4.花火大会
ハッとそちらを見たが、暗くて人の姿は見えない。
「ミンネ! 消して!」
光の玉を見られた。
丘の裏に人がいなかったので、すっかり油断していた。
すぐにミンネは光の玉をかき消す。
このまま逃げよう、と思っていたのだが――
「え? リノちゃん?」
聞き覚えのある声だった。「あ」とミンネは木の上で声を出す。
小笠原きもの店の、ハヤトだ。
「ハヤトくん!」
うわ、サイアク、とリノがつぶやくのが聞こえた。
「今、火の玉……ちょっと、リノちゃん、今のもう一回! 動画撮らせて!」
ハヤトはスマホを構えている。
(マズいな)
スマホというものは、映像を記録できるのだという。
リノの姿を撮られたかもしれない。ミンネには、動画を撮られることで不利益をこうむる理由がわからない。
それでも、リノが困惑し、おびえているのを見ただけで、取るべき行動に迷うことはなかった。
「マジですげぇ! 頼むから、もう一回やってくれる?」
ハヤトは、リノの戸惑いもお構いなしに近づいてくる。
ガサガサッ
ミンネは、葉を幾枚か散らせながら、リノとハヤトの間に着地した。
ハヤトが「うわああっ!」と悲鳴を上げる。
「リノ。そこを動くな」
「え? 待って、ミンネ……!」
ミンネは身を屈めてハヤトの懐に入り――
えりをつかむと、青年の身体をぶわりと持ち上げ――
「ひッ!」
地面にたたきつける直前で、腕の力だけでぴたりと止めた。
ハヤトは恐怖に顔をひきつらせたまま、ミンネを見上げて「こ、殺さないで」とかすれた声で言った。
「あなたたちには世話になった。乱暴なことはしたくない。だが、こちらも必死だ。場合によっては拳にものをいわせることになる。――見ろ」
片手はハヤトのえりくびをつかんだまま、ミンネはもう片方のてのひらの上に、ぽぅっと光の玉を浮かせた。
「わぁ!」
「うわぁ!」
リノとハヤトが、そろって声を叫ぶ。
ミンネは一瞬で、光の玉を握ってかき消した。
「ごらんのとおり、こどものおもちゃだ」
「おもちゃって……いや、でも……」
「わかるな?」
ミンネがずいと顔を近づけると、ハヤトはコクコクとうなずいた。
「ハイ。なにも見てマセン。見たのは、子供が光るおもちゃで遊んでたところだけ、デス」
「話が早い。――次は、あの木の洞を見てくれ」
ミンネは、少し離れた場所にある、大きな木を指さした。
そこには、拳ほどの大きさの穴がある。
それから、手近にあった石を片手で拾った。
「あの場所に、石を当てる。見ていてくれ」
シュッと腕を振れば、カンと音がして、石は穴の中に正確に入る。
「うわ。すげ」
ぽかん、とハヤトが口を開けた。
「腕前は、見ての通りだ。つまり……」
ミンネはハヤトの手にあるスマホを指でさした。
「私は、あなたのスマホを、ごく簡単に砕くことが可能だ」
ハヤトは開いていた口を閉じ、ごくん、とつばを飲み込んだ。
そうして、ゆっくりとミンネが、また石を拾って見せれば、ハヤトの首は上下に大きく動いた。
「消す! すぐ、消しマス。今の動画はすぐ消すから! だからスマホだけはカンベンして!」
ハヤトはえりくびをつかまれたままの格好で、スマホをすばやく操作しだした。
「はい、消しマシタ」
「リノ。確認しろ」
「りょ、了解。……ハヤトくん、ごめん。うらまないで。この子、やると言ったらやるタイプだから。ゴリラだから。スマホのためにがまんして。――大丈夫。ミンネ。データはちゃんと消えてる」
リノは、ハヤトにスマホを返した。「よし」と言ってミンネはハヤトを解放する。
「行くぞ。リノ。また人が来てはやっかいだ」
「うん。行こう」
ハヤトはのろのろと身体を半分起こし、パンパンと身体についた葉っぱを落としている。
急いで坂をくだる途中で、リノはくるりと背を向けた。
「ハヤトくん! ミンネ、デビュー決まったモデルなの。肖像権侵害すると、目玉飛び出るくらい請求くるから、ほんとに気をつけて!」
ハヤトが「マジで!? それヤバい!」と叫んでいるのが聞こえた。
意味はわからなかったが、リノのことだ。さぞ効果的に脅したに違いない。
上の方で、声が聞こえる。
「ほんとだって、今、火の玉が見えたんだ!」
「こっちだ! あ、誰かいるぞ!」
「追いかけろ!」
声に、足音が続いた。ひとりやふたりではない。
「急ぐぞ! リノ!」
「わ!」
ミンネはリノの手を引き、足を速めた。
暗い森が視界の左右に流れていく。
時折、目の端で提灯の光が揺れていた。
リノはしがみつく勢いでミンネの手を握っている。
「待って! そんなに速く走れない!」
「足を止めるな!」
長い道ではないはずが、ひどく長く感じられる。
険しい悪路でもないのに、足がとられそうになった。
勝手のわかる楠の森を走るのとは、わけが違う。
ひょろ長く、力もないハヤトひとりの相手と違って、上から追いかけてくるのは大勢の大人たちだ。
いかに魔女の町の人間たちの身体能力が低いと言っても、囲まれれば敵わない。
まして彼らは興奮状態だ。
姿を見られることなく、傷つけることもなく済ますのは至難の業だ。
なんとしても、逃げ切りたい。
「きゃ!」
まもなく丘を下りきるというところで、リノがつまずいた。
「っ!」
(あきらめてたまるか!)
ミンネはつないでいる手をさらに強く握り、上に持ち上げる。「うわ!」と叫び、リノは態勢を立て直す。
なんとか転倒は避けられた。
「丘を下りたあとは、右か? 左か?」
「左!」
丘を下り、一瞬丘の上を確認して、左に向かってまた走る。
もう森の中は暗くて見ることができなかった。
パンパン! と遠くで音がした。それからほどなく、パッとあたりが明るくなる。
「なんだ?」
「花火!」
走りながら、リノが言った。
ドン! と音がして、ミンネは驚いて振り返る。
「今日、花火大会なの!」
「……ハナビタイカイ?」
「あぁ、えぇと、お祭りの一環。今のうちに! こっち!」
今度はリノが、ミンネの手を取って走り出す。
パッと明るくなって、ドン! と音がする。
あたりはそのたびに赤や緑に染まった。
なんと不思議な夜だろう。
魔女の技術が作り出す幻想的な夜の中を、ミンネは駆けた。
もう追手は見えない。振り切ったのだろうか。
リノはトウモロコシの畑の横を抜け、神社の裏手の土手をあがった。
パァッと光が、まるで花のように広がった。
ドン! とわずかに遅れて音が響く。
「ここ、花火の穴場なの。友達にも内緒の場所!」
ワタアメが綿のようなアメであるように、ハナビは花のような火であるようだ。
目を奪われていた。
夜空を彩る花火はたとえようもなく、美しい。
キクの花のように開くものもあれば、アサガオのように開くものもある。
震えるほどの感動が、ミンネの胸に満ちた。
祭りとは、こうあるべきではないのか。
誰の心をも震わせる美しいものを捧げることこそが、敬うということではないだろうか。
自分たちは、炎竜の怒りを恐れ、家に隠れるのではなく、その心をなぐさめるために、より強く、深く、祈りを捧げるべきだった。
神と人とは、本来そうして絆を結んできたのだ。
「この土地の守り神は、恵まれているな。これほど美しい祭りは見たことがない」
ミンネは大いなる感動の中で口にしたが、対するリノの反応は冷ややかだった。
「ただの商店街のお祭り。火の玉騒ぎでもなかったら、誰もこないよ。ここだって、ただのシャッター商店街。通りの向こうに大きなショッピングモールができてから、いつもガラガラ。去年もスポーツ店が閉店したし。パパの店だって……」
ミンネは、リノの顔を見た。花火の光のせいで顔が一瞬赤くなった。
「これほど祀っても、守り神は答えてくれぬのか」
「カミサマなんて、なにもしてくれない。商店街はさびれるし、パパとママはケンカしたきりだし。祈ったって、受験に受かるわけじゃないしね」
肩をすくめるリノの態度から、神々へ感謝する気持ちはうかがえない。
「そうか。……そうだな。守り神がすべてを守ってくれるはずもない」
「……カミサマとかに、願いが届いたらいいんだけどね。悪いことなんて、一個も起きないように」
パッ、パッ、と続けて花火が空に舞った。
ドン、ドン、と音が続く。
「ミンネは、これからどうするの? その、扉見つけて帰ったら」
花火を見たまま、リノはミンネに聞いた。
「今、トトリの戦士が南部を目指して走っている。彼が臼山の麓に長たちを集めてくれていれば、勝機はある。多少手荒な手を使っても、交渉に持ち込むつもりだ」
「そのあとは?」
ヒュルルル、と高い場所まで小さな火が上がり、高いところでパアッとはぜた。
「そうだな。今後は蒼の国全体で、長同士が顔を合わせる機会を作りたいと思っている。お互いが理解しあい、手をたずさえ、蒼の国がより豊かになるように、壁をなくしていきたい」
「うまくいくといいね。人のものを無理やり奪うやつらが、好き勝手するなんて許せないもの。皆でルールを決めて秩序を守るって、すごくいいことだと思う」
うんうん、とリノはうなずいた。
ひとつ、ふたつと花火が続けて咲く。
今までと違って、途切れることなく空は明るく染まった。
音が長く続き、余韻が消えると、あたりは、しん、静まり返った。
笛の音ももうしない。
「今回の件は、たしかに災厄だった。だが、我らはそこから学ぶことができる。蒼の国も変わらなければ。まずは、竜の怒りを鎮めるために、祭りを行いたい。敬う心を示すのだ」
「そっか。まるきり神だのみってことじゃないんだね」
「神がなにかをしてくれるものではないからな。怒りを示されれば鎮め、怒りを示されぬよう祭るだけだ。人の子の世は人の子が守る。――静かになったな」
「すごいなぁ、ミンネは。まだ十三歳なのに。――帰ろうか」
リノは、こっち、と言いながら土手を下り始めた。
祭りはもう終わったのだろう。
家路につく人たちの姿が、外灯の下にちらほらと見える。
話ながら歩くうちに、岐路に立っていた。
右にいけば、ポカポカ商店街。
左にいけば、リノの家。
ミンネは足を止めた。
ここで、あきらめたくない。蒼の国を救いたい。
どうしても宝玉がほしい。
――リノの家に案内してくれ。
ミンネは、リノにそう頼むつもりだった。
――知っていることをすべて教えてほしい。
――ママ殿に会わせてくれ。
その先に、蒼の国への道がある。
ミンネの勘がそう告げていた。




