのみこみ、領土の拡張を続けている。

 境を接するトトリとも、領土をめぐってしばしば争いが起きていた。


「ドラドの者が礼を言いにでもきたか? 子供を助けてくれてありがとう、など連中がいうものか! 兄上はその場の情に流され、してはならぬことをした! 村だけでなく、この島すべてを危険にさらしたのだ! 竜は人の子を許さない!」


 優しかった兄。

 村を危うくした兄。

 村の希望だった勇者。

 火竜の子を殺した愚者。


 一体、どれが本当のエンジュなのだろう。

 ミンネは、大好きだった兄の姿を見失いそうになる。

 

「ミンネ。話はあとよ。さぁ、エンジュを送りましょう」


 フィユが、懐から出した石の匙をミンネに渡す。

 焼いた骨を壺に収めるためのものだ。

 スミレ色の瞳は、もう嘆きに色を失ってはいない。


「……そうだな。それが先だ」


 義姉の心の強さに、ミンネは胸を打たれた。

 フィユは正しい。

 嘆きも怒りも後回しだ。

 罪があろうとなかろうと、残された者がすべきことはひとつ。死者を葬ることの他にない。


 ミンネは、手を胸の高さに上げ、てのひらを空に向けて開いた。


 ぽうっと、リンゴの実ほどの大きさの、光の玉が浮いた。

 ひとつ、ふたつ。


 蒼き血を継ぐ者は、不思議な力を持っている。

 この力は、ミンネの母も兄も、祖母にも備わっていた。

 竜と話す力は失われたが、光の玉を生み出す力は残っている。


 この光こそ、同じく蒼き血を持つ兄を送るのに相応しいはずだ。


「きれいね」


 フィユが囁くような声で言った。「ありがとう。エンジュもきっと喜んでいる」と続けて、祭壇の中央に向かっていく。


 辺りはいくつもの光の玉によって、昼のように明るくなった。


 パチュイは松明を消し、フィユから石の匙を受け取る。


 三人は、光を柔らかく弾く、白い灰の前に立った。


 つい先ほどまで、兄が横たわっていた場所に残る灰は、浜の砂に似ていた。


「始めましょう」


 フィユが、ミンネとパチュイを励ますように言い、最初の匙を灰に埋めた。


 ざく ざく


 三人は、白い灰を壺に収めていく。


 言葉もなく作業を進めていると、カツ、とミンネの石の匙がなにかにぶつかった。


(なんだ?)


 戦士の証である首飾りは、棺には入れない。

 灰を収めた壺の最後に入れるものだ。

 エンジュの首飾りは、今ミンネの懐にある。


 パチュイも違和感を覚えたようだ。

 ミンネの匙が止まったあたりを丹念に探りはじめた。


 ミンネもフィユも、骨を納めるのを忘れ、パチュイの手を見つめている。「あった」と言ってパチュイが黒い石を匙に乗せた。

 黒い石の塊だ。

 先端がするどくとがっている。


 それ自体は、ミンネにとって毎日目にする、ごく見慣れたものである。


「矢じりだ」


 ミンネは矢じりをてのひらの上に載せた。


「こちらにもあるわ」


 フィユはもうひとつの矢じりを、灰の中から拾った。

 さらに、もうひとつ。

 急いで灰を壺に納めながら探せば、またひとつ見つかった。


「パチュイ。兄上は、火竜の怒りに触れ、背を焼かれて死んだのだろう? どうして灰から矢じりが出てくる? 棺に矢など入っていなかった」


 ミンネはパチュイに尋ねた。

 エンジュは『火竜の子を殺し、火竜の怒りに触れて死んだ』はずだ。


 ミンネは、兄が命を失った瞬間を見ていない。

 エンジュを運んできたパチュイが、報告したのだ。「エンジュは、ドラド村の子を助けるために、火竜の子を殺した。そのため火竜の怒りに触れて死んだ」と。

 そのパチュイも、エンジュと別行動を取っており、死の瞬間は見ていないという。


 エンジュの死の真相は、一部始終を見ていた、というドラドの男たちしか知らない。


「竜の手では弓を引けない。火竜の怒りに触れて殺された兄上の身体から、矢じりが四つも出てくるのはなぜだ? 教えてくれ、パチュイ」

「パチュイ、これは一体どういうことなの?」


 ミンネとフィユは、そろって尋ねた。


「待ってくれ。俺にはわからない。……では、義兄上は、矢を射かけられたというのか? 一体、誰に?」


 パチュイは戸惑っている。


 ミンネの心も、大いに混乱していた。

 勇者か、愚者か。

 それだけではない。彼は誰に殺されたのか?

 肉体が灰になったように、エンジュの存在も形を変え、霧の中に隠れてしまったかのようだ。


「ドラドのオオカミめ! このままでは済ませんぞ!」


 ミンネは矢じりを握りしめ、立ち上がった。


 エンジュは殺されたのだ。

 犯人はドラドに決まっている。

 ――彼らが兄を殺したのだ。


「待って、ミンネ」


 駆け出しそうになったミンネを、フィユが手で止めた。

 それから、人差し指を唇に当てた。ミンネはぐっと眉を寄せる。

 

「このことは、まだ内密に。矢じりはミンネが持っていて」

「なぜだ! これはドラドの陰謀に決まっている。このまま泣き寝入りなどするものか! 蒼の国のすべての国に触れて回ってやる!」

「証拠がないわ」


 ミンネはてのひらの上の矢じりをフィユの前に見せた。


「ここにある! この矢じりこそが証拠だ!」

「矢じりが、エンジュの身体から出てきたことを、証だてることはできないもの。今騒ぎたてるのは、敵の思うツボよ。私たちは今、敵の罠にかかったばかりなのだから」


 フィユは知恵者だ。

 村の誰よりも賢いことをミンネは知っている。


 しかし、頭に血がのぼった今のミンネは、すぐにうなずくことができなかった。


 迷い、ためらい、だが、最後は矢じりを懐にしまうことを決めた。

 怒りのために心臓はうるさいほどに跳ねあがっている。

 だが、こんな時こそ、落ち着かねばならない。エンジュの教えだ。


「……そうだな。その通りだ。敵の狙いも、まだわかっていない」

「今うかつに動いては負ける。矢を放つのは、確実にしとめられるとわかった時だけよ」


 フィユは一見温和な女だが、心の中まではそうではない。

 そのスミレ色の瞳には、強い怒りが揺らめいている。


 狩りのことを教えてくれたエンジュも言っていた。

 敵の居場所がわかるまでは、動くな。確実にしとめられるとわかるまで、矢を放ってはならない、と。


 今、ミンネが口をつぐむのは、決して、何者かのしかけた罠に屈するためではない。

 いずれ敵を倒す。そのためだ。


「俺は明日、義兄上が殺された現場に行って、調べてこよう」


 パチュイが言ったので、ミンネは「私も行く」と言った。


「そなたは村に残れ。オラーテ様もお加減が悪いのだ」

「だからこそ、私が行かねば。この目で、どうあってもたしかめる」


 困り顔をしたパチュイは渋々「わかった」とうなずいた。彼は、こういうときのミンネを止めるのが難しいことを、一番よく知っている人だ。


「私は情報を集めてみる。父には私から話しておくわ」


 ミンネはフィユに言葉にうなずいた。

 姉弟の父親は、軍の将軍だ。

 オラーテが床についている今、長に次ぐ立場にある。


 三人は残った骨のすべてを壺に納めた。

 ミンネは懐に入れていた勾玉を入れ、皮のフタをする。

 このまま、先祖が眠る塚に壺を安置すれば、葬儀は終わりだ。


(兄上。必ずやこの謎を明かし、村を守ってみせる。……どうか、見守っていてくれ)


 三人は静かに、丘を下りた。


 月もない夜、ゆらゆらとミンネの出した光が、葬列を先導していた。




 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ