4.勇者の帰還
土竜の背に揺られ、一行はひたすらに駆ける。
南の山から離れるにつれ、あのうだるような暑さは和らいでいった。
夕まで駆けに駆け、野営に適した水場の近くまでくると、土竜たちは足を止めた。
振り返るな、と火竜は言ったが、手綱も鞍もなく、この大きな生き物に乗り続けるのは並大抵のことではない。
土竜から下りた一行は、立っているのもやっとというほど疲労困憊していた。体力に自信のあるミンネやパチュイでさえ例外ではなかった。
一体、南の山はどうなったのか、誰もわかっていない。
「ありがとう。世話になった。命の恩人だ」
ミンネは土竜から下りると鼻づらを、馬にするのと同じようになでた。
言われてみると、火竜とは別種であると考えたほうがよさそうだ。
皮膚の色くらいしか、共通点がない。
目の色も真っ赤で、虹色ではない。土竜は馬のようにブルルと鼻をならして頭を振った。竜よりも、馬に近い種なのだろうか。
土竜は一行を下ろしたあと、来た時と同じように地の中に消えていった。
その場で確認したところ、南の山にいた人たちに、ひとりの犠牲者は出ていなかった。
この場にいないのは、村に伝令に向かった者たちだけだという。
火竜は、己に弓引く者のみを許さない、と言っていた。罪なき者を殺すことをよしとしなかったようだ。
あとになって、別の土竜たちが、臼山の麓においてきた馬と兵を連れて合流した。
彼らを運んできた土竜のうちの一頭が、ミンネに近づき、口にくわえたノテリの花を渡した。
「あぁ、あの時の」
パチュイもすぐに気づいたようだ。
あの西の草原で死んだ子の縁者だろうか。
ミンネが優しく鼻づらをなでると、おじぎをするように頭を下げ、帰っていった。
一輪のノテリの花を、南の山の方に置き、ミンネは手をあわせる。
手を下して振り向けば、周囲にいた人たちも同じように、手をあわせて祈っていた。
日が落ちた頃、天幕の中央に焚いた火の周りに、長たちは集まった。
さすがに北部の長たちは肩身がせまいのか、ミンネから遠い場所に床几を置いて座っている。
「私は、まだ長の地位にも就いておりません。この場は、南部で最も年長であられるエーラダの長にお任せすべきと思うが、いかがでしょうか?」
まず、ミンネはそう言って、この場を率いるべき立場を年長者に譲ろうとした。ミンネは一行の中で最も幼い。しかしエーラダの長はミンネに引き続きこの場をまとめるよう求めた。
「我らは、蒼き血の姫が火竜と言葉を交わすのを見た。絆は取り戻されたのだ。すべては愚かにも欲にかられたドラドのオオカミの姦計であった。なれば、我らを率いるのは、蒼き血の姫こそがふさわしい」
ドン、ドンと杖が鳴る。北部の長たちも胸を叩いた。
「では」
ミンネは長たちそれぞれに深く敬意をこめた礼をした上で、立ち上がった。
「さきほどの物見の報告では、南の山の麓は、広い範囲が焼き払われたようです。しばらく、南の山には近づくこともできないでしょう。巫女たちの社も、どのようになっているかわかりません。いったんそれぞれの故郷に戻り、十日ののちに様子を見にいくようにお願いします」
モラーテの巫女たちはうなずき、それぞれ、自分の出身地の村長の傍に移動した。
「私には、ダーナムへの怨みがありました。兄を殺され、土地を奪われかけ、私自身の命も狙われた恨みです。だが、それは一度忘れます。竜は己を害そうとした者を滅しました。ここからは、我々、人の問題です」
長たちの顔を見る。異論はない様子だ。ミンネはさらに続けた。
「竜は人を害することを望んでいません。竜は人が、自分たちに矢を向けたことを深く嘆いていました。我らは竜をなぐさめねばなりません。皆様が戻られましたら、それぞれの村で三日の間祭りを行っていただきたいのです。竜の嘆きを癒すために。これからも竜と人が、同じ島で生きていくために。そして、祭りのあと、再びこの場の皆様と語りあう場を設けたく思います」
ドン ドン
南部の長たちが同意を示す。エーラダの長が、南部の長たちに向かって言った。
「明朝、我らは帰路につく。戻り次第三日、祭りを行い、さらに十日ののちにトトリ村にて再び集いましょう。――この国の未来を、蒼き血の勇者と語りあうために」
ドン ドン
北部の長も、胸をたたいている。その場の全員が、同意を示していた。
新しい一歩だ。
ミンネは、心をこめて一同に深く礼をした。
翌朝早く、それぞれの長たちは帰途へとついた。
トトリの一団も、村を目指した。湖東の森で一夜を明かし、ついにミンネら一行はトトリ村に迫った。
昼を過ぎた頃だ。丘を越えた向こうにトトリ村が見えてきた。
懐かしさと慕わしさに、胸がしめつけられるようだ。
父に会いたい。フィユに会いたい。母と兄の塚に手を合わせたい。
そうして、ミンネを信じて待つ村の人々に、この胸に輝く宝玉を見せたい。
「あ……ミンネ、空が」
パチュイの声に空を見上げる。
「なんだ? あ……」
さーっと光が、さしていく。
またたくまにあたりは、眩しいほどの太陽の光に包まれていった。
叫び出しそうになるのを、口を押さえてこらえる。
――雲は晴れ、太陽が戻った。
「雲が晴れた! 竜の嘆きは晴れたのだ!」
ミンネは畑に向かって駆けた。
風にそよぐ稲に、力が戻っている。
明るい陽射しに誘われ、外に出ていた村人たちが、ミンネに向かって手を合わせていた。
ミンネは、彼らの信頼を取り戻したのだ。
そうして、ついに一行はトトリ村の門をくぐった。
ミンネの帰還に、村は沸き立っていた。
どんな言葉よりも、この晴れた空こそがミンネの成功を伝えている。
淡い青の着物を着た女が、列から飛び出す。
フィユだ。ミンネも馬を飛び下り、駆け寄った。
「あぁ! ミンネ! 信じていたわ! あなたならきっとやりとげるって!」
「義姉上! 今帰った!」
「よかった。……本当によかった。ミンネ。あなたこそ、本当の勇者の名にふさわしいわ」
「蒼き血が私を導いた。義姉上。私は、この血を誇りに思う」
ミンネは身体を離し、空を見上げた。高く青い空は、雲ひとつなく澄んでいる。
「なんて美しいの。私はこの空を忘れない。きっとこの子にも――今日の日のことを、何度でも語って聞かせるわ」
フィユは腹をなで、笑顔で言った。
「……嘘ではなかったのか?」
ミンネは目をぱちくりさせて聞いた。フィユは、自分の人質としての価値をあげるために、腹に子がいるとダーナムを偽ったはずだ。
「あなたを心配させたくなくて」
「あぁ……義姉上。どうか身体を大切にしてくれ」
フィユは、とても優しい笑顔で「約束するわ」と言った。
横で待っていた将軍のバタイが、一礼して近づく。
「お帰りなさいませ。ミンネ様。祭りの準備は整っております。号令を」
ふだんは笑顔を見せることも少ない厳格な将軍の表情も、今は明るい。
「すぐに始めてくれ! 三日の間、祭りを行う!」
ミンネがそう宣言し、人々がワッと答えるように声を上げる。
その時、バタイが、ミンネに目で合図をした。示しているのは、館の高い場所だ。見上げれば、そこにはオラーテの姿がある。
「父上……」
手すりをつかんではいるが、自分の足で立っている。
顔色も数日前より格段にいい。
「よくぞ戻った! ミンネ!」
そのオラーテの声には力がある。
ミンネは、父の体調が回復に向かっていることに安堵した。
「父上! ただいま戻りました!」
「みなの者! 勇者ミンネの帰還を称えよ!」
オラーテの声に、村中の人々がワッと応える。
ミンネ、勇者ミンネ、と人々は唱和した。
歓声が、村を包む。
蒼の国に太陽の光が戻ったこの日、ミンネはトトリ村の勇者となった。




