3.夕焼けの魔物
「ありがたいわよねぇ。こんな寂しい商店街に、人がこんなに集まってくれて。来年はもう店たたもうかと思ってたけど、ちょっと頑張れそうな気がするわ。さ、ミンネちゃんは完成。リノちゃんは、どれにする?」
サナエは、広げた浴衣をリノに見せる。
「あ、でも、私……」
「マスターのお手伝い、するんでしょう? いつもみたいに浴衣着たら、お祭りらしくていいわよ? 遠慮しないで」
リノは戸惑いつつミンネを見た。
扉探しを始めるのが遅くなる、と遠慮しているのだろう。「私のことは気にするな」と答えると、頬がパッと赤くなった。
少女が、晴れ着を喜ぶのは自然なことだ。
リノは「これがいいです」と、花のような柄の入った浴衣を指さしていた。
リノは浴衣を着て、嬉しそうにくるりと回った。
魔女の街の褒め言葉は、『カワイイ』が定番のようなので、そう伝えた。
リノはますます嬉しそうにしている。ミンネは待ち時間の間に、サナエが出してくれた握り飯を食べて、腹を満たした。
着つけを終え、二人はそろって浴衣姿で外に出た。「浴衣レンタルやってまーす」と言って紙を配りながら、神社に向かって歩いていく。
「で、扉、見つかったの? ――浴衣レンタルでーす」
「いや、このあたりはすべて見て回ったが、見つけられなかった。神社もまだだ。――オガサワラキモノテンでーす」
「なんでこんなに……信じられない。――浴衣レンタル、花火大会のあとの返却でOKでーす」
角からのぞくと『タツロー』の前には数人の客が並んでいる。
外に並べた椅子に座って酒らしきものを飲んでいる人もいて、盛況のようだ。
「パパに見つからないように、急ごう」
あれだけ忙しそうにしているのを、放っておくのも気が引けたが、ミンネはどうしても帰る手段を見つけねばならない。
オダサン、申し訳ない、と心で謝り、足を速める。
「神社をあとで探すつもりだったが、火の玉を目当てに人が集まってくるならば、夜になればさらに混みあうだろう。先に行っておきたい」
「了解」
神社の階段から続く道には、華やかな露店が出ている。
キラキラと輝いたり光ったり、様々なものが並んでいた。
にぎやかな音。
人の声。
ミンネは思わず足を止める。
見たこともない美しいものたちがこれほどあるのに。
宝玉だけが見つからない。
魔女の街はこれほど豊かなのに。
ミンネの求める唯一のものだけが、見つからない。
「ミンネ!」
ぐい、と腕を引っ張られた。
ぼんやりしていたせいで、ミンネはやや驚いた。
「はぐれないでね? めちゃくちゃ浮いてるんだから」
ミンネは自分の足元を見る。
「違う。浮かない。浮きません。そうじゃなくて、わかるでしょ? トラブルは困る。ミンネだけ、違うの。手足長いし、頭ちっちゃいし、とにかく目立つんだから気をつけてよ」
「モデルみたいだからか」
「……どこで聞いたの?」
「皆が私を見て言っている。外見についての感想だろう。腕力に関してならば、ゴリラと言ったはずだ」
リノはぷっと笑った。「とにかく、私から離れないで」と言って、ぎゅっと手をつかんだ。
その手がどんどん前に進んでいく。
神社の丘を見れば、昨晩は階段のあたりにしかなかった灯りが、あちこちに、ぽぅ、と灯り、森は青みを帯びはじめていた。
夏の夕焼けは長いが、探しものは急いだ方がよさそうだ。
正面の階段からは神社に近づけそうにないので、リノとミンネは裏に回って丘を探し始めた。
「ミンネはそっち側探して。私はこっちを探すから」
リノと手分けして、丘の斜面を探す。
臼山のトーブテのしげみにあった扉は、岩にくっついていた。
木の根元や大きな岩のかげは特に念入りに探す。
見つからない。
見つかるのだろうか?
――ミンネは急に不安を覚える。
カァカァ、とカラスの声が聞こえた。
次第に暮れてゆく日が、もの寂しい。
臼山にひとり入った時でさえ感じたことのない、強い孤独が背からのしかかってくる。
あの時はよかった。
前を向き、必ず魔女に会えると信じ、希望を求めていたから。
今、魔女の街でミンネはひとりきりだ。
こんなに遠くまで命をかけてやってきたのに、扉を探して戻るので精いっぱい。
宝玉を手に入れることもできず、蒼の国を救えそうにもない。
情けなくて、寂しくて、涙がでてくる。
時間の流れは違っていても、期限は明日の夜――いや、時間の流れの差と、麓まで下りる時間を考えれば、明日の昼で限界だ。
頑張らなくては。
あきらめてはダメだ。
心を励まそうとすればするほど、ぐっと鼻の奥が痛くなった。
これは、人の心を弱らせる夕焼けの魔物だ。
負けたくない。
そう思うのに心が揺らぐ。
眼下に見える、にぎやかな露店の光がぐにゃりと歪んだ。
リノが近づいてきたのには気づいていたが、反応ができなかった。
「ミンネ? 大丈夫?」
声をかけられ「あぁ、大丈夫だ」と答えはしたが、涙が、ほろりと頬をつたっていた。
ぐっと涙をぬぐう。
帰るあてもなく、あまりにも遠いところへ来てしまった、という嘆きが、次から次へと湧いてくる。
心配するな、と言おうとしたのに、声はでなかった。
「ちょっと待ってて! そこにいて!」
リノはそう言うと、パタパタと丘を下りていく。
(扉を……探さなければ)
――もし、このまま蒼の国へ帰れなかったとしたら?
悪い想像ばかりが頭をよぎる。
せめて足を動かそう。
のろのろとミンネはあたりを探すべく歩きだした。
しばらくして「ミンネ!」と呼ばれた。
もうリノが戻ってきたようだ。
どのくらい時間が経ったのか、それさえミンネは見失っていた。
リノは、絵の描かれた桃色の袋から、ふわふわとした雲のようなものを取り出す。
「ワタアメ。食べて。……元気でるよ」
気をつかわせてしまった、とミンネは感じた。
本来、リノはミンネにつきあう必要はない。
自分の勉強で手いっぱいなのだ。
今の時間も、本当は宿題に使うほうが有意義だろうし、今日くらいは達郎の手伝いをしたかったのかもしれない。
「ありがとう」
リノのやさしさに、ミンネは小さく笑んだ。今度はちゃんと声が出た。
「指でつまんで、こうして、食べるの」
甘い匂いはするが、アメには見えない。
リノは指でつまんで、口に運んで見せた。
アメというより、綿そのものだ。
ミンネも、リノがしたのと同じように、指でつまんで口に入れる。
甘い。
雲のようにふわふわで、口の中でしゅるしゅると溶けていく。
ミンネの頬が緩んだ。するとリノの顔もふわっと笑う。
まだ母が生きていたころ、作ってくれた甘酒の味を思い出した。
おいしい、とエンジュとミンネが笑顔で言うと、母の顔も優しくほころぶ。
家に帰って甘酒を飲んだら、どんなに疲れていても、また外に飛び出せたものだ。
大きく見えたワタアメは、あっという間に二人の口の中に消えてしまった。
けれど食べ終えるころ、ミンネは少しだけ元気になっていた。
「元気だして。私、明日は塾ないし、朝から扉探し手伝えるから」
リノの言葉に、ミンネは「ありがとう」ともう一度礼を言う。
「よし。探すか」
いよいよ辺りは暗くなり始めている。
あのアメのおかげで、夕焼けの魔物にとらわれずに済んだ。
(急がねば……!)
ミンネは枝ぶりのよい木を見つけ、ひょい、と手を伸ばす。
身体を持ち上げ、枝の上に立つと、小さくなったリノが、ぽかんと口を開けていた。
「え? ちょ、マジで? サルなの? 浴衣で木のぼりって……」
「どうした?」
「……木のぼり、うまいんだね」
リノの中で、身軽なものはサル。
力があるのはゴリラ、という分類があるらしい。
「まぁな。不得手ではないぞ」
ガサガサと枝を揺らしながら、木から木へと移動する。
少し離れた場所に、岩がいくつか固まった場所が見えた。
トーブテのしげみにあったものに似ている。
「リノ。その、岩のあたりを探してくれ」
「了解」
「見えるか?」
「うん。ちょっと暗いけど」
ミンネは木の上で光の玉をひとつ作り、岩の近くまで飛ばした。
「どうだ?」
「あ、明るい。それ便利だね。動かせる? 裏も見たい」
「了解」
ぐるりと光の玉を、リノの動きに合わせて動かす。
「ないなぁ」
「ここになければ、あとはリノの家の中か、庭だけだ」
「家にそんな扉ないよ。私が三歳の時にパパとママが建てた家だけど、ハートがあるのは私の部屋くらい。ママはインテリア、クラシックモダン派だから。ハートはあり得ない」
きっぱりとリノは言い切る。
「いや、だが、臼山で会った時、リノは扉はいつも近場にある、と言っていたのだ。神社でなければ、リノの家しかない、と思っている」
「うーん……わかった。明日でもいい? 今日はママ、徹夜仕事だと思うから」
「あぁ、〆切が近いのだったな」
「うん。明日の夜。夜ご飯食べに行こうって言ってたから、それまでに終わると思う」
「……明日の夜か」
それは、ミンネに残された時間と同じだ。
「それまでに、なんとかしなきゃ。がんばって探そう」
リノは、またあたりを探し始める。
ミンネの頭はグルグルと勢いよく回りはじめた。
昨日、リノは達郎に泊まらせてほしい、と頼む時に、『明後日の夜まで』と言っていた。
それは昨日の話なので、示す時間は、明日の夜だ。
――明日の夜。
(あれは、私の期限を二人で探るより先のことだった)
どうしてあの時、リノは達郎にミンネが滞在する期限を告げたのだろう。
ミンネの架空の両親が、ホテルが、代理店が、と説明をしたとき、リノとミンネの間には、相談もなかった。
期限は明日の夜だ、とわかった時「そうじゃなきゃおかしい」と言っていたことも、今改めて考えれば、やはり違和感がある。
(……なぜ、明日の夜なのだ?)
ドラドの事情も、蒼の国の窮状も、リノは知っていた。ミンネが名乗るより先に、姿を見てミンネの名を言い当てた。
リノ以外の魔女たちは、誰もミンネを知らなった。
ミンネを見て、どこの国から来たの? と尋ねる人もいたが、彼らが話かけてきた言葉は、蒼の国の言葉ではなかった。
つまり、魔女の街の人々は、ミンネを、彼らとは異なる言語や文化に属する存在だ、と理解はしても、蒼の国の北部の出身だとは思わなかったということだ。
どうして、リノはミンネを『ミンネ』と認識し、蒼の国から来たとわかったのだろう。
これは、決してリノが並外れて賢い、というだけで説明のつくことではない。
「リノ」
ミンネは、リノを呼んだ。
「なに? ね、こっちもちょっと照らしてもらっていい?」
言われた通りに、光の玉を動かす。
「リノ。……私には時間がない。知っていることをすべて教えてくれないか?」
「え? 知ってること……全部話してるけど。なんで? あぁ、全然違った。ただの葉っぱだ」
岩のかげを探していたリノが「ん?」と首を傾げた。
「ちょっと待って、ミンネ。私がなにか隠してるって言いたいわけ?」
「教えてほしい。どうしてあなたは――」
ミンネがリノ問いかけた、その時だ。
「火の玉だ!」
大きな声で、誰かが叫んだ。




