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2.浴衣

 


「いらっしゃいませ」


 ふだん達郎が言っているのをまねて、リノはあいさつをする。


「メロンソーダひとつ。……っていうか、日本語わかる? ジャパニーズ、OK?」


 青年は、じろじろとミンネを見る。


 ミンネもリノも、初めて会った時は、ずいぶんお互いを遠慮なく見てしまったものだ。気持ちはわかる。

 ほとんどが黒髪黒目の魔女の国で、ミンネのハチミツ色の髪も、紺碧の瞳も、異質だ。


 だが、この青年もずいぶんと異質である。

 目の色こそ黒いが、髪の半分が緑で、半分が橙色だ。年齢は、パチュイと同じくらいだろうか。


「メロンソーダ。ワン。プリーズ」


 青年は、台の上にある紙の、文字と絵を指でさした。

 ミンネは魔女の文字が読めないが、横に緑の液体の入った絵が描いてあるので、これを頼む、と言っていることはわかる。


 しかし、この緑の液体を提供する手段がわからない。

 あれは達郎の持つ特殊な技術だ。


 ミンネは教えられた通りに「少々お待ちください」と真面目な顔で言うしかなかった。


「その感じだとバイトじゃないよね? あ、もしかして、『タツロー』にいたガイジンって、君か!」


 背の高い青年は、愛想よく笑っている。


 耳にみっつ、鼻にひとつ飾りがついているところを見ると、まじないを必要とする地位にあるのだろう。

 兵士には見えないひょろひょろと細長い体型をしているので、呪術師かもしれない。


 ミンネは、返答に困った。

 極力喋らないほうがいい、とリノに言われている。


 どう伝えるべきか迷い、今度も「少々お待ちください」と答える。

 青年はぷっと噴き出した。

 どうしたものか、と店の扉のほうを見る。ちょうど、カランカラン、と扉が鳴った。


「お待たせしました! あぁ、ハヤトくんか。いらっしゃい。ちょっと待ってね!」


 大きな機械を抱えた達郎が戻ってきた。

 ミンネは「この飲み物を、注文されました」と緑の部分を指でさす。


「メロンソーダだね。ありがとうございます。百五十円だよ」


 ハヤト、と呼ばれた少年は、財布から銭を出した。

 ありがとうございます、と礼を言って受け取る。


 てのひらの上のものを見せると達郎は「OK。ちょうどだよ」とミンネに言った。


 リノに数字をならっていたので、書かれている数字はわかった。

「1」が一で、「0」がゼロ。

「1」「0」「0」で百。

「5」「0」は五十。

 つまり、『百円』に『五十円』で、百五十円だ。


 それにしても、不思議な素材だ。 

 手にのせ、銭をじっくりと見る。

 貝ではない。

 木でも石でもない。

 これほど硬い素材に、精巧に字を刻むのは並大抵の技術ではないだろう。

 魔女の世界の技術の高さには舌を巻くばかりだ。


「母さんに聞いてました。おにんぎょさんみたいな子がいるって。浴衣着せてあげたい、って昨日からとにかくうるさくて。でも、母さんの気持ちもわかるなぁ」


 リノは、ハヤトの顔を改めて見た。昨日会った女性、サナエの息子らしい。


「ミンネちゃんっていうんだ。リノの友達。ちょっと事情があって、ご両親と合流するまで家にいてもらってるんだよ」


 達郎は透明な器に、透明な四角いものを入れ、そこに緑の液体を注いだ。

 どんな味がするものか想像つかないが、きっとあのレモネードのようなものだろう、とミンネは思った。

 泡が器の中でプツプツと弾けている。


「へぇ。ミンネちゃんって、日本語わかるんですか?」

「うん。ちゃんと通じるよ。カタカナ語は難しいみたいだけど。はい、お待たせ」


 少年に商品を渡している間、他に二人も客が並んでいた。すぐに達郎は、次の客の注文を聞いている。「いらっしゃいませ」とミンネも一緒に言った。


 器を受けとったハヤトは、まだミンネの前にいる。

 そして、内緒話をするように少しだけかがんだ。


「ね。ミンネちゃん。気が向いたら、浴衣着においでよ。『小笠原きもの店』。そこの角まがって、すぐだから。ジャパニーズ浴衣。ベリーグッド」


 笑顔でそう言いながら手をヒラヒラさせ、ハヤトは帰っていった。

 あいにくと晴れ着を着る気分ではないが、リノは楽しみにしている様子だったので、帰ったらこちらから勧めてやるべきかもしれない、と思った。


 そうこうしているうちに、次から次へと客が来る。


 銭にはすぐ慣れた。

 飲み物の値段は、コーヒーが二百円。他が百五十円。フロートは五十円増し。それさえわかっていれば、注文を取ることができた。


「いらっしゃいませ」

「ご注文は?」

「はい、ありがとうございます」

「お待たせしました」

 これで完璧だ。


「いらっしゃいませ」

「コーラふたつ」

「ありがとうございます。二百円のおつりです。こちらでおまちください」


 おつりを渡し、ミンネは客を台の右側に誘導する。「コーラ二つです」と伝えれば、すぐに達郎は二つのコーラを作って客に渡す。


 流れはすぐに覚えた。

 時々、客が「日本語うまいね」とミンネを褒めていた。

 魔女でもないのに、魔女の言葉を使うのが珍しい、という意味だろう。


「一体、どうしちゃったんだろうね。こんなに若い人の集まるお祭りは、初めてだよ」


 額の汗を布でおさえながら、達郎は言っていた。

 忙しそうではあるが、にこにこと笑っている。


 ミンネも、トトリの村に人の行き交う様子を館から見るのがなにより好きなので、気持ちはよくわかった。


 しかし、とにかくひっきりなしに客がくる。

 しばらくバタバタとしているうちに、ハヤトとサナエが走ってきた。

 並べてみると、顔立ちに似通ったものがある母子だ。ハヤトはエプロンをして、手に色とりどりの布をかけていた。


「あぁ、ハヤトくん。サナエさんも、いらっしゃい」


 昨日とは違う、浅い紺の着物を着たサナエは、パタパタと扇をあおいで「ほんとねぇ」と言った。


「マスター。アイスコーヒーくださいな」

「いつもありがとうございます。ほんとに、暑いですね。こう混んでるとなおさらです」


 あぁ、暑い、と言いながら、サナエはアイスコーヒーをいっきに半分飲んだ。


 ハヤトが「おじさん、取引しよう」と言って台の内側に入ってきた。


「なんの取引? 僕、出せるものなんてないけど」


 達郎は、手を動かしながら困り顔で笑っている。


「ミンネちゃんをちょーっとだけ貸してもらいたんです。で、浴衣着てそこらへん歩いてもらうの。こういう子が浴衣着てたら、ノリで着たくなるでしょ?」

「そうなの。マスター。お願い。こんな機会そうそうないから、ちょっとだけ、いいかしら?」


 ハヤトとサナエは、二人で交互に達郎を口説いた。

 さらにハヤトはミンネに「ほら、こういうやつ。きれいでしょ?」手に持っていた色とりどりの布を見せてくる。

 鮮やかな色だ。トトリの村で作られる、島で一番鮮やかな織物よりも、さらに高い技術が用いられている。


(これほど精緻な織物を、どうやって作り上げるのだろう?)


 まったく、魔女の技術は底が知れない。

 ミンネは思わず布をじっと見つめた。


「ね、ミンネちゃん、浴衣着てみない?」


 サナエは笑顔でミンネに聞いた。

 たしかに美しい着物だとは思うが、あいにくとミンネは多忙でもあり、晴れ着を着る気分でもない。


 だが、ミンネの戸惑いは理解されることなく「店のことなら、大丈夫だよ。興味あるなら、行っておいでよ」と達郎にうながされる始末だ。


 喪に服している、と一言告げれば済むかもしれないが、口にはしないでおいた。

 今日は彼らの祭りなのだから。水をさすのも野暮というものだ。


「その間、うちの息子をマスターに貸すから。飲食店でバイトしてるの。店番としてなら、役立つと思う」


 サナエはさらに熱をこめて、ミンネを誘った。

 ハヤトの方は、母親に布を手渡し、もう「いらっしゃいませ」と客に笑顔であいさつをしている。

 ミンネがするよりも、ずっと手際がいい。


(なるほど。取引か)


 この愛想と手際のいい青年と自分。

 どちらが役に立つかは比べるまでもない。


 どうせ、リノが戻るまでは扉探しも進みそうにない、と思っていたところだ。


 せめて世話になった人たちに、多少の恩を返すことはすべきだろう。「リノが帰ってくるまでであれば……」少し迷ったあとで、ミンネは申し出を受け入れることにした。





 蒼の国でも、北部と南部では着物の種類が違う。

 南方は一枚の布に頭を通す穴をあけ、腰のあたりを紐でしばる。

 北部の着物は、この浴衣に似た着物に、袴を身につけるものだ。


 浴衣というのは、美しい柄の薄手の着物を、一枚だけで着流しにして楽しむものらしい。

 サナエはてきぱきと、ミンネに紺色に白いアサガオの柄が入った浴衣を着せ、最後に黄色い帯を巻いた。


 ミンネは、着付けをしてもらいながら、この浴衣はどのように染められているのか、と尋ねた。

 サナエは丁寧に、先染めと後染めの違いや、柄の出方などを教えてくれた。


 仕上げに髪を結ってもらっているところに「こんにちわー」と聞きなれた声が聞こえ、カラカラと横に引く扉の音が聞こえた。


「ちょっと待っててね。ミンネちゃん。――おかえんなさい。リノちゃん」


 サナエはミンネの髪を結う手を止めて、リノの声がする衝立の向こうへ歩いていった。


「こんにちは、おばさん」

「お勉強、大変ねぇ。お昼食べた?」


「はい。塾でお弁当食べたので。ミンネ、いますか?」


 リノがついたてから、ひょっこり顔を出す。


 ミンネの浴衣姿を、右から左からながめて「かわいい!」と華やいだ声をあげた。


「ほんと、お人形さんみたいにかわいくなったわ。モデルさんみたいだものねぇ。これから、きっとお客さんもたくさんくると思うの!」


 サナエはミンネの髪に飾りを挿した。「はい、できあがり」と嬉しそうな笑顔で言って、ポンと肩を叩く。


 あわただしく奥に入っていったサナエが、器に入った麦茶をもってくる。礼を言って、リノもミンネもぐっと一息に麦茶を飲み干した。


「それにしても、すごい人ですね。こんなに商店街のお祭りに人が集まったの、初めて見ました。いつもなら、花火の前だってこんなに混まないですよね」


 リノが言うと、サナエは麦茶をつぎ足しながら言った。


「そうなのよ。びっくりしたわ。ハヤトが言うのは、なんでも、神社に幽霊が出たって、騒ぎになってるらしいのよ」


「「幽霊?」」


 ミンネとリノは、そろって聞き返す。


「昨日の夜の話なんだけど、ネットの動画でね、そこの神社で撮られた、火の玉が映ってたらしいのよ。それで、朝から人が集まりはじめたんですって」


「「火の玉?」」


 二人は、顔を見合わせた。


 昨夜。

 神社。

 火の玉。

 ――心当りがありすぎる。


 目と目を見つめ合ったまま、ミンネとリノは、お互いに「黙っていよう」と確認するようにうなずきあった。


 これは、リノの不安が逆の意味で的中したようだ。



  

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